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第三章『閉ざされた思い出』(5)

     ◆ ◆ ◆


 やはり北風が寒いが、空は快晴。東京周囲を覆う汚れた大気のせいで色の薄い青空を、聖斗は嬉しそうに見上げていた。


「やっぱり外は気持ちいいですね〜っ」


 うんと背伸びして、まるで高原の澄んだ空気を吸うように深呼吸する。遅れてビルの入り口から降りてきた希紗が、そんな彼をおかしそうに笑った。


「ちょっと大袈裟よ? それより、本当に澪斗の服でサイズはぴったりなのね〜」


 制服から着替えて私服になった希紗が、やっぱり私服の灰色コートを着る聖斗を見る。聖斗は軽い外出用の私服を持っていなかったので、中野区の事務所にまで来て澪斗の洋服に着替えたのだ。わざわざ私服に着替える、その理由は……。


「では早速、よろしくお願いします」


「よーし、まかせてっ。東京案内ぐらい楽勝よ!」


 ……つまり聖斗は、一度東京に出て遊びたかったわけで。その為に、弟に身代わりを頼んでまでココに来たのだ。一番遊んでくれそうな希紗を指名して。


「何処か行きたい所とか、リクエストはある?」

「僕、一度巣鴨に行きたかったんですよ〜。『とげぬき地蔵』ってものを見てみたくて」

「巣鴨って……あそこにはお年寄りしかいないわよ……。ほら、新宿とか六本木とか、東京タワーとか――」

「新宿って何か拝めるんですか?」

「いや、だからそうじゃなくて……」


 東京観光の意味が、この人物、明らかにズレていると思われる。情報が遅れているのか、元々知らないのか。ここは若者として正しい遊び方を教えてやるべきだと、希紗は勝手に観光計画を立てた。


「まぁ、とにかくついてきて! 絶対に楽しくするから」


 最寄りの駅まで歩いていき、電車で新宿に向かうことにする。希紗は初めて切符を買う聖斗に手順を教え、きょろきょろと嬉しそうにホームを歩き回る彼を止め、子供のように電車内で窓に両手を張り付けて外を見る男に苦笑していた。


 本当に、全部が初体験なのだ。当たり前の日常の、全てが。


 残念そうに電車を降りる聖斗を引っ張り、若者の溢れかえる街へたどり着く。この街は比較的表社会側の街で、治安も悪くない。確か、この周囲を裏で支配していたグループは三年ほど前に弱まったはずだ。


「わぁ〜、若い人がいっぱいですね〜。東京っていい所ですね!」

「とりあえずココは、ね」

 裏を知っている希紗は、思わず苦笑を漏らす。知らぬが仏、というやつだろうか。


 まず歩いてみたい、という聖斗の希望で、露店が広がる道を二人で歩いていく。何度も希紗に振り返り、聖斗は「あれは何ですか?」とか「あの店は何を売っているんですか?」などと指差しをして尋ねてくる。希紗は一つ一つそれを丁寧に説明し、店に入ったりした。


 立ち寄ったアクセサリーを扱う店で、聖斗は興味津々に細工品を見る。様々な色の透明なビーズや、十字架をかたどったシンボルのついたネックレス、それぞれの誕生石が散りばめられた指輪……大して高額な物ではないのに、聖斗は芸術品を前にしたように恐る恐る触れてみる。ふと希紗は横の棚を見て、シルバーの腕輪を取り上げた。銀の鎖の端に、緑の星がついている。


「これなんかどう? ほら、この星の色、聖斗の髪の色と同じ」

「この星……ダヴィデの星ですね。希紗さん、こういうのは贈る相手を考えないと」

「え?」


 笑みを零して、聖斗は希紗の手からチェーンの腕輪を受け取った。六つの頂点が輝くクリアグリーンの星が、店の照明で反射する。


「……でもせっかくですし、僕がいただきましょうかね。いやぁ、澪斗に悪いなぁ」


 悪戯っぽく希紗を見て、聖斗はそれをレジに持っていってしまう。やっぱり慣れない手つきでお金を支払い、早速その腕輪をはめて戻ってきた。


「ねぇ、『ダヴィデの星』って何? どういう意味?」


「ふふふ……、『ダヴィデ』っていうのは、ヘブライ語で『愛された者』という意味なんですよ。希紗さんの愛、しっかりいただきましたからね〜」


「え、えぇっ!? ちょっと待って! 誤解誤解〜っ!」


 希紗の手が届かないように、聖斗は腕を上げて子供のように逃げていく。そんな深い意味は無かったのに、からかわれて彼女は顔を赤くする。


「じゃあ、次はあそこに行きませんか? ほら、もう諦めて」

「聖斗ーっ」


 希紗の反応を楽しそうに笑ってから、聖斗はもう一度自分の手首に巻かれた鎖と……その先の星を見やる。引き上がった口元は、雑踏に紛れて誰にも聞こえない呟きを落とした。




「その通りですよ、『ダヴィデ』…………また聖書が示す意味を、『凶悪者』。僕に合っているのかもしれません」




「聖斗、何か言った?」


「いいえ、何も言ってませんよ。……あ、アレは何ですか? 何でしょう、あの建物、変な形してますね〜」


 いろんな初めての物を前にして、聖斗は興奮したり驚いたりしてすぐどこかに行ってしまう。大人だからこそ、新しい物に戸惑うのだろう。


(……澪斗も、こうだったのかな……)


