第四章『レクイエム』(4)
語り疲れたのか、聖斗は深く長い息を吐いた。いきなりであまりに衝撃的な告白に、希紗はもう一度ゆっくり話を飲み込んでいく。
「えっと、つまり、依頼の本当の理由は……」
「……そうです。僕を殺害しに来るであろう暗殺屋に、復讐する為のもの」
澪斗の目的は《護る》ことではなかった。だから希紗達が来るのを散々嫌がっていた。復讐の邪魔をされたくなかったから……。
「どうか誤解しないでください。澪斗は……本当は優しい人間なんです。あの時春菜さんを見殺しにした、僕の方がよっぽど凶悪な人間で。あれから、澪斗は他人に心を閉ざすようになって……僕を護る為に、いつも疑心暗鬼になってしまって」
希紗を見て、訴えかけるように聖斗は言う。その瞳は、弟をかばう必死さが窺えた。希紗は、ゆっくり首を振ってから微笑む。
「……知ってる。物凄く素直じゃないけど、澪斗が優しいことは知ってるわ。それに、聖斗も優しい人。大切な人の想いを受け取って、兄として弟を護った優しい人。二つとも、私が知ってる間違いない事実」
自信を持って断言する希紗に、聖斗は驚いた表情をする。希紗は、澪斗が優しさを持つ人物だと思っている――――いや、もしかしたら真達も。ほんの僅かでも、滅多に見せなくても、確かに。
「だって私達、仲間なのよ? たった四年でも、一緒にいた大切な仲間なの。だから、知ってる」
「…………澪斗があの眼をした理由が、今はっきりわかりました。僕の開発部に入ってきた時の、澪斗の眼が」
「え?」
まだ見慣れないその優しげに細められる眼に、希紗は上がる心拍数を隠しながら問う。聖斗は思い返す瞳で、一度蒼穹を見上げて。
「先程も言ったとおり、僕達双子には直感的な意志疎通のようなものが可能です。僕が初めて皆さんにお会いした時、澪斗の眼は『真実を話さないように』と語っている気がしました。だから、僕も口裏を合わせて普通の依頼のように見せかけた」
「ごめんなさい……私達、邪魔だったのよね……」
聖斗にまで気苦労をかけたのは、自分達が出しゃばったせいだった。ただ、事務所での澪斗の反応が気になって、追いかけてきてしまった。最初から澪斗の言うことを守っていれば、二人の計画は順調に進んだだろう。
「いいえ、僕はそんな事を言いたいんじゃないんです。言ったでしょう、『澪斗があの眼をした理由がわかった』、と。……澪斗はこの復讐劇に、あなた達大切な仲間を巻き込みたくなかったんでしょう。僕達は、少なからず自分の死を予期しています。おそらく二人無事にはならないでしょう。そんな危険な勝負に、希紗さん達を巻き添えにしたくない。だから、澪斗は誤魔化そうとしたんです」
「そんな……二人だけにそんな危険なことっ」
「……えぇ、あなた達ならそう言うと思いました。『一番辛いのは澪斗』……この言葉は、こういう意味だったんです。復讐をする澪斗にとって、今、護るべきモノがあるのは辛い。復讐は出来ても、命を犠牲にしても、全員を護るのは難しいでしょう。僕はもう命を捨てた気でいるからいい。でも、皆さんは……」
決して聖斗は希紗達を邪魔に思っているわけではない。ただ、弟にこれ以上負担をかけたくない、そんな想いが伝わってくる。
「どうか僕達のためだと思って、皆さんは早く氷見谷から逃げていただけませんか。僕達の目的を知っていただいたのは、理解して引き返してほしかったからなんです」
「……」
それが聖斗の願いで、二人のためなら。澪斗が……それを望んでいるなら……。
《仲間》として、するべきことは。
「私は、逃げないわ。二人に恨まれたっていい。私の仕事は《守護》なの、護られる方じゃない。元から私のことなんか気にしなくていいわ。聖斗も澪斗も、死なせない」
一番非力な彼女が言うのもおかしいかもしれない。でも、この守護業に誇りを持っているから。いつまでも護られる側じゃいけない。
「これはあくまで私個人の意志だけど。でも……きっと真達も同じだから」
純也は間違いなく二人を放っておけない。真も澪斗だけに危険なことはさせない。遼平は……たぶん、『逃げる』というのが嫌だと思う。『逃げろって言われて「はいそうですか」っていくかよ。意地でも俺は帰らねーぞ』とか言うだろう。負けず嫌いだから。
「……この話をしてしまったのは、逆効果でしたかね」
「聖斗でも予測できないことがあるのね」
真剣な顔が薄らいで聖斗に微笑みが戻る。何か小さく安堵したような、そんな顔だった。この五年間弟は不幸ではなかったと、そう思ったからかもしれない。
「不思議ですね……残念なはずなのに、何故か嬉しい」
