33.Snow
凍てつく吹雪が一面を白の世界へと導く。足元は積雪で埋め尽くされ、呼吸する度に肺が痛む。吹雪が弱まると、遠くに山脈が見えた。山脈の麓に北の居住地、スノーヴィレッジがある。
ジェットブーツの出力を調整すれば新雪に沈むことなく歩行ができる。これが便利で、移動速度を落とすことなく進めた。
問題は、新しい班員達。特にオットー爺さんだ。爺さんは眠ったまま行動する。眠ったまま日常生活を続ける段階で超人と言えるが、眠っているが故にほっておくとあらぬ方向に歩いていく。そんな爺さんが降り積もる雪の道を歩いていくなど不可能で、班員の誰かが爺さんが入った箱を引きずって行動するという、訳の分からない制限があった。
このルールにより、ジェットブーツの利点は完全に消失した。俺が爺さんの箱を運ぶ係に任命されたからだ。運び係はジャンケンで決まる。共通感覚が優れているはずの俺がジャンケンで敗北したのは、彼等と感覚を共通させたくないという俺の本能が能力に制限を掛けたからだ。
「そのブーツは羨ましい。俺も一つ欲しいところだ」
アーサー隊長が笑う。今回は流石に雪山使用の装備をまとっている。
「私達も北用のブーツを履いてるのよ。その靴ほどは出力は高くないけれどね」
ユリヤが半分雪に埋まったブーツを見せる。このブーツがなければ腰まで雪に沈むのだという。だが、俺はそうですか、としか思えない。もっと大きな疑問があるからだ。オットー爺さん。なんで彼を班員にしているのか。
一度、それとなく聞いてみたことがある。答えはこうだった。
「彼はかつて英雄の一人だった。俺達は彼から戦いを学んだんだ」
「勿論、今でも尊敬しているわ」
「と、と、とても、感謝してる」
納得できるかと叫びたかったが、彼等の輝いた眼差しを見ているとこれ以上続けても無駄だと悟った。
髪が腰まである女性隊員、グヨンがぬいぐるみを手にしたまま作戦に参加していることも不満の一つだ。このぬいぐるみが朝目覚めた時俺の目の前に置かれていた時は思わず悲鳴を上げた。友好の証だそうだが、見た目が継ぎ目だらけの人の頭だ。嫌がらせとしか思えない。
突然、悲鳴が聞こえた。最初、グヨンが遂におかしくなったのかと思った。だが、どうも違うらしく、吹雪の中で全員が辺りを見渡した。
「気のせいではないな……」
「隊長、200メートル前方、反応があります」
ユリヤが腕にはめたガントレット型の装置で確認すると、アーサー隊長が声を張り上げる。
「早速来たな。戦闘準備」
アーサー隊長は背負っていた巨大な筒を掲げた。ユリヤがライフルを、グヨンがぬいぐるみの中から折り畳み式の鎌を取り出し、両手に持った。俺は……
「隊長……」
「行くぞ!!」
「隊長! 俺はどうすれば?」
棺の紐から手を放して良いのか?
「葉鳥は待機だ!」
俺は何しに来たんだ。
雪の煙を上げながら走ってきたのは巨大な白い熊。驚いたのは、そのサイズだ。メタルグリズリーの二倍はある。こんな生物が存在するのかと目を疑った。
「スノーグリズリーか。ユリヤは右、グヨンは左だ」
即座にユリヤが発砲。スノーグリズリーの前右足にヒットする。出血が見て取れるが、その巨体からすれば大した傷に見えない。グヨンはふらふらと近付き、くるくると鎌を振り回す。スノーグリズリーとの距離が残り僅かになるが、グリズリーは彼女の存在に気付いていないようだ。グヨンはそのまま左前足に傷をつけ、さっとその場を離れた。奇妙な光景だ。グリズリーは自分が傷ついたことを、彼女が離れてからようやく理解した。と言っても、両前足の傷は大きくはない。速度が多少落ちたぐらいか。
「さて、撃つぞ。みんな構えろ」
隊長が筒を構えた。大砲か。見たことのない武器だが、さぞ威力が高いのだろう。俺は足に力を入れ、踏ん張りを入れた。隊長が引き金を引き、離すと、爆音とともにエネルギーの塊が発射された。塊はスノーグリズリーの頭部に直撃、爆発し、周りの雪ごと消し飛んだ。爆音の余韻が残る。俺は耳を抑えながら声を張り上げる。
「今まで見た中で一番派手な武器ですね」
隊長はふっと笑って筒を肩に背負う。
「ロケットガンという。現存する武器の中で攻撃範囲は最高だ。問題は弾一発で大量のULを消費する点だな」
「認められた者しか持てない特別な武器ってわけ」
全裸にハットの男が認められた男なのか。
離れていたグヨンが風に髪をなびかせながら戻ってきた。鎌は人形に戻されている。ぱっと見たところ、生首を持ち歩いているようで気味が悪い。
「そういや、グヨンの武器にも仕掛けが? グリズリーがグヨンの存在に気付いていなかったようですが」
間が開いて、ユリヤが笑った。
「違うわよ。そうね、言うなればグヨンの特殊能力ね」
「わ、わ、わたし、影が薄いの……」
