第26話:【スパイ潜入】帝国屈指の間者が目撃した『地獄の光景』
神聖グランベルス帝国・皇室直属特務諜報機関『黒鴉』。
その中でも「生ける影」「死線踏破者」と恐れられる帝国屈指の凄腕スパイ――シャドウは、深夜のオーク要塞の外壁に張り付いていた。
(聖騎士ユリウス殿の救出作戦は無惨にも失敗した……。残された道は、我が『黒鴉』による極秘潜入のみ……!)
シャドウは全身を光を反射しない漆黒の特殊スーツで包み、足音を消す魔法のブーツを履いていた。
彼に課せられた極秘任務は二つ。
一つ、シルフィア様が囚われている地下拷問室の特定と安否確認。
二つ、アイゼンベルク要塞を一撃で消滅させた『謎の古代超兵器』の構造図面の奪取。
(覚悟はできている。オークどもの本拠地……そこは血と肉片が散らばり、捕虜の悲鳴と汚泥が満ちるこの世の生き地獄……!)
シャドウは短剣を口にくわえ、音もなく城壁の銃眼をすり抜け、要塞内部へと侵入した。
地下牢獄へ続く階段を探し、暗がりの中を忍び足で進む。
だが――。
十歩進んだところで、シャドウの額に疑問符が浮かんだ。
(……何だ? この床は……?)
冷たい石畳を予想していた足の裏から、じんわりとした温もりが伝わってくる。
靴底越しでも分かるほど心地よい温度。
(まさか……熱線による防衛トラップか!? いや、一定の心地よい温度を保ち続けている……? まるで王族の離宮の床暖房のようだ……)
さらに、鼻を突くはずの血生臭い悪臭が一切しない。
代わりに漂ってくるのは、柑橘系の爽やかな石鹸の香りと、焼きたてのパンの甘い匂い。
(罠だ……! 侵入者の嗅覚を狂わせる高度な幻覚ガスに違いない! 解毒薬を服用せねば……!)
シャドウは慌てて懐から丸薬を取り出して飲み込んだ。歴戦のスパイとしての勘が、逆に彼を疑心暗鬼の迷宮へと追い込んでいく。
曲がり角の先から、重厚な足音が近づいてきた。
シャドウは素早く天井の梁の上へと飛び上がり、気配を完全に消した。
現れたのは、二頭のオーク兵。
見張り兵か、それとも拷問官か。
息を殺して見下ろしたシャドウの目に飛び込んできたのは――。
「ボグ、今日の夜食のラーメン、スープが最高だったな!」
「おう、ゼノ先生直伝の豚骨醤油だぜ。背脂多めがたまらねぇ!」
花柄のアロハシャツを着たオーク兵たちが、歯に挟まったネギを爪楊枝でシーシーと掃除しながら、仲良く談笑して通り過ぎていった。
(………………は?)
シャドウは天井の梁の上で、目玉が飛び出そうになった。
アロハシャツ? 爪楊枝? 豚骨醤油ラーメン……?
(な、何を言っているのだあの魔獣どもは……!? 暗号か!? 『豚骨醤油』とは帝国軍の血を啜るという隠語なのか!?)
戦慄を覚えたシャドウは、さらに奥へと進んだ。
やがて、館の中庭から、無数の歓声と水しぶきの音が聞こえてきた。
(いたぞ……! 大勢のオークが集まっている! あそこか……あそこが生贄の儀式を行う処刑場に違いない……!)
シャドウは息を殺し、中庭を見下ろす回廊の陰から、恐る恐る中庭を覗き込んだ。
そこに広がっていた光景は――。
「キャハハハッ! バールック様、ボール取って〜!」
「ガハハハハ! よーし、スパイクいくぜぇぇぇっ!」
ライトアップされた巨大な温水プール。
ビーチボールで水上バレーを楽しむオークたちと、フリル付きの水着を着てキャッキャと笑う下級女騎士たち。
プールサイドのデッキチェアでは、サングラスをかけたオーク将校がトロピカルジュースを飲みながら昼寝をしている。
(………………????????)
帝国最強スパイ・シャドウの思考回路が、完全に焼き切れた瞬間だった。
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