「悲しげな瞳」
ウェスタへ出発の朝。
私はすっかり片付いた自分の部屋で、身支度を整え、双剣を腰に固定する。
この部屋ともお別れ、か・・・
改めて自分の部屋のぐるりを見渡す。13歳で地方騎士団に入ってそれから、ずっと過ごしてきた部屋だ。
訓練の厳しさや男たちの嫌がらせに、涙したこともある。セレさんとお茶もよくしたっけ・・・。
さまざまな思い出が頭によみがえる。私は目を閉じてそれをしばし反芻してから、荷物を抱え、親しんだ自室を後にした。
本部の廊下。もうほとんど残っている地方騎士はおらず、がらんとしている。
・・・誰もいない・・・。もうだいぶ皆出ていっちゃったものね・・・この建物自体、閉鎖の日も迫っているし・・・
グレッグ団長もセレさんも、クライストたちの見送りに王都へ出ているのだろう。団長の部屋からも人の気配がなかった。
階段を降り、1階の稽古場の前を通ったとき・・・何やら人の声が聞こえた。
・・・あれ?あれは・・・セレさんと、トリスタン・・・?しかも・・・
「・・・セレ・・・」
だ・・・だ・・・抱き合ってる・・・!!!
「と、トリスタン、よせ・・・、こ、こんなところ誰かに見られたら・・・」
「もう地方騎士団はなくなるんだ・・・別にばれたって、構わないだろう」
「・・・・・トリスタン」
セレさん・・・
「本当に、王宮騎士団に入るつもりなのか?セレ」
「何度も言っただろ。もう手続きは終わってる。明後日には初勤務だ」
「セレ・・・ウェルム団長はあまりいい噂のある人じゃないし、俺は心配だ」
「トリスタン・・・私は大丈夫だから、気にせずウェスタへ行ってくれ」
「気にしないわけがないだろ・・・あのウェルム団長だぞ?」
「・・・大丈夫だから・・・ね?」
「セレ・・・」
セレさんがトリスタンににっこり微笑む。
なんていうんだろう・・・なんか、トリスタンの前だとセレさん・・・女の子っぽいっていうか・・・
「あ、そうだ・・・」
「トリスタン?」
「これ・・・まあ、その・・・お守りがわりにもっていてくれ」
言ってトリスタンが恥ずかしそうに取り出したのは・・小さな小箱だった。
セレさんはその小箱を開けて・・・目を見開く。
「・・・こ・・・これ・・・」
「・・・だいぶ、遅くなっちゃったけど。・・・セレ、俺が、ウェスタから帰って、全部片付いたら・・・」
「・・・トリスタン・・・」
トリスタンがセレさんの耳元に何か囁く。途端、セレさんがトリスタンに抱きついた。
「・・・遅すぎるんだ・・・お前は・・・っ・・・私が、どれだけ待ったと・・・」
「ごめんな。地方騎士団が、こんなになってからに、なっちまってさ・・・」
「馬鹿・・・」
トリスタンがセレさんの背中を優しく撫でる。それを見てから、私はふたりにばれないように稽古場をあとにした。
・・・プロポーズ・・・だった、んだよね、きっと・・・
セレさん、すごく嬉しそうだったな・・・いいなぁ・・・
本部の門の前までくると、クライストとライオネス、それから団長がなにやら話をしているところだった。
「やあ、イレインちゃん、おはよ」
「おはよう、クライストさん・・・よろしくお願いします」
「あはは。そんなかしこまらなくても。船の船長も気さくな人だから、心配しなくていいよ」
「は、はい!」
「キゥーキゥー」
・・・あれ?この鳴き声・・・
クライストは私に微笑んで傍らにある大きな荷物の点検を始める。
「大丈夫だって。ちゃんと連れてくからそんなひっつくな、ラプタ」
ライオネスが背中から顔を出した・・・翼竜・・・の頭をなでている。
「ライオネス、それ、なあに、翼竜の赤ちゃん?」
「あ、ああ・・・。お前には言ってなかったか。エルムナード遠征のときに、異形にふみつぶされそうになっててよ。助けてやったらこんな感じで・・・」
「キゥー」
「そうなんだ・・・ずいぶんなつかれてるみたいだね」
「ああ・・・肉とかやってちょっと世話してやったら、あっというまにこうなっちまった」
「ふふっ。でも、そうやって甘えてるの、かわいい」
翼竜、ラプタがライオネスの頭の上にぴょんと乗る。
じゃれているようだが、それにはかまわず、ライオネスは私を見つめて口を開いた。
「・・・。・・・お前さ、ほんと、いいのか?」
心配がないといえば嘘になる。だけどもう今更、迷いはない。私は彼を見つめ返す。
「うん。私決めたから。みんなでウェスタに行くよ」
「・・・そっか」
「うん」
ライオネスは私を見て、少し安堵したような笑みをうかべる。沈黙を守っていたグレッグ団長が口を開いた。
「それじゃあ、イレイン、ライオネス、クライスト・・・気をつけて、いってくるんだぞ。旅の無事を、祈っている」
「ウェスタは様々な研究をする者が集まる聖地ともいわれる場所だ。ヴァエルを倒すための手がかりも、きっと見つかるだろう」
「はい。グレッグ団長も、どうかお体に気をつけて」