そんな馬鹿な、と言ってやりたかったが、目の前で見た事実は変わらない。
「戦闘では有利な能力ですね。頼りになる」
偽りなく思ったことを口にすると、また間が開いた。グヨンが顔を赤らめ(ほとんど見えないが)、ユリヤが感心したように頷き、アーサー隊長がにやりと笑う。
「その通り、俺達は何度も彼女に助けられている」
「そ、そ、そんなこと」
「本当よ。だから、自信持ちなさい」
そのやり取りはなんだか温かいものだった。こうして見ると確かに家族のようだ。照れたグヨンが人形をいじり始めるまでの間は、悪くない光景だと思ってそれを眺めていた。
スノーヴィレッジへの旅を続ける。吹雪の中で、オオカミの声が聞こえた。
「狼がいるんですか?」
「ああ、凶暴な奴がな」
「素早く、鼻が利き、集団で行動する。厄介な相手ね」
「嫌だな。俺、犬好きなんですよ」
ユリヤがくすりと笑い、ガントレットを確認する。敵が近くにいないことを確認したのだろう。
一日中吹雪が続く。北に一人で行くことをセシリアが止めた理由がよくわかる。ユリヤのガントレットと、アーサー隊長の先導で進めてはいるが、一人では前後左右の方向すら見失う。休息は鎌倉を作って、その中で休んだ。男女は当然別だ。
「鎌倉の中は温かいだろう?」
「そうですね……うおっ」
「ん? どうした」
当然のように裸にハット姿になった隊長は、恩人であるはずのオットー爺さんが眠る箱の上に尻をつけて座っていた。いくら温かいといっても全裸に成る程ではない。
しばらく全裸の男と同室していると、鎌倉の外に気配を感じた。何かがうろついている。
「隊長……外に」
「なんだと? ちょっと待て、俺のパンツはどこだ」
「はい?」
「パンツが見当たらん。一体どうなってる!」
言いたいことはあったが取り合えず無線でユリヤに連絡を取ることに決めた。
「ユリヤさん……外に」
「えぇ? あんだって?」
「ですから外に」
「聞こえないよぉ! てめぇ」
この口調、発言。酔っているのか? 馬鹿な。作戦中だぞ。このチーム唯一の常識人がその様なら、最早希望はない。いや、最初から希望などないか。とうに諦めた筈だ。
俺は銃を構えて鎌倉の入り口に近付いた。口は半分近く雪で埋まっている。姿勢を低くし、慎重にのぞき込む。瞬間、頭上を何かが通り過ぎた。鎌倉の上部分が斬られ、猛烈な吹雪が鎌倉の内部に入ってくる。
「なんだ!?」
「寒い!? 流石にこれは寒いぞ!?」
全裸の男の叫び声が聞こえた。無事で何よりだ。下手したら鎌倉ごと頭を吹っ飛ばされていただろう。攻撃を仕掛けてきたのは原始的な防寒具に身を包んだ巨体の男。大きな斧を引っ提げて、俺達を見下ろしている。筋骨隆々、グリズリーの毛皮を被り、仁王立ちしている。
「なんだ、あんた」
「俺のセリフだ。不審者ども」
不審者だと? 俺達が? そんな筈はない。俺はまともだ。 そう叫ぼうにも、背後でパンツを探し回っている男が邪魔で言葉がつまった。
「どうしたのぉ?」と、酒瓶を片手にユリヤが現れ、隣には酩酊しているグヨンがいた。武器を持っていない。いつも大事そうに生首を持っているくせに、何故、必要な時に限って。
「なんなんだ、お前ら……」
男の方が呆気に取られてしまった。それもそうだろう。俺はため息をついて銃を仕舞った。
「ショットタウンの部隊だ。スノーヴィレッジに用があってここまで来た」
「ほう……隊長の名は?」
「アーサー。俺の後ろで今ようやく着替え始めた男だ」
「なんで裸なんだ」
答えられない。答えを知らないからだ。
「アーサーは知っているが、奴はスノーヴィレッジへの入出禁止が出ているはずだ」
「なんだって? そんな筈はない」
「スノーヴィレッジの風紀を著しく乱した……らしい。俺もよく知らないが」
ようやく着替え終えた隊長が「何の話?」と首を傾げている。信じたくはないが、この男なら何かやらかしていてもおかしくはない。
「そういう訳だ。ショットタウンに戻れ。今なら見逃してやる」
「そういう訳にはいかない。俺達には時間がない」
「ならば、無理矢理にでも入るか?」
男が斧を雪の地面に叩き付けた。積雪が舞い、霧のように漂う。成る程、脅しの一撃が、この男の強さを物語っていた。
無理矢理入ったところで俺達の目的は遂げられないが、このまま帰ったら貴重な時間の損失だ。俺が迷いながら剣を抜くと、「待て!!」とこもった声が聞こえた。
「わしの顔に免じて入れてやれ」
とてもゆっくりとした声は、棺の中から聞こえていた。オットー爺さんだ。ようやく起きたらしい。改めて巨体の男に向き直ると、彼はふーと長く息を吐いた。
「最初から彼の名前を出しておけ」
そんなことがわかるはずがない。この変人パラダイスで、誰が人間として上なのか、まともなのか、信頼できるかなんて、判断は付かないだろう。




