「悲しき力の理由」
「えっ・・・ロマナに?」
驚いて聞き返した私に、クライストはうんとうなずいた。
「ほら、ついさっきライオネスが大剣の新調したいって言ってたじゃないか」
「そ・・・それはそうだけど・・・」
私はつい数時間前のことを思い出す。
クレールへ出立したのはいいが、長らく鍛冶屋にもいけなかったと
ライオネスが不安を口にしだしたのだ。
ヴァエルを誰が手に入れたのかわからないが、用心するに越したことはないと。
だが、途中でどこかに寄る猶予などあるのだろうか。
一刻も早くクレールに向かわなくてはならないというのに。
だめもとでとりあえず、クライストと船長に相談していたのだが・・・。
「ちょうど航路の途中にさ、ロマナの街があるって船長が」
そういいながらクライストは甲板につながれた翼竜、
ラプタの鼻筋をなでてやっている。
少し珍しい風景だと思った。ラプタもクライストにおとなしく
触れられているようだ。
「で、でも大丈夫なの?ヴァエルが・・・」
「そりゃ、急ぐにこしたことはないけど」
クライストはラプタににっこりと微笑みかけてから、立ち上がった。
「不安を抱えたままで戦うのも、やりづらいだろうしね」
「クライストさん・・・」
「レムが、ヴァエルに動きは感じられないって。だから少しは大丈夫。
あいつの機嫌さえ悪くしなければ」
「キゥー」
ラプタが一声鳴く。体はだいぶ前より大きくなったものの、
甘えるときの声は赤ん坊のときと変わりなかった。
「ラプタ、クライストさんに甘えてるの、かな?珍しいね」
「あはは。そうだね。基本的にライオネス以外には懐かないようだし」
クライストが竜独特のごつごつした肌を撫でる。ラプタが目を細めた。
「ライオネス、か・・・心優しい主人に拾われて、よかったよな」
「心優しいって・・・?」
「ほら、その左足」
クライストの視線を追うと、ラプタの左足に何か木片のようなものが
くくりつけられている。
「あれって・・・」
「足が不自由なんだろ?」
「あ・・・そういえば」
足がうまく動かないのだとライオネスから聞いたのを思い出す。
「足が不自由だから、捨てられたって・・・確か」
「翼竜も、卵を何個も産むからね。
生きていくのに足手惑いな者は淘汰されてしまう」
「クライストさん」
ラプタが鼻を鳴らす。
ライオネスに拾われていなければ、きっとここまで成長はできなかっただろう。
胸が少しだけ、ちくりとした。
「厳しいね・・・」
「ああ、でも、それは動物だけのことじゃない」
「え?」
ラプタが甘えたようにまた鳴き声をあげる。
クライストは目を伏せて、ぽつりと言った。
「人間だって・・・同じだよ」
「クライスト・・・さん・・・?」
「・・・俺だって・・・」
「え・・・」
ぼそりとつぶやいたその言葉。
・・・・・・どういう・・・意味・・・?・・・
聞き返したかった。
だが、目の前にある彼の背中がそれをやんわりと拒んでいるような気がして。
私は黙ったまま甲板に立ち尽くす。
クライストはそれ以上は何も言わずに、ただラプタの鼻先を撫でていた。
ロマナはにぎやかな街だった。
さすがに王都ほどではないものの、鮮やかな色のレンガで
建てられた家々が軒を連ねきれいに並べられた街灯とともに彩を添える。
街の外側には海につながる運河が流れていて、
両岸に倉庫のような建物がずらりと聳え立っていた。
私たちは船からおり、ロマナの港から続く運河の通りを歩き始める。と・・・
・・・えーと、あれって・・・なんだろう?・・・
運搬物資を保存しておく場所なのだろうが、
倉庫の横には大きな樽がたくさん積み上げられている。
「ワイン樽だね。このへんの建物は倉庫もあるけど、ワイナリーも兼ねてる」
私の視線に気づいたか、クライストが説明してくれた。
「ロマナっていればワインで有名な町だからな。
王都でもかなりの人気で入荷まちなんか当たり前だ」
それに後ろから歩いてきたライオネスが付け加える。
「そうなんだ・・・」
「ま、子供のお前にはまだ関係のない話だけどな」
「ら、来年にはもう成人するよ!」
「来年だろ?ガキはガキらしくしとけ」
私の主張を軽くかわして、ライオネスが頭をぽんと叩いてくる。
「もう・・・」
むっとはするけど、毎度のことだ。いちいち怒っていては身がもたない。
ため息をついていると、クライストが口を挟んできた。
「ずいぶんと不器用な照れ隠しだね、ライオネス」
「ばっ・・・何言ってんだクライストてめ・・・」
真っ赤になるライオネス。クライストは楽しそうに笑い声をあげる。
・・・て・・・照れ隠しって・・・?・・・
「と、とりあえずさっさと鍛冶屋行くぞ!!」
耳まで赤くなりながらライオネスが早足で歩き出す。
「そんなに急がなくても鍛冶屋は逃げないよ?」
「うっ・・・うるせえ!!」
「おーいみんな、待たせた。って、ライオネスお前なに赤くなってんだ?」
遅れてあとからやってきたトリスタンが首をかしげた。
「なっ、なんでもねえよ!!」
怒鳴りながらさっさと先を急ごうとするライオネスのあとを、
クライストが笑いながらついていく。
腑に落ちない顔でトリスタンも歩き出し、私も慌ててそのあとを追った。
結局、鍛冶屋は休みだった。
なんでも、今日はワイン祭りがあるらしい。
それで臨時休業ということだったが・・・
・・・ライオネス、すっごく機嫌悪そうだったなあ・・・・・・
私は宿屋の一室でため息をついた。
とりあえず、今日はロマナに一泊することにしたのだ。
小さな宿だったが、部屋の中はこぎれいでさっぱりとしている。
・・・トリスタンはこんなときなのにワイン祭りだなんてはしゃいでたし・・・・・・
ワインの無料振る舞いがあるとかなんとかで、ライオネスと逆に
トリスタンは上機嫌だった。
お酒のまだ飲めない私には関係のない話だが。
「はあ・・・」
天井を見上げてもう一度ため息をつく。今日はもう休んでしまおうか。
そのとき、部屋のドアがノックされた。
「・・・はい?」
「イレインちゃん、ちょっと、いいかな?」
この声はクライストだ。
がちゃりとドアを開けると、彼がいつもの笑みを浮かべて立っていた。
「クライストさん、どうしたの?」
「あ、いや・・・その」
珍しく歯切れの悪い口調。
不思議に思っているとクライストはちょっとだけ恥ずかしそうに、
私を見つめて口を開いた。
「その・・・よかったら、一緒に散歩でもしない?
街の中に小高い丘があってさ、運河と海がきれいに見えるんだ」
「ほんと!?いってみたい!」
ちょうど退屈していたところだ。私は勢いよくうなずく。
それを見てクライストは、うれしそうに、
そしてどこかほっとしたように顔をほころばせた。
「今、支度してくるね、待ってて!」
「うん」
クライストが微笑んで私を見る。
澄んだような瞳が私をとらえて、ちょっとだけどきりとした。
・・・なんも気にしないで一緒にきちゃったけど、これって・・・・・・
クライストとふたり、並んで夕焼けの空の下、ロマナのレンガ道を歩く。
・・・どう考えても、デート、だよね・・・・・・
意識するととたんに恥ずかしくなってくる。
私は隣のクライストをちらりと見た。
前をむいて歩く彼は私の視線になぜか気づかない。
いつもならすぐに気づいて微笑んでもよさそうなのに。
・・・クライストさん・・・?・・・
なんとなく違和感を感じて、私は彼の横顔をじっと見つめた。
「・・・イレインちゃん?」
やっとクライストが気づいて、こちらに瞳をむけてくる。
夕日に映える蒼い瞳が、すごく綺麗に見えた。
「うっ・・・ううん・・・なんでも、ないよ」
慌てて目を伏せる。顔がちょっと熱いのは、夕日のせいだけじゃない。
そんな私をクライストはしばらく眺めていたようだったけど・・・
結局は何も言わなかった。
いつのまにか、クライストが言っていた丘の上についていた。
ロマナの街全体を一望できるようになっているらしい。
長く伸びた運河はオレンジ色の太陽に反射し煌き、
街がまるで海に浮かんでいるようにも見える。
「すっごい、綺麗・・・」
「・・・ああ、今日は晴れてるから遠くまで見えるね」
私の言葉を受け取るように、クライストが目を細める。その穏やかな表情。
・・・クライスト、さん・・・・・・
なぜだろうか。胸が・・・心なしか騒がしい。
「どうしたの?」
「う、ううん、なんでもない・・・」
聞き返されて、私は二回目のせりふを言う。
クライストがちょっとだけ、いたずらっぽく笑った。
「もしかして、俺にみとれてたとか」
「く、クライストさん・・・っ・・・もう・・・そ、そうやって、からかって・・・」
「あはは、ごめん」
「み、見蕩れてなんかないんだからね!」
「わかってるって。・・・そんなことは・・・初めからわかってたよ」
「え・・・」
クライストは微笑んだ。どこか、悲しげな笑みで。
「クライスト、さん・・・?」
「むしろ・・・そうだね、見蕩れてたのは・・・俺のほうなのかも」
「え・・・?」
クライストが長いまつげを伏せる。夕日の光に透けた髪が、さらりと揺れた。
・・・見蕩れて・・・って、クライストさんが?・・・
「・・・見蕩れてたって・・・誰に?」
「誰・・・?それは、イレインちゃんがよくわかってるんじゃないか?」
綺麗な瞳で顔を覗き込まれて、またどきりとする。
よくわかって・・・ということは・・・
・・・・・・えーと・・・その・・・つまり・・・つまりは・・・わたしに・・・?・・・
顔がみるみるうちに熱くなる。
恥ずかしくなってにこにこしているクライストに思わず声を上げた。
「ま、また、からかうんだから・・・!」
「・・・俺はいつでも本気だよ?」
「く・・・クライスト、さん・・・」
クライストの瞳が艶を帯びる。
息を呑んでそれを見つめると、クライストはふっと目を細めた。
「それとも、ね・・・イレインちゃん、俺の言うことは全部冗談だと思ってるの?」
「そ・・・そんなこと、は・・・」
・・・ない・・・けど・・・・・・
「っ・・・・」
私は言葉につまる。
私の表情を見て、クライストが謝った。
「・・・ごめん。困らせるつもりは、なかったんだけど」
「クライストさん・・・」
「かわいくてさ。つい」
「もう!!クライストさんが、いつもそんなふうだから・・・」
「うん?」
「・・・だから・・・」
・・・・・・あれ・・・。私、何を言おうとしたんだろ・・・
クライストさんが冗談言うのは、いつものことで・・・でも
・・・なんだろ・・・この、気持ち・・・・・・
何かがもどかしい。でもよくわからない。
「・・・・・・」
クライストは、何も言わない。
いつもなら、彼のことだ、気のきいたことを何か言ってくれるはずだと思うのに。
二人の間の沈黙が、私の胸をまた騒がせる。
街のほうから響く波の音とワイン祭りの喧騒が、ただそこに流れていた。
やがて・・・真っ赤な太陽がロマナの海の水平線に沈む。
「・・・もうすぐ、日が暮れるね」
クライストがつぶやく。私は顔をあげて、彼の視線の先にある夕日を見つめた。
ふと、その風景が故郷の海と重なる。
「・・・懐かしい」
「え?」
クライストが顔をあげてこちらを見る。また、心臓が跳ねた。
「私・・・その、ほ、ほら港町で育ったから・・・」
「ああ・・・」
やっぱりなんだかドキドキする。今日は何かが変だ。
いつもと違うのはクライストばかりじゃない、私も、どこかおかしい。
恥ずかしさをごまかすように、口を開いた。
「わ、私のお父さんが漁師でね、
それでこうやって夕日を見ながら子供の頃帰りを待ってて」
「そうなんだ、お父さんが・・・」
「うん・・・結局、最後の漁に出たあとは、戻ってくることなかったんだけどね」
そのときのことを思い出す。
あのあと二、三日まっても、一週間待っても、
見慣れた船が戻ってくることは、なかった。
「・・・イレインちゃん」
クライストが心配そうに、私の顔を覗き込む。
「ごめんなさい。でも、今は大丈夫だよ、現実を受け入れるのには、
ちょっとかかったけどね」
気を使わせたくなくて、私は明るくいう。
だけどクライストの表情は変わらなかった。ちょっと気まずい。
・・・な、なんかしんみりしちゃったな・・・ほ、ほかの話題でも・・・・・・
・・・そういえば、クライストさんはどこで育ったんだろう?
