ベラーノ・フラベルが妹の作った謎の物体(目玉焼き)を食べる話
皿の上で緑色で粘りけのある物体がうごめいていました。
誰がどう見ても未確認生物としか視認できないでしょう。
しかし、これは未確認生物ではありません。
これは目玉焼きです。
例え飛び出した眼球のようなものがキョロキョロと辺りをうかがっていようとも。
おそらく口かと思われる隙間から「ヒューヒュー」と掠れたような鳴き声を発していようとも。
誰がなんと言おうと目玉焼きです。
僕の世界一可愛い妹、フユが作った目玉焼きなのです。
「おかしいですねぇ。ちゃんとレシピ通りに作ったんですけど」
フユがそう言って首をかしげました。
いったい何のレシピを参考にしたのでしょうか?
ネクロノミコン?
グリモワール?
エイボンの書?
はたまたグラーキの黙示録でしょうか?
まさか普通の料理本ということはないでしょう。
魔導書と料理本を間違えたに決まっています。
でなければこんな物体が出来るわけがありません。
僕には皿の横においてある『猿でも出来る簡単料理100選』という本は見えません。
見えないったら見えないのです。
緑の物体……いえ、目玉焼きはお箸を持ったフユを見て「ヒューヒュー」と鳴いていました。
食べられることを心配しているのかもしれません。
いえ、目玉焼きなのですから食べられることは確定しているのですけれど。
問題は誰が食べるかです。
僕はまさかフユがこんなに料理が下手……いえ、個性的だとは思ってもいませんでした。
もちろん公爵令嬢であるフユが料理をしたことがないことくらい想定の範囲内です。
僕だってしたことありません。
だって貴族には必要のないことですから。
初めて作った料理が美味しくなくても問題ないのです。
むしろ完璧美少女であるフユが料理下手とか萌えポイントでしかありません。
僕はフユが初めて作った料理を食せることに誇らしい気持ちでいっぱいでした。
何が出てこようと必ず完食し、笑顔でフユに美味しかったと伝えるつもりでした。
謎の物体……あ、えーっと目玉焼きが出てくるまでは……。
謎の……じゃなくて目玉焼きはブルブルと震えながらフユを見ていました。
フユは謎……目玉焼きにお箸を突き刺そうと奮闘していましたが、あまりに刺さらな過ぎて諦めました。
懸命な判断です。
「困りましたね。お箸が刺さらないとなると噛みきれないかもしれません」
フユは心底困ったようにそんなことを言います。
まだ食べるつもりでいるのでしょうか?
いえ、目玉焼きなのですから食べるのは何の問題もありません。
ですが、こんなよく分からないもの……あ、えっとー……初めての料理をフユに食べさせるわけにはいきません。
かといって食べ物を捨てるのもよくないでしょう。
せっかくフユが作ってくれたのです。
やはり兄である僕が食すのが筋というものでしょう。
フユがお腹を壊したりしたら大変です。
「ヒュー……ヒュー……」
目玉焼きが怯えたように鳴いています。
僕はいっそのこと逃げてくれないかと思いながら目玉焼きにナイフを突き刺しました。
当たり前のように刺さりません。
「……硬いですね」
僕の言葉にフユは「そうですね」と返しました。
「水分が足りないのかもしれませんね」
フユはそういいますがこれは水分とかそういう問題では無いと思うのです。
まず色からして僕の知っている目玉焼きと違います。
黒ならまあ、焦がしたのだろうなという予想は着きますが緑となると全くもって不明です。
どこからやって来たのですか、この色は?
どうしたものかと思っていたら、フユがナイフに強化魔法をかけました。
切れ味が増したナイフは淡い光を放っています。
フユは強化したナイフを目玉焼きに突き刺しました。
「ひぎゃあああああぁぁぁ!!?」
先程まで掠れたような音しか発していなかった目玉焼きの断末魔が部屋中に響き渡ります。
「目玉焼きの断末魔なんて初めて聞きました」
「僕もです」
呟くフユに僕は頷き返すことしかできません。
目玉焼きの断末魔を聞いたことのある人間がこの世に何人いるのでしょう?
できることなら僕たち二人しか聞いたことがないことを願わずにはいられません。
「なかなか切れませんね」
フユは何事もなかったかのようにそう言ってギコギコとナイフを動かします。
目玉焼きの切り口からはヘドロのような液体が溢れていました。
液体は空気に触れると沸騰するように泡を立てて次々と蒸発していきます。
そうして目玉焼きは体内のヘドロをすっかり吐き出すと、しぼんだ風船のようにペショリと皿に張り付きました。
先程まで忙しなく動いていた眼球もすっかり閉じられて今や動く気配を見せません。
「では、いただきます」
小さく刻んだそれにフォークを突き刺し、フユがそう言いました。
「ま、待ってください!」
僕は慌ててフユの手を掴み止めます。
「どうされました?」
フユは不思議そうな目を僕に向けてきますが、それどころではありません。
フユに得たいの知れない……あ、えっとその目玉焼きを食べさせるわけにはいかないのです。
「フユの初めての料理を食べるのは僕です。たとえフユであろうと譲れません」
「まあ、お兄様ったら」
僕の言葉にフユが頬を赤らめます。
その可愛らしい顔に、僕は妹が天使だということを再確認させられました。
天使の持つフォークの先端に悪魔的物体が刺さっていることからは目をそらしました。
震える手でフユからフォークを受け取ります。
この震えは恐怖からではありません。
ただ、ちょっと緊張しているだけです。
大丈夫。
僕の妹は天使です。
天使が劇物を作るわけがありません。
これは素人がちょっと失敗しただけの目玉焼きなのです。
僕は意を決してそれを口に運びました。
僕にその後の記憶はありません。