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瓦版娘の事件帖  作者: 三毛猫
洛中炎上
9/12

一話 力士騒動

 その日も弥生は、買い物籠を抱えて市に向かっていた。日はまだ高く照っているというのに、町の空気は妙にざわついている。通りの先では、大柄な者たちが肩をいからせ、行き交う人々を乱暴に押し分けていた。


 「どけぇい! この通りはわしらが通るんじゃ!」

 「へえっ、すんまへん……!」


 声の大きい力士崩れに、商人は土下座し、女衆は子を抱えて逃げる。汗に光る浅黒い肌、肩をいからせて笑い合う彼らは、土俵よりも往来で威張る方が性に合っているらしい。


 弥生は足を止め、籠を抱えたまま息を呑み、じっと睨みつけた。

(……力士衆か。真昼間から迷惑なこっちゃ。あの図体、もう少しマシな使い道あるやろに)


 子を抱えた女が乱暴に突き飛ばされ、地に倒れた。赤子の泣き声が通りに響く。弥生の胸に熱いものが込み上げ、気づけば足が前へ出ていた。


 「もうおやめなされ! 恥ずかしゅうないんですか!」


 小娘の声に、力士たちは顔を見合わせ、次の瞬間どっと笑う。


 「なんや? 女が口出しか」

 「かわいらしいこと言いよる」


 ずん、と迫る影。弥生は後ずさりしながらも睨み返した。怖くてたまらない。けれど、声を飲み込むのはもっと(しゃく)だった。


 そのとき、草履の音が石畳を打った。


 「おい、そこまでだ」


 低い声とともに現れたのは、巡回中の新選組――土方と沖田である。浅葱の羽織が風に揺れ、土方の眼光は氷のごとく冷たく、沖田は涼しい顔のまま刀の柄に手をかけた。


 「京で好き勝手はさせねえ」


 「なんだぁ、てめえら」

 力士のひとりが前に出る。


 「おい、やめとけ。壬生浪の連中だ……容赦なく斬ってくるぞ」

 別の力士が慌てて静止した。


 その一言に、力士たちは舌打ちして退散した。


 静けさが戻ると、土方が弥生を見やった。

 「嬢ちゃん……無茶はするな。あいつらには信念なんざねぇ、暴れることしか知らねえ連中だ」


 叱る口調ながら、その眼差しにはかすかな賞賛がのぞく。沖田は笑みを浮かべ、じっと弥生を見つめていた。


 「弥生さん、また会ったね。相変わらず元気そうだね」


 心臓が早鐘を打つのを抑えながら、弥生は答えた。

 「助けて下さってありがとうございます」


 「なかなか勇ましかったよ。普通の娘なら声も出せない」


 「ただ、見過ごせなんだだけで……逆にご迷惑をお掛けしました」

 籠を握る指先がまだ震えていた。沖田はくすりと笑う。


 「迷惑なんてとんでもない。その度胸なら、うちの隊に入ってもやっていけそうだ」

 「おい、からかうな」


 いつの間にか人だかりができ、女衆は二人を見てきゃあきゃあと騒いでいる。

(……随分人気者やな。二人とも見目もええし、強ければ当然か)


 沖田が周りに手を振る横で、土方が低く言った。

 「最近はとくに、力士崩れや浪士どもが群れて騒ぐ。大坂相撲は落ちぶれて興行も成り立たねえ。食えなきゃ用心棒か、町人を脅して銭を取るしかねえんだ」


(なるほど……食うために、強さの使い道を間違えとるんやな)