あんまり聞いたことないけど・・・・・・
「え、えっと・・・クライストさんは?」
「ん?」
「どこで育った・・・とか、聞いたことなかったな、って思って・・・」
「ああ、俺?俺は、子供のころは山間の村に住んでたよ」
おずおずと問うと、クライストはなんでもないことのようにさらりと答える。
「山・・・」
「うん。両親がいなくなってからは、すぐに出たけどね」
これもまたさらりと答える。私は目を見開いた。
「いなくなってって・・・」
「・・・イレインちゃんのお父さんと同じだよ。この世にはもういない」
・・・あ・・・・・・
「ご、ごめんなさい」
聞いてはいけないことだっただろうか。でも、クライストは笑って、口を開いた。
「いいよそんな。もう、両親のことは思い出になってる」
「思い出・・・」
「イレインちゃんも、そうだろ?」
クライストの言葉に、私はうつむく。
「・・・確かに、そう、かもしれないけど・・・・」
「イレインちゃん?」
思い出、というのも、間違いではない。間違ってはいない、けれど・・・
「時々、本当はどこかで生きてるのかもって、思っちゃうことがある・・・
姿を見ていないから・・・絶対そんなこと、あるわけないのにね」
そう、あるわけもないことを、期待してしまうことがある。
それが無駄だと思っていても・・・
「・・・イレインちゃん・・・」
クライストがつぶやいた。遠い目をして、宵が訪れた海を見やる。
「・・・気持ちはわかるよ。
死んだって聞かされても、見なければ到底信じられない」
「うん・・・」
私も、クライストの視線の先を追う。
とっぷりと日の暮れた港と街には、ぽつぽつと明かりが目立つようになってきていた。
・・・お祭りはもう始まったのかな・・・トリスタンは祭りにいくって言ってたけど、
ライオネスの機嫌はなおったのかな・・・・・・
私がそんなことを考え始めたとき、クライストが胸を押さえた。
「・・・っ・・・・ぁ」
はっと隣をみやると、彼は苦しそうにその場にうずくまる。
せわしない息遣いに、脂汗。
その胸元がシアン色の光を微かに放っているのが見えた。
「・・・!?クライスト、さん!!??」
「ご、ごめん・・・その、だ、だいじょうぶだよ・・・」
「で、でも・・・」
「い、いいんだ。宿までいって、横になればすぐ・・・」
・・・クライストさん・・・前にも、前にもこんなことが・・・どうしてなんだろう・・・
どこか病気・・・なの?・・・
ともかく今はここにいるわけにはいかない。私はクライストの腕をとった。
「クライストさん、大丈夫?肩、貸すから・・・」
「あ、ありがとう・・・ごめん」
「そんなこと、気にしないで・・・」
「・・・・・・・・・イレイン・・・・・・・」
彼は顔をゆがめながらも謝ってくる。痛々しい姿に、胸が痛んだ。
私はクライストを支えながら宿へと向かう。
クライストは息も荒く、歩くのがやっとという感じだ。
彼がこんなにも苦しんでいるのに、何もできない自分が歯がゆい。
宵闇のレンガ道を歩きながら、思わず泣きそうになった。
ロマナのワイン祭りは、盛大なものだった。
既にできあがった酔っ払いが通りを練り歩き、着飾った女の人たちが
笑顔でワインを振舞っている。
チョロチョロと走り回る子供たちにはぶどうのジュースが配られているようだった。
私もワインを勧められたが断って、ジュースをもらう。
新鮮な果実を使っているらしくすごく美味しい。
だけど、私の気分が晴れることはなかった。
・・・クライストさん・・・本当に、大丈夫なのかな・・・
大丈夫だから、祭り見て来いって強く言われて、そのまま出てきちゃったけど・・・・・・
やっぱりそばにいたほうがよかったかもしれない。
後悔にため息をついていると、ライオネスが通りかかった。
「よう、どうした、暗い顔して」
機嫌はなおっているらしい。グラスのワインを持っている。
私は慌てて彼に聞いた。
「ライオネス!クライストさんみなかった?」
「いや?見てねえな。
あいつも結構な酒好きだから、絶対くるだろうとは思ってたが・・・」
「そっか・・・」
やはり、宿に戻ったほうがいいかもしれない。私がそう思ったとき。
・・・あれ・・・?・・・
視界の隅に、鮮やかな蒼い髪が入ったような気がした。
「クライスト、さん・・・?」
改めて目をこらすと、やっぱり彼だった。
笑顔を浮かべてワインを片手に、隣の女の子と談笑している。
治ってはいるようだ。
少しほっとすると同時に―クライストに微笑みかける女の子のほうに目がいった。
ライオネスもクライストを見つけて、舌打ちする。
「ちっ、あのやろう、相変わらずだな」
女の子は、私より少し年上だろうか。派手目の化粧が目を引く華やかな美人だった。
・・・あんなに、楽しそうに・・・女の人と・・・・・・
胸の中を、不快な気分が襲う。
・・・なんか・・・・・・
「っ・・・」
「・・・?おい、イレイン!?」
理由はわからない。ただ、足が勝手に動き、私は走り出していた。
呼び止めるライオネスを無視して、私は祭りの会場から逃げるように駆けだした。
わかっていたはずだ。
最初から、クライストはそういう男だって。
むしろ、あんなに元気になってよかったと、思えるはずだし、思うべきなのだ。
・・・なのに・・・なんで・・・・・・
いやな気分だった。こんな気分になっている自分にも、嫌気が差した。
『俺はいつでも本気だよ?』
あの丘の上で、クライストが言った言葉が思い出される。
・・・私に、見蕩れてた・・・なんて・・・そんなの・・・どうせ嘘に決まってる・・・・・・
いつもの冗談だ。クライストは、女の子みんなにそうなのだから。
きっと私もその中のひとりに・・・過ぎないのだから。
「はあ・・・はあ・・・」
ついに苦しくなって、私は足を止める。
無我夢中で走ってるうちに、町のはずれの森にまで来てしまったようだった。
・・・みんな、心配・・・するかな・・・・・・
それに、ここにずっといても仕方がない。宿には戻らなくちゃならないだろう。
・・・でも・・・・・・
草にどさりと座り込んで、拳をぎゅっと握る。
・・・クライストさんに・・・会いたくない・・・・・・
「・・・どうしよう・・・」
真っ暗闇の森の中、途方にくれてあたりを見回す。すると・・・
森の奥のほうで何か白く光るものが見えた。
「・・・?」
・・・なんだろう・・・あの光・・・?・・・
ぼんやりと・・・なんだか、やさしい光。不気味というよりはむしろ・・・
安心感を覚えるような、そんなやわらかい光だった。
私は立ち上がると、誘われるように光に向かって足を進める。
暗闇の森でひとり・・・なのになぜか、恐怖感はまったく感じなかった。
森は、静寂に包まれていた。
ワイン祭りの広場からそう遠くないはずなのに、さっきまでの喧騒は嘘のようだ。
・・・なんだろ・・・あの光・・・・・・
『それ』はまるで私を誘うように、暗がりの奥からぼんやりと光を放っている。
よく考えればこんな暗闇の中で不気味にも思えるはずだが・・・
・・・なんで・・・どうしてだろ・・・すごく、懐かしい感じがする・・・・・・
そう思いながらも、私は自然と、その光の方向に向かって足を進めていた。
森の奥に進むにつれて、あたりは徐々に明るくなってくる。
・・・・・・この先に・・・何があるんだろう・・・・・・
全部が不可解だった。そもそも、どうして火もないのに、こんなに明るいのか・・・
だけどそのときの私には、何故か疑う気持ちすら少しも起こらなかった。
不自然に明るい森の中を、しばらく進んだ・・・そのとき。
「・・・・誰か・・・いる・・・?」
光のむこうに、誰かが・・・私に背を向けて立っていた。
・・・・・・え・・・あれは・・・・・・
船乗りらしく鍛えられた広い背中。白髪交じりの短い髪。
擦り切れた上着はいつものお気に入りで・・・
・・・お母さんが作った上着、お守りがわりにって、
海に出るときにはいつも着ていってた・・・・・・
子供のころ甘えてしがみついた・・・日焼けの太い腕。
・・・・・・あれは・・・あれは―・・・
「・・・・・お父さん・・・・・?」
ワイン祭りの会場は宴もたけなわという感じだった。
クライストは勧められたワインもそこそこに、イレインの姿を探していた。
町の中の一角が会場だ。それでも結構な広さはある。
そうそう見つかるわけもないと思ったけれど、
どうしても気になって酒など口にできなかった。
宿で心配そうにしていた彼女の顔を思い出す。
気をつかわせたくなくて、強引に祭りの見物を勧めたが、
逆に傷つけてしまっただろうか。
「おい!クライスト!!」
あたりを見回していると、人ごみの向こうから背の高い男が走ってくる。
ライオネスだ。ずいぶんと深刻な顔をしているようだった。
「イレイン見なかったか!?」
開口一番に質問してくる。
クライストは内心ドキリとしながらも冷静に首を振った。
「・・・いや、俺は・・・宿にいるんじゃないのか?」
自分も探していたというのは憚られた。
ライオネスがイレインに気があるのは、一目瞭然だ。
この男の前ではいつもどおりに振舞っていたかった。
「あいつ、さっきお前が女といるとこ見てから、急に走り出してよ・・・
追いかけたが、こんな暗がりじゃ」
ワインを渡されたときのことだろうか。
妙に人懐こい女性で、邪険にするわけにもいかなかったから
それなりに対応したのだが。
「イレイン・・・」
クライストのつぶやきも聞こえないのか、
ライオネスがイラついたように人ごみを見て舌打ちする。
「何もなきゃいいけどな・・・さっき街のおっさんから聞いたんだが、
町外れの森はやべえって」
その言葉に、クライストは先ほどの女性との話を思い出す。
『もしかして旅の人?
