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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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Which of betraying it is it?

作者: 久坂 薫

○Prologue○

 

 とある人間には、糸として具現化された人の感情を、読み取ることができる能力が生まれつき備わっていた。感情の糸は心臓から出ていて、その思いの相手の手や首、足などに巻きついている。もちろん、そのとある人間以外の人間がそれを認知することはできない。

 例えば、互いに同じ感情を抱いている場合は、互いの心臓を一本の糸が繋ぐ。また糸にはそれぞれ感情の種類によって色が違っており、赤は愛情、橙は友情、黄は羨望と尊敬、緑は慈愛、青は恐怖や嫌悪、紫は狂気を表している。他にも色はあり、同時に感情の強さによって糸の太さも変わる。太ければ太い糸ほど感情は強い。

 これを読んだ人は何を思うだろう。嘘だと思うだろうか。ありえないと思うだろうか。けれど本当にそれは嘘なのだろうか。ありえないことなのだろうか。

 例えば宇宙人の存在を証明することよりも、実は存在しないことを証明することの方が難しいという。なぜならば存在しないことを証明するためには証拠が必要だが、存在しないのならば根本的にその証拠があるはずがないからだ。

 だから地球には、世界には、宇宙には、謎が尽きることがない。

 そしてこの物語は、そんな摩訶不思議な能力を持ったとある人間がありえないような【ゲーム】に巻き込まれてしまう物語である。

 けれどそれは、本当にありえない事なのだろうか。



○そして其れは始まった ○

 

 中川瑞樹は摩訶不思議な能力を生まれつき持っていることを除けば、どこにでもいそうな普通の女子高校生だ。そんな彼女とその親友である花谷柚葉は、委員会の仕事により六時三十分という早朝に学校に来ていた。大半の学生はまだ家にいる時間なのか、人影は少なく、部活の朝練等をしている数十人の生徒しか敷地にはいない。

 瑞樹と柚葉が欠伸を噛み殺しながら廊下を歩んでいると、ガチャという放送が入る音と共に、聞き覚えのあるメロディーが流れだした。

 ピンポンパンポーン

《えー、テステス。これ聞こえてる? 聞こえてるよね?》

 まだ微睡の中にいるといっても過言ではない校舎に不相応な明るさと、お世辞にも校内放送にふさわしいとはいえない軽さを含んだ声が流れる。

《えっと、おはようみんな! 突然だけど、今日はこれからみんなに【ゲーム】をしてもらいまーす! 【ゲーム】だよ、【ゲーム】! いやぁ、楽しみだねぇ。……え? 俺? 俺は司会進行役の[名無し]だよ。名、無、し。よろしく‼》

 妙にテンションが高く、言っていることはどう考えても冗談としか思えないこと。ただそれだけで、特にこれといった何かがあるわけでもないのに、何故か吐き気がしそうな声だと瑞樹は思う。

《運がいいのか悪いのか、今日ここにいる選ばれた生徒諸君聞きたまえ! 【ゲーム】は至って簡単! まず、自分と最も親しいと思う人が各々いるはずです。その人とペアを組んでくださぁい!》

 悲しい日本人の性か、こんなのはいたずらに違いないと思いつつも無視することができず、戸惑いながらもペアが出来上がり始めた。瑞樹も周囲の顔色を窺いつつ、柚葉とペアになる。

《組めた? 組めたね? じゃあ、ルールの説明! ジャジャジャーン‼ さっきも言ったけど、これからみんなにはいくつかの簡単な【ゲーム】をしてもらいます。もっちろん【ゲーム】にはペアで挑戦してもらうよ。他のペアとの協力は可ね。あ、でも勝負の相手は他のペアじゃなくて、自分と最も親しいであろうペアの相手、だよ。それで、その【ゲーム】とは‼》

 放送をしている[名無し]の巧みな話術に惹きこまれて、誰もが手を止めて耳を澄ます。瑞樹は、ごくりと誰かが生唾を飲んだ音が聞こえた気がした。

《―――――ペアでの殺し合い》

 は? なにそれ? しょうもない、ただの悪戯かよ。先生何してるんだろうね。てか、犯人誰だよ。馬鹿だろ。無駄に大がかりだったな。

 余りにも突飛な、まるでありがちな小説や漫画みたいな言葉に、多少なりとも漂っていた緊張感が一気に霧散する。当たり前だが誰一人として本気にしている人はいない。軽口をたたきながら、放送により止めていた手を動かしだす。

《あれ? 本気にしてない? してないね? うーん、どうしよっか。あ、そうだ。誰か暇で、死んでもいいっていう度胸ある人! 中庭に来て‼》

 興醒めしたと言わんばかりの生徒達の態度にもめげずに、[名無し]は放送を止めない。ノリのいい生徒達は、[名無し]の言葉に廊下をかけて中庭へ向かった。それを横目に見つつ、瑞樹と柚葉も廊下の窓から中庭を覗く。

 ちなみに瑞樹の通う学校は、校舎が円を書くように設計されており、中央にある中庭はどの校舎にいても見える造りになっているのだ。

「何なんだろうね、これ」

「さあ。わかんないけど……、あんまりいいものじゃないね」

 そうこう話しているうちに、中庭に七、八人の生徒が集まった。

《最近の若い子は度胸あるねぇ。うんうん、良いことだよ!》

 スピーカーの向こう側で[名無し]が楽しげに呟くと、生徒達は耳を欹てる。やはりまたとないこの出来事に、少なからず好奇心を躍らせているのだろう。

《さあ! では死んでもいいっていう度胸ある若者たちを、宣言通り殺しちゃいましょう‼ パチパチパチぃ!》

 ズダダダダッ―――――……

 おそらくライフルであろう銃声がして、赤く染まる中庭。

 ドミノ倒しのように次々とばたばたと倒れる生徒。

 倒れた生徒の胸や頭からは、少し離れた所にいる瑞樹達でもわかるほどの夥しい量の血が流れており、おそらく既に事切れていることだろう。

 なんて人間はあっけなく死ぬのだろうか。

《ね? 冗談じゃないんだよ。わかってくれたよね?》

 たった今人が殺されたなんて、微塵も感じさせない口調が異常で異様で不気味だ。なんだか人間味が感じられなくて気持ちが悪い。

「き、きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 目の前の光景が理解できずに茫然自失していた瑞樹は、女子の悲鳴でハッと意識を回復する。言いたいことも理解できないこともたくさんあるが、一先ず警察を呼ぶことが先決だとポケットから携帯を取り出した。