「ああ」
グレッグ団長は私たち3人の顔をそれぞれ見渡して、ゆっくりとうなずいた。
それを合図にしたかのように、クライストが声を上げる。
「さあ、それじゃあそろそろ出発しようか。シャロームの街に船が待ってる・・・って・・・あ」
「クライストさん?」
言葉を切って街の方を凝視するクライスト。ライオネスも私も、彼の向いた方向を見やって・・・
(あ・・・あれは・・・)
「ランスロット!」
「イレイン、よかった・・・間に合って」
「ランスロット、なんで・・・」
「ウェスタに行くそうだな。ライオネスから事情を聞いたぞ。・・・なぜ、私にひとことでも相談してくれなかったんだ?」
「え・・・えと・・・それは・・・あんまり、心配かけたくなかったし・・・」
「・・・イレイン・・・」
「ご、ごめんなさい・・・」
ランスロットが顔をしかめる。しゅんとする私に、グレッグ団長がフォローを入れた。
「・・・わしがヴァエルのことを王宮には伝えないようにと言ったせいもあるんだろう。これはイレインの責任ではない」
「グレッグ団長・・・」
「このことはどうか内密に頼む。差し迫った脅威ではないのだが、王都民に伝わると混乱を招く可能性もある」
「ええ、ライオネスからも、そういわれましたし、私は最初からそのつもりです」
「すまんな、ランスロット」
「いいえ・・・地方騎士団の解散を止められなかったのは・・・私にも責があると感じていますので・・・力及ばず、申し訳ありませんでした」
「・・・いいのだ。陛下のご命令なら、誰も逆らえやしないのだから。貴公が気に病むことではない」
「グレッグ団長・・・。申し訳ありません・・・」
ランスロット・・・
「・・・。それじゃあ・・・イレイン・・・。くれぐれも、気をつけろよ」
「・・・ランスロット・・・。はい・・・。ごめんなさい・・・相談もせずに決めちゃって・・・」
「・・・気にするな、お前が自分で決めたことなんだろう。それなら、それが何よりだ。
その道を信じて進め」
「・・・はい!」
「ライオネス、イレインを頼んだぞ」
「・・・わーった」
あれ・・・ライオネスどこか不機嫌・・・?
そのとき、トリスタンとセレさんが小走りで本部から出てくる。
「すまない、イレイン!遅くなって・・・」
「あ、セレさん!大丈夫だよ」
トリスタンと・・・だったんだもんね・・・
「やあ、トリスタン。『終わった』かい?」
「きっ・・・貴様クライスト何を・・・!?」
「あはは。そんな赤くならなくても。さあ、それじゃあそろそろ行こうか。船長もまちくたびれてるだろうしね」
「それじゃ・・・セレさん、団長も・・・まだまだ異形が出るっていうから、気をつけてね」
「ああ。イレインも、航海の無事を祈っている。ヴァエルを倒す手がかりが、得られればいいがな・・・」
「・・・うん。ランスロットも・・・大丈夫だよね?」
「心配するな」
ランスロットは私の頭を撫でながら微笑んで・・・横目で一瞬、クライストのほうを見た・・・ような気がした。
「ランスロット?」
「あ、ああ、すまない。じゃあ、気をつけていってこい」
「はい!」
・・・こうして私たちは、見送るランスロット、セレさんや団長に手を振って、シャロームの町へと出発した。
研究都市ウェスタ・・・どんなところなのかな・・・
ヴァエルを具現化する方法なんて・・・本当に見つかるのかな・・・
不安はつきない。だけど今は、前に進むしかない。
故郷と同じ懐かしい潮風に吹かれながら、シャロームの港が見えてくる。
私は改めて決意を固め、腰の双剣をぐっと握り締めると仲間たちの背中を追った。
海は凪いでいた。
シャロームの港を出港してしばらく、クライストの知り合いという船長の指示のもと、船は順調な航海を続けている。私は甲板で、おだやかな海とかもめの群れをのんびりと眺めていた。
このまま、モンスターも出なくて天気もいいまま、ウェスタにつけたらな・・・
とは思うものの、そう簡単にはいかないのだろう。ウェスタまではそれほど近い距離というわけでもない。
ちょっとだけため息をつく。すると、クライストが船尾のほうから歩いてきて、船のへりにもたれた。
「トリスタン、具合はどうだって?」
「あ、クライストさん。うん、なんか船に乗ったの初めてみたいで・・・部屋でぐったりしてる」
勇んで船に乗り込んだトリスタンは、航海が始まったとたん青い顔になっていた。
あの様子では、甲板に顔を出すのも無理そうだ。
「大変だよね、船酔い持ちはさ。イレインちゃんは平気?」
「うん。お父さんが漁師だったから、船に乗せてもらうのなんてしょっちゅうだったし」
生まれてこのかた船酔いなど経験したこともない。私がそういうと、クライストは安心したように微笑んだ。
「そうなんだ。よかった。ライオネスも平気みたいだしね」
「・・・。そういえば、ライオネスは?」
