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瓦版娘の事件帖  作者: 三毛猫
京を守る者たち
7/12

六話 浅葱の誓い

 夕闇の街角では、すでに瓦版を売り歩く声が響いていた。

 「新選組の芹沢鴨、斬殺――! 血煙に消えた狼の最期や!」


 立ち止まると、腰に太鼓をつけた若い瓦版売りが人だかりをつくっている。人々は口々に銭を払っては紙を受け取り、ざわざわと噂を重ねていく。


 弥生も一枚買い求め、歩きながら広げた。墨の匂いがまだ濃い。


 ――【芹沢鴨、深夜の惨劇】

 「新選組、ついに分裂! 副長・土方と斬り合いか」

 「あるいは、長州の浪士どもが報復に動いたとも。八月十八日の怨み、ここで晴らしたか」

 「芹沢は近頃、町人から無理やり銭を巻き上げ、祇園や島原で放蕩三昧。民衆の怒りを買い、その怨念が刃となって返った」

 「最後は血に酔い、酒に溺れた挙げ句、夢うつつのまま斬られたという」


 弥生は思わず舌打ちした。

(……やっぱり憶測や。見てもないことを、よう書けるもんやな)


 だが、読み進めるうちに、ふと目を止める行があった。


 弥生が目を止めたのは、紙面の下段――一見地味な欄だった。


  ――【芹沢鴨という男】

 水戸浪士の生まれ。荒々しき気性にて、郷里でも騒動多く牢入りしたと伝わる。

 上洛の後、同郷の者と壬生へ集い、新選組局長に。


  歩きながら紙面をたたみ、弥生は考え込む。


 (……水戸浪士? そういや新選組は、京に流れ着いた浪士の寄せ集めやったな。近江、土佐、長州……色んなとこの訛りが飛び交ってた)


 夜風に揺れる行灯の灯を見上げ、さらに思いを巡らせる。


 (水戸といえば……攘夷浪士の多い土地柄やったはず。天狗党やら、京に潜り込んだ過激な連中の噂もよう聞いた。そんな土壌で育った人間やとしたら……)


 気づけば島原の門前に立っていた。弥生は門番に声をかける。

 「今朝方、遊女がひとり戻って来て、すぐにまた出たことはありませんでしたか」


 「そんな話は知らんな」

 門番は素っ気なく答える。

(正面から聞いても無駄か……)


 「新選組の藤堂さまに確かめてほしいと頼まれているんです」

 「新選組から? ……なら少し待て」


(藤堂さまの名を借りさせてもろた……さすが御所守りの新選組、効果は抜群やな。まぁ、この前手伝った礼もまだもろてへんし、これくらいはええか)


 やがて門番が戻ってきた。

 「確かに一人、遊女が朝方帰ってまた出ていった。名は分からんが、芹沢さまがご贔屓の遊女やということで、特別に許したそうな」


 「ありがとうございます」


(……やっぱりお梅さんは生きとる。それもおそらく自由の身で……)


 風間屋の帳場に戻り、筆を執った。だが白い紙を前にしても、墨は一文字も落ちてこない。


(芹沢鴨はただの乱暴者やったのか。それとも信念を持った侍やったのか。酒と女に溺れて斬られたのか、何かを背負った代償やったのか……)


 筆先を紙にあてては止まり、また持ち上げる。幾度も繰り返すうちに、灯明の火が小さく揺れた。

 一つの予測は浮かぶ。だが憶測だけでは瓦版にならない。筆を置き、目を閉じても答えは出ず、胸のざわめきばかりが増していった。


 弥生はついに決めた。

(――真実を確かめなあかん。明日、新選組の屯所へ行って確かめる)


 翌日。まだ朝の光が淡く町を包むころ、弥生は再び壬生の屯所へと足を向けた。

 通りには野菜を担いだ農人や、早立ちの商人の姿がぽつぽつと見えるだけ。昨日のざわめきが嘘のように静かだった。


 角を曲がったその時、浅葱の羽織が目に入った。

 長い髪の若い隊士が軽やかに歩いてくる。細面に大きな瞳、どこか少年のような笑みを湛えた顔――沖田総司だった。


 (……この人なら、聞きやすいかもしれん)