お祭りに遊びに来たのなら、町外れの森だけは気をつけるようにね』
女性ははずれの森が魔物の巣だと説明していた。
夜に引き込まれ、行方不明になった者は数知れずだという。
「魔物の森だろ?俺も町の女の子から聞いたよ」
「さっき街ん中探したが、やっぱどこにもいねえ・・・
くっそ・・・なんかあったら兄貴に殺される・・・」
ライオネスが頭をがりがりと掻く。
イレインに危険が及んで困るのは、この兄弟だけではない。
クライストは静かに口を開いた。
「俺が探してくるよ。夜でも君よりは目が利くから。
闇雲に探して犠牲者が増えても仕方ない」
もっともそうなことをいったけれど、
本当は彼にとっては理由などどうでもよかった。
ここは魔剣の力をもつクライストにまかせたほうがいいと考えたか、
ライオネスがうなずく。
「わーった。・・・頼むぜ」
このときほど、自らを蝕む魔力をありがたく思ったことはない―。
クライストはうなずき返すと、町のはずれへと走った。
・・・やっぱり・・・お父さんだ、間違いない・・・・・・
後姿だけでも、すぐわかった。
・・・でも・・・どうして、こんなところに・・・?・・・
「お、お父さん!」
とまどいながらも声をあげてみる。
静まり返った森に、私の頼りない声だけが、反響した。
しかしその後姿が振り向くことはなく・・・反対に、森のさらに奥のほうへと進んでいく。
「ま、まって!!」
私は思わずその背中をおいかけた。
辺りだけはやけに明るいのに、父の後姿が向かうその先は、一寸先も見えない闇だ。
父の背中に走りながら手を伸ばす。
だが、もう少しで触れようとするところで、指は空しく空を切る。
「ど・・・どうして・・・」
私は父を追いかけ懸命に走った。
何度も何度も精一杯に腕を伸ばして―
だけど、その背中に触れることは、できない。
・・・こんなに走ってるのに、どうして追いつけないの・・・?・・・
「・・・はぁ・・・、はぁ・・・」
息がきれて苦しい。
・・・どうして・・・お父さん・・・・・・
心のどこかで期待していたのかもしれない。
海の藻屑と消えたと言われた・・・父がどこかでもしかしたら・・・
生きているのではと。
「ああ・・・」
足取りが重くなる。そうしてついに立ち止まったとき、
父の背中は闇の中にすっと消えた。
・・・あっ・・・・・・
「おっ・・・お父さん・・・まって・・・まって!!」
私は必死に叫び、走り出そうと―。その刹那。
踏み出した足が、ずぶり・・・と地面にめり込んだ。
・・・えっ・・・・・・
私は慌てて辺りを見回した。すると、今まで森だった景色がふっと消え・・・
現れたのは・・・見渡す限りの広い、水面。
・・・えっ・・・な、なんで・・・だってさっきは確かに・・・・・・
・・・ここ・・・・・どこ・・・・・・・・・
思うまもなく、足は忽ちのうちに水面に沈んでいく。
「だっ・・・誰か・・・!!!誰かぁ・・・っ・・・・・っっっ」
もがいた手足は空しく、体中を侵食する、黒い水。
凍りつくような水の冷たさに体がしびれ、動かなくなる。
・・・・・・・・だれ・・・か・・・・・・
そうして入り込んだ水が、呼吸をも止めたとき。
・・・・・・・・・たすけ・・・・・・・・・て・・・・・・・・
意識は、闇に吸い込まれた。
ロマナの森の中には、広い湖が広がっていた。
ぼんやりとした月の明かりが、湖面にきらきらと映し出されている。
普通の者には、美しい湖にしか見えないのだろう。だが・・・
・・・何か・・・いるな・・・・・・
森全体を覆う濃い魔力の白い霧が、
クライストのシアン色の瞳にははっきりと見えていた。
そうして湖にひきこまれようとする、『彼女』の姿も―。
「っ!!!あれは・・・イレインっっ!!!」
叫びながらも、躊躇もなく湖に飛び込む。
―――この世界にはびこるモンスターには、
古代魔族の魔力を少なからず持つ者がいる。
それは諸説あって、魔族が力を分け与えたとか、
魔法を使ったときの影響を受けて変異したのだとか言われているが・・・
本当のところは定かではない。
クライストは沈み行くイレインめがけて必死に泳いだ。
クライストの周りを取り囲む魔力の霧。
それは収束し、サメのようなモンスターの体を象る。
だが、彼の胸元が青く発光すると同時に、それは逃げるように姿を消した。
イレインの体に必死に手を伸ばす。
こんなに早く水の中で泳げるのも、魔剣の力があってこそだ・・・。
こんな力、いらないと何度思っただろう。
だけど、今はこうやって、君を助けることができる・・・。
イレインは気を失っているようだった。
水中で腰を抱き寄せて、そのまま陸へとあがる。
「はあ、はあ・・・」
湖岸に横たえた彼女の体は冷たく、息は止まっていた。
ひやりと、冷たいものが胃を駆け抜ける。
「イレインっ!!イレイン!!!」
呼びかけにも応じない。
クライストはイレインの背中に手を当て、暖めるように意識を集中させた。
胸に耳を当てれば、心臓はなんとか動いているらしい。
冷え切った体は魔力で温められる。だが、息は。
イレインの唇の色は、もう血色を失っていた。
早急に対処しなければ、命の危険がある。
「・・・ごめん」
クライストは目を閉じ、一度深く大きく息を吸い込んだ。
そして―
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・なんだろう・・・・・・何か・・・唇に・・・・・・
柔らかくて・・・あったかい感触。
・・・・・・・・・気持ちいい・・・・・・・・・・
・・・これって・・・もしかして・・・・・・・・もしかし、て・・・キ・・・・・・
そう、気づいた瞬間、急に息がつまる。
・・・くっ・・・くるし・・・・・・
「っは、あっ・・・げほっ・・・げほっ・・・」
冷たくなった胸に、いきなり空気が入り込んだ。たまらず咳き込むと、目の前には。
「・・・イレイン・・・!!よかった・・・よかった・・・」
「・・・クライスト、さん・・・」
安堵の表情を浮かべる、・・・クライストの姿。
それはまるで、泣き笑いのようで。
・・・・・・クライストさん・・・泣いてるの・・・?ううん、そんなことより・・・・・・
さっきの、唇に触れた、あの・・・柔らかさ。
・・・もしかして・・・あれって・・・・・・
「・・・呼吸が止まってたから、てっきりもう手遅れだったかと・・・よかった・・・」
「・・・・・・・・・・・」
・・・呼吸が止まって、って・・・じゃあ、私・・・・・・
「は、くしゅんっ・・・」
「とにかく、びしょぬれだな。火を起こそうか」
クライストがそういって、その辺の小枝を集め火をおこし始める。
そこで私は、自分が湖のほとりにいることにようやく気づいた。
「・・・ここ・・・それにどうして私、こんなに濡れて・・・」
「・・・覚えてないんだ。イレインちゃん、ロマナの森に入っただろ?」
「あ・・・そういえば・・・そう、お父さんが、森にいて・・・」
「・・・・・・・」
「お、お父さんはっ!?」
「イレインちゃん、よく聞いて。君のお父さんはもう、この世にはいない」
「え・・・」
「・・・ロマナの森には、故人を幻影で見せ人を惑わす魔物が巣食ってた」
私は目を見開いた。状況が、うまく理解できない。
クライストは湖の奥のほうに広がる黒い森に目を移した。
月の光は明るいのに、森のほうにだけは闇が立ち込めている。
「じゃ・・・じゃあ・・・」
「君はお父さんの幻で誘われて、湖に引き込まれたんだよ。
ロマナの湖は底なしとも言われる深い湖だ。引き込まれたら、ほとんど命はない」
「クライストさん・・・」
「あと一歩遅かったら、本当に危なかったよ。だけどもう、大丈夫」
クライストが笑顔を見せる。なんだか、直視できなくて私はうつむいた。
「・・・ど、どうして・・・」
「え?」
「さ、さっきまで、女の人と・・・」
そもそも、森で迷ったのも、クライストのせいだ。
・・・そうだよ・・・クライストさんが・・・あんなに楽しそうにするから・・・
・・・私・・・だから・・・・・・
「・・・君がいなくなったっていうのに、のんきにワインを飲んでるわけにはいかないよ」
クライストは起こした小さな火に、小枝を放り込んだ。火が少しだけ、大きくなる。
・・・本当は・・・お礼を言わなくちゃ、ならないんだよね・・・・・・
・・・だけど・・・・・・
暗がりの中に、炎に照らされてクライストの顔が見える。
今は笑顔を消して、少しだけ憂いたような表情をしていた。
本当に、綺麗な顔立ちだと思う。
本人も女好きのようだが、女の人にもきっとモテるのだろう。
私は掌をぎゅっと握り締めた。
・・・変なの・・・私、今までこんなこと、考えたこともなかったのに・・・
・・・クライストさんは・・・女の子が大好きで・・・でも、私にとっては
それだけのことで・・・・・・
それだけのことだったはずなのだ。これまでは・・・
・・・何だろう・・・この気持ち。すごく・・・嫌だ・・・
クライストが他の女の人に、向けている笑顔。
どうして、私だけに向けてはくれないのだろう。
そう思ってから、はっと我に帰る。
・・・私・・・何、考えてるんだろ・・・・・・
「・・・ああ、やっぱり気持ち悪いな・・・」
クライストはびしょぬれの服をつまんで、顔をしかめている。
「よっ・・・と・・・」
「!」
それから、乾かすつもりなのだろう、おもむろに服を脱ぎ始めた。
「ご、ごめんなさい、後ろ、向いてるね?」
「え?・・・はは、いいよ、そんなの・・・」
「で、でも・・・」
彼の肌が見えて、言いかけた言葉を飲み込む。
慌てて目をそらそうとして・・・
だが視界に入った【それ】に、私の目は釘付けになった。
「・・・ん・・・?どうかした?」
頼りなげな炎の明かりが、上半身を露にした彼を照らす。
肌ははっとするほど白く、すらりとした細身は、彼の顔立ちと同じく
綺麗に均整がとれていた。
だけど、そんなことに私は驚いたのではない。
・・・クライストさんの、体中に・・・何・・・?いれ・・・ずみ・・・?・・・
彼の肩に、その胸に、腹部に、腕に、背中にまで広がる、赤黒く不気味な紋様。
目をこらせば、刺青ではないようだった。
まるで傷跡のように、その部分だけ皮膚がえぐれ、変色しているようにも見える。
絶句する私に、クライストが静かに言った。
「・・・アグレアスの、紋章だよ」
「そ、それって・・・」
「最初は胸だけだった。ディーヴァを宿すものは皆、胸元に紋章を刻まれる」
「だけどそれって・・・」
「・・・10年もこいつと一緒にいれば、こんなふうにもなるよ」
「10、年・・・じゃ、じゃあ・・・」
「・・・15のときだよ。俺が、アグレアスと契約したのは」
・・・そんなに長く、クライストさんはディーヴァを・・・・・・
・・・・・・前に、おじさんが言ってたっけ・・・・・・
私はレムの言葉を思いだした。
魔剣を手に入れた者は、その魔力の維持のために絶えず生き物の命を
奪わなくてはならないのだと。
「・・・痛く、ないの?」
よく見れば傷のようにも見えて、私は思わずそう問いかけた。
クライストは笑った。
「痛くはないよ。紋章自体はね。
ただ・・・アグレアスが体内に作用するときは・・・少しだけ」
「作用・・・って」
「まあ、いろいろとね。弊害が、ないわけじゃないから・・・」
「・・・」
・・・・・・そういえば・・・クライストさん、街で一緒に海を見たとき・・・・・・
あのとき、本人は大丈夫だと言っていたが、どうみても尋常ではなかった。
もしかしたら、それのことなのだろうか。
