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第五章『偽りと銃声』(6)

「何をされているのです、兄上?」



 穏やかで、丁寧なのに、険しく響くその声は、その場全ての人間の呼吸を止めた。


「れ……いと……」


 聖斗が振り返ると、真と純也が呆然と空けた空間に、遼平に肩を貸した澪斗。真っ直ぐ厳しい瞳で、ただ、兄を見つめていた。


 だが、視線だけで何かを兄に訴えたのだろう、澪斗はすぐに蘭に振り向く。


「蘭、豊臣は俺が始末した。ここまでだ」

「まさか、豊臣があんたに!? 死になさいよ……とっとと死になさいよぉぉ!!」


 狂気と化した女の指が、引き金を引く。……が、照準が定まっていないために壁に弾丸を撃ち込んで終わる。

 冷たく見下した眼で蘭を睨んでから、澪斗は左腕で何かを背後から引っ張り出した。


 ……ひどく怯えて震えた様子の、勝太を。


「母様……」

「勝太!? そ、その者から早く離れなさい!」


 澪斗は勝太を引き留める様子もなく、手を離されて少年は駆け出す。勝太は、母親の持つ銃に震えながらも抱きついた。


「母様がココに入った後に聖斗や純也が入って……俺、どうしたらいいかわからなくて、そしたらあの男が来て……」

「地下への階段の前で見つけたのでな、連れてきてやった。感謝しろ蘭、最期に息子に会えたことを」


 それはあまりに残忍な慈悲。遼平の身体を真に預け、澪斗は腰から銀色に光る銃を抜く。



「春菜の仇、討たせてもらおう」



 迷い無き銃口は、怯える女性へ。十二年の月日を隔て、ついに澪斗が望んだ結末が、今。





「やめろこの……っ、悪魔がぁぁ!」


 誰もが諦めたように見えたそこで場違いなまでに甲高い声で叫んだのは、勝太だった。瞳に涙を溜めながら、蘭の前に立つ……が、彼の背丈では当然足りない。母親の左胸へ向けられた照準を妨げるには、身長が足りない。

 ところが、その勝太の行動は確かに蘭の死を防いだ。母親が、その息子を盾にしてしゃがみこんだのだから。


「しょ、勝太ぁぁ……!」

「……蘭、貴様は実に外道だ。息子を盾にしてまで、己が命を繋げたいか」


 その言葉に我に返ったのか、急に強く息子に抱きついた彼女を、それでも軽蔑した視線で睨む。澪斗が躊躇う理由など、どこにもなかった。


「ならば良かろう、息子と共に死ねば。俺は誰を殺そうと構わない、春菜の仇が討てるのなら」


 怯えて震える母子を見下ろす彼の瞳は、今まで殺してきた者達へとは違う色。無感情ではなく、いつよりも激しい感情が渦巻く色。



「やめて澪君! もうやめてよっ!」



 ついに耐えきれなくなった純也が叫び、蘭と勝太の前に立つ。飛び出していった純也の背に遼平が何か言い放ったようだったが、その声は弱々しくて聞き取れなかった。


「どけ純也! 撃たれたいのか!!」

「こんなこと……っ、誰も望まなかったのに!! 聖君だってこんなの望んでいなかった! もう終わりにしようよっ」


 澪斗が今歯を食いしばっているのは、それは決して迷いではないと誰もが断言できる。怒っているのだ、己が目的を妨げる者に。


「『もう終わり』だと? この終焉は、その女の死をもって迎えられるのだ! その畜生が死なぬ限り、俺の復讐が終わることはないっ! 言っただろう、俺は『誰を殺そうと構わない』と!!」


 仲間さえ、純也さえ殺せる、今の彼なら。それが誰にだってわかっているから、遼平は必死に純也の名を呼んでいた。一人ではもう歩けない脚で、立とうとしながら。


「復讐なんて、もう、やめようよ……人を殺すのに、正しい理由なんて無いっ!」



「貴様に…………大切な人間を失ったことの無い貴様に、何がわかる! 過去の無い貴様に、一体命の何がわかると言うのだっ!!」



「……っ!」


 それは、その言葉は、純也の心の最も弱い部分をえぐる音だった。あまりに残酷な言葉、しかしその咎を誰が責められるだろう。

 責められる者など、いないのだ、ココには。純也以外の仲間達の脳裏には、過去に失ったそれぞれの大切な人間がよぎる。大切な人間を失った時のあの絶望、憎悪。あの感情を治められる者が世界にいないことを、彼らは知っている。



 ――――だから、誰も、何も言えなかった。




 ずっと握り締められていた純也の拳から、力が抜ける。力なく垂れた身体は、小刻みに震え始めて。


「なら……それならさ…………澪君にはわかるはずだよね、大切な人を失う痛みが。僕にはわからないその激痛を、今度は勝太君に味わわせるの……!?」


 瞬間、澪斗の視線が純也から勝太に移る。そこで初めて、彼の表情に戸惑いが浮かんだのを、俯いたままの純也はわからなかったが。勝手に震える引き金にかけた指に、左手を無理矢理添える。


「……勝太、と言ったか。貴様、母親が目の前で死ぬのは苦痛か?」

「あっ、当たり前だろ! 俺の大切な母様なんだっ!」

「そうか……」


 口元を引き上げた奇妙な表情で、澪斗は両手で握った銃を純也から逸らす。




「それならば、貴様が先に死ぬといい! そうすれば心に傷を残すこともなかろうっ」


「澪君、なんで……っ!」



「あの時の俺がその子供と同じと言うのなら、死ねば良かったのだ! そうだ、春菜の代わりに、春菜の前に、俺が死んでいればっっ!!」



 誰も……聖斗さえも聞いたことのなかった、澪斗の激情の叫びは狭い部屋に響く。復讐とは狂気。大切な人間を失った者は、今までの人間らしい心ではいられなくなるのか。











「いい加減にしろっ、澪斗!」




 そしてその怒声を聞いた者も、今までいなかった。……片割れの澪斗さえ。


 同時に頬を殴られた澪斗は、きっと誰に殴られたかさえわからなかっただろう。頭が理解できないのだ、この状況で、その拳で、あの声で、怒りをぶつけられることなど。

 だから手中から落ちた銃にも気付かない。気付けない。気付きたくない。



「本当は君が一番死にたいんだろう!? それが出来ない臆病者だから、君は人を殺し続けるんだろう!? それに気付きたくないから、ずっと心を閉ざしたフリをし続けるんだろう!? そんな愚行、もうやめないかっ!」



 自分に激昂を吐く兄に、ただ唖然と目を見張るしかない弟。同じ思考を持つ片割れだからこそわかってしまう、悲しい願望。

 そうだ、彼らはただ、





 ――――死にたいだけだった。



 死に場所のわからない迷子、死に方のわからない子供、死ねない臆病者。


 けれど死にたかった、最愛の人のもとへ逝きたかった、復讐者。




「……もう、《死》に執着するのはやめよう、澪斗。僕らは生きなければならないようだ」


 優しい微笑みに戻った聖斗の頬を、雫が伝う。彼が言いたいことを感じ取った澪斗は、呆然ながらも周囲を見渡す。


 たかだか数年しか人生を共有していない者達が、信じられないほど真剣な眼差しで自分を見ていることに、今更気付く。何故、この人間達はこんな瞳を向けてくるのだろう。こんな血まみれの、殺人者に、復讐者に、臆病者に。



 ただ、ただわかることは。










 この視界が熱く潤んでくることだけ。




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