 「浪士に取り込まれりゃ、なお始末が悪い。奴らが群れりゃ京はすぐ火の海だ。お前は妙に厄介な場に居合わせることが多い。……何かあればすぐに知らせろ」


 言い捨てて歩き出す土方。沖田は軽く手を振って去っていった。


 籠を抱き直す弥生の胸に、ざわめきは残ったままだった。


 買い物を終えて籠を抱え直し、裏通りを抜けると、人波の向こうに見慣れた姿があった。

「……あ、琴音」

 舞妓姿の琴音が帳面を手に、すいすい歩いている。着物の裾も足運びも乱れず、いかにも訓練された歩き方だ。


「弥生やないの。あんたもおつかい?」

「ええ、まぁ……そんなところやなぁ」


 祭りの準備や座敷の噂話をしているうちに、胸の張りつめたものが少しほどける。だが琴音の顔がふっと陰った。

「そういや聞いたかえ。……長州の連中、まだ京に残っとるらしいで」

「えっ……追い払われたはずじゃ?」

「表向きはいなくなったけど、裏で力士や浪人に金ばらまいとるんやと。うちの客筋がそう言うてたわ」


 琴音は声をひそめて笑ったが、その笑みの奥にかすかな緊張が滲んでいた。


 ――八月十八日の政変後。御所は薩摩と会津に固められ、長州は締め出された。浪士は討たれ、町の色も塗り替わった。けれど「影」は消えずに残ったまま。影というのは、潜むほどに見えにくいから厄介だ。


(……やっぱりまだ残ってるんやな。長州の影。どうせ何か企んでるんやろな)


 家に戻ると、帳場で父が筆を走らせていた。

 「おかえり、弥生。えらい遅かったな」

 「……ちょっと道で騒ぎがあって」


 籠を下ろした途端、父がごほごほと咳き込んだ。痰は絡んでいない。音からして、ただの乾いた咳――頭で分かっていても、胸はざわつく。

 「親父!」

 慌てて手ぬぐいを差し出すと、父は受け取りながら苦笑した。

 「大げさやな。ただの咳や。……ほれ、まだ死にはせん」


(そういう言い方が一番タチ悪いんやけど)


「今、お水と薬用意するから」

 父は湯呑を手にしながら、ふと真顔になった。

「まあな……お前に貰い手の一人でも現れてくれたら、わしも安心して逝けるんやがな」


(またそれ……)


「なに言うてんの。誰が好き好んで、うちなんかもろてくれはるわけないやん」

「そんなことはない。お前はしっかり者や。それに……ちょっと着飾りさえすれば、人並み以上に見える」


(“人並み以上”て……褒めてるようで褒めてない。ほんま口の減らん親父や)


 弥生は湯呑を見つめ、心の奥でそっと思った。

(親父が元気なうちに、うちがもっと仕事を覚えなあかん)


 その日も市へ出る。野菜の青臭い匂いと魚屋の生臭い匂いが鼻を突く。

「よぅ、瓦版娘」

 顔を上げれば、藤堂平助。巡察の途中らしく刀を差していたが、目尻には柔らかい笑み。

「藤堂さま、お久しぶりです」

「奇遇だな。……ちょうど休もうと思っていた、茶でもどうだ」


 小さな茶店で、小休憩。自然と仕事のことを聞いていた。


「新選組の皆さんは最近お忙しそうですね」

 興味本位で尋ねてみる。

(何かおもしろいことが聞けるかもしれへん)


 藤堂は茶をすすり、わざと声をひそめた。

「忙しいどころじゃない。八月十八日の政変で長州は追い出された言うても、影はまだようけ残っとる。浪士や力士崩れが群れて、いつ火の手が上がるか分からん」


 そこで、にやりと笑って弥生に身を寄せる。

「……しかも最近はな、“人斬り”が潜り込んどるという噂や。夜道を歩いとった浪士が、後ろから一太刀でのど笛を掻っ切られた。血が噴き出す間もなく、声も出せんまま、闇に沈んだんやと」


 ぞくり、と背を撫でるような冷気が弥生の背筋を走った。


 藤堂はわざとらしく肩をすくめ、軽く笑った。

「まぁ、怪談じみた話やろ? けどな……実際、そういう死体が道端で見つかっとるのも事実や」


 藤堂は茶を飲み干し、真顔で言った。

「……まぁ、他人事やない。弥生も夜道は気ぃつけぇよ。妙に噂や事件の近くに顔を出すやろ。幕府寄りやと思われて狙われたら、ひとたまりもないで」


「わ、わたしなんか狙ったところで……」

 弥生は思わず言い返したが、藤堂は首を振った。

「そう思うんは本人だけや。お前は筆を持っとる。瓦版ひとつで、人を持ち上げることも落とすこともできる。……それだけで、敵をつくるには十分なんや」


 その眼差しは、からかいの色をひとつも含んでいなかった。

 弥生は返す言葉を失い、膝の上で指をぎゅっと握りしめた。


(藤堂さんも、土方さんも、沖田さんもみんな、うちのこと気にかけてくれる。けど、なんでやろ。ただの町娘やのに。……そんなに危なっかしく見えるんやろか)