クライストの苦しげな表情を思い出して、胸がしめつけられる。
「弊害といっても・・・自分の望みで宿したから、
そんなことを言っちゃいけないんだろうけど」
クライストは、自らの胸に刻まれた紋章を、すっと指でなぞった。
・・・望み・・・クライストさんは、自分の意思で魔剣を手に入れたって言ってたけど・・・・・・
どうして、彼は魔剣を欲しいと思ったのだろう。
聞きたいが、聞いてはいけないような気もする。
私はクライストのほうをちらりと見た。
「・・・何?」
彼は自分の服を乾かしながら、こちらに視線を向けてくる。
・・・聞きにくい・・・けど、聞いて、みたい・・・・・・
・・・クライストさんのこと、もっと知りたい・・・・・・
「俺に見蕩れてる?なんて、そんなことないか」
クライストは少し笑った。
その笑みは炎の影のせいか、なんだか悲しげにも見えてドキリとする。
私は口を開いた。
「クライストさんは・・・、どうして・・・」
「・・・・イレインちゃん」
「どうして、魔剣が欲しいって思ったの?」
「・・・知りたいんだ?」
うなずくと、彼は寂しげに笑った。今度は炎のせいではない。
本当に悲しげな微笑だった。
「・・・聞いちゃ、いけなかった?」
「・・・いや。そんな質問をされたのは、久しぶりだから」
クライストは頼りなく湖面に光を注ぐ月を見上げ、目を細める。
「・・・力が、欲しかったから。でも、こんな答えじゃ、君は納得しないんだろうね」
「クライストさん・・・」
クライストが足元の小枝を拾って、ぱきりと半分に折った。そのまま炎に放り込む。
湖畔の静寂に炎の爆ぜる音だけが、微かに響く。
彼は炎を真っ直ぐに見つめながら、語りだした。
「俺の両親がもう、この世にいないって話はしたよね?」
「うん・・・。そのあと、クライストさんは村を出たって・・・」
「俺の・・・親はさ・・・正確には、義理の両親だった」
「義理の・・・?てことは・・・」
「俺は捨て子だったんだよ。孤児院にいたところを、引き取ってもらったんだ」
「そうだったの・・・クライストさん・・・そうだったんだ・・・」
「うん。まあ・・・捨て子なんか、珍しいことじゃなかったから。
親が死んじゃった子も当時は多かったし。ただ、俺の場合は・・・」
「え?」
「ああ、いや・・・。
それで・・・しばらくは俺のことを大事に育ててくれたんだけどね
山から下りてきたモンスターに、ふたりとも殺されたんだ」
「!!!・・・モンスター・・・」
「父は母と俺をかばって、母は俺をかばって・・・
そして、血の海になった家の中で、俺は願った」
「『誰にも負けない、強い力が欲しい』
大切な人を守るための・・・力。
・・・俺にもあったら・・・父も母も、助けられたのにって』」
「クライストさん・・・だから、そのときに・・・?」
「アグレアスは俺を選んだと言った。俺の強く悲しい願いに、呼応したのだと」
クライストはそういって、また自らの紋章に掌を当てた。
・・・・・・大切な人を守るための、力・・・・・・
・・・それって、同じだ・・・。私が、剣を習いたいって言ったその、理由と・・・・・・
「・・・すごい力だった。絶対に、負けることなんかありえなかったから。
力も、そして特別な力、魔力も・・・
・・・その代償は、あまりにも大きいものだったけどね・・・」
「命を、奪い続けなきゃならないってこと・・・?」
「・・・うん。それもあるけど・・・むしろそれよりも」
「クライスト、さん・・・・・・?」
「・・・・・・・・」
クライストは言葉を切って目を伏せた。
私の脳裏にふと、クライストの苦しげな表情が浮かぶ。
「もしかして・・・あれって・・・ディーヴァの、影響なの・・・?」
・・・そうだ、クライストさん、痛みは体に作用するときにってさっき・・・・・・
「・・・・・・・」
クライストは、何も応えない。ただ、曖昧に、笑っただけだ。
だけど私にはなんとなくわかった。
・・・そう、なんだね・・・はっきりとは言わないけど、クライストさん、きっと・・・・・・
「・・・そんな顔、しなくても」
私はどんな表情をしていたんだろう。
わからないけど、クライストは泣きそうな顔で私に笑いかけた。
「これは俺の、自業自得なんだから。命を狩らなくてはならないことも、
・・・体の痛みも」
・・・クライストさん・・・
・・・ううん・・・違う・・・
私は首を振った。
「自業自得、なんかじゃないよ・・・」
「イレインちゃん」
「クライストさんは・・・何も、悪くないよ・・・」
「イレインちゃん、でも・・・」
「大切な人を守りたいって思うのは、当然のことだよ!!私だって・・・私だって
みんなを守りたくて・・・剣を習ったんだよ・・・っ・・・」
知らないうちに、私はクライストの腕にしがみついていた。
彼が目を見開く。それでも、私はかまわずクライストに叫んだ。
「悪いのは、ディーヴァだよ!!
お父さんとお母さんを守りたいって思ったクライストさんは、何も悪くない!!」
「イレイン・・・」
・・・だから・・・・・・
「だから、そんなふうに自分を責めないで・・・自業自得なんて、そんなこと言わないで・・・」
「っ・・・・・・イレイン・・・」
クライストの、その瞳が潤む。
つられるように目頭が熱くなって、私はごしごしと目元をこすった。
「っ・・・」
クライストは息をつまらせ、目元を手で覆った。覆ったまま、口を開いた。
「・・・イレイン・・・。ありがとう・・・」
「クライスト、さん・・・」
「だけどもう、言わないでくれないか」
「えっ・・・」
クライストは顔から手を離し、私に微笑んだ。
もう、泣いてはいないようだったけどやっぱり・・・寂しげな笑みだった。
「・・・優しく、しないでほしいんだ」
「どう・・・して・・・」
「・・・・・・・・・・・・・欲が・・・欲が・・・出てしまうから」
クライストは私から視線をそらした。
何かに必死に耐えるように、顔をしかめ、目をつぶっていた。
・・・・・・クライストさん・・・欲・・・?・・・欲・・・って・・・・・・
私が彼の言葉を反芻しているうち、もう乾いていたのか、
クライストは服を着て、焚き火の火を消した。
「さあ、もうそろそろ戻ろう。風邪、ひいちゃうよ?」
「あ・・・で、でも・・・っくしゅんっ!!」
「ほら、・・・ね?」
「クライストさん・・・」
クライストは、いつもと変わらない微笑を浮かべた。
その笑みに、何故か胸はきゅっと締め付けられる。
・・・・・・なんでだろ・・・なんで・・・・・・
苦しい。なぜだかわからない。だけど、苦しい。
「あんまり遅くなって、ライオネスが変な想像しても困るからね」
クライストはそういうと、すっときびすを返して歩き出した。
息苦しさの理由もわからないまま、私はクライストの背中を追う。
濡れた服がまとわりついて気持ち悪いはずなのに、今だけは何故だか気にならなかった。
宿に帰ると、ライオネスが待っていたかのように走りよってきた。
「やっと帰ってきやがったか!!心配かけやがって・・・」
「ら、ライオネス、ごめんなさい・・・」
ぬれた私の体を見て、ライオネスが目を見開く。
「おまえ・・・びしょ濡れじゃねえか・・・どうした、これ」
「あ・・・あの・・・」
答えに困っていると、クライストが横から助け舟を出した。
「危なかったよ。ロマナの森の魔物に、湖に引き込まれかけたんだ」
「お前・・・・」
少しあきれたようなライオネスの顔。私は申し訳なくてもう一度謝った。
「ご、ごめんなさい・・・」
「なんで夜の森なんかに入ったんだよ・・・」
・・・それは・・・・・・
「それは・・・その・・・く、クライストさんが」
ちらと視線を送った私に、クライストが首をかしげた。
「え?俺が・・・、何?」
「・・・・・・その」
まさか、女の人といるところが気に食わなかったといえるわけもない。
なんと説明したらいいかわからずうつむくと、ライオネスがひとつ息をついた。
「・・・まあ・・・とりあえず無事ですんでよかったってとこだな・・・
わりいな、クライスト」
ライオネスが珍しく?クライストに謝罪する。クライストはにっこりと微笑んだ。
「俺にとっても、イレインちゃんは大切な女の子だからね」
「・・・・・・・・」
・・・・・・また、そんなこと言う・・・・・・
でも、本気で言っているわけがない。
だって、クライストは女の子には誰だってそうなのだ。
その、はずだ。
私は唇をかんで思いっきり視線をそらす。
何か言われるかと思ったけれど、クライストは・・・何も言わなかった。
「お前、とにかく部屋で服乾かせ。風邪でもひかれたらめんどーだ」
ライオネスが私の肩に触れて部屋に帰るよう促す。
「う、うん・・・」
クライストは、やっぱり何も言わない。
何かもやもやした気持ちのまま、私は彼を気にしつつも部屋へと戻り、床に就いた。
次の日。
鍛冶屋によってライオネスの大剣を鍛えてもらった後、
私たちは船へと戻り、再び出航した。
クレールへはあと一日ほどで到着してしまうらしい。
ヴァエルのことを考えれば緊張は高まる。
だけどそれ以上に私の心には・・・ひっかかっていることがあった。
・・・クライストさん・・・・・・
船倉の廊下を歩きながら、ロマナでのことを思い出す。
丘の上で見せた、クライストの苦しげな表情・・・
ヴァエルは、アグレアスの中に封印するのだという。
もし、彼のあの苦しみが、アグレアスのせいだとしたら・・・。
「・・・う・・・」
そこまで考えたとき、廊下の向こうで声・・・が聞こえた気がした。
普通の声ではない。誰かがなにか、苦しんでいるような・・・
クライストの声に似ていたような気がして、慌てて駆け寄る。その先には・・・
「く、クライストさんっ!?」
「イレインっ・・・いや、だいじょ・・・」
クライストがひざを折り、床に倒れる。そのまま、動かなくなった。
「クライストさんっ!!クライストさん!!」
声をかけるがまったく反応しない。
・・・どうしよう・・・とりあえず、部屋に・・・でも、わたしひとりじゃ・・・・・・
そのとき、足音がして、振り返るとレムが立っていた。
「おじさんっ!く、クライストさんが・・・」
「当然だ。これだけ自らの体をディーヴァに侵されていればな」
「え・・・」
「来るべきときは、もうすぐだ」
言っていることの意味がわからない。私が何もいえないでいると、
レムはそのまま無視して去っていこうとする。
「おじさんっ・・・とにかく、手伝って、このままにしておくわけには・・・!!」
必死で、彼の後姿に声を張り上げる。レムは舌打ちして、立ち止まった。
「ちっ・・・仕方ない・・・」
部屋に運んでも、クライストは目を覚まさなかった。
まるで生きてはいないようにもみえて、胸が痛くなる。
レムがクライストを見ながら、口を開いた。
「なかなかにしぶといものだな・・・。
もうほとんどアグレアスに食い尽くされているといっても過言ではないというのに」
「食いつく・・・されるって・・・」
「それほどにこの世に未練があると見える」
・・・この世・・・未練・・・!?・・・
私はその言葉に愕然とする。レムのいっていることは、その、つまりは・・・・
「ど、どういうこと!?クライストさんは、クライストさんは・・・」
「ここまで言ってもまだわからんか。小娘」
「っ・・・」
レムが鼻を鳴らす。腕組をして私を蔑むように睨み付けた。
「魔剣を宿した者は、他のものの命を奪いながら、力を強めた思念体・・・
ディーヴァにその体内を侵食されていく」
「ディーヴァが・・・体内に・・・?
