30.Digestion
立派な口ひげを生やした男は脚を抑えてうずくまっていた。大腿部にグエン隊長が放った矢が突き刺さっている。見えない敵を正確に捕えて見せた。隊長の義眼に秘密があるのだろうが、射的技術もかなりの腕だ。
「こんにちは」
膝を折って男に挨拶をするヴェロニカ。彼は困惑を現す。それもそうだろう。およそ兵士とは思えない可愛らしい少女が、ナイフを片手に楽しそうに挨拶をする。ヴェロニカの内面を知らぬ者からすれば状況は理解できまい。それも、彼女の発した言葉で顔色を変えるまでの話だが。
「おじさんは何本まで我慢できるかなぁ」
はしゃぎながら男の指にナイフをそっと当てる。彼女は男の耳元に口を近づけ、隊長に聞こえないようにそっと囁く。
「あたしはね、本当はおなかをすーと開いて、おじさんのおなかの中身で遊びたいんだけれど、それをするとね、あんまり長くもたなくて、隊長に怒られちゃうの。おじさん、できればね、指を切ってる間は我慢して、最後まで耐えてね。そしたらさっ、あたしはおじさんのおなかをすーと……」
「なんなんだこいつは!!」
叫び声を上げた。まぁ、常人なら耐えられないだろう。なにより、計画を話している間のヴェロニカは異常にエキサイトしている。こんな調子で話されたら俺でも叫ばずにはいられない。
「全てを話した方がいい。私も貴様の拷問など見たくはないし、部下の人間に対する残虐な姿を目撃されれば問題になる」
隊長が優しい警察官役か。ちなみに、「私も貴様の拷問など見たくはない」というのは、嘘だ。この隊長がヴェロニカなんていう異常者の代表みたいな狂人を部下にしているのは、彼女がいれば自分も楽しめるからだ。それは、彼女の顔を見ればわかる。見てみろ。彼女は男に「抵抗してくれ」と期待している。表情がわくわくしている。
静観していたギークが急にしゃべり始めた。手には液体の入った瓶を持っている。
「これを試しておくれよ」
「それは?」
「開発中の薬品さ。感覚が鋭敏になる。ULの効力を高めてくれる。ただね、高まりすぎて、痛覚も跳ね上がる。風が当たるだけでも実験動物は叫び声を上げる。でも治癒能力も高くなっているから意識もなかなか飛ばなくてね。人間に試したかったんだが、誰も立候補してくれないし」
「それはいい、ぜひ試そう」
「ええ~もう、あたしの時間が……」
ヴェロニカは男の耳元に口を近づける。
「おじさん、頑張ってね。あたしの出番がくるまで、喋っちゃだめだよ」
ほらな? 可哀そうだろ。
男は結局、拷問が始まる前に全てを喋った。野盗に所属する彼はボスの命令でギークを殺すように指示された。黒幕はわからない。ただ、目的はグレートウォール内の兵力を下げることらしい。
「このご時世に街の力を弱めるだと? 人間を滅ぼすつもりか」
パーカーが憤る。当然だ。あと街を一つでも潰されたら人間の敗北は確定する。ところが、ギークが首を振った。
「女王に恨みがある者だろう」
「恨み? またその話か」
グエン隊長が呆れたようにため息を吐く。だが、俺は知っている。この気に食わない男は、少なくとも根拠のない話は持ち掛けない。なので、ギークに尋ねた。
「何か知っているのか?」
「女王に反旗を翻そうって奴がある時期から現れてね。そいつが私を狙っているという噂を耳にした。ほら、私はグレートウォール内で飛びぬけて優秀だから。私に狙いをつけた奴はセンスがある」
自分を標的にした黒幕を「センスがある」か。
「それでは、グレートウォール内に戻っても危険では?」
パーカーのもっともな意見に、グエン隊長が首を振った。
「そいつは街を追放された。秘密裏に」
「へぇ、それは知らなかった」
「上層部しか把握していない情報だ。女王は死刑を嫌っている。故に壁の外への追放処置が為された」
そんな処分は実質死刑と同じだ。だが、どうやらそいつは生き延びて、野盗を雇って、まだグレートウォールを狙っているらしい。
そこで、グエン隊長が俺を睨んでいることに気が付いた。
「……なんでしょう」
「そいつは、元風上班のオペレーターだ」
なんだって? 冗談じゃない。アダムが? あの酒飲み親父がそんな壮大なことを?