 胸の奥でそうつぶやき、弥生は思い切って声をかけた。


 「……あの、沖田さま! 沖田総司さまでよろしいですか?」


 振り返った総司は、にこりと目尻を細める。

 「やあ、風間さん。昨日は野次馬の中にいたろう? 元気そうでなにより」


 (……この人、よく見てはるな)


 「どうして僕の名を?」


 「藤堂さまから伺いました」


 「なるほど、平助の縁か。あいつが世話になってるね」


 柔らかな声に、胸の緊張が少しほぐれる。

 「実は……お尋ねしたいことがありまして」


 「立ち話もなんだし、お茶でもしながらにしようか」

 総司は軽く肩をすくめ、近くの茶屋を指さした。


 二人は暖簾をくぐり、座敷に腰を下ろす。湯気の立つ茶碗が運ばれる。

 団子を二つ頼むと、総司は茶をひと口すすり、口元にいたずらっぽい笑みを浮かべた。

 「さて……瓦版屋さんは、今度はどんな記事を書こうとしてるんだい?」


 弥生は茶碗を両手で包み込みながら、少し言い淀んだ。だが、思い切って口を開いた。

「……実はいま、芹沢さまのことを書こうとしてるんです。けど、ただの乱暴者が斬られたってだけやなくて……自分なりに考えたことがあって」


 沖田は何も言わず、ただ穏やかな笑みを浮かべたまま、こちらに耳を傾けている。


「芹沢さまは……わざと新選組の評判を落とさざるを得なかったんやないかって思うんです。もしかすると、攘夷浪士か、他の敵対する連中に人質を取られていたのかもしれへん。遊女とか、地元の身近な誰かを楯にされて……。芹沢さまは元々、攘夷浪士の多い水戸のご出身ですし、そう考えてしまうんです」


 弥生は息をつぎ、茶碗を膝の上に置いた。

「けど、どんな事情があったとしても、京の治安を乱すのはもう見過ごせん。……最終的に、会津さまから暗殺の命が下ったんやないかと思うんです」


 総司の黒い瞳が、わずかに細められた。笑みは崩れない。


 「その役目を担わはったんは……おそらく土方さまやと思います。あの方は責任感の強いお人やさかい、汚れ役を人に押しつけるようなことはなさらへんでしょう。せやけど――せめてお梅さんだけは“亡くなった”ことにされて、土方はんの采配で島原から解放されたんやないかと。芹沢さまから託された多額の銭と一緒に……。元々、芹沢さまはお梅さんを見受けしようと考えてはったみたいですし」


 言い終えて、弥生は唇を噛んだ。自分でも大胆すぎる推測だと分かっている。それでも、黙ってはいられなかった。


 沖田は茶碗をそっと置き、ふっと鼻で笑った。

「……なるほどね。瓦版屋さんは面白いことを考える」


 それ以上は肯定も否定もせず、ただ湯気の向こうで笑みを浮かべていた。


 沖田は湯呑みを指先で転がしながら、ゆるやかに言葉を継いだ。

「その推測が当たっているかどうか……僕の口からは言えないよ」


 弥生は思わず身を乗り出したが、総司は相変わらず穏やかな笑みを崩さない。


 「でも、これだけは確かだ」

  短く区切ってから、静かな声で続けた。

 「僕たちは、芹沢さんを最後まで仲間だと思ってた。誰も、こんな結末なんて望んじゃいなかったんだ」


 ちょうどその時、団子の皿が運ばれてきた。甘辛い醤油の香りがふわりと漂い、張りつめていた空気をわずかに和らげる。総司は串を手に取り、そのまま団子をひとつ口に運んだ。