確かに、あの時体に作用するっては言ってたけど・・・」
ロマナの湖でのことを思い出す。確か、そういっていた・・・
レムが笑った。
「『作用する』か・・・奴らしい言い方だ。
お前に事実を隠したくて、わざと曖昧な表現を使ったか」
「クライストさんが・・・隠したかった、事実・・・って・・・」
「ディーヴァは貪欲に宿主の狩った命を食らい、強めた魔力で宿主の体を自らと同化させる。
・・・宿主の肉体を自らのものとし、自身が人間狩りをするのが、奴らの目的なのだ」
「アグレアスが、・・・アグレアスがクライストさんの体を自分のものにするって
ことなの・・・!?」
私は目を見開いて、レムに問う。レムはうなずいた。
「そうだ。今は肉体だけだが、
精神が侵され奴が奴でいられなくなるのももう、時間の問題だ」
「っっ・・・・・」
・・・く、クライストさんが・・・・・・
「嘘・・・そんな・・・」
唇から言葉がこぼれおちる。
信じられなくて、私はただ呆然と、横たわるクライストを見つめた。
レムが続けた。
「それはアグレアスだけではない。ヴァエルもまた、同じこと。
ディーヴァは人間への復讐のためだけに存在している。
魔剣はいわば・・・人間を根絶やしにするために、我ら魔族が作り出した呪いの剣」
「・・・。だから・・・クライストさんの体中に、あの黒い紋章が・・・?」
「もう全身のいたるところに広がっているのだろうな。
奴がそれをどう思っているかなど・・・俺には関係のない話だが」
焚き火の明かりに照らされた、彼の白い肌を思い出す。
そして痛々しく刻まれた、あの不気味な赤黒い紋章も。
私は思わず声をあげた。
「お、おじさんは・・・なんとも思わないの!?
クライストさんが、クライストさんがいなくなるんだよ!?」
「虫けらのような人間などそれこそ掃いて捨てるほどいる。
そんなものがひとりいなくなったところで、なんの問題もないだろう」
「そんな言い方・・・」
レムは再び笑った。肩をすくめて、言葉を吐いた。
「俺を責めるか?勝手にしろ。だがもう、こいつの運命は誰にも変えられない。
俺を罵って気が済むのなら、いくらでもするがいい」
「っ・・・」
「・・・ふん」
言葉につまる私を小ばかにしたように見て、レムは部屋を出て行った。
「嘘・・・うそ、だよね・・・
そんなこと・・・そんなことあるわけ、ないよね・・・?」
・・・クライスト・・・さん・・・・・・
私はへなへなとその場に座り込む。
視界がにじんで、頬を涙がぽろぽろと流れ落ちた。
「・・・っうっ・・・ひっく・・・・・・・・・・・・」
『こいつの運命は誰にも変えられない』
レムの言葉が頭を回る。
目の前のクライストが、いなくなる・・・
そんなこと、そんなこと考えたくもない。
泣きじゃくったって、何が変わるわけじゃないのに、
だけど涙はとどまるところを知らなかった。
「・・・・・・ん・・・・・・・」
「あっ・・・。クライスト、さん・・・」
気がついたらしい。私は慌てて涙をぬぐって、クライストの枕元に近づいた。
「・・・イレイン・・・ちゃん・・・
ずっと・・・ついててくれたのか・・・」
「・・・・・・・・うん・・・・・・・・」
クライストが、ゆっくりと体を起こして私に微笑みかける。
「さっきは、ごめん。心配かけたね」
・・・・・・そんなこと・・・・・・
痛む胸を押さえながら、私は首を振る。
クライストが目じりをさげて、私のまぶたに手を伸ばした。
「・・・目が真っ赤だ。そんなに不安だった?」
彼の細い指が、私の目じりに触れる。熱くなったまぶたに、ひんやりとした感触。
「クライスト・・・さん・・・」
「ん?」
「ほんと、なの・・・?」
気づいたら、そう問いかけていた。クライストの指が、まぶたから離れる。
「・・・・・・・・・・・」
唇を引き結んで、私を正面からじっと見つめた。
なんのことを聞いているのか、わかっているような表情だった。
「クライストさんが・・・アグレアスに・・・そ、その」
クライストが目を伏せて、ひとつため息をつく。
何かを観念したような顔で、口を開いた。
「・・・・・・・・・。君にそれを教えたのは、レムかな」
「部屋まで運ぶのを・・・手伝ってくれて・・・」
「へえ・・・。あいつにしては、珍しいね」
「クライストさん」
彼は少し、沈黙して、手元を見つめて、それから顔をあげて私を見た。
薄い唇が言葉を象る。
「・・・レムが、君にどこまで話したのかわからないけれど・・・全て本当のことだよ」
「っ・・・」
「あいつに余計な嘘をつく理由なんかないからね」
「じゃ・・・じゃ・・あ・・・」
クライストはさびしそうにうつむいた。
微かに、ため息も聞こえたような気がした。
「君には・・・あまり、知られたくなかったな・・・」
本当の、本当のことなのだ。
クライストが、もう・・・長くはないということ。
残酷に突きつけられた事実に、私は言葉を失う。
胸が苦しい。つんと鼻の奥が熱くなる。
少しでも気を抜けば、泣いてしまいそうだった。
なのに、そんな私とは逆に、当のクライストは冷静そのものだった。
死を前にした人間の態度とは思えない。
・・・クライストさん・・・なんで・・・・・・
あまりにも、あまりにも不自然で・・・私は思わず彼に問いかけた。
「・・・クライストさん・・・怖く、ないの?」
「・・・・・・・怖い?なぜ」
「だって・・・」
シアン色の瞳が、私を射抜く。
張り裂けそうな胸を押さえながら、私は言葉を搾り出した。
「アグレアスに体を奪われて、自分が自分じゃなくなるって・・・
それって、死んじゃうのと同じようなことなんだよ!?
どうしてそんなに・・・落ち着いていられるの・・・」
「イレイン」
そうだ。クライストの態度は絶対におかしい。
死を前にして、こんなに穏やかでいるなんて。
本人のその冷静などこか冷酷にもみえる表情。
なぜだか知らないが苛立ちも感じて、私は続けた。
「死にたくない、もっと生きたいって、そんなふうに思わないの?」
「・・・俺がどうあがいたところで、何が変わるわけじゃないよ。
結局・・・どうすることもできないんだから」
すべてを、あきらめてしまったかのように、クライストはぼそりとつぶやく。
その口調はまるで台本でも読んでいるかのように、抑揚もなかった。
・・・・・・ああ・・・そうか・・・クライストさんは・・・クライストさんは・・・・・・
きっと自分の運命を受け入れているつもりなのだろう。
でも・・・・・・私は納得がいかない。
どうして私が納得いかなくてはならないのか、その理由もわからないけれど。
「・・・っ・・・ね・・・それでも・・・なんとかして生きていたいって・・・
思うのが、普通でしょ・・・?」
かろうじて出した声は、どうしてか涙声に近かった。クライストは目を伏せた。
「・・・もちろん、おびえて生きていた時期もある。最初は・・・そうだった。
だけど・・・。前にも言ったけど、これは俺がもともと望んだことなんだ」
・・・また・・・そんなこと、言う・・・・・・
自業自得、そんなんじゃないと、私が言ったのを覚えていないのだろうか。
目頭が熱い。
もう泣きそうになっているのであろう私の顔を見て、
クライストが微かに笑いかけた。
「だからさ・・・心配や同情をされるべき対象じゃない。
君がそうやって・・・悲しむ必要なんか・・・」
・・・クライストさんは・・・どうして・・・こんなふうに―・・・
「それに・・・人間に迫害を受けて死んでいった、魔族たちの無念を考えたら・・・」
「・・・・・・・・・・」
「・・・イレイン・・・?」
クライストが、いぶかしげに私を見る。
ぽろぽろと、私の頬を涙が流れ落ちた。
ぐっと唇をかみしめて、嗚咽をこらえて。私は、クライストに声を張り上げた。
「そんなの・・・そんなの・・・、関係・・・ないよ・・・!」
「え・・・・・・・・・」
「関係ないんだよ・・・どうなるとかどうにもならないとか、
魔族の無念とか、そんなの関係ないんだよ!
私・・・気持ちが知りたい。クライストさんの、『本当の』気持ち・・・!!」
「っ・・・」
もう、恥ずかしいとか、そんなこと構っていられなかった。
何もかもあきらめたような彼、きっと、全部、全部もう、どうでもいいと
思っているのかもしれない。
いずれ自分はいなくなってしまう。
だから・・・。それでも私は信じたかった。
本当はそうじゃない。あきらめきれるはずなんてない。
人はそう簡単に、何かをあきらめることなんか、できないはずなんだって。
「クライストさん・・・・・本気なの・・・・・?
・・・本当の、本気でそう思ってるの・・・?」
「・・・・・・・っ」
クライストが唇をかみしめて、顔をゆがめる。
これ以上はもしかしたら・・・言わないほうがいいかもしれない。
でも、そのまま感情は理性をつきぬけて、暴走する。
言葉はとめどなく、あふれてとまらなかった。
「本当に、ほんとうに・・・この世界に未練なんかないんだって、
いつ死んでもいいなんて・・・」
「っ・・・イレインっ・・・」
「本当にそんなふうに思ってるの!!??」
「思ってるわけないだろうっっ!!!」
「!!!!」
クライストが叫ぶ。私を睨みつけて、肩で息をして。
はじめてみると思った。
クライストが、裸の感情をむき出しにするのは・・・きっとこれが、初めてだ。
「く・・・クライスト、さん・・・」
「君は俺に何を言ってほしいんだ。
死にたくないって、すがりついてほしいのか!!??
