百光年離れた王都
スマホのように見えた彼の『スマッホ』は瞬間物質転送装置だった。
薄型の『スマッホ』には、半径一m内の物質を百光年離れた位置に正確に瞬間移動する膨大なエネルギーと脅威の空間転送技術が集結されていたのだ。
銀河の中心部方向に百光年も移動すれば、どんなに優れた転送装置でも宇宙空間に生じる僅かな歪みが影響を与えてしまう。
わたしは本来、戻るべき位置からズレた場所へと転送さてしまい――。
――どてっ!
強く背中から床に落ち、ゲッホゲッホと咳き込む――。いったいここはどこなの?
真っ暗の川底から突然の明るい空間に目がまだ慣れない――。壁の中や床に埋まったりしなかったのは奇跡的なのかもしれないが、わたしにはよく分からない……。
空気ボンベのレギュレターやホースが落ちた衝撃で壊れて外れ、プシューっと大きな音が響く。ホースは尻尾を掴まれた蛇のように暴れ出す~。
巨大な空間の中央にいたのは歳を取った老人。横から見た観覧車のような馬鹿でかい玉座に座っている。その前には大理石の床に真っ赤な絨毯が敷かれ、その両端に位の高そうな礼服を着込んだ男の人や、重そうな分厚いマントを羽織った人が立ち大勢並んでいる。
大きく膨れ上がった全身が綺麗なスカートのような女性もずらりと並んでいる……。
王族と貴族が集まる大宮殿の大会場では、まさに今、ファンディル・リョクワール公爵への戴冠式が執り行われている真っ最中であった――。
王が座る玉座の前へわたしは、――どてっ! っと、落っこちた――。
「いててだよ~」
目をくらませながら、打った腰を左手でさする。
ウエットスーツから雫がボトボトと高そうな赤い絨毯に濡れた染みを作り出す。川底の泥と水でドボドボ……、
わたしは――沼臭い。
……一瞬の静寂後、会場は一気にパニックに陥った――。
キャーキャー悲鳴を上げて逃げ去る令嬢達と、慌てふためき戸惑う貴族――。
奥からは銃を構えた衛兵騎士団が駆け寄ってくるが、逃げるものとぶつかり、何人かは転倒している。
学校の避難訓練でも類を見ない大混雑だわ――!
「いった、どこから現れた!」
「――なに者だ! 神聖なる戴冠式を――」
「毒ガスかも知れぬ――全員、速やかに退避せよ! 衛兵はガスマスクを着用せよ、第一級臨戦態勢を取れ!」
「「キャー、キャー」」
「落ち着いて下さい! 慌てないで! あ、危ないから走らないで下さい! 押さないで!」
「衛兵、銃の使用を許可する、命に代えても王を死守せよ!」
「「おう!」」
一番に駆けつけてきた衛兵騎士団長に銃を突き付けられ――やばそうな雰囲気に、慌ててマスクを捨てて両手を上げた。
背中の空気ボンベからは、シュ~と空気が全て抜ける惨めな音が聞こえた。
両手を上げる意味が……この人達に伝わっていなければ、わたしはハチの巣にされてしまう~――!
なにこれ……絶体絶命だわ――。
「まて! 撃つな!」
煌びやかなマントを翻し、この場所に相応しい正装に身を包んだ――彼が――、駆け寄ってくると、声もなく涙が……濡れたウエットスーツをさらに濡らす勢いで零れてしまう。
「――佳衣じゃないか!」
――!
声が出なかった。
ファンの頭の上に……装飾が施された黄金の冠が載せられている――。彼の王族にふさわしい姿に対して……わたしは泥で汚いウエットスーツ。必死に脱ごうとするが、水でくっついていて、直ぐに脱げるわけがない。それに、下に何も着ていない~――!
「ファーン!」
足ヒレでペタペタ歩き難そうにしているわたしを見かねてファンが駆け寄ってくると、周りの視線も気にせずに彼は――、
わたしに口付けをした――。
惑星パレールマイヤーの王都、大宮殿の中央で永遠の愛を二人は誓い合った――。
目を閉じると、大粒の煌きが止めどなく零れる――。ああ、大好きよファン――。あなたのためならわたしは宇宙のどこへでも行けるわ。
あなたと二人なら、たとえ宇宙の果てにでもいけるわ……。
……少しだけ道頓堀川の香りがした。
「戴冠式を滅茶苦茶にして――、兄上は王として相応しくない――」
衛兵騎士団を連れた弟が周りを取り囲み、銃を構えている。会場にいた貴族はそのほとんどが逃げ終えていた。
彼の号令でいつでも発砲する準備が整っている……、
「――黙れ!」
大会場に響き渡るファンの大きな声に、弟と衛兵騎士団はたじろぐ――。
「予はパレールマイヤーの二百五十五代目の王、ファンディル・リョクワールなるぞ! 予に銃を向けるなど言語道断! ――意義あれば、たとえ弟といえども極刑を覚悟して前に出よ!」
一歩踏み出すファンの威圧に衛兵と弟は畏縮し、衛兵はすぐさま銃を床に降ろし、跪く。弟も慌ててそれを見習った。
今まで見たことのない勇姿に……わたしも思わず息をのんだ。
わたしも跪くべきなのかしら……?
「予は地球の――王族であるこの者、左近充佳衣を王妃として迎え、地球とは永久和平協定を結ぶものとする。我が惑星パレールマイヤーは、今後、他星系への侵略はおろか、他の文明に一方的に干渉することを永久に禁ずる――よいか!」
「「御意!」」
意義のあるものはいない。極刑を覚悟して進言するような愚か者が……いなかったことにファンも安堵している。
わたしの方を向くと、上から下までなんども見返した。体ラインが露わになる密着したウエットスーツ……、少し恥ずかしいや。
「……もう少し式典にふさわしい服はなかったのかい? これじゃ「シャチ」か「アザラシ」のコスプレじゃないか」
他の人には聞こえない小さな声だった。
「だって……だって!、しょうがないじゃない。わたしは、わたしは――」
声にならない。目にいっぱい涙をためると、ファンは式典用の大きく白いマントでわたしの体を包み隠し、抱き寄せてくれた。
「着替えに行こうか。是非、佳衣に着せたい服がある……」
「え? ええ」
メイド服かしら……。
彼の話……あんまり意味が分からなかったんだけど……。