「ああ・・・彼なら、船長に人手が足りないってんで働かされてるよ、ほらあそこ」
「ええ・・・」
クライストが指差した方向を見やると、ほかの船員とともにライオネスがなにやら木箱を運んでいる。
「やっぱりいい体格してるからじゃないかな。荷物運びに最適だって」
「てーかクライスト!てめえも手伝えよ!!」
クライストの声が聞こえたのか、ライオネスがどなってきた。気にもせず笑うクライスト。、
「あはは。がんばれがんばれ」
「てんめぇ・・・」
ら、ライオネスってば・・・だけどちゃんと律儀に働いてるとこ、ライオネスらしいっていえばらしいかも
なんだかんだいいつつ、船員たちとも打ち解けているようだ。笑いながら肩を叩き合ったりもしている。
「イレインちゃんも、部屋の場所とかもう覚えた?暇だったら散策でもしてきたらどうかな」
クライストの言葉に我にかえる。そういえば、甲板はともかく、船倉のほうはさっきちらと見ただけだ。
「そうだね・・・そうしようかな。まだ行ったことないとこもあるし・・・」
「俺はここにいるから。何かあったらいつでもおいで」
「ありがとう!」
クライストが海風に髪をなびかせ微笑む。ちょっと見蕩れながらも、私はお礼を言って、船倉へと向かった。
私が甲板に戻ってくると、クライストは退屈そうにあくびをしていた。
「さあて・・・なんか暇だし、俺は部屋に戻って昼寝でもしようかなあって・・・ん??」
「クライストさん?」
うーんと伸びをしたクライストだが、急に動きをとめてやれやれと首を振る。
「はあーあ、どうやらそうもいかないみたいだね。平和な航海だと思ってたのに」
「えっ・・・どういう・・・」
私が聞き返したそのとき。
突然、船が大きく傾いだ。
「きゃあああっっっ!」
「な、なんだあっっ!?」
甲板は大混乱だ。あわてふためく船員たち。ライオネスが慌てて揺れに足をとられながらも私のところにやってくる。
「イレイン!」
「ライオネス!っっって・・・・きゃあっ!!」
再び船が大きく今度は反対方向に傾く。その強い反動で体がふわっと浮いた。
「ひゃ・・・えっ・・・!?」
慌てて船のへりをつかもうとした手が宙を切る。目下には、激しく波立つ海面―。
おっ・・・おちるっ・・・!!!!
「イレインっっ!!!」
海にまっさかさま・・・と思った瞬間、ぐいと強い力で腕を引かれ、体が暖かいぬくもりに包まれる。ライオネスが必死で腕を伸ばし私を抱きとめたのだ。
「・・・ったく世話の焼ける・・・」
「ら、ライオネス・・・あ、あの・・・ありが・・・っきゃああ!!!!!」
礼を言う間もなく、また船が大きく傾ぐ。まるで何かに海の底から揺さぶられているような、そんな激しい揺れだった。
ライオネスは私を胸に抱えたまま、甲板の床に腹ばいになる。
「俺にしがみついてろっ!!」
右へ左へと揺れにゆれて暴れまわる船。甲板に積んである荷物やら樽やらがごろごろと転がる。
「きゃあっ」
「馬鹿!つかまってろって言ったろ!」
ライオネスはますます私の体を自分の胸に押し付ける。私は彼の胸元に必死につかまり、無情なる船の揺れに耐えた。
「やれやれ、お約束だなあ。せっかく人がいい気持ちで船旅を楽しんでたっていうのに・・」
クライストは船の揺れにも全く動じず、空を見上げて甲板に佇んでいる。
彼の視線の先には・・・巨大な烏賊の怪物・・・クラーケンが何本もあるその恐ろしく長い足をうねらせ、金色の目玉をちっぽけな船に向けてにらみを利かせていた。
「くそっ・・・このやろうっ!!」
船の船員たちが弓矢を放ったり、剣や斧を投げたりするものの殆どは届かず、また届いてもクラーケンのその硬い皮膚にあっけなく跳ね返される。
「ちっくしょう・・・おいクライスト!なんとかなんねえか!」
船の船長が駆け寄り、傍観を決め込むクライストをどなった。
「わかってるって。全員、俺の後ろに下がって!下がるんだ!」
クラーケンは船頭の先に頭を出して浮かんでいる。海の底からその長い足で船を揺さぶっているのだった。
船員たちが船尾のほうに下がると、クライストはゆっくりと船頭のほうへ歩き、クラーケンの目の前にただひとり、立った。
クライストさん・・・?
「・・・・・・」
それから何やらうつむき、ぶつぶつと呟き始める。
なんだろう、魔法の詠唱・・とか?
クラーケンの足が無防備なクライストめがけ飛んできたが、彼に近づいた刹那、青白い電流がばりっと走ってその足に絡みついた。
痛みを感じるのか、足を慌てて引っ込め耳障りな雄たけびをあげるクラーケン。
・・・いかずちの・・・バリアみたいなものなの・・・?
気がつくとクライストの足元には、例のあの紋章が浮かんでいた。
うつむいたまま、さっきから微動だにしないクライスト・・・だが。
バリバリバリッ・・・と凄まじい音とクラーケンの甲高い叫びが海原にとどろく。
えっ・・・!?