変えられない未来に、逆らってどうするっていうんだ・・・」
「クライストさん・・・」
クライストの瞳が潤んだ。その青みがかった目に・・・涙があふれる。
「ああ、君の言うとおりだよ。
俺は、まだ死にたくない、死にたくなんかない。
今まではそんなこと・・・思うだけで無駄だと思っていたのに・・・
全部、全部、何もかも、諦めるつもりでいたのに・・・」
「・・・・・・・・」
私は何も言えず、ただ彼の顔を見つめる。
潤んだ目から涙がこぼれおちそうになって、クライストは目元を押さえた。
「君はどうしてそうやって、俺の決心を鈍らせるんだ・・・。君さえ・・・
君さえいなければ、こんな・・・図々しいことも思わなかった・・・」
「・・・私の・・・せい・・・?図々しい、ことって・・・」
それには答えず、クライストはその繊細な手で、自らの口と目を覆った。
覆った手の下から、一粒、涙が流れ落ちる。
「・・・・・・・・・・・・っっ」
「クラ・・」
ぽた、ぽたと粗末な毛布の上に、涙がこぼれる。
彼はなにかを振り払うように目をぬぐって、
しばらく耐えるような顔をしていたが・・・やがて、苦しげな声でぽつりと言った。
「・・・・・・出て行ってくれないか」
「えっ・・・で、でも」
「出て行ってくれっっ!!!」
「っ・・・」
部屋の外にも聞こえてしまうのではないかというほどの怒鳴り声だった。
私はそれにはじかれるように身を翻し、部屋を出てドアを閉めた。
・・・・・・クライスト・・・さんっ・・・・・・
「・・・・な・・・なんで・・・クライストさん、あんな・・・」
『出て行ってくれっ!!』
「・・・・なんで・・・・・」
言い過ぎて、しまったのだろうか。
あそこで、あんなにも彼を問い詰めなければ、よかったことなのかもしれない。
でも・・・
でも・・・
「ひっく・・・ふぇ・・・」
怒鳴られたのがショックで、私はベッドに突っ伏す。
そのまま起き上がる気力も持てずに、いつのまにか眠りに落ちた。
「・・・・・ん・・・・・」
ふと気づけば、もう夜だった。部屋の外からは、静かな波の音が響いてくる。
「・・・・・った・・・」
・・・頭・・・痛いな・・・・・・
泣きながら眠ったせいか、頭がずきずきする。
潮風にでも当たれば少しはよくなるだろうか。
このまま悶々としていても、いやな考えばかり浮かぶようなきがして。
私は重い足をようやっと動かしながら、甲板へと上った。
真っ黒な海面。さほど波は高くないようだった。
甲板のマストにつるされたカンテラの明かりだけが、周囲を心細げに照らしている。
真夜中のようにも思えたが、夜明けは近いようだ。
・・・・・・もうすこしで、クレールに、つくんだよね・・・
・・・ヴァエルのいる、クレールに・・・・・・
東の空の向こうには、ほんのりと太陽の光が見え始めている。
本当なら、今は・・・王都のことを考えて気分を奮い立たせるか、
怖気づこうとする自分を叱咤しているかの、どちらかなのだろう。
・・・だけど今は・・・・・・
クライストのことばかり考えている。
「・・・こんなんじゃダメ、なのに・・・」
ウェスタについてきたのも、王都をヴァエルの脅威から救うため。
レムの協力で、クライストの魔剣にヴァエルを封印するのだ。
・・・そう・・・クライストさんの魔剣に・・・・・・
だが・・・体をアグレアスに殆ど侵された彼に、さらにヴァエルの負担まで
かけるとなると・・・
・・・・・・クライストさんは・・・大丈夫・・・なわけ、ないよね・・・・・・
アグレアスだけでもあれだけの負荷がかかるのだ。
ふたつの魔剣をその身に宿したら・・・どうなるのか。
想像もつかなかったが、今までより彼が苦しむ結果になることだけは、明らかだ。
・・・・・・クライストさん・・・・・・
あのとき、封印を躊躇もせずに承諾した彼の本心は、どんなものだったのだろう。
『変えられない未来に、逆らってどうするっていうんだ・・・』
・・・私・・・馬鹿だな・・・
本気で死んでもいいと思ってるのかなど・・・
そんなこと、きっと聞かなくてもわかったはずなのに。
愚かな問いかけで、彼を傷つけてしまったかもしれない。
・・・でも・・・知りたかった。どうしても、クライストさんの本心・・・・・・
いつも、どんなときでも落ち着いて、微笑みを絶やさない彼の・・・本当の気持ち。
思えば、いつもクライストのことばかり考えていた。
何を考えてるかわからなくて、恥ずかしい台詞をさらっと言って、
女の子に人気があって・・・
からかってばかりなのに、どこか本気のような気もして、時折ドキリとさせられる。
・・・この気持ち・・・なんなんだろう・・・・・・
クライストは、優しい。
いつでも女の子だったら喜ぶような言葉をくれる。
だけど・・・それが私だけであるはずがない。
・・・私にだけ優しかったらな、とか・・・って・・・・・・
「嫌だ・・・・・・何考えてるんだろ・・・」
深い深いため息が出る。
こんなに一人の人のことばかり考えるなんて、頭がおかしくなってしまったのだろうか。
「もう寝よう・・・明日も、早いんだろうし・・・」
私は頭を振って、歩き出した。そのとき―
「・・・イレイン・・・」
「!!・・・クライスト・・・さん・・・」
「・・・・・・・・・」
「ご、ごめんなさい、さっきは・・・。私、あんなこと・・・
へ、部屋、戻るね?」
「イレイン!!」
慌てて船倉へ向おうとする私の腕を、クライストがつかむ。
その手の強さに、心臓が跳ねた。ひんやりして滑らかで・・・繊細な掌。
・・・な、なんだろ・・・すごく、ドキドキする・・・・・・
「いや・・・俺こそ・・・ごめん。あんな、言い方しかできなくて・・・」
「え・・・」
クライストは、私の腕を離した。
どうしてか、胸に少しだけ、寂しさが生まれる。
「・・・自分に思い込ませて、納得してたつもりだった・・・」
「クライストさん」
「魔剣を宿した者がたどりつく末路を・・・レムに聞いたときから。
いつくるかわからない『死』のときを、苦しみながら待つしかない。
これが俺の運命なんだって」
クライストはそういって、船尾のほうへゆっくりと歩き出した。
「・・・・・ゥゥ」
船尾には、空いたスペースにラプタがつながれている。
・・・・・・あれ・・・なんか・・・・・・
「・・・少し、具合がよくないみたいだね」
眠ってはいるようだったが、その寝息は苦しげにも聞こえる。
「・・・・・・・・」
「ライオネスは知ってるのかな・・・」
「気づいてはいるみたいだよ。夕方、背中をさすってやっていたから」
「そうなんだ・・・」
クライストが綺麗な横顔を曇らせる。
その視線は、ずっとラプタの左足に注がれていた。
「・・・心優しい主人に拾われて、よかったよな」
「ライオネスのこと?」
「・・・ああ」
「足が不自由だから、捨てられたって・・・」
「母竜も、卵を何個も産むからね。
生きていくのに足手惑いな者は、自然界じゃ淘汰されてしまう」
「厳しいね・・・」
「ああ。でも、それは動物たちだけのことじゃない」
「え?」
「・・・・人間だって、同じだよ」
「クライスト、さん・・・」
空が明るみ始める。
夜明け独特の薄い群青色。光を放っていた星星は徐々に消えつつあった。
クライストは天を仰いで、目を閉じた。
「・・・・・危険な仕事はいくらでもあった。命が惜しくなければ大金も手に入る。
毎日毎日、享楽的に過ごした。酒を浴びるほどに飲んで。
女の子なんて、声をかけなくても向こうから寄ってくる」
「っ・・・」
・・・確かに・・・クライストさん、整った顔してるしな・・・無理もないけど・・・・・・
別にクライストから声をかけたわけではないだろうに、それでも何だか気に入らない。
胸元で手を握り締めて、靄つく感情を押し殺した。
「でも、いくら飲んでも・・・・・酔うことなんかできなかった。
遊ぶのもそのときだけだ。あとは空しさだけが残る」
・・・・・・酔うことなんかない・・・?・・・
「でも、それでも、これは自分が望んだ結果なんだって・・・
そうずっと自分に言い聞かせてた。
空しさも苦しみも寂しさも・・・全部自業自得だって」
「・・・違うよ・・・」
そうつぶやくと、クライストは微笑んで私を見た。
そのあまりに悲しげな微笑に、胸がずきんと痛む。
「前にも・・・ロマナでも、俺にそういってくれたね」
「だって・・・」
「・・・うん。ありがとう。・・・優しいね」
「・・・・・・・」
「・・・君がそんなだから・・・俺はつい、甘えたくなってしまう」
・・・・・・クライスト、さん・・・・・・
「・・・甘えても・・・いいよ?」
鼓動が早くなるのを自覚しながら、私はクライストを見つめた。
彼はふっと笑った。
「・・・そういうわけにはいかないよ」
「どうして・・・?
