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隣のお姉さんは大学生  作者: m-kawa
第四章
71/136

071 この人じゃないとダメだ

 やばい。

 これはやばい。

 大事なことなのでもう一度言う。本当にやばい。


 まさか風邪をひいてしまうとは思っていなかったけれど、一人がこんなに辛いとは思わなかった。

 昨日はソファの上で意識を失うかのように眠ってしまったけれど、今朝はほんとうに辛かった。

 体中がだるくて動けないけど、このままここにいるわけにもいくはずもなく。

 動かない自分の体を叱咤しながら、なんとか顔を洗って、食欲がないながらも軽く朝ご飯を食べた。


 幸いにして常備薬はあったので飲んだけれど、それっきりだ。

 お昼ご飯も食べる気力がなく、ひたすらベッドで過ごしていたときに彼女が僕の家にやってきたんだ。


 ――そう、秋田さんだ。


 インターホンが鳴ったときは居留守を使おうかとも思ったけれど、使わなくて正解だったよ。

 僕の家を訪ねて来るのは、秋田さんが断トツで多いからね。

 そして体調が悪いことを速攻で見破られた僕は、そのまま秋田さんに看病されたんだ。


 正直、すごく嬉しかった。

 秋田さんがいてくれて、本当に助かった。

 一人暮らしになって初めての病気で、本当の一人の辛さというものを味わった気がする。

 さっきまではこんな僕によくしてくれて、申し訳ない気持ちでいっぱいだったけれど、ちゃんとお礼を言わないと。


「秋田さん……、ありがとうございます……」


 感謝の声を掛けたあと、秋田さんがしばらく動かなくなった。

 だんだんと頬がピンク色になっているような気がしないでもない。ああでも今はそんなに観察する気力も沸かないな……。


「……どういたしまして」


 か細い声で秋田さんが呟いたかと思うと、またもや目の前にスプーンがやってきた。

 僕はそれを躊躇いなく口に入れると、味わうように咀嚼する。……美味しい。

 結局僕は秋田さんが作って持ってきてくれたお粥を、全部食べさせてもらっていた。


「ごちそうさまでした」


「うん。全部食べれたね」


 秋田さんは嬉しそうに微笑んでいるけれど、もう僕の心臓はドキドキしっぱなしだ。

 きっと熱があるせいではないと思う。


「とっても美味しかったから……」


 恥ずかしくなってとっさに目を逸らしてしまう。

 僕のそんな動きは気にした様子を見せずに秋田さんの言葉が続く。


「ふふ、ありがと。……あ、そうだ」


「……はい?」


「元気になったら……、またピアノ弾いてくれるかな?」


 秋田さんの言葉に部屋に置いてあるキーボードに視線をやる。……さすがに今の状態では弾こうという元気はない。


「いいですよ」


「……やった!」


 秋田さんに視線を戻して肯定すると、嬉しそうにガッツポーズをするのだった。


「明日も様子を見に来るね」


 空になった食器を持って立ち上がると、秋田さんは返事も聞かずに部屋を出て行こうとする。


「あ、ちょっと待ってください」


 僕の制止の声に足を止める秋田さん。


「……どうしたの?」


「えーっと……」


 さすがにそれは……。いやでも、秋田さんに来て欲しいです……。

 自分の中の悪魔と天使が言い争っていたが、やっぱり最終的には悪魔が勝ってしまった。


 それにしても……である。

 こう体調が悪いと、鍵を開けに玄関まで出るのも億劫だ。

 この後秋田さんを見送って玄関に鍵をかけて、明日様子を見に来るという秋田さんを迎えにまた玄関の鍵を開けて。


 ――あ、そうだ。


「秋田さん、すみません」


 見送りができなくて。

 そういう意味を込めての「すみません」だったけれど、秋田さんの表情がちょっと曇る。


「あ、その、ちょっと玄関まで見送るのもしんどいので」


 僕の言葉に陰っていた表情が少し和らぐが、代わりに訝し気に眉が寄ったのがわかる。


「……玄関に僕の家の鍵が置いてあるので、すみませんが帰るときに鍵を掛けておいてもらっていいですか」


「――えっ?」


「明日の朝、鍵を持ってればそのまま入ってこれるので……、便利かな……って……」


 硬直してしまった秋田さんに、僕の言葉が尻すぼみになってくる。

 やっぱり、なんか図々しいお願いだっただろうか。

 しばらく秋田さんを伺っていると、その表情がいきなりふにゃりと笑みの形に崩れる。


「……じゃあ、黒塚くんの家の鍵……、預かっておくね……」


「あ……はい。……お願いします」


「お大事に」


 よかった。怒ってるのかと思ったけど、違うかったみたいだ。

 ホッと胸をなでおろしていると、秋田さんが機嫌よさそうに手を振ってから部屋を出て行くところだった。

 僕はその後姿をじっと見つめる。部屋の扉が閉められても名残惜しく扉を見つめ続けた。


 ベッドに横になりながら、もう一度僕は秋田さんの姿を思い浮かべる。

 喜怒哀楽様々な表情を浮かべる秋田さんだ。

 僕は彼女が好きだ。

 昨日見た、僕を睨みつけてきた男が気になるけれど、……もしかしたら弟さんかもしれないけれど、とにかく誰にも秋田さんは渡したくない。

 僕には秋田さんがいないとダメなんだと、この時実感するとともに、新たな決意をするのだった。

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