 ドラマでも映画でもない光景はあまりにもショックで。胸からせりあがってくる感覚に吐き気がした。受け入れがたい状況に眩暈がする。何が詰まっているわけでもないのに喉が苦しい。口に溜まる唾液に胃酸が混じり、自然と眉間に皺がよった。それでも、許容範囲を超えた出来事に瑞樹の脳は考えることを放棄したらしく、妙に頭が冷静で冴え渡っている。

《おっと、警察に連絡しても無駄だよぉ。どれだけ叫ぼうが何が起ころうが助けが来ることは一切ない。こっちも色々と準備してきたからね‼》

 瑞樹の行動が読めていたのか、焦る様子もなしに[名無し]は淡々と言う。けれどその内容は冷や汗ものだ。いくら準備してきたと言っても、国家機関である警察の介入を防ぐだなんて、どう考えてもただ者じゃない。

 しかし、今まで行動から、[名無し]の言動が嘘である可能性は限りなくゼロに近いだろう。状況は限りなく絶望的だ。

 瑞樹はさっと見える範囲の糸に目を通した。だが先程の銃殺の時もそうだったが、一切犯人のものらしき感情の糸が見えない。これだけのことをしでかしているのだから、普通ならば愉悦やら殺意やらの糸が見えるはずなのに、だ。これでは犯人の居場所も特定のしようがない。肝心なところで役に立たない能力だと、瑞樹はため息を吐きたくなった。

《それじゃあルールの続きを説明するよぉ。【ゲーム】はペアの片方が死ぬか、【ゲーム】開始から二十四時間経つと強制終了します! でもでも、時間切れまで生き残れる可能性はわずか千分の一しかないから期待しない方がいいと思うな。それから、いくつかする【ゲーム】それぞれの説明はその度にするからまた後でね!》

 それとなしに自分と最も親しい友、要するに親友との殺し合いを持ちかけてくる[名無し]。瑞樹はそのためのペア作りかと納得する一方、どこまでも計算され尽くされている状況に、夢ならば早く覚めて欲しいと現実逃避をするほかなかった。



○飛び降り自殺は美しい○


《まずはじめの【ゲーム】はぁ! 校舎の壁でthe ロッククライミング! ルールは簡単。馬鹿でもわかる!》

 声を張り上げて[名無し]が話し出す。全員の間に一気に緊張が走った。

 瑞樹は、恐怖と緊張とで息が詰まりそうだと思った。

《ペアのうち、一人は校舎の外壁を上りまーす。もう一人は屋上で、登っている人の命綱を持ちまーす。登っている人も、屋上で命綱を握っている人も、どちらも命綱を離すことはできます。あ、ちなみに命綱をどこかにくくりつけるのは違反ね。殺しちゃうよ?》

 軽いノリですらすらと紡がれる言葉は、本来ならばあり得ないはずのこと。しかし瑞樹達は知っている。その言葉が嘘でも冗談でもないことを。なぜなら人が殺される様をその眼ではっきりと見ているのだから。

 首筋に冷や汗が伝い、体が小刻みに震えるのを瑞樹は止めらない。無意識のうちに、縋るように隣にいる柚葉の手を握りしめていた。

《つまり、登っている人は自分から命綱を離して、もし落ちたときにペアを巻き込むことを防ぐことも。屋上で命綱を持つ人は、巻き込まれないように相方の命綱を離すこともありということです!》

 パッと一斉にペア達が顔を見合わせた。

 瑞樹には能力ゆえに見える。親友同士だったはずの二人が、確かな友情の糸で繋がれていた二人が、恐怖により疑心暗鬼に陥り互いを疑いだしたことが。

 全て、[名無し]の思惑通りだ。

《さっき言った通り、片方が死ぬまでこの【ゲーム】は基本的に終わらないからね。生き残りたければ〝親友〟を殺せ》

 低い小さな声で、秘密話をするように囁いた[名無し]。恐怖心を煽って疑う心につけこむそれは、まるで悪魔の囁きだ。巧妙に考えられている。

《それじゃあ、その名も〈飛び降り自殺は美しい〉始まり始まりぃ!》

 陽気な声で開幕を告げた【ゲーム】は、もはや【ゲーム】でも何でもなかった。

「みず、き……」

 誰もが受け入れがたい現実に戸惑い、絶望し、重々しい雰囲気が広がる中で、先に口を開いたのは柚葉だった。唇は不健康な青紫色で、白磁色の端正な顔立ちが恐怖により青白く歪んでおり痛々しい。

「……柚葉、私が登る。あんたは上(屋上)で待ってて」

「瑞樹⁉な、何言って」

「私の方が柚葉より運動神経はいいからね。……万が一のことを考えて、命綱も外しておいて」

 柚葉は瑞樹にとってかけがえのない親友だ。こんな互いを疑ってしまうような状況においても、彼女の瑞樹に対する糸に揺らぎはない。それはつまり、柚葉が瑞樹を信用して、信頼してくれているというまぎれもない証拠なのだ。そんな柚葉をみすみす危険に晒すなんてことが、瑞樹にはできるはずもなかった。

「ちょ、待ってよ、瑞樹」

「柚葉、分かった?」

「瑞樹っ‼」

 命を懸ける不安と、何よりも大切な親友を守らなくてはという焦り。それにより冷静さを失って、真っ白になっていた瑞樹の思考が、柚葉の悲壮な叫びによって強制的に戻される。

「ゆ、ず……は?」

「聞いて。瑞樹の気持ちは伝わったよ、ありがとう」

 柚葉の黒曜石を入れたような瞳が真剣に、されど優しげに細められる。瑞樹は気圧されてその瞳から目を逸らせない。

「でも、私も瑞樹と同じ気持ちなの。なんか、その、命賭けるとか、何がどうなっているのかとかはよくわかってないけど……。私も瑞樹が危険なことするの、嫌……だから。あ、ほら!一蓮托生、だよ。私達‼」

「っ、………。ん、わかった。じゃあ、私の命、預けたよ」

 その時瑞樹には、互いの心臓を繋ぐ太い太い橙色の糸がたしかに見えた。

 そして柚葉と別れた後、瑞樹は他のペアの片割れと共に指定された校舎の壁の下まで移動した。

 今まで何気なく見ていた校舎の壁が、今の瑞樹にはとてつもなく高く感じられる。圧迫感があって、上から落ちてくる影がまるで大きな怪物のようで。パクリと一口で丸飲みされたら……、なんて幻想に囚われてしまいそうだ。