「奴はもともと女王に恨みがあった。そこで風上のまっすぐな意思、グレートウォールを変えるという目的に共鳴した。ところが、お前たちは戻ってこなかった。同志を失った奴は、同志の意思をはき違えた。即ち、グレートウォールを滅ぼす、という歪んだ思想に傾倒した」
そんな事態になっていたとは知らなかった。
アダムはもとは北の街の出身だ。独自のルートを持っていてもおかしくはない。だが、街を滅ぼそうとするなんて、彼らしくない。信じられない。
「アダムとは話を付けます。ひとまず、彼をグレートウォールまで送り届けましょう」
「そうしよう。ヴェロニカ、行くぞ!」
隊長に呼ばれても、ヴェロニカは男の前でずっと何やら呟きながら、ナイフを男の顔面の直ぐそばに突き立てていた。
「我慢するって約束したのに、約束したのに、約束、約束したのに、約束したのに……」
男は恐怖に震えていた。
瞬間、パーカーの声が響いた。
「警戒!! 敵が来ます」
バキバキと猛烈な勢いで枝をへし折りながら、何か巨大な生物が近付いてくる。
「なんだ!」
「これは……蛇です!」
現れた蛇は巨大だった。鎌首をもたげた姿は、メタルグリズリーが立ち上がったサイズと遜色ない。人間など簡単に丸呑みできるだろう。直ぐにパーカーが銃を構える。
「アイアンスネーク……ショットタウンの更に西部に生息するはず……」
「ふ~ん。やっぱり寄生植物騒動で動物の生息地が大幅に変わっちゃったんだねぇ」
「悠長にするな! 来るぞ!」
蛇は猛烈な勢いで飛び掛かってくる。パーカーはギークを庇いながら後退し、ヴェロニカとグエン隊長は走って距離を空ける。俺はジェットブーツで樹木の枝に上った。
「おい! ヴェロニカ! あの男は!?」
俺の叫びにヴェロニカは首を傾げた。なんて奴だ。一瞬で男のことを忘れてやがる。
彼を見つけた。足を引きずって蛇から逃げようとしている。助けに行く前に、蛇がすっと男のいた道を横切った。それで、男の姿は消えた。上から見ていた限りよくわからないが、おそらく食われた。くそ。敵だが、死なすつもりはなかった。
隊長が矢を放つ、矢は蛇の右目に向かい、見事に命中する。
その隙を、パーカーは見逃さない。チャージしたショットガンを蛇の顔面に向けて放つ。頭が吹き飛び、蛇は倒れた。
俺が何かをする前に戦いは終わった。流石、優秀な班だ。俺は蛇の胴体に近付き、剣を抜いた。
「えっ、えっ、えっ、秋也くん、何するの」
「嬉しそうに言うな! あいつがまだ生きてるかもしれねぇだろ!」
蛇の胴を開く。血が噴き出て身体に浴びるが気にしていられない。ある地点を開くと、ずるりと粘膜で覆われた何かが身体の外に出てきた。蛇の食道……裂け目を入れると、おそらく彼だったであろう物体が出てきた。ほとんど溶けている。えらいことになっている。俺は叫び声をあげる。
「うわぁぁ、こりゃ、酷いったらないぜ、くそ」
近付いてきたパーカーが即座に目をそらして胸元を抑える。ヴェロニカは、はしゃいで飛び上がる。
「すごい!! 秋也くん、これ、すごいよ!! あははっ、おじさん!! これっ、すごいねぇ!」
「アイアンスネークの消化能力は全生物一だからねぇ」
そんな情報は腹を開く前に言ってくれ。




