ファンの正体
道頓堀から少し離れ、殆ど人がいなくなったところで、さっきファンが口にした刺客について聞いてみた。ドローンを見間違えただけと言っていたが、刺客って言葉を聞くと、やはりドキッとしてしまう。
ファンの言っていること……どこまでが侯爵様ごっこなのか、まったく分からない。
「……王族はいつの世も誰かに狙われるものだ。実際には、この地の方が予にとっては安全といっても過言ではないかもしれぬ」
ファンは……本当に王位後継者なのかも知れない。ひょっとして侯爵様じゃなくて公爵様なのかしら。それとも頭の中に、小説十巻くらいの壮大な妄想話が広がっているだけかもしれない……。
言っていることは壮大なスケールなのだが……証明するものがなに一つないのだ。
「予には弟がいる。本来、王は長兄たる予が継ぐのが筋なのだが、それを良しと思わぬものが大勢いるのだ」
「それが……弟?」
「……実際に予の地位を狙うのは弟ではない。弟の婚約候補者達だ。予のこの地への来訪は、失敗が前提として執り行われた。……まさか予が十日間もの長い間、異なる地の環境に耐えうるとは誰も予想していなかった。……予が一番驚いているのだがな」
綺麗な金髪の前髪をかき分けながら、少し微笑む。
その仕草と意味不明な言葉に、うっとりしてしまう。
「だから予ではなく弟が政略結婚の標的として狙われていた。領土と権力を欲しがる俗物のような侯爵が婚約候補者を出し、弟の周りにはいつも数十人に及ぶ侯爵令嬢が付きまとっている」
弟って……ひょっとして、ファンよりもイケメンなのかしら……?
「……侯爵令嬢にとって、もはや王位継承者への個人的な好き嫌いは無いのと等しい。権力を欲しがる侯爵家の道具。熾烈なやり取り。陰謀と策略に巻き込まれた可哀想な者たちなのだ……。そんな王位継承者争いに、予は巻き込まれたくなかった。ずっと逃げ続けてきた。だから王の座も弟にくれてやろうと思っていたのだが……」
ファンが立ち止まり、わたしの顔を真剣に見つめる。
「予が卿に内緒にしていたことを語ろう。予がこの地に赴いた理由こそが、偵察であったのだ」
「……偵察?」
そんなことを、わざわざファンがする必要なんて……あるわけない気がするのだが?
王族が偵察ですか? 設定に無理がありませんこと?
「パレールマイヤーの歴代の王は、王にしか成し遂げれらぬ偉大な功績を収めて、戴冠の儀を執り行う。その功績とは、誰もが訪れたことがない地へ赴き、十日間調査をすることだ」
「十日間……調査する……だけ?」
パレール……外国の、とんでもない田舎なんだわ、きっと。
「卿は調査するだけと簡単にいうが、誰も来たことがない地で十日過ごすというのは、我らにとってどれほど危険でおぞましいことか、分かるまい……」
照れるわけでもなく、少し笑いながらファンが呟く。
確かにそうかもしれない。わたしだって、言葉も文化も違う国で一人放置され、十日間過ごせと言われれば、簡単なようで難しいわ。ファンのような王位継承者とか、侯爵様とか、身分の高い人は誰がどこから狙っているのかも分からない。
話からすると、失敗を企む輩が大勢いそうにも聞こえる。
「予が十日を待たずしてパレールマイヤーへと帰る。もしくは、ちょうど十日後の同時刻、迎えの者が来る場所……つまり、道頓堀の戎橋に予がいなかった場合、王位継承権は次なる弟のものとなるのだ。予がなかなか帰ってこないから、弟に近寄る侯爵どもは、今ごろ血相を変えて焦っているのかもしれぬ」
苦笑するファンの横顔も美しい。
「ファンは……十日以内に帰ろうとしたけれど、自分のスマホを失くしてしまい、連絡が取れなくなったから、番狂わせが起こっちゃうってことなのね?」
「スマホじゃない。スマッホだ」
……そこは譲れないのね……。
電話番号くらい覚えておきなさいよとは言わない。その言葉はぐっと飲み込んだ。 わたしだって自分の番号以外は、殆ど頭に入っていない。
「もしわたしがあの場にいなかったら……、それか、スマッホがファンの手にあったなら、今頃はどうしていたの?」
「ふふふ、卿は嫌なことを聞く。もしそうなっていれば、予は今頃、尻尾を巻いてこの地から去っているさ。人は「過酷な状況に身を投じてみたいタイプ」と、「保守的で安泰を希望するタイプ」の二つに分けられる。予は後者だ。恥ずかしくもなんともない。それが事実だからな」
こちらを見つめて恥ずかしそうに言った。
……わたしもそうなのかも知れない。一人で田舎から大阪へと出てきたが……都会の空気にはまだ馴染めない。いつも浮足立っていて落ち着かない気がしていた。
遠い異国の地から来た公爵様にとって……なにも知らない異国の地の不安は計り知れようがないわ。
「……んん? じゃあなんで日本語が話せたのよ。やっぱり偵察前に勉強してたんでしょ」
「予は貴族学院で古典文学を選考し、古代文字や語学の進化法則を研究していたのだ。会話の法則さえ理解すれば、その発音は容易い」
……ファンの言ってることを理解するのが……わたしにはちっとも容易くない……。眉間にシワを寄せて難しい顔をしていると、
「……卿のスマホは翻訳機能があるであろう? 予にもそれができると思ってくれればよい」
翻訳機能搭載の人工知能……?
「――! え!、まさか、ファンはロボットなの!」
「なんでやねん!」
……まさかファンに突っ込まれるとは思わなかった……。二人で顔を近づけ合ってクスクス笑い合う。
「今だから言えるのだが、最初にこの地で卿に抱き着かれた時、予はこの地の者に素性がバレ、さっそく捕らえられ人質として監禁されると勘違いしたのだ。短かった二十年の人生の結末を覚悟した」
「え? ファンって、二十歳なの?」
「ああ」
わたしより年下だったなんて――。ずっと年上かと思っていたのに……。
「卿のおかげだ。もうしばらくの間だが、よろしく頼む」
「え……」
歩き出したファンの背中が、急に暗いトンネルの中へ入っていくような幻覚を見た気がした。
十日間って言ったら……明日……じゃないの? 帰ってしまうの……?
え? 今の話……本当の話なの?
だとしても、ずっとここにいて……王位継承権は、弟に譲るのよ……ね?
それが王道……よね?