 まだ始まってもいないのに膝を震わせ涙を流す者もいる中、瑞樹は屹然と上を見上げた。姿を目視することはできないが、あそこには自分の命綱を握りしめた柚葉がいることを瑞樹は知っている。たったそれだけ、それだけで、自分は頂上まで生きて登れる気がした。

《さあ命綱はしっかり付けたかなぁ? それともしっかり手放したかなぁ? ま、どっちでもいいんだけど。Let’s startだよー‼ あ、言い忘れてた。もし足を踏み外した時、登り直すのはいいけどぉ、制限時間を過ぎたら登り切れていない者はみーんな殺しちゃうからね!》

 一斉に皆が、壁を競うように登り始める。校舎にある窓や排気口、排水溝が足場だ。登り始めた者の中には足を滑らせて命綱に手を伸ばす者、相手に裏切られて地面まで落ちてゆく者もいる。しかし、その者達もまだ打ち身や掠り傷などの軽傷ばかりで、死人が出ていないのが不幸中の幸いか。

「くっ……!」

 瑞樹も自分の命綱が柚葉と繋がっている以上は落ちるまいと、必死に手足に力を込めた。

当たり前だが、校舎の壁は人が登るために作られているわけではない。そのため足場通しの距離は遠く、さらには立ち塞がるようにでっぱりまである。それでも自分一人ではない、柚葉の命も背負っていると思えば、たとえ女児であるため男児よりもかは力は弱く手足も短くとも、瑞樹は意地でも落ちるわけにはいかなかった。

「う、わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ―――――――」

 誰かの悲鳴がして、誰かの体が宙に浮く。

 そして落ちる、堕ちる、墜ちる、そしておちた。

 緊張と不安で汗に濡れる指ではしっかりと壁を掴めず、懼れと恐怖で強張る足では体が安定しない。もちろん、既に相方が握っているはずの命綱は当てには出来ないし、友情の糸だって大半が切れている。

 始めはあんなにも太い橙色の糸が互いの心臓を繋いでいたのに。

 地面は落ちてきた者のせいで、本来の色とは違った色に染められる。

「瑞樹‼ 頑張れ、頑張って! 私、瑞樹が来るのを信じてるよっ‼」

「ゆ、ずっ……」

 下を見てはいけない。見ればまざまざと恐ろしいモノを突き付けられる。振り向いた先にあるのは無残な、人であったアカイモノだけだ。ぐぢゃぐぢゃでぐぢょぐぢょ。それも一人や二人じゃない。何人も、だ。

 そんな光景を見て、誰がまともに頂上へ登れるだろうか。

《うわぁー! いっぱい人、落ちちゃってるねぇ。愉快、愉快。ははははははははははははははははははははははははははははははっ》

「ちっ……! こんなの笑えない、よっ!」

 [名無し]の不謹慎な笑い声が耳障りで、無意識に舌打ちが漏れる。人が死ぬことの何が面白いのか、理解したくもないが理解不能だ。

 そういえば県庁のある市内の、それも中心部にこの高校はあるはずなのに、警察はおろか車の音ひとつ聞こえない。これでは本当に助けは期待できないだろう。瑞樹は不快な[名無し]の放送から逃げるようにそう思った。

「あっ‼」

 他のことを考えていた所為か。とうの昔に限界を超え、痺れを訴えていた指が滑り、瑞樹の体が宙に浮く。咄嗟に柚葉を守るために命綱を外そうとするが、不安定な空中では不可能で。視界の端に、瑞樹の命綱に引っ張られて屋上から飛び出した柚葉の体が映った。

 どうやら、なんとか柚葉が屋上の端に摑まることに成功したらしく、腹部への圧迫感と引き換えに落下が止まる。しかしホッと安心したのも束の間。このままでは直ぐに二人分の体重を支えている柚葉に限界が来て、再び地面に向かって落下。そしてお陀仏、という結果になってしまうだろう。

 冷や汗が瑞樹の頬を伝う。一刻も早く瑞樹はどこかの足場に足を付けて、自分の体重を支えなければいけない。けれど、まだ痺れている手足では、足場に上手く摑まることができない。

 この際私はどうなってもいいから、せめて柚葉だけでも。

そう思い、瑞樹は自分の命綱に手を伸ばす。

《あ、落ちかけのペアがいる。ははっ、どうするの? 二人で落ちちゃう?》

 そしてかしましい[名無し]の声を振り切るように覚悟を決めた、その時。

「大丈夫か⁉」

 柚葉のいる上から、男子の声がした。それと同時に、命綱が引っ張られて、体が上空へと引き寄せられる。

「よいしょ、と」

「っ……はあぁ。あ、の……ありが、とう」

 上を見上げると見覚えのない男子の姿がふたつあり、おそらく柚葉の姿が見えなくなっていることから、彼らが彼女を引き上げてくれたのだろう。

「おーい!えっと、瑞樹、ちゃん?聞こえるかぁ?」

「え、あ……は、はい! 聞こえます!」

 唐突に名前を呼ばれて瑞樹は驚愕するが、柚葉が瑞樹を助けるために彼らに告げたのだろう。慌てて大声で返事をする。

「綱引っ張るからさ、少しずつでいいから上まで登ってこれそうか?」

「だ、大丈夫です‼」

 予想外の展開の連続に頭がついて行かないが、考えてみると瑞樹の親友である柚葉は贔屓目なしで超絶美人だ。学年、否、学校中で一番であるといっても過言ではないだろう。そんな柚葉が命の危機に晒されていたのだから、男なら助けても何ら不思議ではない。むしろ当然といってもいい。

「さすが柚葉……」

 なんとか彼らのおかげで瑞樹も無事に屋上に辿り着き、柚葉には泣きながら抱擁された。彼らには協力してもらったし、事実本当に命を助けられたのだが、瑞樹はなんだが心底ため息を吐きたくなった。

《Time up!現在登っている人は時間切れだからさようならぁ‼》

 笑えないことを陽気に笑いながら話す[名無し]の声が、不思議と今だけは瑞樹の耳に入らなかった。



○沈む馬鹿と沈まない阿呆○


 瑞樹と柚葉を助けた男子達はそれぞれ霜咲樹眞きりさきたつま桐澤亮きりさわあきらと名乗った。瑞樹達に見覚えはなかったが、どうやら同級生らしい。

 二人ともいかにもスポーツマンといった軽快な雰囲気をしており、互いの心臓は太い橙色の糸で繋がっている。繋がっていた糸が切れる様を、たった数時間のうちに嫌というほど見せられた瑞樹には、未だしっかりと繋がっている彼らが自然と信用できた。

