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急変


 彼との関係はずっと平行線を辿っている。寝る時も二人は……平行線……。進展もなく数日が過ぎていた。


 土曜や日曜、祝日が仕事だった週は、次の週の平日どこかで休みを取る必要がある。

 ファンと初めて過ごす休日。朝からずっと夜までファンと一緒に居られるのが嬉しい……。とはいっても、朝からご飯を食べ、洗濯をして掃除をして……わたしはバタバタ忙しい。

 買い物にも行かなくてはならないが、それはファンにも一緒に手伝ってもらお~っと。


 ランラランララ、ララララララ~、

 ランラランララ、ララララ~。

 鼻歌混じりに家事をこなすわたしを横目に、ファンはテーブルでコップ一杯の水と共に読書を続けている。最近は漫画でなく小説を読んでいるようだが、ページをめくる早さがわたしの読むスピードの数倍早い。

 しっかり読まずに、挿絵だけを見ているのかしら……。


 あら?

 小説をめくる彼の指先、爪が伸びているじゃない。

 ここへ来て一度も爪を切ったことはない。最初から伸びていたのかもしれないけれど、ちょっと引っ掛かると痛いかなあ~ってくらいに伸びている。


 わたしの胸を触る時にね――キャッ。


「ねえファン、少し爪が長くない?」

 小説から一瞬だけ目を自分の指先に移し、また小説を読み続ける。

「ああ」

 ……。ああ、じゃないでしょ。

「切らないの?」

「切ってくれ。自分で切ったことがない」

 ハア~。言うと思った。日本中どこを探しても、こんなお坊ちゃまはいないだろう。でも仕方がない。レンジの横のペン立てからハサミを持ち出した。

「じゃあ指出して」

「――ブッ! 卿の文明に「爪切り」は……ないのか?」

 ハア~。ファンの国にも爪切りはあるのね。爪切りって万国共通なのかもしれない。

「……あることはあるんだけど……、あんまりよく切れないのよ」

 そっと白く美しい指先に触れ、少し伸びた爪をハサミでそっと切る。

 あまりにも綺麗な爪が……わたしのせいで深爪になってしまいそうで緊張して手が震え、思うように切れない――。


 チョキン!

 ――やべえ! 丸くならずに、平べったく切ってしまったわ。自分の爪ならさほど気にしないが、ファンの綺麗な爪が台無しだわ。まあ……放っておいてもまた伸びてくるから……いいかしらと表情を伺おうとしたとき――、


 ガシッ――、

 ――急にハサミを持つわたしの手が強い力で握られた。ファンの顔が真剣で、思わず怒られると思って目を閉じてしまう……。

 ――ごめんなさい!


「卿の手――、指――、ガサガサじゃないか! 爪だって!」


 そっと目を開けると、わたしの指先を食い入るように凝視している~!

「え? あ、あ~あ、これね」

 深爪に切ってしまったことを怒られるのかと思ったんだけど、そうじゃないのね。安心したわ。

「いつも冷たい水とかお湯とか洗剤とか触るから、どうしても手が荒れるのよ。クリームとかも塗れないし……」

 ファンに手を握られるのは嬉しいんだけどお、そんなにジーッと見ないで欲しい。今は放して欲しい。


 握られた手を引っ込めようとするが、握った指先をいつまでも放してくれない~。

「ちょっと、あまり見ないでくれる……恥ずかしいから」

「恥ずかしいだと? この手が、恥ずかしいだって?」


 彼はわたしの手を握りしめ……ぽろぽろと涙を流していた……。美しい顔からこぼれ落ちる美しい涙は、わたしの涙とまるで違うもののように見えてしまう……。


「恥ずかしいなんて……あるものか! 予の周りの爵位を持つ令嬢には、こんな手をした女性はいなかった――。母親も、母の母も、なにより侍女ですら作業を分担し、歳を重ねたものであっても、予の近くにこんなボロボロの手をした者など、いなかった――」


 「ボロボロの手」に、グサッと傷つく。わたしも泣きそうになるじゃないの――!

 仕事上、ネイルどころかマニキュアだって塗ったことがない。わたしの手、お年寄りの脚の踵よりもガサガサなのかもしれない……。その手をずっと握りしめられている。


「予は今、自分の手こそが恥ずかしい――。卿に比べたら、この手だって、この顔だって――、


 なにも苦労をしていない、恥ずべき象徴ではないか!


 ――それなのに、予は……予はこれまで……他人の傷や汚れを見下し、嫌っていたのだ――」


 ――急にハサミを握ると、ファンは自分の顔へと向ける――。

「愚かだった――。真に醜いのは公爵である予であったことに、これまで気付かずに生き続けて来たなんて――」


 ――!

 何をしようとしたのか咄嗟に気付いたわたしは、自分の顔にそのハサミで傷をつけようとするファンを、間一髪のところで制した!


「バカ! なにしようとしているのよ、ハサミは危ないから人に向けちゃいけないって教えられなかったの――!」

 開いた刃の部分を掴んだわたしの指からスーッと血が伝い、彼の白いシャツに一滴、また一滴と染みを作る。

「――佳衣、君は……」

 涙を流したままの彼にそっと近づき、彼のおでこにわたしのおでこを当てると、指から流れる血の痛みなんて、感じなくなる……。


「……ファンは……バカね。あなたが自分を傷つけても……なにも変わらないわ。わたしにはわたしの生き方があるんだし、あなたにはあなたの生き方があるだけよ。だから、自分で自分を傷つけたりなんかしないで、お願いだから……」


「佳衣……。ゴメン……」


「ううん。いいのよ――」


 ――イケメンの顔に傷を付けるのは、世界遺産や古美術品に傷を付けるより……、千倍も一万倍も罪が深いんだから……。


「ゴメン……。ハサミは予の星にもあるが……。一度も使ったことはなかったんだ……」

 ……。

 あるんか~い。いや、ないんか~い!



 少し切れた指に絆創膏を貼った。職場でも時々包丁で手を切ることがあるわたしにしてみれば、これくらいの切り傷は日常茶飯事だ。ぜんぜんどうってことないわ。


 彼は後ろからずっとわたしを見つめていてくれた。


 心配そうに、見つめていてくれた……。



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