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* 13

 激しい雨足にいくつもの店が早々に眠りについた商店街。天上の気性と共に息をひそめた店々は、いまや陽光に光り輝く昼の姿など忘れたかのように道行く人を冷たく見下ろす。

 その中を、濡れそぼつ身体など気にもとめずに走り抜け、井吹は小さな後ろ姿を探し求める。

 長い年月、ただひたすらに頑なであった彼を突き動かすものは何なのか。過去を共にした女性。今安らぎをくれる少女。はたまた未来を担った小さな少女か。

 

 いったいどこへ行ったというのだろうか。子どもの足ではそう遠くには行けるはずがない。そう思い探してはみたものの、一向に見つからず。

 不意に足を止めると、疲れがどっと押し寄せてきたかのように身体が重くなる。井吹は膝に手をつき、前傾姿勢で荒い呼吸を整える。

 こんなに探しているというのに、何故見つからないのだろうか。近づくことを望まないでいた先刻までは、目に障るほどに近くにいたくせに。手を伸ばした時にはもう遅いなんて。


――――だから、俺は、


 何度頭で反芻してきたか知れない思いが再び駆け巡る。


――――俺は子どもが、


 思わず天を見上げた目には憎しみの色すら宿る。


「井吹さん!!」


 止まない雨音の隙間を縫って聞こえてきた声に井吹はぴくりと肩を動かし反応する。見ればそこには、こちらに向かって駆けてくる紬と蛍の姿があった。


「いましたか?」


 蛍の言葉に井吹は首を横に振る行為だけで答える。それを見た二人は顔を見合わせ、落胆の表情を浮かべた。


「そんな。ならいったいどこに」

「そんなこと言っても探すしかないだろうが」

「どこを探せって言うんですか! もうこのあたりで好海ちゃんの足が届きそうな所は探しましたよ」

「分かるかよ、そんなこと。いないもんは手あたり次第探してみるしかないだろう!?」


 珍しくも語気を強くする蛍に、負けじと紬が詰め寄る。一向に手がかりすらつかめずにいるこの状況に、加えてこの悪天候。じりじりと増幅するだけの胸のムカつきに、二人とも苛立ちを隠すことさえままならないのだ。

 睨みあう二人の傍らで黙する井吹もそれは同様。口に出さなくとも、苛立ちと焦りは一秒ごとに肥大していく。

 井吹はその気持ちを落ち着かせるように、否、無意識にズボンのポケットをまさぐった。取り出されたのは彼愛用のシガレットケース。


「紬さんのように行きあたりばったりでは、どうにもなりませんよ」

「じゃあ、なんだ蛍。お前みたいにうじうじ考えてれば、何か妙案でも浮かぶってのかよ」

「うじうじって。自分はそんなことはっ……」


 紅潮した頬を冷たい雨に濡らして、蛍は歯を食いしばる。そうして自分よりも遥かに体格のある紬の襟元へと手を伸ばした。しかし、混乱の中感情のコントロールも鈍りつつあるのか、つい先程憤怒を湛えていた目には雨粒以外の水滴が浮かんでみえる。

 が、紬もそんな蛍の様子に怯むような男ではない。冷酷とも呼べるような色で、蛍の顔を見下ろしていた。この先どちらかが手を、口を出せば……。


 しかし、その瞬間は訪れはしなかった。

 パタン、と小さな音が二人の耳に届き響いたのだ。


「……やめましょう、紬さん。こんなことしてても好海ちゃんは見つからない」


 先に手を引いたのは蛍であった。


「ああ。悪い。こっちも言い過ぎた」


 続けて紬も脱力し、蛍から離れた。

 閉じられたシガレットケース。しかし、井吹の手の中には一本の煙草もありはしなかった。否、開いたケースから彼は煙草を取り出すことをやめたのだ。

 その姿を目前にし、彼らは冷静さを取り戻した。それが何故だかは蛍にも紬にも、井吹にすらも分からない。それでもその井吹の姿が、蛍と紬、両者の心を宥めるのには十分なものであったのは確かである。


