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職務


 田舎の女子高を卒業後、大阪中心部にあるデパートへの就職が決まり、わたしが配属されたところは十階建てデパートの……地下鮮魚コーナーの裏方という……人目からは遠く離れたところ。

 その鮮魚コーナーも、大きい方の鮮魚コーなーではなく、特設のこぢんまりとした「日本海直送」を売りにした小さな一角で、普段はそれほど忙しくない。残業もなく、給料も安い。


「おせーぞ。最後に出勤してくるとは、いい身分だな!」

 口やかましいジジイ。この店の大将だ。すでに大きな白いビニールのエプロンと、白い長靴を履いて、まな板の上で魚を刺身にさばいている。

「うるさいジジイだなあ~。あんたらが早く来過ぎなだけでしょ」

「こっちは仕入れの為に朝の四時から働いてんだぞ!」

 ああ、うるさいうるさい。そんな趣味の道楽みたいな仕事を入社して三年経たないわたしに求めるなっつーの。

「そのかわり、この人、夜は八時に寝てるからねえ。イビキかいて夢の中。布団の外さ」

「母ちゃん、それ言う必要ねーだろ」

 母ちゃんと呼ばれた女性。通称ババと呼んでいるが、そのことでは怒られたことがない。ジジイが大将なら、ババは上級大将なのかもしれない……。

 ジジイとババは夫婦で、苗字が荒波(あらなみ)だと聞いた時、わたしは思わず笑ってしまった。普段は三人でこの鮮魚コーナー「日本海直送」を切り盛りしているが、誰かが休みの時や、正月前後の忙しい時などには臨時でバイトが入る。


 荒波夫妻……いずれはこの店をわたしに継がすなんて怖ろしいことを口にしたりするのだが、「冗談は顔だけにしてくれ」と言いたい。……いや、いつもそう言っている。

 毎日、魚の相手をし続けて歳を取っていく気はサラサラないわ――。わたしだっていつかは素敵な男性と結婚し、温かい家庭を作るのが夢なのよ。


 それが幸せの王道なのよ――。


「ところでおめえ、彼氏でもできたのか?」

 ――!

 なんで――そんなの分かるのよ~!

 ファンのことが頭に浮かぶと、思わず顔が真鯛のように赤くなってしまうじゃないの。

「で、で、できるわけないでしょ!」

 背を向けてロッカーから自分の白エプロンを取り出して身に付け、白い長靴に履き替える。

「そうか? なんかいつもと雰囲気が違うからなあ。まあ、おめえなんかに彼氏ができるわけないか、ハッハッハ!」

 カッチーン!

 ファンと一夜過ごしたこと、話してやろうかしら~!

「あんた、佳衣も二十一歳になったんだから、お化粧くらいはするわよ」

「化粧? ああ、そうか」

 まるでわたしの両親にでもなったかのような会話をしないで欲しい――。

「いつもは昼メシ前に仕事さぼって化粧してるからなあ。今日は朝からしてきたってわけか」

 図星。クソ~。

 今日はファンに隠れて、こっそりトイレで化粧をした。少し眉毛を書いて、少しファンデーションを付けただけだけど……。


「色気づくのはいいが、魚に匂いが移るような香水や、キツイ匂いの化粧品は駄目だからな!」

「うるさいなあ。そんなもの付けてきたことないでしょ、今まで」

 ジジイが刺身にして綺麗に盛り付けた発砲トレイに次々とラップをかけ、値段とバーコードが掛かれた小さな四角のシールを右下に張り付けていく。

「おい、おすすめシールもはっておけよ!」

「言われなくても貼ってるって!」

 毎日、どの商品にでも張り付けている、「おすすめ」「うまいよ」「今日はコレ」「広告の品」のシール。夕方になると、「2割引き」「3割引き」「半額」が重ねて貼られるのだ。


 そして売れ残れば次の日の朝、ラップをはがし、シールを貼り直して店頭に並べるのだ……。


 ジジイが手早くヒラメをさばくのをぼうっと見ていると、知らないうちに時間が経ち、それで給料が貰えるのなら……こんなに楽な仕事はない。

 ガッ、カッカッ――。

 出刃包丁で次々と魚が綺麗な刺身に姿を変えていく……。凄く手際がいい。


 以前から見ていて気になっていたんだけど、ジジイは刺身の切れ端……一番尾ビレに近いところの一切れを、必ずそのまま口に入れる。

 ――摘まみ食いするのだ。


 醤油もなにも付けていないお刺身の、いったいどこが美味しいのかしら……。


 ――パク。

「コラ佳衣、お前は食うなっ! 商品だぞ!」

「ケチ」

 いつもいつも自分だけ美味しそうに摘まみ食いするくせに。

「おめえがエンガワばかり狙ったように食うからだ!」

「エンガワっていうの?」


 てっきり端のいらない部分かと思っていた。

 エンガワの部分……好きな人もいるそうです。


 わたしはまだ魚をさばかしてもらったことがない。そもそも、入社して数年のわたしなんかに、いきなり板前のような仕事を任せられるはずがない。

 ソフトボール部で例えるなら、「新入部員は球拾い」で当然なのだ――。


 簡単な仕事と掃除などの雑用ばかりさせられているのだが……、仕事に対する不満が一切ないのには理由がある。

 わたしの実家は山と田んぼに囲まれる自然に満ち溢れたド田舎で、村の人口は年々減少傾向にある。高校を卒業したら都会で就職すると言った時、両親に強く反対されたのを今でもよく覚えている。


「長女のお前が家を継がなくてどうする気だ!」

「うるさいなあ! だったら今から長男でも作れ!」

「バ、バ、バカ野郎! 親に向かってなんて口の利き方だ! なんか言ってやれ母ちゃん……?」

 頬を赤らめている母に……わたしと父は絶句した……。


 大学を目指している妹を家におき、単身でここ大阪へと出てきた。仕事が合わなかったり、目を見張るようなブラック企業であったりしても……わたしは簡単に負けるわけにはいかない――。


 負ければ実家の田んぼが……底なし沼のようにわたしの一生を飲み込んでしまうのだ。



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