 それからなりゆきで四人は行動することになり、次の【ゲーム】〈蜘蛛の糸〉に一同で挑む。それは某作家の小説を連想する題名通り、五十メートル余りの穴から一本の細い糸を頼りに地面まで登ってくる【ゲーム】であった。もちろんただ登るだけではなく、上からは蝋が降ってくる。蝋燭を知っている人ならばわかるだろうが、蝋は比較的直ぐに固まってしまう。つまり穴の底でじっとしていたらあっという間に足を地面と縫い付けられてしまい、上に登ることができなくなってしまうのだ。もちろん糸は人間一人分の体重しか支えられない。そしてこちらの【ゲーム】も制限時間以内に登り切れなかった人間は、もれなく殺されてしまう。

 今回の【ゲーム】は比較的に簡単だったらしく、あの悲惨な〈飛び降り自殺は美しい〉を生き残ったペア達のほとんどが無事にクリアした。瑞樹と柚葉のペアも、樹眞と亮のペアも、無傷とはいえないが無事だ。

 そして、三つ目の【ゲーム】が始まる。

《んー、案外生き残っているみんな! それじゃあ次の【ゲーム】といこうではないか‼ 今回はご覧のとおりプールでやるよー!》

 そう言われて彼女らがやって来たのは、屋上にある室内プール。そのため、ここに来るまでの間に、全員が水着の上にTシャツと短パンという姿に着替えている。ちなみにプールの水深はおよそ十メートルだ。

《ささ、ペアで一人ずつ沈む役と沈まない役を決めて下さいな》

 さすがに三つ目ともなれば【ゲーム】のパターンも見えてくるわけで。今回も片方は比較的安全で、片方が命に危機に晒される【ゲーム】なのだろう。そうなると必然的に役選びも慎重になってくる。しかし、沈む役と沈まない役とはどういう意味なのか。【ゲーム】の内容が連想しづらい。

《決めたぁ?え ーと、じゃあ恒例のルール説明! まず沈む役の人には手は後ろ手に縛って、足に錘付きのロープを括りつけて、プールの底に沈んでもらいます。もちろんそれだけじゃあすぐに窒息死しちゃうので、十分間分の酸素が入った酸素ボンベを付けてもらうよ。そして沈まない役の人には一人一本ずつナイフを渡すので、それで沈む役の人に付けた錘のロープを切ってもらいます。言わずもがな、救出出来たらゲームクリアだよ‼》

 先程決めた沈む役は瑞樹と亮、沈まない役は柚葉と樹眞。既に瑞樹と亮や、二人同様沈む役の者達は準備室へ向かっている。

《ま、ここまで来たら言わなくても分かると思うけどぉ、沈む役の人の命は沈まない人にかかっているからね! 見捨てて十分間何もしないもよし、失敗して相手が死ぬのを見守るもよし、自分も道連れにしてもらうのもよし。と言ってもぉ、ナイフを使ったら別だけど、今回はそう簡単に道連れはできないようになっているけどね》

 三つ目の【ゲーム】を前に広がっていた緊張感が、[名無し]の言葉で戸惑いに変わる。思わず柚葉は[名無し]に聞き返した。

「どういうこと?」

《ふふふ、よくぞ聞いてくれました‼ みんなも聞いていて違和感を覚えなかったかな? 沈まない役があることに。……じ、つ、は、ねぇ。プールの中に大量の食塩を入れてまーす! ようするに海水に近い状態にしているってことなんだけど、それによりなななんと沈みません、体が! ここまで言ったら賢いみんなは分かったかなぁ? つまり沈まない役の人が水中奥深くにあるロープを切ることは、とっても至難の業なんだっ‼》

 沈まない、水。それでは一体どうやって沈む役をする相方を救えというのだろうか。戸惑いは不安に変わり、不安は恐怖に変わる。

《さぁ、これまでで一番難しい【ゲーム】の〈沈む馬鹿と沈まない阿呆〉。みんながどう攻略するのか俺は楽しみだよ!   

Let’s start‼》

 掛け声と共に開かれたプールの巨大な蓋。現れたそれぞれの相方達。壁に設置されたストップウォッチは、ゆっくりと十分のカウントダウンを始めた。もう後には引けない、なんて今更だ。【ゲーム】はとうの昔に始まりを告げている。

「ど、どうしよう……。早くしなきゃ、瑞樹がっ‼」

「落ち着いて、柚葉ちゃん。まずはプールに入ってみよう」

「う、うん………」

 狼狽える柚葉を樹眞が促し、二人はプールにそっと足を踏み入れた。その瞬間感じさせられた、普通のプールの水との違い。

「な、なにこれ⁉バランスとりにくいよっ」

「これは……本気でやばいな。一人じゃとてもじゃないが潜れそうにない」

 腰に浮き輪を付けている状態とでもいえばわかりやすいのか。沈もうとしても弾力性があり沈めない。まさに沈めない役、だ。

「……柚葉ちゃん、ここは協力しないか? このままじゃ埒が明かない」

 潜ることを早々に諦めた樹眞は、残り時間を一瞥した後、柚葉にそう持ちかけた。特に打開策が見つかっているわけでもない柚葉は、その提案に目を瞬かせながら首を傾げる。樹眞は作戦を伝えるべく、柚葉に顔を近づけた。

 一方瑞樹と亮は水中にいた。此方は此方で手足を縛るロープを外そうと奮闘しているようだ。けれど当たり前だが、ロープもそう易々と外れるような縛り方はされていない。しかも、下手に動き過ぎると酸素ボンベの酸素を早く使い切ってしまうだけなので、二人とももどかしそうだ。

 そんな中ふと水面を見上げてみれば、なにやら柚葉と樹眞が顔を寄せやって作戦を練っているではないか。瑞樹は助かる糸口がありそうだと僅かながら安堵する反面、嫌な違和感を覚えた。その原因は何かと思案して数秒、あることに思い至る。瑞樹と柚葉を繋ぐ糸は相変わらず橙色。亮と樹眞を繋ぐ糸も相変わらず橙色。では瑞樹と亮を繋ぐ糸、柚葉と樹眞を繋ぐ糸は何色なのか。見えたのは、今まで見たことのない白い、糸。

