第50話:【大団円】今日もどこかで「くっ、殺せ!」(完結)
澄み渡る青空が広がる、ある穏やかな朝。
世界感情エネルギー研究所の最上階バルコニー。
心地よい風が吹き抜ける中、俺は白衣をなびかせ、ティーカップを傾けていた。
隣のデッキチェアでは、アロハシャツを着たバールック大将が、豪快にエールを呷っている。
「ぷはぁぁぁっ! 今日もいい天気だなゼノ先生!」
「ああ、実に平和な朝だね、バールック大将」
眼下に広がる帝都ルミナリアの街並み。
煙突の煙はなく、清らかな湯気だけが朝の光を浴びてキラキラと輝いている。
公園では人間の子供たちとオークの子供たちが一緒に駆け回り、遠くの線路を白いリニアモーターカーが音もなく滑走していく。
「ガハハ! そういえばゼノ先生、隣国の聖王国から届いた今朝の新聞、見たかい?」
バールックがガラステーブルの上に広げられた新聞を指差して笑った。
一面のトップ見出しには、いまだにこうデカデカと書かれている。
『怪光線の惨劇から半年――灰燼に帰した旧帝都の生存者はゼロか!?』
「ああ、読んだよ。実に結構なことじゃないか」
俺はティーカップをソーサーに戻し、クスリと笑った。
「周辺諸国が『帝都は灰になった』と恐れをなして手出ししてこないおかげで、余計な外交摩擦も軍備費もゼロだ。おかげで俺たちは、こうして毎日最高の研究環境と快適なスローライフを満喫できている。……実に合理的だ」
「違いない! これ以上の極楽はねぇぜ!」
バールックが再び豪快にジョッキを傾けた。
そこへ――。
カチャリとバルコニーの扉が開き、パリッとした制服姿のシルフィアが歩み出てきた。
その隣には、資料を抱えたレオノーラ、警備日誌を持つアレクシア、そして大きなクマのぬいぐるみを抱っこしたヴァルキリアの姿もある。
「おはよう、ゼノ所長」
シルフィアは凛とした美貌に笑みを浮かべ、胸ポケットからタイムカードを取り出した。
「今日も定時出勤よ。午前中の送電グリッドの点検、いつでも行けるわ」
「おはよう、シルフィア君。相変わらず素晴らしいプロフェッショナル精神だね」
俺は立ち上がり、胸ポケットから愛用の針式感情測定器――今や世界最高峰の記念品となった初代PCEメーターを取り出した。
「では、本日も世界中の人々とオークのために、朝のベースロード電源のチャージをお願いしようか」
「ええ、任せてちょうだい!」
シルフィアは堂々と前に進み出た。
かつてオーク軍に生け捕りにされ、涙目で「殺せ」と絶叫していた少女は、今や世界平和を一身に背負う最高の守護神だ。
「ゼノ、今日の『お題』は何かしら?」
「本日のメニューはこちらだ」
俺は真顔で、銀のトレイに乗せられた一枚のメモを読み上げた。
「『昨日の夕食後、君が楽しみに冷凍庫に隠しておいた特製チョコミントアイス。今朝方、バールック大将が歯磨き粉代わりに一口で平らげたよ』」
「………………」
シルフィアの整った眉間に、キュッと綺麗なシワが寄った。
碧眼に、黄金の聖なるオーラがメラメラと灯る。
レオノーラがクスッと笑い、アレクシアが腕を組み、ヴァルキリアがモフモフを抱きしめながら見守る。
シルフィアは深く、深く息を吸い込んだ。
胸いっぱいに吸い込まれた朝の新鮮な空気が、彼女の誇りと、ちょっぴりの悔しさを帯びて、天へと解き放たれる。
「オークの分際でぇぇぇっ! チョコミントは歯磨き粉じゃないと言っているだろうがぁぁぁっ!!」
彼女は両手を腰に当て、満面の笑顔とプライドを込めて、魂の底から叫んだ。
「くっ…………殺せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!」
ピピピピピピピピピピピピピピピピッ――!!
測定器の針が、楽しそうにクルリと一周回った。
【計測値:120,000クック(完全調和β波・世界平和チャージ)を検知!】
【大陸全土送電グリッド:出力安定率百二十パーセント!】
【本日も帝都は、快晴なり!(※灰にはなっていません)】
ドッとバルコニーに笑い声と歓声が弾けた。
バールックが大爆笑し、オークたちが拍手し、世界中に温かいエネルギーの光が満ちていく。
暴力でも、憎しみでもなく。
誇りと、ちょっぴりの屈辱と、いっぱいの笑顔が織りなす、最高にハッピーなマッドサイエンス。
今日も世界のどこかで、誰かが元気に叫んでいる。
――「くっ、殺せ!」と。
(『くっ殺研究』――全50話・完)
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