目をあげた先には、どこから出現したのか青白く輝く稲妻のラインがまるで網の目の檻のようにクラーケンの体を包み込んでいた。
船長も船員も、ライオネスもそして私も、驚きで声も出ない。
そして、次の瞬間―。
稲妻の檻がクラーケンめがけて収縮したと同時に、クラーケンの巨大な体が一瞬にして粉々に霧散する。文字通り、粉々だ。
あとには、何事もなかったかのように快晴の空と凪いだ海が残された。
「な・・・・なんだったんだ・・・」
ライオネスが茫然とつぶやく。船員たちもあっけにとられてその場に立ち尽くしていた。
「やいクライスト!クラーケンの肉はうめーんだから粉々にすんじゃねえよ!!!」
「あはは、ごめんごめん」
船長とクライストだけが、静まり返った船上で平然と会話を交わす。
「・・・あいつだけは、敵に回したくねえな・・・」
いまだ私の体を支えたまま、ぼそりとつぶやくライオネス。
・・・確かに・・・そうかも・・・
私は爽やかな笑顔を見せるクライストを見つめながらも、自然とうなずいていた。
それから、数日。
あのクラーケンの一件以降、特段何も起こることはなく平穏な航海を経て、私たちはウェスタに到着した。
ウェスタは中央大海の島にある小さな町だ。島全体がひとつの街としてつくられている。
本当に小さな町なのだが、ここはある特殊な役割を担う場所でもあった。
「さすがに学者の聖地とも言われるだけあって、荘厳な雰囲気だね」
クライストが町並みを眺めながら言う。確かに、ほかの街とはちょっと様相が違う。
さまざまな分野の研究者があつまる特別な街で、たくさんの研究所や書物庫が町中に点在していると
昔ランスロットに学んだことを思い出した。
・・・・・・歩いてる人も学者さんみたいな人が多いなぁ・・・あれ、あの遠くに見える大きな建物って・・・
「クライストさん、あの大きな建物はなに?」
私が家々の奥に見える巨大な施設を指差すと、クライストが、ああ、と声を上げた。
「あれは古代図書館だよ。図書館とはいうけど、学者たちの研究施設も兼ねてる」
・・・・・・古代図書館・・・
王都にも図書館はあるにはあったけれど、あれほど巨大なものではない。
研究機関とも聞いてヴァエルの具現化のことが思い浮かぶ。もしかして・・・
「もしかして、具現化の研究をしてるその人もいるかな?」
「そうだね、まずは行ってみようか」
私の言葉に、クライストがうなずく。退屈そうにあたりを眺めていたライオネスと生き返った様子のトリスタンを伴い、私たちは町の中へと入った。
並木のレンガ道を、巨大な図書館の建物に向かって歩いていく。
すると急に視界が開けて、目の前に緑の芝生に覆われた広大な庭のような場所に出た。
奥のほうには森を背にして古代図書館がそびえたち、古めかしく重厚そうな門を構えている。
すっごい広い・・・これって、図書館の前庭みたいなものなのかな・・・王宮と同じくらいの広さはあるかも・・・
前庭にはそこここにベンチが置かれ、天気のいい今日は座って本を読む人たちが点在している。ひなたぼっこや昼寝などをしている人もいて、なんだか穏やかな風景だ。
「図書館は一般の人たちにも開放されているからね。憩いの場所にもなってるみたいだね」
芝生をさくさくと踏みながらクライストが言う。
昼寝をしている人たちを見て自らも眠くなったのか、ライオネスがあくびをしていた。
「クライストさん、いろいろ詳しいね」
「ああ、俺は来たことがあるからね。仕事でだけど」
傭兵の仕事でだろうか。そんなことを考えつつもぞろぞろと歩き、図書館の巨大な扉の前に立つ。
「さあ、行こうか」
クライストが鉄製なのだろう、重そうな扉を押して・・・
うわー・・・中はもっと広い・・・
天井は見上げても見えないほど高く、また背の高い本棚がずらりとそびえたち入り口にたつ私たちを見つめている。
上等な樫の木でできた本棚には色とりどりの様々な本がぎっしりと詰まれていて、その眺めは実に壮観だ。
「すごいな・・・これは・・・」
後ろのトリスタンが息を呑む音が聞こえた。
ライオネスが上を見上げて天井に目を凝らしている。
クライストは本棚の間をすたすたと歩き、奥にあるカウンターに向かうと、受付らしき女性と何やら話しはじめた。
館内には学者らしい者もいるが、普通の町の人といったいでたちの者もちらほらいる。
皆熱心に本を読みふけるか、本を探しているばかりであたりは静寂に包まれていた。
「・・・こういう場所は、苦手だな・・・」
ぼやくライオネスにトリスタンが茶々を入れる。
「お前は本を読まないからな。読み始めても3秒で寝るんだろ」
ライオネスがむくれて反論した。
「うるせえな、3秒はねえ。3分は持つ」
・・・どっちも変わらない気が・・・
「精神体の研究をしている学者が2階にいるらしいよ。トレヴィ博士っていうんだってさ」
やがてクライストが戻ってきて私たちに告げる。私たちは彼の案内で、博士がいるという2階へ向かった。
「クレールでそのようなことが・・・魔剣ヴァエル・・・」
トレヴィ博士は初老の男性で、2階にある講義室でちょうど学生たちに話をしているところだった。
講義が終わったあと、クライストが話しかけて事情を話すと、トレヴィ博士は驚いた顔をしてそうつぶやいた。
「博士は、魔剣のことはご存知なんですか?」
私が問うと、彼は深々とうなずいた。
「はい。自らの意思を持つ剣・・・その剣は、魔族の思念体集合・・ディーヴァにより構成されていると・・。」
「よく知っていますね」
クライストがトレヴィ博士を見つめる。博士はクライストに向き直り口を開いた。
「私も昔、魔剣については興味がありました。ここの書物を読み漁った結果です。その当時魔剣の研究は大流行でしたが、何しろ本当に存在するかもわからず、魔剣に関する書物も現存するものは限られていたため次第に専門に研究する者は減少し、今ではほとんどいません。しかしまさか、本当に存在していたとは・・・」
「魔剣は本当に存在します。ここにも」
クライストは博士の目の前で青く輝く光剣・・・アグレアスを出現させた。博士が目を見開く。
「・・・これが・・・」
トレヴィ博士は震える手でアグレアスに触れようとした・・・が、その瞬間、魔剣はその刀身から激しい光線を放ち、彼の手をはじき返した。
「うわっ!!」
「不用意に触らないほうがいいです。魔剣は契約者以外の人間に触れられるのを嫌がる」
トレヴィ博士がはじかれた掌をさすりながらクライストを凝視する。
「君はこの魔剣と契約したわけだな」
「・・・はい」
「・・・愚かなことを・・」
吐き捨てるというよりは、どちらかというと哀れむような口調でトレヴィ博士は言った。
え・・・愚か・・・って・・・
「な、なんだよそれ・・」
「愚か・・・?どういうことだ・・・」
ライオネスもトリスタンも、戸惑って顔を見合わせている。
どうして、そんなことを・・・?