 示す想いは一体どんな想いなのだろう。瑞樹は一瞬今の状況も忘れて思い見た。

 その頃、ようやく作戦を練り終わったらしく、柚葉と樹眞は準備に取り掛かり始めた。といっても必要な物があるわけでもなく、重要なのはバランス感覚とタイミングだけ。その作戦とは、まず樹眞が頭の頂点をプールの底に、足の裏を水面に向けて真っ直ぐになる。この時出来るだけ深く潜ることと真っ直ぐになることがポイントだ。そして水面付近にある樹眞の足の裏の上に柚葉が立つ。たったそれだけである。 しかし圧力を理解している人ならばわかるように、一点に体重が集中すれば集中するほど圧力は強くなり深く潜れる。更には真っ直ぐに立つことにより全長も長くなる。まさしく一石二鳥だ。

「よし。柚葉ちゃん、やってみようか」

 いつのまにかストップウォッチも着々と進み、残り時間は約三分。焦りつつも、作戦にはバランスとタイミングという繊細な技術が必要なため、無理やり深呼吸で逸る気持ちを落ち着かせながら挑む。一秒一秒が、重い。

《残り一分! そろそろ諦める準備をしておいてねぇ》

 嫌味な[名無し]の放送がかかる。それと同時に、上手く柚葉が樹眞の足に乗ることができた。後は自然にゆっくりと沈むので、バランスを崩さないように気を配るだけ。もう少しで、沈む役の相方を助けられる。

 樹眞の手が亮の足と錘を繋ぐロープに触れた。幸いナイフの切れ味は良く、ロープ自体はあっさりと切れる。錘が、外れた。

 そうしてなんとか足が自由になった亮と、息が続かなくなった柚葉、樹眞は一旦水面へと上がることに。残るはあと瑞樹だけだ。

「樹眞君、やったね‼早く瑞樹を助けに行こう‼」

 柚葉が初めに亮を助けることにした理由は単純明快。ただ単に、樹眞がこの作戦を持ちかけてきたので、初めは譲るべきだと思ったからだ。

 けれど、ここで柚葉の計算外の出来事が起こった。

 ピピピ、ピピピ、ピピピ、ピピピ―――――……

 酸素ボンベ内の酸素がなくなる十分が来てしまったのだ。瑞樹の様子から判断する限り、まだ僅かに酸素は残っているのだろうが、おそらく一分と持たないだろう。しかも考えてみれば、今回に限って[名無し]は【ゲーム】の終わりを明確にしていない。わかっているのは酸素ボンベ内の酸素が持つ時間、そして助けたら終わりということだけである。[名無し]に聞いてみても

《さあねぇ。人間自分で考えて判断することも大事だよ、うんうん》

 と、曖昧にはぐらかされてしまう。しかし告げられてはいないが[名無し]の事なので、ルール違反を犯したらほぼ間違いなく殺されるだろう。

「悪いが俺達にはリスクを冒してまで瑞樹ちゃんを助ける理由がない」

 だから、樹眞のこの発言は予想の範疇だった。確かに四人は知り合って間もなく、命を賭けるほどの仲ではない。

 しかし、予想外だったのは後に続いた言葉だ。

「それに正直、これは作戦を持ちかけた時から予想できていたことだ」

「なっ! なによそれ! それじゃあ私を利用したってこと⁉」

「ああ、そうだ。俺達は俺達が生き残るために動いたまでだ。……それより話なんかしていていいのか? 瑞樹ちゃん、本当に死ぬぞ」

 柚葉は裏切られたと憤慨するが、悔しいことに樹眞の言う通り怒っている時間はない。今こうして話している間も着実に時間は進み、瑞樹の限界も近づいている。もはや一刻の猶予も許されない状況なのだ。 それなのにこの調子では樹眞と亮は協力してくれないだろう。

 柚葉は必死に方法を考える。瑞樹の命がかかっているのだ、リスクとか、そういうものを考えている余裕はない。

「っ―――――……。何か、何かないの? 瑞樹を助ける方法はないのっ?」

 瑞樹の酸素ボンベの酸素が無くなり、吐き出された気泡が水面まで浮いてくる。そこで柚葉はハッとひとつの可能性に辿り着いた。酸素ボンベなしで持つのは良くて一分、最悪は一瞬。柚葉はそれ以上考える間もなく実行した。

 そのとき、既に酸素不足で意識が朦朧としていた瑞樹に見えたのは、決死の面持ちで近づいてくる柚葉だった。

 人間が水に浮くのにはいくつか理由があるが、その中のひとつに、肺に空気が入っているからだというのがある。体型などの個人差があるから一概にはいえないが、逆にいえば肺に空気が無かったら人間は沈むのだ。もちろん、肺に空気が一切ない状態で潜るなんて自殺行為も甚だしいのだが、状況が状況。柚葉はハイリスクなことも覚悟の上で、瑞樹のために実行したのだ。

 急ぎ瑞樹の足と錘を繋ぐロープを切る。そして既にほとんど意識のない状態の瑞樹の体を支え、水を蹴って水面へ向かおうとした。

 しかし、ここで問題が一つ生じる。酸素がなくなり息が出来なくなってしまった瑞樹は、どうやら急性呼吸困難に陥ってしまったらしい。柚葉の事すら認識できずに、激しくのた打ち回り始めた。この際力尽くで連れて行こうとするが、水圧で体が動かしにくいためなかなか上手くいかない。それでもどうにかしようと悪戦苦闘していると、ふっと瑞樹の体が動かなくなる。これはいよいよまずい状況になってきたと、柚葉は感じるはずのない冷や汗が頬を伝う気がした。

 急いで大人しくなった瑞樹の体を支えて水面に上がり、プールサイドに瑞樹の体を横たえて、口元に手を添える。しかし、息を感じない。胸も、上下しているには見えない。

「うそ……。息、……して、ない――――――」

 柚葉の頭が、真っ白になった。

「あ……い、や…………うそ、うそっ! 瑞樹‼ 瑞樹ぃ‼」

 視界がぼやける。頭が回らない。息が出来なくて喉が痛む。

 柚葉は、目を覚ましてと願いながら瑞樹の体を揺さぶった。

「柚葉ちゃん、落ち着けって! まだ瑞樹ちゃんが死んだとは限らないだろっ」

「……え?」

 柚葉を正気にするために、肩を揺すりながら掛けられた亮の言葉に、柚葉の涙と手が止まる。藁にも縋る、まさしく今現在の柚葉はそんな気持ちだ。

「亮の言う通りだ。おそらく瑞樹ちゃんは窒息による仮死状態に陥っているんだと思う。見ていた限りでは、チェーンストーク(終末呼吸)までは症状が酷くはなっていないみたいだし。それならまだ救命措置次第で何とかなったはずだ」