 少し間を置いて、目が遠くを見るように和らぐ。

 「昔は、僕もよく面倒を見てもらったんだ。芹沢さんは親分肌だからさ……兄貴みたいに世話を焼いてくれてね。色々ご馳走してもらったりもしたよ」


 団子の串を手にした総司は、ふっと笑みを深める。

 「酒と暴力ばかりのように言われるけど、ああ見えて気前がいい人だった。困ってる仲間がいたら、銭をぱっと出して助ける。そういうところもあったんだ」


 その言葉に、弥生は胸を衝かれたように黙り込んだ。

 茶屋の外では、朝のざわめきが遠く響いている。けれど座敷の空気だけは、不思議なほど澄みきって重かった。


 総司は串を静かに皿に戻し、茶をすすった。団子を食べ終えると、ふっと口元をほころばせる。

「――記事を書くときは、よく考えて書いてほしいな。弥生さんなら、きっといい文章を書いてもらえると思うから」


 それだけ告げると、懐から小銭を出して卓に置いた。弥生の分まできっちり払うと、軽やかに立ち上がる。


 「じゃあ、またね」


 振り返りざまに、にこりと笑って暖簾をくぐる。その背中は朝の光に溶け込み、すぐに雑踏へと消えていった。


 残された弥生は、皿の団子を見つめたまま動けずにいた。香ばしい匂いと総司の言葉だけが、胸の奥にいつまでも残っていた。


 風間屋に戻った弥生は、帳場に腰を下ろした。

 白紙を前にして筆を構えるが、思考は揺れ続ける。噂を並べれば簡単だ。けれど、それでは昨日の瓦版屋と同じ。自分が見て、聞いて、感じたことを書かねばならない。


 灯明の火が小さく揺れる。やがて、弥生は意を決して筆を走らせた。


 ――【文久三年九月十六日 芹沢鴨斬らる】

 壬生浪士組の局長・芹沢鴨、今宵ついに血に倒る。

 酒に狂い、女に溺れ、町を荒らす乱暴者。

 されど子分には情け深く、銭を惜しまぬ伊達男。

 無頼にして花あり――まさに傾奇者(かぶきもの)(かがみ)

 恐れられ、慕われ、ついに月影の庭に果てたり。


  筆を置いた弥生は、大きく息を吐いた。

(……これでええんやろか。誰もほんまのことは知らん。それでも――この人が、ただの乱暴者だけやなかったことは書き残しておきたい)


 灯明の火は細く揺れ、夜更けの帳場に静けさだけが満ちていった。


 翌日、刷り上げた瓦版を新吉に託し、町へ売りに出した。

 「芹沢鴨、斬らる――!」

 声を張り上げる小僧の後ろを、弥生は少し離れて歩きながら見守った。


 だが、足を止める者は少ない。既に他の瓦版屋が派手な見出しで町を賑わせており、弥生の記事は後れを取っていた。

(……やっぱり出すのが遅かったんや。それにうちの記事は、血も涙も足りひん。迫力が足りひんかったんやろな)


 胸の奥に冷たいものが広がるその時、浅葱色の羽織をまとったひとりが、ふと足を止めた。


 土方歳三だった。


 銭を払って瓦版を受け取ると、目を走らせ、短く吐き捨てるように言った。

 「傾奇者か……物は言いようだな。まぁ、町娘にしちゃあ上等な文章書くじゃねぇか」


 弥生の胸に、ちくりと刺さる。

(町娘のわりに、は余計や……)


 けれど土方はもう視線を紙から外し、背後の隊士に合図を送っていた。数人の新選組が近づき、無言で何枚かまとめて買い求める。


 そのとき、弥生の目はふと土方の手元にとまった。袖口から覗いた白い肌に、薄いながらも生々しい刀傷が走っている。

 息が詰まり、思わず胸を押さえる。


(あれは……斬られた跡や。やっぱりあの夜、芹沢さんと刃を交えたんやろか。世間じゃ“寝込みを襲った”言う噂ばっかりやけど……ほんまは正々堂々、命をかけた勝負やったんかもしれん。って……考え過ぎか)


 自分で考えてて可笑しくなり、弥生は肩をすくめた。

 事実は闇の中だが、その姿にふと「侍の義」の影を見た気がした。


 そのまま浅葱色の群れは歩き去った。

 白く揃いの羽織が陽を反射して、遠ざかる背が大きく揺れる。


 弥生は胸の奥で、ふとつぶやいた。

(……あの浅葱は、これからも芹沢さんと共に歩いていく。そういうことなんやろか)


 風に翻る羽織は、まるで斃れた仲間の魂をも連れて歩むかのように、京の辻へ消えていった。


 ――元治元年九月十六日(1863年10月30日)。

京の夜に血が落ち、新選組局長・芹沢鴨は八木邸に斃れた。

内輪の手か、外敵の刃か――噂は錯綜し、真実は闇に沈む。

のちにこの夜は「芹沢鴨粛清」と呼ばれ、浅葱の羽織とともに語り継がれていく。

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