「聖斗も私達の仲間だからね。一緒で嬉しいのは当然っ」
「そうなんですか?」
「そうなのっ」
ビシッと親指を突き立てる希紗に、その指を真似てみる。きっとこの指の形は、こういう時に使うものなんだ……と、知りながら。
「さて、と。それじゃあこれからやる事はたくさんあるわね。早速準備しなきゃ」
「帰りましょうか」
立ち上がって、二人はのどかな公園を後にした。
◆ ◆ ◆
「――――というわけで、皆さん、すみませんでした!」
聖斗の特殊生物工学開発部。警備員達五人を前に、聖斗は深々と頭を下げる。事情の一部始終を語った、最後に。
「なんや、そういう事やったんか。早く言えばエエやんけ、水くさいなァ」
「引き返しては……いただけませんか?」
「逃げろって言われて『はいそうですか』っていくかよ。意地でも俺は帰らねーぞ」
希紗の予想通りの遼平の返事。本当にわかりやすい。
「ごめんね聖君、僕も遼と同じ意見。絶対、二人を護るから」
「一応支部のメンツもあるし、一度受けた依頼は確実に遂行せなあかんしな」
感情的ではなく事務的に述べる真も、たぶん口実にしているだけだろう。こう言えば澪斗が反論出来ないのを、わかっている。
「僕はこれから、研究成果の修正プログラムを入力します。一日あれば充分なので……それまでは待機していてください。蘭お母様には、今から連絡をいれます。これで僕が狙われれば、全ては計画通りです」
「完成後すぐ襲われれば、黒幕はあの奥方っちゅーことか」
もちろん、他の企業からの暗殺、というのも考えられる。だがこの開発部は、とても厳重に秘密にされた部署なのだ、その可能性は低い。
そこでいきなり「はいはーい!」と挙手して一歩前に出た希紗が、何やら企んだ笑顔で人差し指を立てた。
「警備配置なんだけど、私に策があるわ。ちょっと特殊な、ね」
◆ ◆ ◆
聖斗はそれ以来、寝ずに開発部にこもっていた。冬空が徐徐に暗くなってきた頃、そろそろ完成を見越して真と澪斗はロスキーパーの為に用意された部屋から出ていこうとする。
「澪斗っ」
真が扉から出ていってしまったのを追う澪斗に、希紗から声がかけられる。開発部で聖斗を警護している純也、そして遼平は外なので、部屋には希紗しかいない。
いつもの無感情な顔で、澪斗は黙って手を差し出した。このタイミングで呼ばれる時は、いつもコレしかない。
「……」
「どうした?」
自分の前に出された手をじっと見つめる希紗に、澪斗は問う。『ノアのカートリッジを渡せ』というこの行為の意味が、わからないわけではあるまい。渡されて、『今日の弾は?』と尋ねて、『内緒〜』とか言われるいつものやりとりを予測していたのだが。
「……ねぇ、ノアは……必要?」
「貴様、何を言っている?」
日々うるさいぐらいノアを使えと言うのに、今日に限ってそんなことを言ってくる。その言葉の真意がわからなくて、澪斗は腕を下ろして俯く希紗を見た。
「だって……っ、澪斗は復讐をするんでしょっ? 人を、殺しにいくんでしょ……? ノアじゃ致命的な攻撃はできないから……」
「……だから、今の俺にとってノアは必要ではない、ということか? 俺にカートリッジを渡す気は無いと?」
「そうじゃなくて……! 私わからないのっ、カートリッジを渡していいのかどうか……。澪斗はずっと復讐をする為に生きてきた……でも澪斗にこれ以上人殺しはしてほしくなくて…………私っ、どうすればいいの!?」
「…………」
強い葛藤に悩んでいる希紗に、澪斗は俯きながら考える。
何故他人事なのにここまで悩む? 自分の手がいくら血で汚れようとも、関係無いのに。何故そんなにも心を痛めている? 理解できない……だが、どうしてか心が迷う。
「……それは貴様が考えることではない」
再び手を差し出す。今度はしっかり掌を開いて。
「その場で最も適切だと思う行動を、俺はとる。その時にノアが動かなければ話にならん。カートリッジを寄こせ。……俺ごときの為に、貴様が悩む必要は無い」
最後の言葉に、希紗は泣きたそうに目を細めて澪斗を見る。目が合った澪斗の瞳は、無感情でも冷たさでもない、真剣さが宿っていた。
「任せるね、澪斗……」
「当然だ」
ゆっくりカートリッジを手渡した希紗に、澪斗は素早く受け取る。すぐ背を向けて扉を押し開けようと取っ手を握り、ふと半分だけ振り返って言った。自然と口から出た言葉で。
「……他人事に傷つくな。貴様には関係無いんだ」
それは、どこまでも彼の意思に正直な言葉で。それが本音だとわかっているから、やっぱり希紗は出ていく澪斗の背を見送ることしか出来なかった。