第一章『迷宮の探索』(2)
真達は驚きと混乱に襲われるが、澪斗が機嫌を悪くして銃を手にしないか咄嗟に心配した。
澪斗はふっと目を閉じる。そして、一歩前に出て深々と腰を曲げて頭を下げた。
「私は、警備会社ロスキーパー中野区支部正社員、紫牙澪斗と申します。本日は特殊生物工学開発部部長様に依頼を受け、参上した次第であります」
うやうやしい響きを込めた、前代未聞のその声色。ずっと上がらない彼の頭を、全員が目を見張って直視していた。
「そ……そう……、そういうことね、アレの仕業なのね。このようなふざけた真似を……。これは勝人様にもご報告しなければ」
動揺を隠し切れていない奥方が、一歩たじろぎ、執事を睨む。執事は深く深く頭を下げた。おろおろと、残された警備員達はどう対処していいか困る。
「豊臣! アレにしっかり言っておきなさい! ……下賤な者を氷見谷に入れるなと!」
肩を怒らせて、奥方はホールの方向へ去っていった。その後をそそくさとメイド達が追う。間を置いて、ゆっくり澪斗は体勢を戻し、前髪を払った。
「……今のお方が、旦那様の奥方様、氷見谷蘭様でございます。本日旦那様とお会いになるご予定がありましたので、本邸にいらっしゃったのかと存じます」
「は、はァ……」
「おい、ゲセンってどーゆー意味だ?」
「うーん、知らない方がいいと思うよ」
「ねぇ澪斗、どしたの? 流石の澪斗も大富豪には敵わない?」
好奇と僅かな驚きも含めて、希紗が澪斗に問う。言葉の後半は皮肉も入っていた……のに。
「貴様の言うとおりだ。俺はあの場での最善の策をとったまで。……大富豪には敵わん」
肩をすくめて言う澪斗が、らしくない。まるで冗談を言っているようで。澪斗はふざけたコトは言わないし、しない。いつでも全力投球で、相手が子供だろうが女性だろうが……それこそ大富豪であろうが躊躇い無しに発砲する。――――その澪斗が。
「皆様、お気を悪くしないでください。奥様は警戒心のお強い方なのでございます」
「あははー、こういうのは慣れてるんで、大丈夫ですよ」
特にフォローするわけでもなく、真は首を振る。実際に、こういった対応をされるのはよくあることなのだ。ただ、流石にいきなりの指名には驚いたが。
引き続いて、豊臣は何事も無かったように案内を再開する。T字路になり、左右の通路と正面に両扉。「こちらから参ります」と、先頭を歩いていた遼平へ両扉を指す。
それに従って真はゆっくり扉を押し開け……冷ややかな風が、彼の金髪を優しく舞い上げる――――。
「……は……?」
部長の唖然とした間抜けな声。純也達が何事かと首を覗かせた時、室内から『カコーン……』と澄んだ音がした。
そこに広がっていたのは……川が流れる日本庭園。
「お……おい、ココは関東だよな?」
「っていうか、むしろ屋内のはずだよ……っ?」
「どうして川が流れてるの!? 水車とかあるわよっ!?」
「『ししおどし』まであるで……! この扉はどこ●もドアか!?」
「真、貴様その単語は今の人間にはわからんぞ……」
庶民(もしくは貧乏人)らしく、眼前に広がる部屋に興奮する警備員達。執事豊臣が、当たり前のようにスタスタと日本庭園の中へ歩みゆく。「どうぞ、お入りください?」と促され、恐る恐る石畳の道に足を乗せる。空気はヒンヤリとしていて心地よかった。
「旦那様は大変和風庭園を好んでおられまして、ここは旦那様の趣向によりこのような体裁になっているのです」
「あのー、開発部のお部屋のほうは……?」
「はい、この部屋を真っ直ぐ通過した方がより近道ですので、ここをご案内させていただきます。この部屋を迂回してまいりますと、二十分ほどの遠回りになりますが?」
「……喜んで通過させていただきます」
小川の流れる涼やかな音と、水車の回る響き。マイナスイオンが含まれているであろう爽やかな風。時折落ちるししおどしが、何度も『カコーン……』と趣深い声を立てる。……まさに、純日本庭園。
豪邸の中の異世界を歩くこと十分ほど、取って付けたような不自然さで、やっと先程と同じ両扉が現れる。その直前には、川の上流であろう滝まであった。
扉をくぐると、再び赤い絨毯の廊下。左右から通路が合流しているのを見ると、どうやら先程の別れ道はここで繋がっているらしい。確かに、あれだけの規模の部屋を迂回すれば、二十分以上余計にかかりそうだ。
「旦那様が趣向を懲らされたお部屋は、楽しんでいただけましたでしょうか?」
「はい……一時的に現代社会にいる事を忘れました……」
「おい執事のジイさん、まだこんな部屋があるのかよ?」
「もちろん、旦那様の一族の方々、それぞれ珠玉の部屋がございます。あとは……浜辺で遊べる『渚の部屋』や、忍者体験ができる『からくり部屋』、宇宙を満喫できる『無重力の部屋』など多数がございます」
「わーっ、僕『からくり部屋』行きたーい!」
「浜辺に行きてぇー」
「私は『無重力の部屋』がいい〜!」
「あんたらなァ、仕事で来たんを忘れるなや。……ところで豊臣はん、後で記念写真を撮ってもエエですか?」
「もちろんでございます。プロのカメラマンが常時控えておりますので、いつでもお呼びください」
「…………もう貴様ら帰ってくれ……」
うかれまくっている真達に、澪斗は額を押さえて深く俯く。すっかりテーマパークに来た観光客みたいになっていた。
今度は、大きな通路の側面に、左右それぞれまた両扉。執事は左の扉の前に立つ。
「この扉からずっと真っ直ぐ行った場所が、開発部研究室でございます。私はここで待機しておりますので」
そう言って、豊臣は扉の脇に背筋を伸ばして綺麗な直立姿勢になる。澪斗が何か言おうとしたが、その前に真が扉を押していた。先に入ってしまった四人を追って、澪斗も部屋に足を踏み入れる。
「え……なんやココ……!?」
室内からの閃光に目を閉じ、明るさに慣れてきて瞳を開けた時、またもや驚かされた。
まさか、そんな、有り得ない、このような――――――密林のジャングルなんて。