124 ゆったりした時間
「それにしても黒塚」
「そんなに真面目な顔してどうしたの?」
「もしかして嬉しくないとか……?」
「実は他に行きたい大学があって迷ってる……とか?」
担任の先生に解散を告げられて筆記用具を鞄に片付けていると、次々と皆に声を掛けられた。えーっと、僕ってそんなに変な顔してたのかな。
「ぜんぜんそんなことないけれど……」
戸惑いながら頬をつねってみるけれど、自分の頬が緩んだ気はしない。いつも通りのはずだ。もちろん大学に受かったことは嬉しいし、もう受験勉強をしなくていいという開放感はある。でもそれで舞い上がってちゃダメなんだ。
すずと二人で歩いて行くためのスタート地点にようやく立てただけなんだから。いや、正確にはスタート地点に立てる条件を満たした……かな。
「ほほぅ……。もしかして何かあったか?」
ニヤリと口元を歪めながら早霧が呟くと。
「秋田さんとうまくいってないとか?」
冴島も同じく面白いものでも見つけたかのような笑顔になっているけれど、その話の内容は僕にとってまったく面白くない。
「そうなの? 黒塚くん」
「そんなことあるわけないし」
「あはは、だよね」
黒川の問いに若干不機嫌そうに答えるけれど、霧島はそんなことわかってると言う風に笑う。
「だよなぁ。……昨日までの黒塚はなんというか、授業中でもニヤニヤして気持ち悪かったもんな」
「――ええっ!?」
予想外の言葉に今度は両手で自分の頬をもみほぐしてしまう。そんなにニヤニヤしてたの僕!? ここ最近を思い返してみるけれど、自分がどんな表情をしていたかなんてわかるはずもない。じゃあ何を考えていたかといえば……、すずのことを考えていたのかもしれない。すずのお父さんに会ってからはそれが顕著になっていたと思う。表情に出ていたとすればきっとそれかな……。
「気づいてなかったの? 黒塚っち……」
ふと視線を戻すと、残念なものを見るような表情の黒川に、微笑ましいものを見たという霧島がいた。男二人のニヤニヤ笑いを見ていると、授業中に自分が突然ニヤニヤしだした光景を想像してしまい居たたまれなくなる。
「あぁもう! と、とにかく、僕はもう帰るから!」
恥ずかしさの余り慌てて帰ろうとするけれど、早霧にがっしりと肩を掴まれてしまった。
「まぁまぁ、途中までだけどじっくり聞かせてもらいながら帰ろうぜ」
そうだった。どうせみんなも帰るだけだったんだ。部活も引退してるし、どこかに寄るとしたら予備校くらいだろうか。引っ越してから僕だけ住宅街の中を通って帰るから、一緒に帰るとしても校門までなんだけれど。今回は案の定、大通りの交差点まで連れられて、詳しく話を聞かれたのだった。
「はぁ……、疲れた……」
ようやく自宅へとたどり着く。五階までの階段を登る以上に疲れた気がする。すずのお父さん公認になったところまでは白状してしまったけれど、直接会ったかどうかまではなんとか言わずに済んだ。
「ただいま」
玄関を開けて家の中に入ると、リビングの明かりがついている。足元に目をやると、すずの靴が置いてあった。思わず嬉しくなって表情が緩んだけれど、さっきまで学校でからかわれていたことを思い出して真面目な表情を取り繕う。
「おかえりー」
リビングへの扉を開けると、甘い匂いと共に元気のいい声が迎えてくれた。
「ただいま」
改めて僕ももう一度帰ったことを告げて、声がする方へと視線を向ける。そこではすずがキッチンで忙しそうにパタパタと動いていた。この匂いはホットケーキかな?
「今日は早かったね」
「うん。午後の講義が休講になったからね」
「へぇ、そうなんだ」
エプロンをつけたすずが、フライパンからホットケーキをお皿へと移しながら言う。全部焼きあがったのか、お皿をダイニングテーブルへと持ってきた。
「誠ちゃん着替えてきたら? 一緒に食べようよ」
「あ、うん」
言われるがままに自室へと入り、カバンを置いて制服から着替えてリビングへと戻ってくる。テーブルの上にはホットケーキの乗ったお皿と、ナイフとフォークが用意してあった。すずはエプロンを外しており、ちょっとそれが残念に感じたけれど表情に出さないように気を付ける。
「誠ちゃんは何のジャムつける?」
テーブルに乗っているのはイチゴとブルーベリーにオレンジマーマレードだ。マーガリンは付けるとして、僕は……。
「オレンジマーマレードかな?」
「じゃあわたしはブルーベリーにしよっと」
のんびりと他愛のない会話をしながらホットケーキを食べる。マーマレードの苦みと甘みが口の中いっぱいに広がる。
「美味しい」
「えへへ、よかった」
そう言って自分の分を切り分けると、なぜか僕の方へと差し出してくるすず。
「じゃあこっちは?」
「えっ?」
「ほら、あーん」
「あ、……うん」
ためらいながらも口を開けると、すずのブルーベリージャムのホットケーキが差し出される。ここまで来て食べない選択肢なんてないので、一息に口の中へと入れた。
「……こっちも美味しい」
こうなったら僕も負けていられない。ホットケーキを切り分けると、マーガリンとマーマレードをたっぷりと乗せ、すずへと差し出すと。
「はい、すずもあーん」
躊躇なくホットケーキを頬張るすず。にこにこと嬉しそうに口をもぐもぐと動かしている。
「うん、美味しいね」
満面の笑顔を浮かべるすずに、僕も自然と笑みがこぼれるのだった。