前に言ったみたいに・・・欲が出てしまう・・・ってこと?」
クライストはうなずいた。
「・・・助かりたいって、思ってしまうんだ」
「そんなこと・・・それは、誰だってそうだよ・・・。
そうなったら、だれだって」
私の言葉に、しかし彼は首を振る。
「ダメ、なんだよ」
「なんで・・・」
「・・・・・・・・・」
クライストは・・・私をまっすぐに見つめた。
彼の鮮やかな髪の色。
そして目の色も、前はもう少し黒っぽかった気がするが、
今は髪の色と同色のシアンになりかけている。
・・・アグレアスの影響・・・なんだよね・・・あんなに恐ろしい魔剣なのに・・・
すごく、綺麗な色・・・・・・
まがまがしいほどに澄み切った水色に、心引かれるのは何故なのだろう。
しばらく見つめあった後、クライストはひとつ息をつくと
ラプタの傍から離れ、船の縁から水平線を眺めた。
「・・・誰にだって」
「え?」
「・・・誰にだって・・・大切な人がいる」
・・・クライストさん・・・?・・・
「家族とか、友だちとか、恋人とか・・・
俺が殺してきたたくさんの人たちにも、きっといたはずだ。
そして、彼らも・・・誰かの大切な人だったんだと思う」
「クライストさん・・・。でも、それはクライストさんが自分を保つために、仕方なく・・・」
「どんな事情があろうとも、罪は消えないよ。俺が命を奪った事実は変わらない」
「っ・・・・・」
「イレイン・・・
君の言葉は・・・嬉しかった。でも俺は、この罪を忘れるわけにはいかない
・・・君のことを大切に思えば思うほど・・・余計に、許されないと思ってしまうんだ・・・」
・・・大切・・・って・・・私の・・こと?・・・・・・・・・えっ・・・・・・・・・・・・・
もう一度、聞き返したかった。
だけど、ドキドキがとまらなくて、心なしか顔も熱いようで。
・・・で、でもクライストさんいつも、そんなこと言ってるし・・・・・・
「た、大切・・・なんて・・・」
かろうじて言葉を搾り出すと、クライストは私を振り返った。
強い瞳が、私を射抜く。
「!!」
思わず息をのむ私。だけど・・・彼はすぐに目を伏せて、また海に向き直った。
「いつもみたいに冗談だろうって思うなら、そう、思ってくれて構わない」
このとき、私にはわかった。
・・・・・・クライストさんは、今まで冗談なんか、一度も・・・
じゃあ・・・本気で、本気で私のこと・・・・・・
胸が震えた。今まで彼のくれた言葉全部が、本当のことなんだと思うと、
恥ずかしくて恥ずかしくて・・・でも・・・嬉しくて。
「く、クライストさん・・・私・・・」
自分も伝えたかった。
何をどう伝えたらいいかわからなくて、でもとにかく今の気持ちを
伝えなくちゃならないと思った。
クライストは振り返らない。
意を決して、でもちょっと躊躇して、少しだけ・・・彼のその背中に触れた。
「っ・・・・・・・」
ぴくりと、クライストの身体が反応する。
「イレイン・・・」
彼の声をその身体から聞きたくて、ちょっとだけ額もくっつけてみる。
微かなぬくもりがその背中から伝わって、心に温かい何かが広がるようだった。
「・・・・ありがとう、イレイン・・・」
声が聞こえる。穏やかな、彼の声が。
彼の背負った運命を思い出せば、視界は滲む。
でも今だけは、そんなこと考えていたくなかった。
けれども・・・・・・・他ならぬクライストの声が、私を現実に引き戻す。
「・・・もう、俺にあまり時間は残ってない」
「!」
「・・・君も・・・わかっていると思うけど」
「クライスト・・・さん・・・」
・・・嫌だ・・・そんなの・・・嫌だ・・・
だけどここで私が我侭を言ったら、クライストを困らせてしまうのは
目に見えている。
唇を噛んで、耐えた。頬を一粒、涙がこぼれていく。
「・・・・・・・だから・・・
だからせめて、俺が俺でいられる最後のときがくるまで・・・
俺はこの力を、君のために使う」
「え・・・」
顔を上げると、クライストの鮮やかな髪色が目に飛び込む。
差し込み始めた朝日に反射する青。
本人の感情とは裏腹に、いつにもまして鮮明に輝いていた。
「それくらいしか、俺が君にできることはないから・・・」
・・・そんなこと・・・・・・
してほしくない・・・と考えてから、はっと思い立つ。
・・・・・・そうだよ・・・クライストさんの力がなかったら、
王都をヴァエルから助けることはできないんだ・・・・・・
・・・でも、きっとそうしたら、クライストさんは・・・クライストさんは・・・・・・
「っ・・・・・・」
ただ、ずっと・・・傍にいてもらえたら。
傍にいられなくても、せめて生きていてもらえたら。
・・・それさえ、かなわないなんて・・・・・・
「っ!!・・・イレイン・・・」
思わず彼に、背中から抱きつく。
クライストは一瞬狼狽したようだったが、やがて体の力を抜いた。
「・・・・・・・イレイン・・・・・・・・・」
「・・・・・・あ・・・・・」
クライストの指が、しがみついた私の指にそっと、触れる。
・・・・・・・・・・クライストさん・・・・・・・・・
このままずっと、こうしていられたら。
お互いに触れているのは指先だけなのに、それだけで体が熱くなるようだった。
早朝の海風が、優しく髪を撫でていく。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
・・・・・・・・クライスト、さん・・・・・・・・
行かないで欲しい。どうか行かないでほしい。
それが叶わなくても、願わずにはいられなかった。
「イレイン・・・俺は・・・」
クライストが、私の手をぎゅっと掴む。
「!!クライスト、さ・・・」
心臓が一気に跳ねた、そのとき―
「きゃああっ・・・」
クライストの体が突然青い光に包まれる。
あ、と思った瞬間には、私は弾き飛ばされ反対側の船べりに身体を打ち付けていた。
「イレインっっ!!」
クライストが駆け寄り、私を抱き起こそうとした、その刹那。
私の体に触れようとした彼の指が、青く光を放った。
「っ・・・」
「クライスト・・・さん・・・」
クライストは唇をかみしめ、その指を隠すように掌を握り締めると、
うつむいたまま立ち上がった。
「・・・・・・・・・ごめん・・・・・・・俺・・・・・・・・・・」
聞かなくてもわかった。
彼のその指で触れれば、おそらく私はさっきと同じように弾き返されてしまう。
シアン色の光はアグレアスの魔力。
魔剣はそれほどまでに、もう彼の体を侵食しつくしているのだ。
・・・・・・・・触れることすら・・・できないっていうの・・・・・・・
私は茫然とクライストを見つめることしか出来なかった。
彼はしばらくそのまま目を伏せていたが、やがて何かを振り切るように顔を上げた。
「・・・君は、もう少し眠ったほうがいいよ」
何事もなかったような、不自然な口調。胸の中を寂しさが襲う。
だけど、クライストにこれ以上どんな言葉をかければいいかもわからなかった。
「船長が言うには、昼ごろにはクレールに着くってさ。だから・・・」
「・・・で、でも、クライストさんは・・・」
「うん。俺もできればそうしたいんだ」
「え・・・?」
目を見開くと、クライストは諦めたような顔で笑う。
「どういう・・・」
「お前らと一緒にするな」
「!?」
横から突然声がかかって、向いた先には長い黒髪の男・・・レムが朝日を浴び立っていた。
・・・お、おじさん・・・?いつからいたんだろう・・・まさかさっきのことを・・・・・・
見られていたのだろうか。
だが、到底聞けるはずはない。私は顔を熱くしながらもうつむいた。
「奴の精神は自我意識以外、その機能をほぼディーヴァに支配されている。
眠りに落ちるなど無防備な状態を自らとることはない」
「っ・・・・」
クライストが目を背け、朝日の昇った海に目を移す。
レムはそんな彼をみてニヤリと笑った。
「面倒だな。人間と言うものは。・・・なあ、クライスト」
「・・・・・・・・」
・・・クライストさんは・・・じゃあ・・・もう・・・・・・
眠ることすらももう、できないというのか。
私に背中を向けている彼が、いったいどんな表情をしているのか、
はかり知ることもできない。
レムが険しい表情で睨んでくる。まるで私がいることを咎めるような目つきだ。
私は気まずく思いながら口を開いた。
「・・・ご、ごめんなさい・・・じゃ、じゃあ私、少し寝るね?」
「・・・ああ・・・おやすみ」
クライストが背中を向けたまま、私に言う。
船倉に入るまで何度振り返っても、彼の瞳が私に向けられることは、なかった。
「あ・・・ライオネス」
船倉に下りると、ライオネスが立っていた。私を見て目を見開く。
「・・・・イレイン。お前、眠ってなかったのか」
「ら、ライオネスも・・・早いんだね」
「・・・ああ・・・ラプタの奴が、具合悪いからな」
「あ・・・」
病気のラプタが心配で朝早く起きてきたらしい。
私は苦しそうにしていたラプタを思い出した。
「お前、甲板にいたのか?」
「・・・うん。ラプタ、眠ってたけど辛そうだった」
「そっか・・・」
「病気なの・・・?原因は?」
「全然わかんねえよ。何しろモンスターだ。動物と違って、医者なんかもいねえし・・・」
ライオネスが困ったように頭をかく。
「・・・心配だね・・・」
胸に手をあててそういうと、ライオネスは私をじっと見つめた。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・ライオネス?」
「いや・・・お前よ・・・。・・・・・・・あいつとなんかあったか?」
「えっ・・・なんで」
「・・・なんとなく」
「・・・・・・・・」
言っていいものかどうか、迷っていると、ライオネスはぽりぽりと頬を掻いた。
「なんだ・・・その、無理には聞かねえけどよ」
「ライオネス・・・」
きっと、ライオネスなりに気遣っているつもりなのかもしれない。
そう思うと・・・やはりアグレアスのことだけでも、
話しておいたほうがいいような気がして・・・。
私はおずおずと口を開いた。
「・・・・・・あの、あのね・・・・・・」
「アグレアスに弾き飛ばされた・・・?」
・・・う・・・うん・・・・・・
・・・抱きついたことは伏せたほうがいいよね・・・というか、
恥ずかしくてとても言えないし・・・・・・
ライオネスは目を丸くしたあと、難しい顔で腕を組んだ。
「あいつの意思とは無関係に、ディーヴァがお前を跳ね返したってことなのか・・・?」
「・・・・・・・・」
『それくらいしか、俺が君にできることはないから・・・』
さっきのクライストの言葉を思い出す。
弾き飛ばされたあのときのことが、鮮明に思い出されて視界が滲んだ。
・・・クライストさん・・・もう・・・触れることすら・・・できないの・・・?・・・
胸の痛みをぐっとこらえていると、ライオネスがつぶやく。
「・・・あいつ・・・前よりもしょっちゅう苦しんでるみたいだしな」
「ライオネス・・・知ってたの?」
「ああ・・・まあ、詳しいことは知らねえけど・・・魔剣のせいってのは、なんとなく」
「・・・・・」
クライストが苦しがるのを知っていたのは、私だけではなかったらしい。
「・・・それからな、その・・・うわ言で、お前の名前、呼んでたぞ」
「!!!」
私は目を見開く。ライオネスが照れたような顔をして視線をそらした。
「・・・聞いてるこっちが恥ずかしかった」
「く、クライストさんが・・・」
「・・・・・・・・・魔剣を宿した者の末路など、知れている、か・・・」
『魔剣を宿した者の末路』
その言葉に、また胸がずきんと痛む。目の前がにじんで、私は目をこすった。
「っ・・・・・・」
「問題は、ヴァエルを倒すまで持つかどうかだな・・・
俺らだけじゃ正直厳しいぜ・・・。
それに、もしあいつがディーヴァに乗っ取られたら、
俺たちに危害を加えねえとも限らねえ・・・」
