不純……かしら?
お昼ご飯は同じデパートに務める友達二人といつも一緒に食べている。
デパートの十階にあるイタリアンレストラン、『エークタスパ』は、今日もほぼ満席状態だ。店長をはじめ、このお店の店員は全員スタイルが良く、颯爽と歩く姿はモデルのよう。男性店員目当てに若い女性客の支持を得ている。
わたしもその一人だったのかもしれない。ほぼ毎日来ている常連客なのだから……。
「佳衣、遅い!」
「ゴメンゴメン」
先に入って席をとっておいてくれた優香と菜々美に謝り、丸テーブルの空いた椅子に座った。この二人も同じデパートで働いている同期入社の友達なんだけど、学歴が違うからわたしよりも二歳年上だ。
西川優香は五階のブランドショップ。
小谷菜々美は七階の小物雑貨屋さんで働いている。
「ランチに来る前に、急に呼び止められて仕事押し付けられちゃって、慌てて済ませてきたの」
ハアハアと息を切らせて見せるが、走ったのはエレベーターまでと、エレベーターからのほんの少しの距離だけ。
「ああ~、まだ手がイカ臭いわ」
「……」
「……」
「「……」」
わたしの声に、店員もこちらを見てギョッとしている?
「いや、さっきさあ、冷凍のイカソーメンを二十パック詰めてくれって急にジジイが言うからさあ、もう手袋するのも面倒だし、そのままババって詰めたのよ。冷たいのを我慢して。それで時間がなくなって、慌てて来たからもう手がイカ臭くてイカ臭くて……。ほら」
そのイカ臭い手を二人の方に差し出すが、二人とも嗅ごうとはしてくれない。
「嗅いでごらん、イカ臭いから」
「ごめん、いい」
差し出したわたしの手から二人がスッと遠ざかる。
そりゃそうよね。『臭いを知って嗅ぐはたわけ』ってことわざがあるもんね……。
「これでも一回洗ったのよ。でもイカ臭いのがなかなかとれないのよ~」
もう一度自分の手の匂いを嗅ぐ。やはりイカ臭い。爪と指の隙間がとくに臭い!
「……っていうか、イカ臭いってあまり大きな声で言わないでくれる?」
優香が少し眉間にシワを寄せ迷惑そうに言う。なんか……怒ってる?
「そうそう……イカだって可哀想だわ。イカってイカなんだからイカ臭いはずでしょ。体臭みたいなものよ。イカ臭いんじゃなくて、イカの匂いって言うべきよ」
「えっ、そっちー!」
「「……?」」
優香の突っ込みどころが分からない。「大阪人の突っ込み」ってやつなのだろうけれど……。
「コホン! あまり店内で……「イカ臭い」と連呼しないでいただけますでしょうか……。当店自慢のイカ墨パスタが売れなくなってしまいますので」
店長自らがそう言ってテーブルに真っ黒のパスタを置く。イカ墨スパゲッティーだった。
「え、これ注文していませんけど?」
「いつもご来店頂いておりますので、サービスでございます。濃厚で僅かに甘いイカ墨のソースは、アルデンテに茹でられたパスタと相性抜群。是非お試しください」
「「ありがとうございます!」」
「他のお客様には内緒でお願いします」
ニッコリ微笑むと、店長は厨房へと戻って行った。歩き方が凛々しい。
「なんか得したね」
「そうだね、さっそく頂きましょ!」
三人で唇と歯の隙間を真っ黒にしながら、イカ墨スパゲッティーを吟味した。
少し食べてお腹が落ち着くと……二人に昨日のことを話すことにした。……朝から言いたくて言いたくて~ウズウズしていたのだ――。
「昨日さあ、酔った勢いでイケメンに声を掛けてみたら……急にわたしについてきてくれてさあ~……」
昨日は実際に何を話したのか……あまり覚えていないのだが、上機嫌で話を続ける。
「キスまでしちゃった~」
「ええーいきなりキス? 嘘でしょ! 佳衣がまさかの――イケメンに逆ナン?」
「へえー、やったじゃん。佳衣にもとうとう遅い春が来たんだ」
「へへ」
遅い春って言わないで欲しいわ……。笑顔を見せるとお歯黒のような黒い歯が姿を現す。
「わたしの家に泊っているのよ。もうウキウキ」
きゃっ、言っちゃった! 急に二人の顔が笑顔から真顔に戻る。あれれ? いきなりの嫉妬ですの?
「――え? 初対面の男を家に泊めたの?」
「そうよ。今も家にいるはずよ」
「だ、大胆!」
「でもそれってやばくない? なにか大事な物とられなかった?」
「大事な物……?」
ああ、あれのことか。
「それがさあ~。酔って寝ちゃったから大事な物を奪ってくれなかったのよお~グスン」
「「グスンじゃなーい!」」
「――不用心よ!」
「ふしだらだわ。ああ~不純だわ!」
優香は頭を抱えてガッカリし、菜々美は口元を隠して驚いている。
「で、連絡する方法はあるの?」
「う、うん。わたしの古いスマホ渡してきた……」
「すぐに掛けなさい! もし出なかったら急いで帰るのよ」
「え? ええ」
優香……そんなに焦ることないのに……。
トゥルルルル……トゥルルルル……トゥ、ツーツーツー。
「あれれ、コールしたのに切られたわ?」
「それって「着信拒否」したってことじゃない! 今すぐ帰りなさい!」
ええ、今すぐ?
「でも、昼からも仕事があるし……」
ジジイとババが許してくれないわ。
「仕事どころじゃないって! 家じゅう荒らされて逃げられていたらどうする気なの?」
「それなら大丈夫よ。ちゃんと鍵かけてきたから」
鍵はしっかりわたしのバッグに入っている。
「「――外から鍵かけて……なんの意味があるのよっ!」」
二人の声に驚いて立ち上がる。その通りだわ!
「もし泥棒だったら、ちゃんと警察に被害届を出すのよ!」
「――うん、わかった」
「鮮魚コーナーにはわたしが上手いこと言っておくから、早く帰りなさい!」
「うん、ありがとう優香」
「――! 口の中、真っ黒だから喋る時に口を開けないのよ!」
「……!」
ええー、じゃあ、どうやって喋ればいいのよ!
バッグを持って店を出ると、鮮魚コーナーへは戻らず、直接マンスリーマンションへと走って帰ることにした。