「ありがとうございます。気をつけます……でも、私は真実を書きます。嘘を書くのは嫌なんです」

 茶碗を握る手に力がこもる。

「もしかしたら、私の瓦版で傷つく人が出るかもしれん。せやからこそ、できるだけ“ほんまのこと”を書きたいんです」


 藤堂は黙り込み、意外そうに目を細めた。

「……ふっ。まぁ、弥生らしいな」


(まあ、情報集めるときは嘘ついてしまうけどな)


 そのとき、遠くから地鳴りのような叫びと悲鳴。人の群れが川の流れみたいに逆巻いてくる。


 道の先に力士崩れと浪人。酒臭さと汗の酸っぱい匂い。刀と棍棒がちらつき、屋台がひっくり返る音が骨の折れる音みたいに響いた。

「……あれはただの喧嘩やないな」平助が眉を寄せる。


「止まれッ!」

 一喝とともに現れたのは近藤勇。分厚い胸板で通りを塞ぎ、太い腕で刀を握る。声に押され、一瞬暴徒が足を止めた。


「なにぃ? こっちの人数見て物言えや!」

 力士崩れが棍棒を振り上げ、石畳に叩きつける。砕けた破片が飛び散り、町人の悲鳴が夜に響いた。


 背後に土方歳三。冷ややかな声が落ちる。

「群れようが同じだ……まとめて斬る」

 踏み込んだ刹那、鋭い袈裟懸け。分厚い肩口が裂かれ、力士は呻き倒れた。返す刃も正確で、冷徹なまでに容赦がない。


「くそだらぁ!」

 別の力士が横から突進する。


 沖田総司が一歩前へ。笑みを浮かべたまま白刃を走らせる。

「よっと」

 振り下ろされた棍棒は真っ二つに裂け、男の手から火花とともに弾け飛ぶ。沖田はその勢いで逆袈裟にもう一人を斬り伏せた。

「ほら、そっちも退場」

(……遊んでるみたいやのに、容赦ない)


 近藤は正面の巨漢と真正面から組み合った。

「うおおおッ!」

「なめんなぁ!」

 ぶつかり合う衝撃で石畳が鳴り、周囲の浪人さえ息をのむ。最後は近藤の咆哮とともに力士が叩き倒され、地面が大きく揺れた。


 そして――闇の中から音もなく踏み込む影。

 声ひとつなく、突きは稲妻のごとく浪人の胸を正確に貫いた。倒れるまで一息の間もない。血を払う仕草すら淡々としていた。


(……誰や、あの人。人を斬ることを当たり前にしとる眼や)


 暴徒の叫びは次第に弱まり、通りに静けさが戻っていった。

 「俺の出番はなさそうだな」

 藤堂が口をゆるめた。

 荒い息と血の匂いがまだ残る中、弥生は胸を押さえたまま藤堂に身を寄せた。

「さっきの剣士……どなたです?」


 藤堂は一瞬だけ口をつぐみ、斎藤の背を横目で追った。闇に溶けるように歩き去るその後ろ姿は、仲間ですら声をかけづらい気配をまとっている。

「……斎藤一さん。三番隊の隊長だ」


 声をひそめるように続ける。

「突きの速さは京でも知らん者はおらん。闇夜でも迷いなく急所を射抜く。……あれに狙われたら、まず助からん」


 弥生はごくりと唾をのんだ。冷気のような感覚がまだ背筋に残っている。

「そんな人が、新選組に……」


 藤堂は苦笑した。

「土方さんの信頼も厚い。けどな……あいつは“剣”そのものだ。感情で動くんじゃない。人を斬ることに、一片の迷いも持たない」


 その言葉に、弥生の胸はざらついた。名を知ってもなお、得体は知れない。

(斎藤一……まるで刃そのものやな)


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