31.Distrust
グレートウォールの姿が見え始めると懐かしい気持ちになった。最後に見上げた時は旧チームの全員が一緒だったから。まさか、帰ってくるまでにこれほど時間が経つとは思いもしなかった。
「壁に近付くにつれて遭遇する動物が増えるな」
「壁の中の住民を狙って集まってくるんだねぇ」
パーカーが銃を構える。正しい判断だ。任務から帰って来る度に、疲労した身体で戦闘を行う。グレートウォールの兵士あるあるだ。俺も刀の柄に手をそえる。ところが、グエン隊長とヴェロニカは何も気にせずに前へ進んでいく。
「さっきの、さっきのすごかったなぁ。もう一回、もう一回見たいなぁ」
「これから蛇は東でも増えるだろう。きっとみられるさ」
女性二人はとんでもない会話をしている。兵士として許されないだろう。しかし、モラルを説く意味はない。彼女達にそんな常識を期待してはいけない。頭のおかしい奴は最期までおかしいものだ。俺もいい加減にそれを学んだ。
握りこぶし程の大きな蜂が木に止まっている。黄色と紫の混じった毒々しい外見。
「葉鳥、あれは?」
「蜂ですね」
「見ればわかる。どういう蜂なんだ」
「いやぁ、俺も見たことありません。まぁ、動かないみたいだし、ほっといて前に……」
「えぇ? 秋也くん知らないのぉ?」
俺の目の前でヴェロニカが飛び跳ねる。蛇に食われた野盗の死体を見てからずっと機嫌がいい。
「知らん」
「あれはね、あれはね、悲鳴蜂っていうんだよ。見ててね」
名前から察した俺とパーカーは彼女を止めようとしたが、遅かった。というより、ヴェロニカが素早かった。彼女はナイフを投げ、木に止まっていた蜂をくし刺しにした。ナイフには細い糸が付いており、糸を操ることで、ナイフは彼女の手元に戻った。刃には蜂の死骸が刺さったままだ。
「見て、綺麗でしょ?」
俺とパーカーはヴェロニカを無視し、目を合わせてため息を吐いた。どうやら杞憂だったようだ。てっきり、蜂が叫んで仲間を呼ぶのかと思った。ギークが「どうしたんだい、君達?」と首をかしげる。
「ぼさっとしていると、悲鳴を聞いた仲間が群れをなして襲ってくるよ」
羽音が聞こえてくる。グエン隊長は声もかけずに既に走り出していた。俺達も慌てて走る。
「なんだよ! 叫び声なんて聞こえなかったぞ!?」
「高周波だよ。人間の耳には聞こえない」
「つーか、あんた走るの遅いぞ!」
「いや、私は科学者だから」
大きな蜂の群れはギークの真後ろにまで近付いていた。
「ちなみに、悲鳴蜂は猛毒がある。私のようなULの少ない者は即死だねぇ。全身が今の3倍に膨れ上がるだろう」
「うわぁ、それ素敵」
パーカーが散弾銃を放つが、数匹仕留めて終わりだ。仕方ない。俺は黄金の槍を地面に突き刺して、ギークと蜂の群れとの間に蔓の壁を作った。
「時間稼ぎにはなるだろ。行くぞ!」
「良い武器だねぇ。まぁ、私が作ったんだけれどねぇ」
"槍"はそう何度も人前で使いたくない。寄生植物を利用していると気づかれると面倒だからだ。槍から生成される蔓は黒く変色するように加工してある。俺とギーク以外、真実を知る者はいない。
走っている間に、グレートウォールの直ぐ傍までたどり着いた。この巨大な壁には東西南北の四か所に出入り口がある。
「隊長、入り口は?」
「見失った」
「なんだって?」
「壁の入り口が普段の場所にない」
馬鹿な。なんの嫌がらせだ。
「他の入り口に向かうしかないということですか」
パーカーの提案は受け入れがたいものだった。他の入り口はグレートウォールの外周を伝って向かわねばならない。そこは、アニマルの住処だらけだ。他の扉が同様に閉じられている可能性も十分にある。
「こんなことは今までない。グレートウォールは100年前の物理学者が設計した構図を一度たりとも変えていない。報告もなかった」
俺は、察した答えを口にした。
「女王が扉を防いだんでしょう。アダムがオペレーターとして頻繁に使っていたのがこの西の扉です。彼が敵なら、侵入者がくる確率が高いのもやはりここですから」