博士の意図を私が聞こうとする前に、クライストの冷静な声がそれをさえぎった。
「・・・確かにそうですね。しかし、今はそんな話などどうでもいい。
クレールに差し迫っている脅威を取り除くのが先です。
魔剣ヴァエルのディーヴァはクレールに恨みを抱き、次なる契約者を探して
かの国を滅ぼさんとしています。ヴァエルが契約者を手に入れる前になんとかして倒さなくてはならない。その方法を探して、俺たちはここまで来たんです」
博士の言葉をあっさりと肯定し、淡々と説明するクライスト。その姿に私も、ここに来た本来の目的を思い出す。
そう・・・今はヴァエルのことが先だよね・・・哀れ・・・てのも、気になりはするけど・・・
そしてそれをいわれても、動じもしないクライストの態度に違和感も感じる。
・・・クライストさん・・・
クライストの言葉に、トレヴィ博士はしばし考え込むような様子を見せた後、私たちに向き直り静かに説明を始めた。
「・・・ディーヴァは思念体・・精神世界に生きるものです。私たちが生きている物質世界とは
異なる世界。私たちが肉体を持つ人間である限り、ディーヴァに物質的に働きかけることは
不可能でしょう」
「ふ・・・不可能・・・?・・・そんな・・・」
私は肩を落とした。せっかくここまで来たのに、ヴァエルには手も足も出ないと言うのか。
「ディ、ディーヴァをこっちの世界につれてきたりはできないのか」
やや焦った様子で、トリスタンがトレヴィ博士に質問する。彼も少なからず、いやかなりショックを受けたようだった。トレヴィ博士が応える。
「それは理論上無理です。精神世界と物質世界は本来隔離され、間には繋がりのないもの
とされていますから。ただ・・」
「ただ?」
険しい表情でクライストが聞き返す。するとトレヴィ博士はクライストを意味ありげに見て、続けた。
「・・・例外は、あります。代表的なものがその魔剣です」
「あ・・・!」
思わず声を上げる私。そうだ・・・確かに・・・。
「お察しのとおり、魔剣は魔族の思念体という精神体で構成されますが、契約者を得ることで物質世界に『剣』という形で姿を現す。このことから、魔族は精神世界と物質世界を行き来する何らかの方法を持っていたのではないか・・と推測されるのです」
確かに・・・魔剣は精神体が形作るものながら、物質の『剣』でもある。
精神世界と物質世界を行き来する方法・・・もしかして魔法が使えることと関係ある・・・?
魔法もいってみればそうかもしれない。本人の精神・・・意志で、何もないところからあらゆるもの・・・物質を生み出すのだから。
クライストのほうを見ると、彼も同じことを考えていたのだろう、私を見つめてうなずいた。
「・・・そうだね、その方法はおそらく魔力によるもの・・・っていうことになるんだろうね」
「おいクライスト、お前は知らないのかよ?魔法を使えるんだろ?」
ライオネスがクライストに質問する。クライストは肩をすくめた。
「知ってたとしたらここには来ていないよ。それに俺は魔族じゃない・・ただの人間だ」
「しかし・・・・・いくらそんな方法を使えるとしてもなぁ・・・」
トリスタンが腕組みをし、うなる。
「古代の文献が正しいとするならば・・・魔族はずっと昔に絶滅したのだろう?」
「・・・まぁ・・・それにたとえいたとしても、俺らに協力してくれるとは思えねえよな・・・」
ライオネスが眉間に皺を寄せた。
そっか・・・そうだよね・・・迫害を受けた魔族はきっと人間を憎んでいるはず。だとすると、力を貸してもらうことなんかできないのかも・・・
ライオネスとトリスタンのいうとおりだ。
万事休すか・・・と3人でがっかりしたそのとき。
「・・・・・・・・・いや」
「クライストさん?」
ぼそり、とつぶやいたクライストに、その場全員の視線が集まる。彼が再び口を開いて―
「・・・レムなら・・・」
レム・・・?
初めて聞く名前だった。クライストの知り合いかなにかなのだろうか。
しかも、魔族に関係する・・・?
トリスタンがたずねる。
「クライスト、力を貸してくれそうなやつを知っているのか?・・・まさか、魔族・・・?」
「純粋な魔族・・じゃないけどね」
「え・・・?」
純粋じゃない・・・?ってことは・・・人間とのハーフ・・・とか?
