生ハムを巻いたソーセージですわ!
「急用だかなんだか知らんが、あんまり男にうつつ抜かしてんじゃねーぞ」
ジジイめ……。ドキっとするようなことを朝から言わないで欲しい。
今朝もファンとラブラブな朝食を楽しんできたのだ。昨日、優香はなんて言って誤魔化しの連絡をしてくれたのか、しっかり聞いておけばよかった。
後悔しながら白い長靴に履き替える。
「まあ、昼からは暇だったからいいけどな」
その言葉にホッとする。別に怒ってはいないようだ。
平日は客が少ないから良かったが……大丈夫なのだろうか、この店は。
体長一〇センチ程度の小さな鯵が数百匹プラスチックの洗い桶に注がれる。
流し台の横のまな板に載せると、ウロコを適当に擦り落とし、頭をエラごと出刃包丁でポンっと落とす。腹に切り目をスッと入れて内臓をゾリゾリ引きずり出し、せいごをそぎ切り最後にバッテンの形に切り目を入れる。
その間、わずか五秒――。
しかし鯵は数百匹――。
「にえ~!」
「コラ! 佳衣、うるさい! 口動かさずに手を動かせ、手を!」
「動かしてるから声が出るんでしょうが! こんなにアホほど鯵ばっかり仕入れてくるな!」
「ハッハッハ、今日は安くていい鰺が大量に揚がったみたいだからな。これ買わない奴は魚を見る目がないといっても過言じゃねーぞ」
換気扇の近くでジジイが煙草を吹かしている。さらにババが鰺を数百匹洗い桶に流し入れる~!
「にえ~! ランチに間に合わないじゃない!」
鯵が入った洗い桶に、今度は大量の氷を入れるババは、もはや鬼! 鬼ババア~!
「バーカ、デパートで働くもんがデパートでランチ食うやつがあるか! 稼いだ金、全部還元してどうする」
ニッと笑うジジイの歯は黒く、前歯は数本抜けている。
「誰がどこでご飯を食べようと、わたしの勝手でしょ!」
「そうだよあんた。それにわたしらだって昔はそうしてたじゃない」
「あ? ああ……」
ババに言われて照れるジジイ……。いい歳こいて照れるな――!
「それにデパートの売り上げが上がるんだから、儲かるじゃない。社員の鏡よ」
「……まあ、そう言えば……そうなるかもなあ」
そう会話するこの老夫婦の手は……止まっている……。
煙草を持ったまま、止まっている……。
「それよりあんた、今日は総会だろ、早く着替えて行っといで」
「おっと、そうだったか。ち、面倒だなあ」
白いビニールのエプロンを外すと、今日のジジイはエプロンの下がスーツ姿だった。いつもは小汚い作業着か、子供が履いていたと思われる中学生体操服長ズボンなのに……。
『荒波』と白色で刺繍された緑色の体操服長ズボンを穿くジジイ……。見ているこっちが恥ずかしい。
実は小さな鮮魚コーナーを切り盛りしているこの荒波夫妻が、デパードでかなりの力を持っているらしい……。友達がそう噂していた。先輩達からはわたしのことがが羨ましいと言われたこともあるのだが……。
羨ましいなら……変わってやりたい……。氷水に浸かった数百匹の死んだ鰺が、じっとわたしを見つめているわ……。
わたしの両手とエプロン、持っている包丁までもが鯵の返り血でホラー映画のヒロインのように真っ赤だ。
やだ、自分で言っててヒロインだなんてっ。キャッ!
「ほら、手が止まってるよ! あたしがヒロインだよっ!」
……キャー!
ランチにはなんとか間に合った。
数百の鰺を全て処理し、発砲トレイに十匹くらいずつ入れて重さを量ってラップし、印刷されて出てくる金額とバーコードのシールを貼りつけ終えたのだ。
もう、午前中だけで見も心もクタクタだ。しばらく鯵は見たくもない。
「で、彼氏とはどうなの」
もたれていたソファーから、ガバット前のめりになる。
「そ……そ……それが……」
顔が急に赤くなる。
「ええ! シャワーを覗かれたの! 最悪~」
「――シー、菜々美は声が大き過ぎ!」
黒いベストを身に付けた店員が大きな声に驚きコチラを向く。菜々美の顔もカ~っと赤くなるのだが、隣で優香だけは白けた顔をしていた。
「あんたら……今どき女子中学生でも驚かないわよ、そんなこと」
「「えっ」」
はあ~とため息をつくと優香。
「裸で抱き合うんでしょ? そのまま朝まで寝るんでしょ? 見ただの見られただのって、そんなの付き合っていたら当たり前じゃない」
……そんなにバッサリ割り切れてしまうものなの? 優香……おとなだわ……。
「菜々美だって、見たことあるんでしょ、男の・は・だ・か」
「え……ええ。もちろんよ」
菜々美は昔、彼氏と付き合ったことがあり、経験だってあると聞いていた。なのに、わたしと同じように驚いていたところに優香はなにかしら「きな臭さ」を感じ取ったのかもしれない。
「じゃあさあ、ソーセージってどんな大きさか、知ってる~?」
ニヤニヤしながら荒挽きソーセージをフォークで刺す優香の顔は、なんだか昼間の顔とは思えないほどイヤらしい……。
「そ、そ、それくらいよ」
「へえ~。佳衣、ほんとにこれくらいだった? ソ~セ~ジ」
急にわたしに話をふらないでよ!
きゃー、あまりハッキリとは覚えていないけど……太さはそれの……2・4倍はあったかしら……。長さも……倍くらいの……ソーセージが垂れ下がっていた……かしら?
「もうちょっと……大きかったわ……。彼のソーゼージ」
もう耳まで赤い。遠くで聞き耳立てている店長の耳も赤い……。
優佳はさらに生ハムをそのソーセージに巻き付けると……、なんだか昼間から盛り上がってはいけないようなテンションになってしまう~。
色も形も凄くグロテスクなソーセージの生ハム巻きに……思わず口を押える。わたしと菜々美と遠くから見ている店長や店員達――! さらには他の客――つまり、店内全員!
ソーセージの先端に、粒マスタードをたっぷり付けると、男性店員が何故か腰を引いて、口を開け痛そうにしている?
――バリッ! ムシャムシャ!
「ああー、ここのソーセージって最高に美味しいわ」
優香は昼間っからきめ細かい泡が立つ生ビールを飲んでいる始末……。まだ昼からも仕事のはずなのに。
「一杯くらい大丈夫だって、誰も見ていないから」
わたしには真似ができないわ。菜々美も呆れている。店長も顔を真っ赤にして……呆れている。
「そんなことより、今日、ちゃんと紹介してくれるんでしょうね! その自慢のイケメン彼氏!」
「え?」
一応ファンには、夕食を一緒に食べられるか打診し、オッケーをもらっているが……。
「……いいんだけど、ちょっと変わってるよ」
「いいの、いいの。どうせ男って全員、どこかは変わっているんだから」
そういって生ハムが巻かれたソーセージを更に音を立てて食べる。周りの視線を気にもしていない。
――優香も、十分変わっていると思う……。
デパート五階の有名ブランド店で働く優香は、とにかく男性によくモテる。服のセンスも良いし、スカートの丈も短い。洗礼された顔立ちと毎朝キチンとセットされた髪形は、まさにファッション誌から出てきたかのような都会美人。アイラインやチーク、付けまつ毛なんて……わたしは付けたことすらない。
優香に比べられると、わたしも菜々美も太刀打ちなんて到底できない。ファンと会わせても大丈夫かしら……少し心配になってしまう。
 