「しかし、報告もなく扉を塞ぐとは正気ではないな」
全くだ。これでは俺達のような帰還兵が締め出されたままになる。
「壊しちゃう?」
ヴェロニカが興味なさそうに呟く。有り得ない。まず、壁の厚みは5メートルはある。威の槍並みの物質で構成された硬度で壊せる筈もないし、仮に壊せても、ショットタウンのような惨劇が起こる。誰もまともに取り合う筈がないと無視していたが、ここにはまだ"いかれた奴"が残っていた。
「良いアイデアだねえ。この壁は無機物とULを合成させた天才的な構造だ。故に硬度も高いが、ULが組み込まれているならば銃弾での破裂が起こる。銃弾が壁内に張り巡らされているULの供給路、人間でいう血管のような構造経路に届けば巨大な破裂が起こるだろう。問題はそこまで銃弾を届かせるにはミサイル並みの衝撃が必要で……」
「博士、もういい」
「どうしてだい? パーカー君。言っておくが、私はもう疲れた。できることなら一歩も歩きたくない。別の入り口まで歩くなんて、嫌だね」
その時、足音が聞こえた。振り向くと、軍服を着た兵士たちが俺達に銃を向けている。グエン隊長は武器を背負ったまま、堂々と前に躍り出た。
「グレートウォール戦闘部隊第17班隊長、グエンだ。私に銃を向ける意味がわかっているのか?」
銃を構える兵士を押しのけ、男が前に出た。目が開き切った、顔中傷だらけの男。
「グレートウォール戦闘部隊第2班隊長、"拷問官"エドガー」
名前に反応したのは意外にもパーカーだった。小声で理由を尋ねると、「グレートウォールの"英雄"の一人」だという。どう見ても英雄には見えない。"拷問官"は奴の通り名らしい。特に壁外の人間、野盗や盗賊などの殲滅において功績を残している、と彼は付け加えた。
「街の英雄様がなんの用だ」
「女王は不信感を募らせておられる」
拷問官は両手を大きく開いて、天を仰ぎ見た。
「科学者とグエン隊長、ヴェロニカ隊員は我々も認識している。壁内に入ってもよい。残りの二人は……」
ああ、そういう展開か。俺とパーカーは拷問官の話が終わる前に走り出し、樹木の陰に隠れた。
「……撃て」
銃撃が始まった。俺達が背にしている樹木が削られていく。あいつら、本気で殺す気で撃った。脅しではない。
「あいつ等がショットタウンの兵士だと知っているのか?」
グエン隊長がいつもと変わらぬトーンで話す。銃の嵐が止んだ。
「勿論だ」
「街の間で戦争になるぞ」
「人間とはそういう生き物だと思わんかね」
彼女はしばし黙り、僅かに笑った。
「同感だ」
グエン隊長が弓矢を構える。一瞬、ほんの僅かな間、隊長は拷問官を射抜いてくれると、期待をしてしまった。数日だが、俺達は共に戦った仲間だから。
まぁ、そんなわけもなく、グエン隊長は俺達に向けて矢を放った。矢は太い幹を貫通する。俺はリストブレイドでそれを弾いた。
「あっさり裏切ったな」
「用済みってことですかね。だからって……」
更にもう一発、矢は俺の眉間を狙っていた。避けたが。
「俺達を殺してなんの得が……」
今度はナイフが飛んできた。銃弾で削られた幹を貫通する。パーカーがショットガンを盾にして防いだ。ヴェロニカ……嬉しそうに笑っている。
「しゅうやくーん! 凄いの見せてよ!」
パーカーがふっと笑った。
「理屈は通じまい。グレートウォールの住民はどうかしている」
「冗談じゃありませんよ。で、どうしますか」
「撤退しかない」
「なら、俺が槍で……」
「いや、新武器をわざわざ披露することはない」
パーカーはショットガンのパーツを素早く組み替えて、敵の一団に向けて構えた。
「顔を出したぞ! 殺せ!!」
敵兵が銃を構え、グエン隊長が矢を、ヴェロニカがナイフを投げるが、パーカーの方が早かった。既に改造型ショットガンの弾は放たれ、弾は空中で破裂、爆音と強烈な光が走った。
敵がひるんでいるうちに距離を稼ぐ。お荷物がいない俺達は素早かった。