直感的にそんなことが思い浮かぶ。だが、憎みあった人間と魔族が結婚するなんてこと、あったんだろうか。クライストが続けた。
「彼は人間を毛嫌いしてるところがあるから、協力してくれるかどうかは保障できない。
だけど話を聞いてみる価値はある、と思う。」
「・・・話して、くれるのかなあ?」
どういう人かはわからないけど・・・魔族関係の人なら門前払いされそうな気もする。
「それは行ってみないとわからないよ」
見上げた私に、クライストが微笑んだ。魔剣の強さからくるものなのかわからないが、彼はいつも自信満々な感じがして、少しうらやましい。
「彼の住んでいる場所は、ネド砂漠の手前の小さな洞窟だ。ウェスタから船でそう遠くはない」
ネド砂漠といえば、私の故郷テーベの南にある広大な砂漠だ。確かに、砂漠の南側には自然にできた洞窟がいくつかあった。そのひとつに住んでいる、ということなのだろう。
「それじゃ、とりあえずそこに行ってみるしかないってことか・・・」
トリスタンが言って、ライオネスと視線を合わせる。
とりあえず次の行く先は決まったものの、ふたりの表情は浮かないものだった。
ヴァエルを倒す方法がわかると思ってきたのに・・・肩透かしをくらったようなものだもんね・・・
何もかもあやふやだ。そのレムという人物も、話さえ聞いてくれるかどうかわからない。
だけど・・・今は行くしかない・・・
「とりあえず、今日はウェスタの宿に泊まって、明日出発することにしよう。俺は調べものがあるから、ライオネスとトリスタンは先に宿へ行っててくれないか」
「調べもの?」
トリスタンが片眉を上げる。クライストは笑った。
「まあ、大したことじゃないんだけど、ちょっとね」
「つか・・・なんで俺とトリスタンなんだよ?イレインは・・・」
「ああ、イレインちゃんには俺の手伝いをしてもらうからさ」
「ええ・・・??」
「いいよね?イレインちゃん」
「そりゃ、か、かまわないけど・・・」
にっこりと微笑まれて、勢いでうなずいてしまう。ライオネスが舌打ちした。
「ちっ・・・仕方ねえ・・・。わーった。だけど、すぐ来いよな」
「わかってるって。君が想像しているようなことは何もしないよ」
「ばっ・・・何言って・・・べべ別に俺は・・・」
何を想像していたのか知らないが、ライオネスが真っ赤になる。クライストが心底おかしそうに笑った。
「あはは。カマかけてみただけなのに、面白いように引っかかるんだね」
「てんめぇ・・・」
「まあまあ、落ち着けってライオネス。それじゃ、俺らは先に行ってるな。博士、いろいろとありがとうございました」
トリスタンがフォローにはいって、ライオネスを諌める。彼が博士にも頭を下げると、トレヴィ博士はいささかすまなそうに微笑んだ。
「あまり力になれなかったようで、申し訳ないな。もしもまた何か聞きたいことがあったら、いつでもたずねてきてください。私にできることがあれば、協力いたしましょう」
「あ、ありがとうございます!」
お礼を言った私のほうを見て、トレヴィ博士が深くうなずいてくれる。それから、何か言いたそうにクライストを見つめていたが・・・結局は何も言わずに視線をそらした。
・・・なんだろう・・・?今、クライストさんのほう見てたけど・・・?
トリスタンとライオネスが講義室を出て行く。ライオネスは心配そうに私を振り返りつつも、しぶしぶと背中をむけてトリスタンとともに部屋をあとにしていった。
彼らの姿を見送ったあと、クライストがトレヴィ博士に向き直る。
「それじゃあ俺たちも、地下の書庫に行こうか。博士、入ってもよろしいでしょうか」
地下の書庫・・・?
「ああ。いいですよ。鍵を開けましょう」
首を傾げる私を横に、トレヴィ博士は懐から銀の鍵を出した。
3人で講義室を出て1Fに行き、カウンター奥の丈夫そうな扉を開けると、地下への薄暗い階段が現れる。
一瞬視界が悪いかと思えたが、どうやらそれは入り口だけらしい。ちょっと覗き込んでみると階段の脇にはちゃんと明かりがともしてあった。
「それでは、ごゆっくり。終わりましたらカウンターの女性に声をかけてください」
「ありがとうございます」
クライストが礼をいって、トレヴィ博士がカウンターを出て行く。おそらくまた講義室に戻るのだろう。
「じゃあ、行こうか。足元に気をつけて」
「う、うん・・・」
クライストがすたすたと石造りの古びた階段を下りていく。私はおそるおそるながらも彼のあとに続いた。
古代図書館の地下もまた、かなりの広さだった。
こんなところで迷ったら、大変なことになるかもしれない。
一応明かりはともっているものの、薄暗くてクライストと少し離れると彼の姿を見失いそうだった。
「ふるい本ばかりだね・・・」
地下の本は、どれも色がくすんでいたり、背表紙がぼろぼろであったりと状態のあまりよくないものが多い。
「そうだね。かなり昔に書かれた本もあるみたいだから」
クライストがこれまた古そうな本のページをめくりながら言う。
クライストさん・・・何を読んでるんだろう・・・
ひょいとちょっとだけ覗いてみたけれど、よくわからない文字が多くて判読などできやしない。
一体何語・・・?
