侍女
その日の夜も、イタリアンレストラン。『エークタスパ』は大盛況だった。昼も来て夜も来るなんて、わたし達、よっぽどこのお店が好きなんだわ。
ここへ来る前、友達と食事会と聞きファンはマントを羽織ろうとした。ファンが着るとそんなコスプレ衣装も格好いいのだが、デパートのレストランでその姿は恥ずかしいからと、またわたしのダッフルコートを着てもらった。
こっちの方が断然よく似合う! まさに今風の可愛い系イケメン! わたしより似合っているのが腹立たしい~!
三八〇〇円には……到底見えないですわ。
先に店に着いていた二人に、彼を紹介すると、二人はソファーにめり込むぐらい驚き、ドン引きした――。
「ま、……マジか……」
「あ、あう、あう、あう……」
優香の引きつった顔と菜々美の驚いて口を塞ぐ姿、店長の空きっぱなしの口、そのすべては彼の比類なき美しさを物語っている。
「は、初めまして!」
「こ、こんばんは!」
普段は挨拶なんてしない二人が緊張してしまうほどの美男子なのだ。店長も店員も他の客達も、ビックリしてわたしのファンを見つめている……。
「……卿らはどういった関係なのか」
「佳衣らって……わたしらは「ら」扱い?」
「……ちょっとイケメンだからってムカつく……のですけれど……」
ちょっとニヤッとしてしまうわ。なにかしら、この優越感! 勝った感!
男性経験は数じゃなくて質ですわ~! って高笑いしたくなる。わたしは鼻の尖った有頂天天狗状態だわ――。
そりゃあ、そうなるでしょ。青い瞳の金髪で、長身のイケメン。さらには侯爵気取りのジェントルマン!
まさに無敵よ!
「やはりこの地における、侯爵令嬢なのか?」
「……侯爵?」
「……令嬢ですって?」
おっと、ここで侯爵様ごっこはちょっと控えて欲しいところ~。ちょっと恥ずかしい。でも菜々美はうっとりと彼を見つめ続けている……。ちっ、ちょっとやばいかも。
「ねえ、その金髪って地毛でしょ、どこから日本に来たの?」
ファンは少し困惑した顔を見せた。
「内緒よ。だから、あまり聞かないで」
内緒っていうのもおかしな話なのだが、わたしが咄嗟にそう言うと、
「ふーん、内緒ねえ……」
優香はきな臭い顔を見せたが、それ以上彼のことを詮索しないでいてくれた。
「ご来店ありがとうございます。店長の五条と申します。こちらがメニューになります」
店長自らメニューを持ってオーダーを聞きに来るなんて……。鼻の下の髭を触りながら少し頬を赤らめてファンの顔を近くでマジマジ見つめている?
……なんか、うっとり見つめている? ちょっとやばいかも!
ファンを見る周りの男性達も、嫉妬や妬みではなく羨望の眼差しで見ているんだわ……。断りなくスマホで写真を撮ろうとしている客までいるのが勘弁してほしい。
わたしだけフレームアウトさせて撮るのは勘弁してほしい――。
「シェフのお任せディナーコースをお願いします」
「かしこまりました。お飲み物はどうされますか?」
「赤ワインのボトル……と、水を一つ」
優香がそう注文すると、菜々美がクスクス笑い、わたしの頬が少し染まる。このあいだの飲み過ぎた醜態を二人の友達はよく覚えているのだ。
この店で赤ワインのボトルを三本開けて……テーブルで寝そうになったわたしを二人で運ぶように店を出たのだ。「すぐにタクシー拾って帰るのよ!」と優香に言われて、「らい丈夫、らい丈夫だよ~、ヒック、あれ、しゃっくり止まんないわ、ヒック」とか言って……二人と別れた途端に、橋の上で吐いてしまったのだ。道頓堀川の戎橋で。
ああ、思い出したくもない醜態なのに……そのおかげでファンと巡り合えたと思うと、複雑極まりないわ。
さっそくワインが運ばれ、わたしだけは水の入ったグラスで乾杯をした。
高そうなグラスは、合わせると甲高い音が綺麗に響く。ファンは赤ワインの香りを確かめると、少しだけ口を浸すように飲む。
ワインを飲む仕草すら高貴で絵になる――。
……しかし、困ったことになったのは、料理が運ばれてきた時だった。
わたし達がアスパラガスとトマトのアンチョビソースをフォークとナイフで食べていると、ファンはじっとわたしの方を見続けているのだ。
――ひょっとして……?
「ひょっとして、ファン……ここでも一人では食べられないって言うんじゃないでしょうね?」
顔を近づけて小さな声で言う。
「予は冗談や戯言を言う人間ではない。固形物は自らの手では食べぬ」
じゃあ、せっかく注文したコース料理を食べないって言うの? ……それとも……。
「自らの手では食べない? だったらどうやって食べるの?」
優香が興味津々で聞いてくる。
「侍女が毒見をしてから食べさせてくれるのだ」
すっとそのまま切れ長な瞳でわたしをみるファン……。素敵なのだが……。
ここで、アレをやれというの――?