 あんなにも憎らしかった樹眞の冷静な発言に、柚葉は希望を見出す。

「お、お願い‼ 瑞樹を助けてっ‼」

 必死に振り絞って出した声は、涙声で震えていた。

「当たり前だろ! もしこんな目の前で死なれたら目覚めが悪すぎるしな。瑞樹ちゃんは、絶対俺らが助けるよ!」

 堂々と胸を張って笑う亮に、柚葉はどれほど救われたことだろうか。

「―――げ、ほっ」

 心臓マッサージを繰り返すこと数分。柚葉の命懸けの救出活動と樹眞と亮の救命措置のおかげで、水を吐いて咳き込みながらも瑞樹は意識を回復した。柚葉はそのことに、言いようのない安堵を覚える。

 そして、その直後にかかった[名無し]の放送。

《はい!これでみんなクリアか死んじゃうかしたねぇ》

 何の意図があってかは知らないが、おそらく[名無し]は瑞樹が息を吹き返すまで待ってくれていた。大もとを辿れば全ての原因は[名無し]にあるのだが、柚葉はそのことに何だか感謝したくなる。もちろん亡くなった人のこともあるので実際にそんなことはしないが。  

 そうして瑞樹は何とか一命を取り留め、このことで樹眞と亮も自分達本位だっただけで、決して瑞樹に死んでほしかったわけではなかったことが証明された。しかし、彼らのせいで瑞樹が死にかけたのもまた真実で。柚葉は瑞樹が助かったことを心底喜ぶ反面、二人の裏切りとも無慈悲ともいえる行動が気にかかって、内心穏やかではいられなかった。



○鬼退治する鬼ごっこ○


 【ゲーム】開始から大分時間も経ち、いつのまにか空では星が瞬いている。先の【ゲーム】が室内プールであったため気付かなかったが、もう日はすっかり落ちきっていた。【ゲーム】終了の二十四時間まであと少しだ。

《なんだか眠くなってきちゃったね……。ま、今のみんなは一旦寝たら二度と目が覚めないだろうけどさ。でも安心して! 次が正真正銘最後の【ゲーム】だよ‼》

 現在生き残っているのは僅か十人弱。しかもその全員が精神的にはもちろん、肉体的にも限界が近づいてきていた。というよりも、既に限界値を吹っ切っている状態といったほうが正しいくらいだろう。だから、今の[名無し]の言葉に全員が希望を抱き、目の色を変えた。その希望を切り捨てるのもまた、[名無し]なのだけれど。

《もう少しだから頑張って‼ 上手くいけば半分はきっと生き残れるよ! まあ逆に言えば、上手くいっても半分しか生き残れないともいうんだけどぉ》 

 [名無し]の不吉な発言に、微かに上向いていた雰囲気が再びガクッと下がる。ここまできて、今更相方を捨て置ける人などいるはずもないのだから当たり前だ。

 瑞樹と柚葉も、情けなく眉尻を下げた表情でお互いの顔を見合わせた。言葉こそ発しないが、焦げ茶と濡れ羽色の瞳が不安を如実に語っている。

《ラスト【ゲーム】のルールを教えちゃうよ! お前ら心して聞きたまえ! 今からみんなには、そこにある特殊な作りをした腕輪を付けてもらいまっす。そしてそれを付けたうえで、みんなにはペアで鬼ごっこをしてもらうよ! 片方が鬼役、片方が逃げる役ってわけね。鬼役の人は腕輪が赤色に光るから一目瞭然だよ。制限時間は一時間。始まりからちょうど一時間後に鬼だった人には、罰ゲームとして死んでもらっちゃいます。その場合、鬼役がつけてる腕輪が爆発するから、心中とかももちろんしていいよぉ。それじゃあじゃんけんでもして初めの鬼を決めてね。……決まったぁ? では、最後の【ゲーム】〈鬼退治する鬼ごっこ〉Let’s start‼》

 [名無し]が話している間に、側にあった大袋に入っていた青い腕輪は全員が着けている。今は全ての腕輪が青いが、どういう仕組か鬼になると赤くなるらしい。

 しかし、[名無し]の話を聞き終わった以上、疑うこともせずに着けてしまったそれを瑞樹は壊したくなった。確かにこのルールでは、[名無し]が先ほど言った通りどれほど上手くいこうと半分しか生き残れないだろう。

「……柚葉は生き残って、なんて言っても聞いてくれないよね」

 瑞樹が始めみたいにせめて柚葉だけはと言わないのは、不本意ながらこの【ゲーム】のおかげで益々お互いを理解し友情が深まったからか。

「当たり前だよ。だって瑞樹も私を見捨てて生き残ってって言っても聞いてくれないでしょ。ここまで着たらさ、死ぬ時ときも生き残るときも一緒だよ」

「ははっ、なんかプロポーズみたい。死ぬときも生き残るときも一緒なんて」

 瑞樹は笑って見せるが、それは力ない笑い方だった。今までの【ゲーム】とは違う、終焉には死しか待ち受けていない今回の〈鬼退治する鬼ごっこ〉にやはり気が滅入っているのだろう。あくまでも可能性だった死を、改めて確定されたものとして突きつけられる悲しみは察するに容易い。

「ねえ、……柚葉。どうせ死ぬんだったら、[名無し]に会ってみたくない?」

 沈む気を紛らわすために、そして少しでも足掻くために、瑞樹は柚葉に話を振る。柚葉は少しの間考えるしぐさを見せた後、はっきりと頷いた。

「会いに行こう。私も[名無し]に会ってみたい」

 既に亡くなった人の中には、相方に裏切られて最後の瞬間まで憎んで死んでいった人も、[名無し]を恨んでペアで死んでいった人もいる。憎悪の糸に誰かを繋ぎながら亡くなった人の気持ちなんて瑞樹は知りたくもないが、その想いを無下にすることも見える身としては心苦しい。[名無し]に会って何かできるとも、何か変わるとも思えないが、こんな残忍なことを仕出かした犯人に一矢を報いたかった。

「あ、瑞樹ちゃんに柚葉ちゃん……」

「二人とも、どうしてこんなところに?」

 [名無し]に会うために放送室に向かう途中、瑞樹達は亮と樹眞に出会う。

 あの二人が互いを殺しあうとは思っていなかったが、こうして無事に生きているのを見ると瑞樹は安心するのを感じた。ここに来るまでの間に、瑞樹達はここにきて互いを裏切って殺しあうペアをいくつか見ていたのだ。