「とにかく今は好海ちゃんを」

「そうだな。……井吹さん。他に探してない場所は?」

「探していない、場所か……」


 問われて井吹は、顎の下に手を持っていき、考えを巡らす。

 古書店店内は勿論、小さな子どもが気を向けそうな雑貨屋に菓子屋――そのほとんどが客足の望めない悪天候に、店を閉めてしまっていたが――、それから近所にある公園等、思いつく限りは当たった。蛍と紬にも、再捜索してもらった上、近辺の小道なども念入りに見てきたのだ。他にもれがあるとは思えない。


「すまない」


 と一言謝りを口にし、心当たりの枯渇を伝える井吹。二人は困惑を顔に浮かべながらも、首を横に振って応えた。


「他に行きそうな場所」

「もしも自分だったら……」


 口々につぶやきながらも、一向に良い方向へは向かわない。


 何故幼い子ども一人見つけ出すことができないのだろうか。こんなにも真剣に探し求めているというのに――――こんなにも、こんなにも。

――――やはり、俺は子どもが。


 そのまま彼ら三人が立ちつくすこと数分間。


―――――子どもが、


「あ……」


 突然、沈黙を破り声を上げたのは蛍であった。


「なんだよ、蛍。何か思いついたのか?」

「はい。まあ……いや、でも」


 何か考えがあるのだろうに、何故か煮え切らない表情で蛍は残る二人の顔色を窺う。


「言えよ、何でもいいから」


 紬に促されて蛍は、


「……海」


 とだけ短く一言。

 

「海が、まだ残ってはいませんか?」

「海?」


『私、海に行きたいな』

 いつだったか。その涼やかな声を聞いたのは。


「いや、俺も一瞬思ったけど、それはないだろう。こんな雨の中海なんかに行っても、何の楽しみもないし」


『海が好きだから』

 あんまり目を輝かせて君が言うものだから。


「そうですけど……でも、探していないことは事実です。子どもの考えることなので、行ってみなければ分からないというのもありますが。どうです? 井吹さ――――って、え!? ちょっと井吹さん!?」


 蛍が話し終わるのを待つことも無く、井吹の足は地を蹴っていた。


 こんな雨の中海だなんて。

 紬同様、井吹もそう思っていた。だから、海にまで捜索の足を伸ばさないでいたのだ。

 どんより曇った不機嫌な空を映す海。そんな海など、子どもの興味の対象になるものか。


『晴れると良いわね。なんせ私達、最強の雨男と雨女じゃない?』


 そうは思っていたけれど、それはあくまで“子ども”の興味の範囲の話なのだ。

 あの子は、好海はきっと。


『でも、天気が悪くたって良いの』


 あの子の澄んだ瞳は、俺を責めているようで。無垢な笑顔は俺の奥深い部分を逆撫でする。さし出された小さな手は過去の、現在の、未来の俺をも追いこんで。


――――俺は子どもが、いや、あの子が、好海が。


『なんでって。うーん。それは秘密かな?』


 本当は、好海のいる場所は始めから分かっていたといっても良い。それでも俺は意図的にその考えを無視したのだ。誰かが見つけてくれれば自分でなくても良いだろう、そう思って目を逸らしていた。

 見ないふりをしていたのは、背中を向けていたのは俺のただの身勝手だ。

 昔、海へ行きたいと言った彼女の優しい微笑みは今でもすぐに目に浮かぶ。

 それにあの時、帰りたくないと言ってぐずっていた好海の声も重なって聞こえてくる。


――――そう。俺は、


 いや、好海が海に向かった理由なんてどうでも良い。


――――俺はずっと、


 空に嫌われてしまったとしても、心ない雨に道を阻まれてしまったとしても。それでも好海は海へ行くだろう。

 それは俺の不確かな確信でしかないけれど、あの子はきっと海にいる。

 なぜなら、彼女は、好海は。 


 井吹は正面からの雨風に逆らいながら、足元の雨水を跳ね上げただただ走る。背後から蛍と紬の声が微かに聞こえたような気がしたが、彼がそれを振り返ることはなかった。

 沙代との約束の時間が迫っているからでもなく、他の何もののためでもなく。その足は、心は、好海のために、自分自身のために動いていた。


――――俺はずっと、好海のことが怖かったんだ。


 カラン、と何かが井吹の元から地面へ落下し、淀んだ水溜りに沈んでいった。

少しだけ時間は前後し、前話の井吹サイドでした。

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