友達二人がガン見しているし、他にも大勢客や店員がいる……。
「予は空腹だ」
そりゃそうだ。お昼ご飯は食べてないんだから……。
「本当に……いいの?」
「構わぬ」
いや、ファンに言ったんじゃないのよ。――友達二人に言ったのよっ!
「興味あるわ~。毒見ですって」
「まさか、まさかの「アーン」って、するの?」
「アーン」どころじゃないのよ……わたし達の食事は……。今日は飲んでもいないのに、顔がワインレッドに染まってしまう。
でも、意を決した――。
ここには大勢の女性客がいる。優香と菜々美だって、ファンを本当にわたしの彼氏だと信じていないかもしれない。
二人の超ラブラブな姿を――ここで見せつけなければいけないわ!
「――いいわ。じゃあ」
アスパラとトマトをフォークで口に運び、モグモグと噛むと、そっとファンへと顔を寄せると、ファンはいつもと同じように瞳を閉じる。
少しずつ、少しずつわたしとファンの唇が近づいていくのを……、ゴクリと優香と菜々美とその他大勢が……見守り……。
チュ……。
「――!」
「キャッ」
……優香と菜々美の驚きの表情が目に浮かぶわ……。
ファンの唇が、いつもと違って冷たく感じるのは、わたしの唇が熱を帯びているからなのね……。
チュッチュゾ、ゾゾゾチュル、チュルルル――!
「「――!」」
唇と唇が音を立てるが、ここで離れるわけにはいかない。離れたら垂れる。
――唾液が垂れてしまい、ファンに恥ずかしい思いをさせてしまう――。
厨房からガチャンと食器のこすれる音が聞こえ、周りのテーブルからもどよめきが湧き起こる。
おおよそ唾液ばかりだったかもしれない口の中の食べ物が全てファンの口に移り終えると、ようやく顔を離した。ファンと見つめ合うと、ニャハ、照れてしまう。彼は真顔のままでわたしの朱に染まった頬を見つめている。
「ちょ、ちょっと、なにを始めるのよ、二人とも~」
「羨ましすぎて、ハラ立つじゃない……ご馳走様だわ」
菜々美の顔も真っ赤である。優香はテーブルに片肘をついて呆れ顔だ。
「予の食事は侍女が毒見をするのが常なのだ」
「……わたし、長女なんだけどね」
キスするところを二人に見られると、やっぱり照れてしまうわ。ちょっと舌をだす。テヘペロって。
優香が鼻で笑った。
「佳衣……その「次女」じゃなくて、仕える方の「侍女」でしょ。つまりは、使用人」
「――え?」
――使用人? 仕える人? ちょっと何言ってんのか分かんないや。
「そうよそうよ、佳衣の思い違いよ!」
急に赤い顔のまま抗議するように菜々美が言う。
なんか、わたし、悪いことでも……した?
「もう一口だ」
「え? ええ……」
慌ててアスパラを食べようとすると、優香が――、
「ねえ、じゃあわたしも侍女にしてよ。侍女は何人いたって構わないんでしょ?」
――え? 優香も次女? 次女って普通は一人よね。その次は三女だし、その次は四女?
優香はアスパラガスを……濃いピンクの唇からほんの少しだけ先を出し、ファンの方を向く。
「卿も予の侍女になりたいと申すのか?」
「御意~」
少しずつ優香がファンの唇に近づいていこうとする――。
ガチャン!
「――やめてっ!」
フォークとナイフを皿に叩きつけて立ち上がると、ファンは驚いてわたしを見た。
店にいた全員が割れるような大きな音に驚き、一斉にこちらを見るのだが、わたしにはファン以外、なにも見えずにいた。
「――嘘でしょ……ファンは、ファンは……わたしだけの王子様なんでしょ? それが、使用人ってなに? 何人いたって構わないって――なんなのよ! ふざけないで! バカ!」
鞄を持つと、涙が零れる前に、慌てて店を走り出た――。
「……あーあ、冗談なのに……」
「冗談? 卿は予に戯言を言ったのか?」
優香は大きくため息をつく。
「……追いかけた方がいいんじゃないの? あなたには必要なんでしょ……、佳衣が」
「予に必要? ……そうだな。今の予には佳衣の協力が必要だ。失礼する。食事を続けたまえ」
ダッフルコートと佳衣のコートを掴み、ファンはスッと立ち上がった。
「――あ、でも、わたしの家に来ますか? わたしの家の方が、佳衣のところよりも広くて綺麗ですよ」
菜々美は顎の下で両手を祈るように組み、キラキラとした瞳をファンに向ける。
「こらこら菜々美!」
「うそうそ、冗談よ。冗談に決まってるじゃない~」
「ぜんぜん冗談に聞こえなかったし~!」
ファンは何も言わず、コツコツと靴音を響かせ速足で店を出ていった。
「ところで優香……今日も支払い、わたし達なの?」
「――しまった! 昨日のランチ代もまだ貰ってないのに! これじゃ「ご馳走様」はあっちのセリフだわ~」
おでこに手を当ててアチャー顔を見せる。
「……まあ、面白い物が見られたから、いいか」