「古代文字なんだ。だから読めなくても当然だよ。俺はレムに少し教えてもらったから、ある程度は読めるんだけどね」
「古代文字・・・。昔の人が使ってた言葉ってこと?」
「うん。言葉も時代によって、進化していくものだからね」
「そ、そうなんだ・・・その、レムって人に教わったって・・・」
「うん・・・。魔剣を宿して何もわからなかった俺に、いろんなことを教えてくれたのが彼だよ」
いろんなこと・・・かあ・・・
どんな人物なのだろうか。洞窟に住んでいるとかいうことを聞くと、少し変わった人物のようにも思えるが。
そんなことを考えていると、クライストは読んでいた本を棚にもどし、今度は違う本を取り出した。また中身を確認しながら口を開く。
「・・・。トレヴィ博士は地下書庫の責任者だったんだね。おかげで手間もはぶけたよ」
「あ、そうだね・・・鍵も持ってたようだし」
「うん。違う人だったらあの広い図書館を探し回らなきゃならなかった」
・・・トレヴィ博士・・・そういえば
彼がクライストのことを何か言いたそうに見つめていたことを思い出した。あれはなんだったんだろう。
それから、クライストが魔剣と契約したことを『愚か』だと・・・言ったときのこと・・・
「トレヴィ博士・・・あのとき、クライストさんのこと・・・」
言葉が、口に出ていた。クライストが本から顔を上げてこちらを見る。
薄闇に映えるブルーグリーンの瞳に、どきりとした。
「・・・ああ。『愚か』って話?」
「う・・・うん、あと、何か言いたそうに見てたようだけど・・・」
「そうだなあ・・・」
クライストはぱたん、と本を閉じた。
長い睫を伏せてちょっと考え込んでから、本をもとの棚に戻す。
「彼としては、俺にいろいろお説教したかったんだと思うよ」
「色々・・・?」
「あぁ。魔剣がどういうものかを知っている者にとっては、それを宿すなんてこと、正気の沙汰じゃないからね」
「えっ・・・」
一瞬、言葉につまる。クライストが微笑んだ。
「・・・少なくとも、普通の感覚を持っている人にとっては。・・・君にも、そのうちわかるかもしれないけれど」
「クライスト、さん・・・」
彼の微笑みが、悲しそうに見えることがあるのは・・・きっと気のせいではなかったのだろうと思う。
どういう・・・ことなんだろう・・・どういう・・・
何か聞きたいけれど、何をどう聞いたらいいのかわからなくて・・・ただ私が彼を見つめていると、クライストはすっと背中を向けて歩き出した。
「もうちょっと移動しようか。このへんじゃないみたいだ」
本のことだろう。クライストの後姿が語る。私は何も言えず、ただ無言のまま彼の後に続いた。
他の場所に移動してからも、クライストは熱心に本を読んでいた。
余程調べたいことなのかな・・・手伝ってほしいって言われたけど、これじゃ手伝いにもならないなあ
手持ち無沙汰にそのへんの分厚い本を取り出し、めくってみるが、やはり何が書いてあるのかわからない。
ため息をつき、本を戻した。
「・・・・・・・」
クライストは、やっぱり本を読んでいる。
すごい集中力・・・
地下の頼りない明かりが、彼の綺麗な横顔をぼんやりと照らし出す。本人の不思議な雰囲気とも相まって、どこかその風景は神秘的にも見えた。
やっぱり、クライストさんって綺麗だよね・・・髪や目の色もだけど・・・顔立ちもすごく整ってるし・・・
しなやかな体つき。その長く細い指。それはまるでひとつの絵のようで。
な、なにドキドキしてるんだろ、私・・・
知らないうちに鼓動が早くなって、胸を抑える。クライストが気づいてこちらを向いた。
「・・・イレインちゃん?どうかした?」
「うっ・・・ううん、なんでもないの、続けて?」
顔がちょっと熱いのを自覚しつつも、私は慌てて誤魔化す。だけどクライストは本を棚に戻して口を開いた。
「ああ・・・ごめん、退屈、させちゃってたのかな?そろそろ出ようか」
「えっ・・・で、でもいいの?」
読んでいた本も途中だったはずだ。聞き返すと、クライストはうなずいた。
「うん。まあ、色々興味深い文献も見られたからね。いいんだよ。また来ればいいし」
「はあ・・・」
いいのかなあ・・・
悪い気もしつつ、私はさっさと歩き出したクライストを追う。
ずいぶん地下の奥の棚まで来ていたらしくて、上への階段までは結構かかりそうだった。
しばらく歩いていくと、さっき下りてきた地上への階段が見えてきて、私は内心ほっとした。
地下は暗いし、同じような棚がいくつも並んでいるし、クライストがいなければ迷っていたかもしれない。
しんと静まり返っているのもあってちょっと怖い気もしていたのだ。
結構時間もたっちゃってるよね・・・ライオネスたち、待ちくたびれてるかな・・・?
私がそんなことを考え始めたとき・・・前を歩くクライストがふいに口を開いた。
「そういえばさ」
「・・・クライストさん?」
名前を呼ぶと、彼は立ち止まって私の顔をじっと見る。
「イレインちゃんって、今いくつだっけ?」
「へっ!?・・・え、えーと・・・今は16だよ。今年で17になるけど・・・」
なんで・・・いきなり・・・?
