1.Fall
人生には意味がある。いつか誰かに言われた言葉だ。今となっては乾いた笑いが浮かぶ。
俺は葉鳥秋也、16歳。ただの高校生で、ただの映画好き。普通の両親から生まれて、勉強もそこそこ、大して熱の入らない運動部に入って、土日はアルバイトで潰す。楽しいと言えば楽しく、つまらないと言えばつまらない、そんな人生を歩んできた。
ある日、瞼を開けると凄まじい密林に打ち捨てられていた。蒸し暑い森林地帯。服に付いた泥や落ち葉を掃って、ゆっくりと立ち上がる。
何が起こったのか全く記憶がない。ただただ茫然とする。辺りには木と泥しかなく、空を見上げると青い空が見えた。
俺の超能力が目覚めたのか。無意識に瞬間移動でもしたのか。アマゾンのジャングルにでも飛んできたのか。それとも、これは夢の中か。まだ俺は眠っているのか。
あてもなく歩いた。聞いたことのない虫や鳥の声を聞きながら、額の汗を拭った。スニーカーを泥で汚す。永遠と同じ光景が続く。不安がピークになると、俺はとうとう叫んだ。
「おい!! 誰か!」
声は反響し、樹木から鳥が飛び出す。返事はない。
「くそ」
その時、地面に倒れた人を見つけた。急いで駆け寄ると、同じぐらいの年の女の子が仰向けに倒れている。
問題だったのは、その子がヨーロッパ系の人種らしく金髪で白い肌だったこと。着ている服が薄いワンピースだけだったこと。
こんな状態で倒れている女子に話しかけるのは物凄く気が引けた。が、俺は膝を地面について、その子の肩を揺らした。人見知りの俺がそんなことをやってのけられた理由は心細かったからだ。例え、日本語が通じなくても、不審者だと思われても、仲間が欲しかった。
女の子はゆっくりと目を開けた。青い目。やはり日本人じゃない。彼女は戸惑いを見せる。
「だ、大丈夫か?」
俺はつい日本語で声をかけた。彼女の出身国は分からないが、そもそも俺は日本語しか話せないのだから関係ない。彼女は横になったまま、俺を見て小さく頷いた。言葉が通じた。奇跡だ。心の中でガッツポーズをする。
「気が付いたらこんなジャングルにいたんだ。君は、何かわかるか?」
彼女は周囲の様子を伺ってから首を横に振る。俺は落胆を隠せない。
「取り合えず、立てるか?」
俺は手を差し出した。彼女は驚いた表情を崩さないまま、俺の手を掴んで立ち上がった。立ち上がった彼女の姿は、とても美しく見えた。
「俺は葉鳥秋也。え~と、日本人。君は?」
彼女は口を開けたが、声が出なかった。暫くパクパクと口を動かして、悲しそうな顔で喉元を抑える。
俺はその様子を見て察した。
「声が出ないのか?」
彼女はゆっくりと頭を下げた。様子を見るに、もともと声を出せなかったわけではなく、今目覚めたこの状況で声が出なくなったようだ。
「そうか、じゃあ、名前を……地面に書いて、教えてくれるか?」
俺は地面を指さして言った。地面は泥だ。指でも、そこらに落ちている木の枝でも文字が書ける。我ながら、良いアイデアではないか。
ところが、彼女が頷いてから書いてくれた文字を、俺は読めなかった。英語っぽいが、読めない。発音の仕方がわからない。
「参ったな」と呟きながら、不意に彼女の足元を見る。決してやましい感情があったわけではない。ちょっとはあったかもしれないが、ともかく、彼女は裸足だった。ついでに美脚だ。
俺は靴を脱いで、彼女の足元に置いた。彼女は戸惑う様子を見せる。その様子が少しおかしかった。
「ジャングルに裸足はきついよな。取り合えず、それ履いてくれ」
彼女は戸惑い、一度はそれを断ったが、俺が再び促すと、頭を下げて靴を履いた。