 ふと、希紗はそんな事を思った。氷見谷の家から出た時、澪斗も右も左もわからない全くの世間知らずだったのだろうか。たまに常識が無いな、と思ったことがあったが、それにはこんな理由があったのか。

 やたらと強い自尊心も、あまりの不器用さも、大富豪の家柄故か。いや、でも聖斗はとても物腰柔らかい人物だし……誰に似たのだ? この双子、やっぱり似ていない。



「――さん、希紗さん? どうしました?」

「あ、ごめんごめん。なに?」

「いや、なんだか考え込んでしまわれたようだったので。僕、うかれすぎでしょうか?」


 希紗を気遣い、聖斗は反省するような顔をする。弟と違い、人の感情に敏感らしい。


「違うの。いいのよ、聖斗は初めてなんだし、うかれたって。存分に楽しんじゃってよ」

「ありがとうございますっ」


 心の底から嬉しそうに、聖斗は微笑む。その笑顔に心拍数が上がるのが、希紗自身、自分でわかった。違うとわかっていても、その顔に、惹かれる……。


 澪斗も少しぐらい、笑えばいいのに。そうすれば人から好かれるのに、心を閉ざして笑顔を忘れている。せっかく自由を手にしたのだから、笑っても良さそうなものではないか。兄は束縛の中でも、笑顔を保ち続けているのに。


「やっぱり素の性格なのかしら……」


 ボソッと、思わず考えが漏れてしまう。「え?」と聖斗が振り返ってきたので、希紗は慌てて首を振った。


「……希紗さん、今、澪斗のコト考えてたでしょう?」

「え、え、い、いやっ、そんな……」

「わかりやすいですね、希紗さん」


 すっかり見抜かれている。あなどってはいけない、この人物は、一見ただの世間知らずだが、本当は弱冠二十二歳の天才科学者なのだ。知り合って数日で、相手の人間の性格や感情の動向を察することのできる才知をも持つ。


「澪斗が、どうかしましたか?」

「いやぁ、その……澪斗っていつも無愛想な顔してるから、あれって子供の頃からなのかと……。ほら、聖斗は明るいし」

「なるほど。確かに澪斗は昔からあまり愛想が無かったですね。……でも、子供の頃は笑うこともあったんですよ」

「えぇー……あの澪斗が?」


 澪斗の笑顔が未だに想像できない。全く同じ顔で柔和な表情をした兄がここにいるのに、それでも、だ。


「まさか、小さい頃からあんな怖い顔してませんって。でも、澪斗は昔から変わらないトコロもありますね。生真面目なトコロとか、堅物なトコロとか」

「私が言うのもなんだけど、警備員にむいてるのかしら、澪斗って?」


「あながちハズレてはいないと思いますよ。子供の時から、僕は澪斗に護られっぱなしでしたから。兄らしいことなんて全然出来なくて、無警戒だった僕を、澪斗はずっと背後から護っていてくれてたんです。本当に、情けないですよね」


 そんなことはないと、希紗は思う。澪斗の聖斗に対するあの態度は、決して情けない兄への同情からなどではない。

 あの誇り高い澪斗が、兄にだけは敬意を表す。それは聖斗がとても大切な人だからだし、きっと精神的な支えにもなってきていたのだろう。存在してくれているだけで感謝できる人……たぶん、聖斗は澪斗にとって、そんな人なのだ。



「それに澪斗が感情を捨ててしまった原因は……僕にもあるんです。大事な弟のたった一つの幸せさえ護ってやれなかった、僕に……」


「……?」


 懺悔をするような聖斗を、ただ黙って見ていることしか出来ない。それに希紗は、その原因が知りたかった。澪斗が感情を失った理由を……彼のたった一つの幸せとは?


 意識がぼやけていくように聖斗はゆっくり口を開く。人混みの中、男はふと立ち止まった。



「……一番辛いのは澪斗なんです……あの方を、失って……それで――――」



 突然聖斗の身体が揺らぎ、後ろへ力なく倒れていく。慌てて希紗は聖斗を抱きかかえ、ざわめく人々の中で聖斗の名を呼んだ。



「ちょっ、聖斗!? どうしたのっ、聖斗ーっ!?」



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