戸惑いながらも正直に答えると、彼は顎に手を当てて考え込むような仕草を見せた。
「ふーん・・・16かあ。ちょっとまだ・・・色々と早いかな」
な・・・なんの話?早いって・・・
もしかして、未熟だとかいう意味なんだろうか。そう思うとちょっと微妙な気分にもなる。
「・・・早い・・・って・・・そりゃ、クライストさんから見れば、まだまだ子供かもしれないけど・・・」
私は少々むくれつつもクライストに応えた。クライストが何故だか満面の笑みを浮かべる。
「ああ、でもほら、君にその気があるなら、俺はいつだってかまわないんだよ?・・・まあだけど・・・下手したらあの兄弟に滅多切りにされそうだしさ」
「兄弟?兄弟って・・・ランスロットとライオネス・・・??な、なんで・・・?」
「それは君・・・。まあ、いいか・・・そのほうが都合がよさそうだし」
クライストさん・・・言ってることがさっぱりわからないよ・・・
私は首を傾げるばかりだ。反対に、クライストは楽しそうににこにこ笑っている。
・・・もう・・・
悪い人ではないと思う。だけどたまにはぐらかされてしまうのには辟易する。
ランスロットももしかしたら、クライストのこういうところが気に触るのだろうか?
ふっと師匠の顔が頭に浮かんで、私はクレールのことを思い出した。
地方騎士団がなくなって、町の警備は王宮騎士団がやるという話だったが・・大丈夫なのだろうか。
もちろん、異形につぶされるということはさすがにないだろうが・・・心配ではある。
「ランスロットって言えば・・・王都は、街は・・・だいじょうぶなのかな・・・?」
私がそうつぶやくと、クライストはちょっと真顔になってこちらを見つめてきた。
「まだ離れて3日しかたってないのに、そんなに心配?」
「心配だよ。今までずっと暮らして、守ってきた街だし・・・ランスロットがいるから、大丈夫なのかなとは思うけど・・・」
「ランスロット、ねえ・・・」
街の心配も口にしたはずだが、クライストは何故かそこに反応する。
「お師匠様の心配なんかするんだ?イレインちゃんは弟子なのに」
「そ、そりゃそうだよ・・・だって・・・あ」
クライストが私に一歩、二歩近づいて、間近に私の目を見つめる。
「・・・く、クライスト、さん?」
地下の書庫は狭い。本棚と本棚の間は人一人がやっと通れるくらいの広さだ。
私の背中には本棚が当たっていて、目の前にはクライストがいる。
クライストさん・・・近い・・・かも・・・
どうすることもできず、ただ彼の顔を見ていると・・・クライストがふいに口を開いた。
「・・・俺の前で、あの堅物の心配するんだ?」
「えっ・・・」
目を見開く私に、クライストはふっと妖艶に微笑む。
「・・・妬けるなぁ・・・って言ったら・・・イレインちゃん、どうする?」
思わず見蕩れてしまうような、そんな綺麗な笑みだった。私は慌てて口を開く。
「へ・・・な、なにいってるのクライストさん・・・ランスロットは・・・ランスロットは剣の先生だよ?そんなんじゃ・・・」
そんなこと、あるわけ・・・
クライストが鋭い目をして私をちょっと睨んだ。
「あのさ・・・君がそうでも、向こうはどう思ってるかわかんないよ?」
「え・・・ええっ・・・」
心の中まで見られるようなその瞳に、どぎまぎする私。クライストが静まり返った書庫を見回し、今気づいたかのようにつぶやいた。
「・・・ああ・・・そういやここ、誰もこないんだよね・・・ふたりきりだ」
意味ありげな台詞。
「クライスト、さ・・・」
「・・・ね・・・このまま、キス・・・しちゃっても、いいかな・・・?」
き・・・キス・・・?キスって・・・・っっ・・・えええっ!!??
その薄い唇がつむぎだす,低い声に、心臓が跳ねる。クライストがさらに近づき、私の顎を指でとらえて―。
「ね、ダメ?」
「え・・・えと・・・その・・・あの・・・」
顔が熱い。どうしたらいいかわからない。
私がまごつくと、クライストは微笑み、すっと体を離した。
「ははっ。本当にかわいいな・・・イレインちゃんは。俺には・・・もったいないくらいだ」
「え・・・」
あっけにとられる私に、クライストはにっこり笑って、頬をなでてくれる。
その笑顔の瞳は暗がりの中で、一層綺麗に見えて、でもどこか・・・
クライストさんの瞳・・・綺麗・・・でも、どこか・・・悲しい・・・
「・・・どうして?」
「えっ?」
ポツリと言った私の言葉に、クライストが聞き返す。
私はクライストのその瞳を見つめながら・・・口を開いた。
「・・・クライストさん・・・なんだか、悲しそう・・・」
「・・・!」
クライストはほんの一瞬だけ、うろたえた。だが、すぐにいつもの笑顔を浮かべる。
「・・・言っている意味が、よくわからないな」
「・・・・・・」
「そろそろ行こうか。トリスタンたちが酔いつぶれてしまうかもしれないしね」
そういってさっさと歩き出すクライスト。まるでいつもの調子を無理やり取り戻そうとしているような・・・そんなふうに見えたのは、私の気のせいだったろうか。
・・・クライストさん・・・
私は複雑な気持ちを抱えながら、彼の後を追う。彼の背中を、地下書庫の明かりが頼りなげに照らしていた。