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消えない記憶

「アハハ! きったな〜い」


 頭に響くのは甲高く耳障りな笑い声。彼女たちは悪意に満ちた表情で私を見下ろした。目の前で無様に這いつくばる私を。


 水気を含んだ髪は重くのしかかり、制服は肌に吸い付く。やけにリアルな感触だが、私は自分に言い聞かせるように呟く。


「……あぁ、またこの夢ね」


 そう、これは夢なのだ。過去の記憶を基にして、脳が作り出している夢。高校の時の、忘れたくても忘れられない酷い記憶。


「何? ボソボソ言ってて聞こえないんだけど」


 そう嘲笑する言葉も、それを発する彼女たちも。頭から汚水を被った私も、全部無意識が見せる紛い物だ。


 はぁ、と溜息を吐く。私はいつまでこの記憶に取り憑かれているのだろうか。もうずっと昔のことだというのに。夢なのだから早く覚めて欲しい。


 しかし、悪夢というものは中々抜け出しにくく、トラウマというものはどうも目敏い。夢だ過去の記憶だと理解しているのに、彼女たちの機嫌を損ねるともっと酷い目に合うと想像してしまう。


「なに余裕ぶってんのっ!」


 予想通りの衝撃がわき腹を襲う。この痛みまで再現してしまう自身の想像力が妬ましい。蹲る体に容赦なく追撃が降りかかる。私はなんとも楽しそうな彼女たちの声を聞きながら、早く目覚めたい、と何度も何度も祈ることしか出来ないのだった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ジリリリリリリリリ!


 けたたましい金層音に体が跳ねる。飛び起きた勢いのまま目覚まし時計を止めた。身体を起こし、ふぅと一息つく。この音は一般的には不快な目覚まし音だろうが、私にとっては現実に引き戻してくれる教世主だ。


 ベッドの脇に腰掛け、深呼吸を行う。ドクドクと脈打つ心臓が落ち着くまでこうするのが、私の朝のルーティンとなっている。動悸が治まれば、次はぐっしょりと寝汗に溢れた寝間着を着替える必要がある。


「……本当に、いつまで囚われるの」


 身支度をえながら、私は毎朝自身に問う。きっとその答えはいつまでも、なのだろう。実際、もう社会人として数年になるのに、未だに学生時代の悪夢に魘される。この呪いは私が死ぬまで続くのだ。そう分かっているのに、毎度憂鬱な気分に押しつぶされそうになる。どうにか用意を終わらせ、朝食もほどほどに、職場向かう為に家を出た。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「朝倉さん、今日の飲み会来ますか?」


 一日の仕事を終え、帰り支度をしていたところでそう声をかけられた。同じ職場で働いている男性社員だ。彼は人が良い。職場での飲み会に誘われない私を気に掛けてくれたのだろう。彼の背後に待機している他社員たちが見える。


「……すみませんが、まだ仕事が残っていますので」


 そう答え、片付けかけていた書類をデスクに広げなおした。でも、と彼が疑問を口にする前に、待機していた社員が入り込む。


「ほら! やっぱり朝倉さんはそういうの苦手なんですよ!」


 その人は気まずそうに、すみませんね、と謝りながら彼を引きずって行く。わいわいと活気を溢れさせながら同僚たちは職場を後にした。


 彼らの気配が無くなった後、やっと張り詰めていた緊張の糸が解れた。心臓の音は煩く、背中にはじんわりと汗が染みている。この短時間の会話でこれだけ疲労を感じてしまうのも、やはり過去のトラウマが尾を引いているからなのだ。特に異性が絡むと……。


 あぁ、また私の意思に反して記憶が蘇ってきてしまう。全ての原因となったあの日。委員会でお世話になった先輩に呼び出されたこと、その先輩に告白されたこと、それを先輩に好意を抱いていた彼女たちのグループに見られてしまったこと……。


 そしてそこから今も忘れられないあの酷いいじめを受ける日々が始まってしまったのだ。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「……さん、朝倉さん」


 誰かに名前を呼ばれ、また記憶の中に潜り込みそうだった私は現実に引き戻された。声のする方を振り向くと、そこには上司が立っていた。今日は取引先との打ち合わせで、午後から不在だったはず。帰宅前に一度社に立ち寄ったのだろう。


「残業お疲れ様。みんな帰っちゃったかな?」


「お疲れ様です。そうですね、他の方はもう……」


「そっか、ちょっと戻って来るの遅かったな」


 彼らは今頃、楽しく飲み始めた頃だろうか。鉢合わせしても気を使わせてしまう。帰宅時間が被らないよう、今のうちに私も帰ろう。上司との雑談に相槌を打ちながら、今度こそ本当に荷物をまとめる。


「今回のプロジェクト、そこそこ評判いいみたいでさ。映画も結構売れてるらしい」


「そうなんですね」


 そういえば、映画制作の案件が入っていた。と言っても末端の末端。私はデータ入力に関わっただけで、それがどんな映画なのかもあまり知らずにいた。


「で、制作側からチケットもらったんだよ。これ、部署のみんなの分」


 手渡されたのは関係者用と記載された映画のチケットだった。映画のタイトルは『月影のロマンス・クロニクル』となっている。ロマンスというからには恋愛映画なのだろうか。


「これ、元になったのは乙女ゲームらしいよ。最近はそういうのも映画になるんだね」


 意外だね、と言う上司の感想に頷く。映画の元は小説などが多いイメージだ。が、実際に映画化まで進んでいるということは、よほど人気のゲームなのだろうか……。

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