「放送室に行っているの。[名無し]に会いたいから」

「そっか……。俺達も同じだ。何もせずに死を待つなんてごめんだからな」

 その言葉にそれぞれが視線を巡らせ、すっと顎を引く。言葉を通わさずにやり取りしたのは、どういう最後になろうとも後悔しないという、もしものための覚悟だ。そしてその流れで放送室に四人で向かいながら、瑞樹はふと前の【ゲーム】で見た、自分と亮、また柚葉と樹眞を繋ぐ白い感情の糸のことを思い出した。

 間もなく着いた放送室と書かれた標識の下、四人はドアの前に佇んでいた。誰がドアを開けるのかしばし無言の攻防をし、それから瑞樹が意を決してドアの取っ手に手を伸ばす。     

 鍵が掛かっていると思われたドアは、予想に反してなんの障害もなく開いた。

「ようこそ、放送室へ!誰が来るのかと心待ちにしていたよ」

 放送とは違ったノイズのない声が響き、四人は一斉に視線を声の発信源と思わしき方へと向ける。電気のついていない薄暗い部屋の奥に、男が一人腰かけていた。

「お前が[名無し]か?」

「君達はそんなことも聞かないとわからないのぉ?」

 思わずイラッとしてしまう、語尾を伸ばした小馬鹿にするような話し方に、四人は彼が[名無し]だと確信する。赤茶色の癖毛に緑色の瞳。色彩だけ見るとまるで外国人のようだが、顔の造形からしておそらく[名無し]は日本人だろう。

「わざわざここまで来て何の用かな?もしかして今すぐにこの【ゲーム】を止めろとか言いに来たわけ?はは、ざぁんねーん。こんなこと君達に言うのもどうかと思うんだけどさ、俺ってあくまでも雇われ司会進行役なわけ。好きでやってることは否定しないけどさぁ、俺にはなぁんの決定権もないよ!」

「雇われ司会進行役って……。誰に雇われているの?」

 ペラペラと何も聞いていないのに話す[名無し]の言葉が引っ掛かり、瑞樹の眉間に皺がよる。柚葉が聞き返した内容は、四人ともが疑問に思ったところだった。

「そんなの言うわけないじゃん。それに俺が答えたとしてもさ、君達はそれを馬鹿正直に信じたりしないでしょ。ま、俺は優しいからヒントだけはあげる。俺を雇っているのは国家機関に影響を及ぼせるような人達で、もちろん経済的にとても裕福で、こんな酷い【ゲーム】を楽しんでいるような人達で、しいて言えば…………なんて言えばいいのかな」

 そこまで言って、[名無し]は困ったように眉尻を下げる。演技ではなく、本当に言葉が見つからなくて困っているようだ。

「きっと会ったことはなくても、君達が見たことのあるような人達ばかりだよ。例えば大手企業の重役とか、どっかの国の政治家とか」

 ゆっくりと噛み締めるように[名無し]は呟いた。

 まだ高校生の四人にとっては次元の違いすぎる人々が想像され、自然と四人は閉口する。ある程度の予想はついていたが、実際に言われるのとではまた感覚が違う。

「―――じゃあ、この腕輪を外す方法は?」

 重苦しい雰囲気を断ち切るように、樹眞が言葉尻強く[名無し]に問うた。

 それこそが、彼ら二人がここに来た本来の理由なのだろう。

「……ここに鍵、あるよ。君達のペア一方になら渡してもいいけどぉ」

 元の調子を戻して告げた[名無し]の言葉に、目の色を変えたのは一体誰だったのか。

 先に決断し、行動に移したのは亮と樹眞の方が早かった。咄嗟に近くに立っていた柚葉を突き飛ばして前に出る。

「その鍵、俺達にくれ‼」

 にたりと[名無し]は粘り付きそうな笑みを作った。

「俺は別にそれでもいいけどぉ。女の子達はいいの?」

「っ――――……」

 柚葉を支えた瑞樹が何かを言おうと口を開くが、亮達に目できつく牽制されて言葉が出ることはない。先程までとの変わりように、柚葉は無意識に息を呑んだ。

「んじゃ、はい、どうぞっと!」

 ズボンのポケットから出した鍵を、[名無し]は大きく振りかぶって放送室の端まで投げた。瑞樹達には目もくれず、亮達は鍵に飛びつく。

 最終的に爆発するという、樹眞の着けている赤い腕輪に亮が鍵を指した。そのまま左に鍵を回すとカチッと音がする。

 瑞樹の瞳に、自分達を繋ぐ白い感情の糸が切れるのが映った。

 ドカーン―――……ドタッ、バタッ、ガシャン

「あは、ははははははははははははははははははははははははははははははっ」

「え……?」

 響いた轟音。壁が崩れて、窓ガラスが割れる。熱風が瑞樹達の髪を煽った。

「う、そ。なんで、爆発した、の……?」

「はは、俺がそう易々と助からせてあげるわけないじゃん。あれにはねぇ、開け方ってもんがあるんだよ!ほら、君達にも男の子達にあげたのと同じ鍵あげるからさ、やってみなよ。大丈夫、君達は最後の生き残りだからね。殺さないよ」

「さ、いご?私たちが最後の生き残り?」

 驚きと戸惑いの連続に二人の頭がついて行かない。

爆発によって生じていた煙が晴れるが、生きて笑う亮達の姿は見当たらなかった。

「そうだよ、君達が正真正銘最後の生き残り!ああ、安心してよ。俺は都合の悪いことを話さない事はあっても嘘はつかないから」

「ちがっ、そうじゃなくて……。ペアの片方が死んだ人は、生き残れるんじゃなかったの?その人達はどこに行ったの?」

 [名無し]は始め、二十四時間経つかペアのどちらか一方が死ぬと【ゲーム】終了だと言った。だからこそ、自分だけでも生き残るために裏切りが多発したのだ。そして今までの【ゲーム】中に片方に死なれた人達は、【ゲーム】終了ということでどこか瑞樹達とは違うところに[名無し]の指示で向かっていた。瑞樹達が最後の生き残りというならば、その人たちは一体どうなっているのだろう。

「そいつらなら殺したけど?だって俺、【ゲーム】終了とは言ったけど生き残れるとは一言も言ってないしぃ。君たちが勝手に、片方が死ぬと自分は生き残れるって都合よく解釈したんでしょ?」