俺は靴下がぐしょぐしょになっても、彼女と良好な関係を築きたかった。
二人で相談して、相談と言っても俺が話したことに彼女が首を振るか振らないかだが、ジャングルを歩くことにした。状況が分からなくても、早急に解決しなければならないことがある。水場の確保だ。
ジャングルは蒸し暑い。立っているだけでも汗が出てくる。こんな有り様で、水もなく生きていくことはできない。
数分歩いて、倒木があった。それをまたいでから、異臭を嗅ぎ取った。生ごみを煮詰めたような、真夏のごみダメのような、とにかく、嫌な臭いだった。彼女を見ると、彼女も鼻を抑えていた。
なんなんだと辺りを見渡して、ぎょっとした。
倒木の傍、樹木にもたれかかるようにして、人間がいた。迷彩の服を着た、中年の男。明らかに、死んでいる。
素人目で見てもそれと判断できたのは、彼の腹の中身が空っぽだったからだ。ぱっかり開いた腹の奥に、脊椎のような白い物が見える。
頭がくらくらした。なんなんだこれは。吐き気がして、蹲ってしまう。口元を抑えて、歯を食いしばる。匂いのもとが彼だと思い至ると、胃が千切れそうだった。
誰かが、背中をさすってくれている。誰だろうと考える必要はなかった。俺達は二人きりだ。
ふと横を見ると、女の子が寄り添ってくれていた。俺の背中をさすり、心配そうに顔を覗き込んでいる。
「ご、ごめん。ありがとうな」
礼を言うと、彼女は小さく頷き、なおも背中をさすってくれた。
彼女は平気なようだ。俺は情けなくなり、自分が嫌になったが、仕方がないとも思う。遺体を見るのは初めてだ。その上、あんな有り様なら、吐かなかっただけでも良しとしよう。
ようやく立ち直ると、今度は彼女の手を借りて立ち上がった。遺体を見ないように空を見上げて移動し、臭いの元から離れる。傍には彼女がついてくれていた。
遠くから、がさがさと音が聞こえた。枝をへし折りつつ、巨大な何かが近づいてくる。ドスンドスンと地面が揺れた。
「今度は何だよっ」
音の鳴る方向を見て、俺は叫びたくなった。巨大な熊が、俺達に駆け寄って来る。
パニックになる俺の頭の中で、熊への対処一覧が浮かび上がる。
死んだふり?
荷物を置いてゆっくり下がる?
それとも、戦う?
どれが正解だかはわからないが、どれを実行するにも問題があった。それは熊が、どう考えても俺達を狙っていることだ。落ち着いて対処している暇はない。結局、俺は彼女の手を引いて、走り始めた。
後方から熊の咆哮が聞こえてくる。凄まじい圧だ。空気がびりびりして、木の葉が舞う。俺は靴下の割には速く走れた。風切り音が耳に届く。ただ、どうも彼女は走るのが苦手らしく、俺の速度についていけないようだ。はぁはぁと呼吸を荒げ、速度も上がらない。俺は仕方なく、普段なら絶対取らない行動をとった。彼女を腕に抱えて走ったのだ。
申し訳ない。だが、彼女の反応を気にしている余裕はない。とにかく全力で走る。泥を踏んで、歯を食いしばる。途中、倒木を乗り越え、これなら追って来れないだろうと後方を振り返った。しかし、熊は倒木も構わず突っ込んできて、太い幹を粉々に砕いたかと思えば、少しも速度を落とさずに近付いてくる。
このままでは追いつかれるという確信。
どうすることもできない。
その時、地面が途中で消えた。
なんだと思う間もなく、俺は彼女を抱えたまま、崖から落下し始めた。
「うっそだろおおおおおおおお!」
彼女が俺を強く抱きしめる感触があった。
俺は謝罪することもできないまま、ただ落ちていく。
強い衝撃と共にしぶきが舞い上がる。
俺達は水の中に不時着した。