ライオネスのいうことは正論だ。そうだ。
私たちはクライストに力を借りて、クレールからヴァエルを救うのだ。
だけど、そのためにクライストは・・・。
みるみるうちに涙があふれて、頬を伝う。ライオネスがため息をついた。
「・・・・・っ・・・・・ひっく・・・・」
「・・・・・・・・・・・。仕方ねえだろ・・・こればっかりはよ・・・
あいつだって、覚悟してたことだろうし・・・・」
わかっている。そんなことはわかっている。
だけど・・・この悲しみはどうしたら消えてくれるのだろう。
私は何度も何度もしゃくりあげる。
今までせきとめていた気持ちが、あふれて止まらない。
ライオネスが一歩、そんな私に近づいて・・・。
「イレイン・・・・」
「あ・・・・」
ライオネスがほんの少しだけ私を引き寄せて、背中を優しく撫でてくれる。
その掌の温かさに、余計涙があふれた。
「・・・自分が自分でいるために・・・奪った命の重さを・・・
背負いながら生きるのも、つらいのかもな」
「・・・え・・・」
「しかもそれを誰かのせいなんてできねえ。全部、自分のせいだってこともよ・・・」
「クライストさんのせいじゃないよ!それはディーヴァが・・・」
「結局、魔剣を自分の身に宿したのは、あいつの意思なんだろ?」
「それは・・・・・・・でも・・・・・・
っ・・・・そんなのっ・・・・・・悲しすぎるよ・・・・・・」
大事な人たちを守るために、自分にもっと力があったら。
そんなこと、誰だって願ってもおかしくないようなことだ。
・・・だけど、クライストさんはそのとき、アグレアスに選ばれてしまったせいで・・・・・・
私がここで泣いても仕方ないことなのかもしれない。
だけど涙は後から後から出てきて、止めることもできなかった。
「イレイン・・・」
「!・・・ライオネス・・・」
突然、ぐいと引き寄せられて、身体をぬくもりに覆われる。
ライオネスのシャツの胸元に顔を押し付けたまま、私は目を見開いた。
・・・・・・ライオネス・・・・・・
特段、深い意味はなかったのだろうと思う。
彼なりに私を慰めようとしていることは、すごくよくわかった。
けれども・・・
・・・でもこんなとこ、クライストさんに、見られたら・・・・・・
そのとき、足音が聞こえた。誰かが甲板から降りてきたのだ。
「・・・・あ・・・・」
「!」
ライオネスはクライストを見て、私を抱く腕の力を緩めた。
・・・クライストさん・・・!・・・
「あ、あの・・・」
「いいよ、そんな。気を使わなくても」
弁解しようとした声がさえぎられる。
クライストは私たちをちらりと見た後、目を伏せてそのまま通り過ぎた。
「ちっ・・・おい、待てよ!クライスト!!!」
ライオネスが私を離し、慌ててクライストを追いかけていく。
・・・・・・気を使わなくても・・・って・・・
もしかして・・・もしかしなくても、誤解された・・・?・・・
すぐに走っていって、違うと言えばいいだけの話なのだろう。
でも、それで気持ちを伝えても・・・今の彼には重荷になるだけだ。
どうにもならない感情を抑えながら、私はその場に立ち尽くす。
止まっていた涙が一粒だけ、頬を零れ落ちた。
甲板ではラプタがぐったりと横たわっていた。
苦しそうに呼吸する、その合間、微かに低いうめき声が聞こえる。
「・・・ゥゥ・・・」
「・・・ホントに、具合悪いんだね・・・。つらそう、ラプタ・・・」
・・・クライストさんも・・・・・・
「っ・・・」
・・・今は・・・こんな気持ちになってる場合じゃないんだから・・・・・・
少しでも油断すれば、泣いてしまいそうだ。
私が気をひきしめようとしていると、後ろからライオネスがやってきた。
「・・・イレイン」
「あ・・・そのバケツ、ラプタの餌・・・?」
「ああ・・・食欲もねえみたいだが、一応な・・・」
「・・・・・・・」
私がバケツの餌を見つめると、ライオネスは気まずそうに口を開いた。
「・・・・・・・その、さっき・・・悪かったな・・・・・」
「・・・いいよ・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
二人の間に流れる沈黙が、重い。
雰囲気をなんとかしようと、私はむりやり話題を探す。
「そういえばその・・・もうクレールに着くんだよね・・・?」
「あ、ああ・・・」
ライオネスがほっとしたように返事をする。調子が戻ったように、続けた。
「俺も・・・これ終わったらすぐ支度する。お前も、もたもたすんなよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うん・・・」
心がずきずきする。かろうじて、うなずいた。
私が双剣の準備をしていると、にわかに甲板が騒がしくなった。
・・・あれ・・・なんだろう。なんか騒がしいけど・・・・・・
甲板へのぼってみると・・・
「!!」
・・・・・・・あ、あれは・・・・・・・
「ランスロット!!セレさん!!!」
ふたりは満身創痍だった。
セレさんのほうはもう意識がないようだ。
ランスロットが彼女を甲板の上に横たえて、トリスタンが慌てて駆け寄る。
私も、ランスロットのところへ走った。
「だ、大丈夫!!??」
「・・・っ・・・イレイン・・・」
「・・・・・・・」
「・・・どうして、こんな・・・」
呆然とする私に、後ろから声がかかった。
「・・・ごめん、ちょっと下がって。傷の治療をする」
「あっ・・・ご、ごめんなさい・・・」
・・・・・・クライストさん・・・・・・
「・・・・・・・・・・」
クライストがセレさんにかがみこんで、治療をはじめる。
その目の色は、もうあのアグレアスとほぼ同じ色だった。
・・・・・・クライストさん・・・目の色が・・・もう・・・・・・
しばらくして、終わったらしい。
クライストが目を閉じて、立ち上がった。
「・・・・・とりあえず、これでいいよ。なるべく安静にして、動かないように」
「ど・・・どういうこと・・・?どうして・・・」
「船員が言うには、海岸付近に倒れてたのを見つけたらしい。
馬で命からがら逃げてきたって」
「命・・・からがら・・・?」
「!!!兄貴!!セレ!!なんだってんだ・・・こりゃ・・・」
ライオネスが甲板に上ってきた。ふたりの姿を見て、驚く。
「セレ、俺の肩につかまれ。歩けるか?とにかく、部屋に・・・」
「・・・・トリスタン・・・」
トリスタンがセレさんを抱き上げる。
セレさんはトリスタンの肩にすがるようにして二人は船倉へ降りていった。
クライストがランスロットの治療を終える。
ランスロットは微妙そうな顔だったけど、一応はクライストに礼を言っていた。
「兄貴!なんで・・・王宮で、何かあったのか!!??」
「・・・ライオネス・・・父上が・・・」
「親父が・・・?」
聞き返した弟に、ランスロットは顔をゆがめる。搾り出すような声で、口を開いた。
「父上が・・・王家に謀反を起こした・・・」
「なっ・・・なんだって・・・」
・・・嘘・・・・・・
「副団長のアニス様や、バロン様、父上の意思に賛同した者たちによって、
王宮は占領されている」
「じゃ、じゃあ・・・陛下は・・・」
聞いた私に、ランスロットは目を伏せる。静かに答えた。
「・・・・・いつ、手を下したのか・・・既に事切れたあとだった。
ラルズ宰相もユリア様も・・・」
「そんな・・・」
「・・・私は、力を貸してくれた部下たちとともに父上を止めようとしたのだが・・・
歯が立たなかった。
どこから手に入れたのか、血の色をした赤い双剣に私も、セレも・・」
「赤い・・・」
ランスロットが目を閉じる、そのときのことを思い出してでもいるのだろうか。
「不気味な光を放つ、不可思議な剣だった。まるでこの世のものとは
思えないような・・・」
「まさか・・・それって」
「ヴァエルだ・・・。間違いない」
甲板に、よく通る声が響いた。
振り返ると、クライストが険しい顔をして立っている。
「・・・クライストさん・・・」
ランスロットはクライストをちらと見た後、唇をかみしめて続けた。
「・・・王宮の中は異形が跋扈している・・・。
赤き剣に斬られた者が、異形に姿を変えて・・・」
「親父が・・・ヴァエルを・・・」
「・・・ライオネス・・・」
ライオネスも、深刻な表情。当然だ。自分の父親が・・・
ヴァエルを手にしてしまったというのだから・・・。
「ま、街の人たちは大丈夫なの!!??」
「・・・父上の目的はクレールの支配だ。
逆らう者がいない限り、市民に危害は加えないだろう。だが、このままでは・・・」
このままでは、その続きは言わなくてもわかった。
いずれ、街にも影響が出るかもしれない。
少なくとも、ウェルムの独裁状態で町が支配されるのだ。
逆らうものが出れば殺される。
「・・・・・・・・。イレイン」
クライストが、ぼそりとつぶやいた。顔をあげると、真っ青な瞳と目が合う。
「クライスト、さん・・・?」
「・・・・」
クライストはランスロットと私をちらと見、王都のある方向に目を向けた。
「ヴァエルは俺とレムがなんとかする。君はそのカタブツの看病をしていてくれ」
「く、クライストさん!?」
「・・・・・」
「おい、お前何言ってんだよ・・・いくらお前が強くても、
ひとりで乗り込むなんて無茶だ」
「・・・無茶だと?お前らがヴァエルに立ち向かうほうが無謀と言うものだろう」
レムが口を挟んで、ライオネスを睨む。ライオネスは口をつぐんだ。
「で、でも、せめてもう少し、休んでみんなで・・・」
「・・・・イレイン・・・・」
「小娘、何度も言わせるな。お前らなどが・・・」
「レム」
レムの言葉をさえぎって、クライストが私に近づく。
感情の見えないシアン色の瞳が、私を、まっすぐに射抜いた。
私はすがるような気持ちで、彼の目を見つめる。
「・・・お願い・・・クライストさん・・・。ひとりでなんて・・・駄目だよ・・・」
私の言葉に、クライストは切なげにその瞳をゆらめかせた。
「・・・言っただろう・・・
俺が君にできることは、これくらいしかないって・・・」
「クライスト・・・」
「・・・・・・・」
ライオネスもランスロットも、クライストを見つめる。
クライストは・・・一度目を閉じて、静かに宣言するように・・・つぶやいた。
「それにもう・・・・・・時間がないんだ」
クライストの体が青く光を放つ。目を見開くライオネスとランスロット。
レムがにやりと笑う。
クライストは蒼く輝く魔剣・・・アグレアスを、その手に出現させた。
「・・・行こう、レム。一気に片をつける」
揺るがない決意が、その言葉には宿っていた。
きっと今誰が何を言っても、私が必死で止めても、彼は聞きはしないだろう。
「・・・いい顔だ。クライスト。
ヴァエルも・・・お前を待ち焦がれていることだろう」
「え・・・」
・・・待ち焦がれ・・って・・・・・・
クライストが、甲板を歩き出す。レムが、それに続く。
「クライストさん!!!」
思わず走り出した私は、クライストに手を触れようとして―
「きゃあああっっ!!」
「イレイン!!」
また、あのときのようにはじきかえされ、床に体をうちつける。
「うっ・・・」
「大丈夫か?」
ライオネスが私を抱き起こそうとする。
だけど私はその手をかわして、立ち上がった。
「クライストさん・・・」
「イレイン、お前・・・」
「イレイン・・・」
クライストの瞳が、私を見つめる。
私も、彼の瞳を見つめ返す。クライストの・・・やるせない表情・・・。
「っ・・・・・・・」
だが、彼は思いを振り切るようにきびすを返し、船を出て行った。
そのかたくなな背中。きっと彼は・・・ひとりですべてを抱え込むつもりだ―。
・・・・・・クライストさん・・・そんなの・・・そんなの・・・だめ・・・・・・
そう思った瞬間、私は駆け出していた。
ライオネスが後ろから名前を呼んだが、振り返ることなんかできなかった。