 瑞樹と柚葉は目の前が真っ暗になったように感じた。今まで自分たちが悩んでいたことが馬鹿みたいだ。確かにある意味では[名無し]は一言も嘘はついていないし、瑞樹達自身が無意識のうちにそう勝手に解釈してしまったことある意味事実だ。詰まるところ、巧妙に張り巡らされた罠によって、全ては[名無し]の思い通りになっていたということなのだろうか。生き残るために相方に裏切られた人も、相方を裏切った人も、これでは浮かばれないだろう。

「ま、もう死んだ人の事なんてどうでもいいんだけど。ほら、君達腕輪付けた手を貸してよ。外してあげるって」

 再び先程と同じズボンのポケットから鍵を取り出した[名無し]が飄々と近づいてくる。瑞樹達は警戒して構えるが、[名無し]は一切気に留めた様子もなく柚葉の青い腕輪に手を伸ばした。

「ほら、赤い腕輪が爆発するって聞いたらさぁ、普通そっちを先に外そうとするでしょ。ペア同士が仲間割れしたとしても、しなかったとしても、爆発されると不都合なのは二人共同じだからね。それを逆手にとって、これは青い腕輪から外さないと爆発する仕組みになっているんだ!よく考えてるよねぇ」

 はい、外れたよと笑いながら[名無し]は二人に着く腕輪を外した。けれど当然ながら感謝の念なんて微塵も湧き上がらない。感じるのは憎悪と嫌悪だけだ。

「これで本当の【ゲーム】終了。君達生き残ってよかったねぇ。はは、それじゃあ俺はそろそろお暇しようかな。君達も後のことは気にせず帰ってもいいよ」

「……なんで?なんでそんなに平然としていられるの⁉人を、……人をたくさん殺したくせに‼」

 用事は終わったといわんばかりにあっさりと背を向けた[名無し]を、瑞樹はとっさに引き留める。間接的とはいえ人を殺しておいて、瑞樹達をこんなに振り回しておいて、平然と帰ろうとする[名無し]の神経が理解できない。

「―――――こんな目にあった君達がこれからどう生きていくのか、俺達は楽しみにいているよ」

 瑞樹の問いには答えず、[名無し]は顔に薄っぺらい笑みを張り付ける。そして今度こそ、本当に歩き出した。

「言い忘れてたけど、白い感情の糸が表すのは無関心、だよ」

「え?」

「瑞樹ちゃん、不思議な能力を持つのは君だけとは限らない」 

 そう言い残して去っていく[名無し]の後姿を見ながら、二人は呆然とするほかなかった。瑞樹達が[名無し]の最後の言葉の意味を理解するのは、後ろ姿が見えなくなった少し後だった。

 そして、其れは終わった。



○Epilogue○


 あの、二人と[名無し]を残して全てが血に染まった【ゲーム】から早数年。瑞樹と柚葉の友情は変わることなく、否、年々橙色の糸を太くしながら過ごしてきた。というよりもあまりにも事件が突飛すぎるため、誰かにも言うわけにいかず、過ごさざるを得なかったという方が正しいのか。

 【ゲーム】の後、色々なことがあった。まず極度のストレスやら何やらの所為でその後体調を崩した二人が学校に行けたのは、【ゲーム】終了から二週間後。行ってみると、当然のように血痕から死体から何から何まで跡形もなく消されていた。また、【ゲーム】で亡くなった数十人の生徒、樹眞や亮達は行方不明という形になっていた。そのことからも分かるように、やはり[名無し]が言っていた通り【ゲーム】主催者たちと警察は裏で繋がっていたのだろう。また、学校側がどこまで知っていて、どこまで通じているのかは結局最後まで分からず終いだった。しかし、【ゲーム】後情緒不安定で保健室通いの学校生活を送っても何も言われなかったことから察するに、全く何も知らないわけではないのだろう。

 本当にあの一日は悪夢のようで、ありえないことのようで、嘘のようなことだった。けれどまぎれもなく、あれは実際に起こりえたことなのだ。証拠に【ゲーム】直後行方不明という形になった者達は、誰一人として見つかっていない。それも、本当は既に死んでいるから当たり前のことなのだが。

 それから比べようがないためそれが良いことなのか悪いことなのかはわからないが、瑞樹はあの【ゲーム】後、能力をあまりあてにしないようになった。【ゲーム】で人の気持ちの移り変わりやすさや、能力があっても役に立たないことについて嫌というほど学ばされたからだ。

 そして、【ゲーム】後唯一良かったことといえば、瑞樹と柚葉との友情が益々強固なものとなり、生涯最高の親友といえるまでになったことぐらい。生まれた時から能力を持っており、【ゲーム】以前から多少人間不信だった瑞樹はともかく、柚葉はあの【ゲーム】が決定的なトラウマになってしまった。その所為で容易に人を信用できなくなってしまったのだ。その影響もあり、【ゲーム】後は互いに親しい友達をほとんど作ろうとしなくなっていた。

 そして、【ゲーム】後嫌だったこと、困ったことはたくさんあったが、数年たった今でもとても困っていることがひとつある。

ピンポンパンポーン

《迷子の呼び出しをします。赤い帽子をかぶった………》

 それは、放送に対しての過剰なまでの拒否反応だ。放送が入る、ガチャという音を聞いただけで、神経を尖らして構えてしまう。しかし、あの【ゲーム】の始まりともいえるそれには、今でもどうしても慣れることができないのだ。

「ねぇ柚葉、今―――――――あの……、あの[名無し]を見た気がするんだけど……。気のせい、だよね」

「なっ!―――――――気のせいに決まってるよ」

「そう、だよね。ただの気のせいで、考え過ぎだよね。」

 先程の迷子の呼び出しの続きでもあるのか、再びガチャという放送が入る音がする。何故か今更蘇るあの日の光景。

「また、【ゲーム】が始まるなんてさ」

《えー、テステス。これ聞こえてる?聞こえてるよね?》

 瑞樹の声に、スピーカの向こう側から聞こえてきた声が被る。

 聞き覚えのあるその声は、一体誰の声なのだろうか。

 


 こんな【ゲーム】きっと嘘だ。だって現実的にありえない。

 けれど、本当にそれは嘘なのだろうか。ありえないことなのだろうか。

 だって根拠は? 理由は? この世に知らないことなんて溢れているはずなのに。

 ほら、今この瞬間だって、知らない所で【ゲーム】が始まっているかもしれない。


《Which of betraying it is it?》

      ―――裏切るのはどちら?―――


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― 新着の感想 ―
[良い点] 整っていて、過度な改行があるわけでもないのにさらさらと読みやすい文章。長くなりがちなバトロワ系の物語を、短編で上手く纏められている。 個人的にですが、心情表現と情景描写のバランスも好みです…
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