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瓦版娘の事件帖  作者: 三毛猫
京を守る者たち
4/12

三話 天誅組の影

 ――二日目の夜。片付けの合間を縫い、裏口からそっと外へ出る。夜風が頬を撫で、祭りのざわめきが遠くで揺れていた。

 「……で、どうだ。進展はあったか」

 暗がりの中から、藤堂が姿を現す。

(……やっぱり来てたか)


 「台所と座敷を行き来するだけですが……芸妓や舞妓の口から、それとなく話が漏れます。客筋も、だんだん見えてきました」

 「上出来だな」


 満足げに頷いた藤堂の視線が、ふいに指先へ落ちる。赤く荒れ、ひび割れているのは自覚があった。

 「……おい。慣れねえ仕事で、手を痛めてるじゃねえか」

 「な、なな、何を」


 藤堂は懐から小さな布切れを取り出す。差し出すのかと思いきや、そのまま手をつかまれる。

 「動くな」


 冷水にさらされ続けた指先は細かく割れ、ひとつはぱっくりと裂けていた。布を巻き、きゅっと結ぶ。荒っぽく見える手つきなのに、締め加減は妙にやさしい。

 「……ありがとうございます」

 「礼はいらねえ。無理すんな。お前が倒れたら、俺が困る」


(……意外に優しいんだな)


 奉公の日々は、息を継ぐ隙がない。台所と座敷の往復、桶水で指は割れ、布を巻いてもしみる。働けば、まだ働けることが分かるのが厄介だ。


 奥の座敷を掃除していると、同い年ぐらいの舞妓が鏡台で紅を直していた。

 「新しい子やろ? うち、琴音いうんや。よろしゅう」

 ぱっと咲く笑顔は、警戒を溶かす薬効あり。以後、支度部屋や廊下で出会うたび、座敷の噂がこぼれる。

 「昨夜のお客は薩摩の浪士はんやった」「あの豪商、懐よう膨れてた」――何気ない言葉の端から、世情のきな臭さは充分に匂う。


 ある夜、琴音がひそひそ声。

 「聞いてぇな。うち、姐さんに連れられて升屋の座敷に出たんやけど――」

 紅の口がかすかに震える。

 「商人と浪士はんがおって、“まとまった金は揃った。あとは渡すだけや。ごじょう?に届ければ、天誅が下る”て」

(……ごじょう? 天誅。物騒な言葉やな、ただ事やない)


 その夜、裏口で藤堂に全部報告。

 「商人と浪士の席で、金の話と“ごじょう”“天誅”をと」

 藤堂の顔が険しくなる。

 「奉行所に知らせる。でかした」

 「“ごじょう”言うても……どこを指してはるのか、よう分かりまへん。名の付くとこは、ようけございます」

 「だな。引き続き目を光らせろ」


 太鼓の音が遠く、祭のざわめきが風に乗る。

 「まぁ、報せは得た。明日になったら上に渡す。今夜はこれで十分だ」

 ふっと表情を緩め、こちらを見る。

 「張りつめた顔して働きづめだな。今夜くらい、気を抜け。ほら、行くぞ」

 「どこに……女将に叱られます」

 「叱られる前に戻りゃいい」

 「そ、そんな勝手な――」


 腕を取られて人波へ。祭りの屋台の明かりの下の横顔は、頼もしいこと、ずるいこと。肩の力が勝手に抜ける。

 団子を買って押しつけられる。

 「食え。働き過ぎで痩せられたら困る」

 「……子ども扱いはやめてください」

 口は尖るが、香ばしさには勝てない。つい、ほうばってしまう。


 通りを抜けると、金魚すくいの水面が灯に揺れる。赤白の影がひらり。

 「ほれ、手ぇ出してみ」

 「無理です。こういうの苦手で」

 「破けたら、また挑戦すりゃいい。回数をこなせば上手くなる。」

 軽口なのに、妙に胸に沁みる言い方をする。


 人の波に押され、思わず袖をつかむ。

 「……はぐれるなよ」

 短い言葉に、こくりと頷く。

(兄がいたら、こんな感じ――かも)


 花火が咲き、歓声。兄の背を追う妹みたいに、見失わないよう歩く。屋台の匂いが遠のくと、胸の内にぬるい温かさが残った。

(……こんな時間が訪れるとはね)


 ざわめきが薄れる頃、藤堂が手を振る。

 「楽しかったな。そろそろ戻れ。無理して倒れるなよ」

 「……はい。ありがとうございました」


 深く頭を下げて裏口へ。格子戸の向こうは、桶と箒の匂い、足音の往来。

 ひと息つけた分だけ、足取りは軽い。

(さ、仕事。まだやることは残ってる)


 少し日を置いて。座敷の隅で膳を運んでいると、澄んだひそ声が耳に触れる。酒と三味線の中でも、そこだけ輪郭が立っていた。

 若い舞妓が、浪士に小さな包みを差し出している。紅の口は笑っているが、声には張り。

 「どうか…… どうか、帝がお戻りになる時、都に明かりが灯りますように」


 几帳面に結ばれた包みは、小さいのにやけに重たそうに見えた。

 「帝の戻る都」「明かりが灯る」――二つの言葉が胸に絡みつき、膳を持つ指が震える。

 (まだ決め手が足りん……もう少し探らな)


 ――夜更け。帳場は静まり返っていた。周囲に目を配りながら棚を探る。いくつかの帳簿を引き出し、胸のざわめきに抗えず紙面を繰る。

 墨痕も新しい文字が目に飛び込んだ。――「藤本鉄石(ふじもとてっせき)」。


(……あの座敷、藤本鉄石いう名義で取られとるな)


 次の帳をめくろうとした刹那、背に影が落ちる。


 「……おまえ、何をしている」


 振り返れば、浪士が刀を抜き放って立っていた。閃いた刃の光が畳を走る。


 「わ、私は……帳場の掃除を仰せつかりまして……」

 慌てて袖で帳簿を閉じ、隠すように押しやる。

 「すぐ片づけて……水を汲みに参ります」


 刺すような視線に胸が凍る。襖を払い、外へ飛び出した。


 「待てっ!」


 夜気が肌を刺す。足音が追ってくる。角を曲がった先に、見慣れた背中があった。


 「藤堂さま!」


 「捕らえたぞ、覚悟!」


 浪士の刃が振り上がる刹那、弥生はしゃがみ込み、目を瞑る。

 次の瞬間――藤堂の刀が閃き、火花が散った。響いたのは鋼の打ち合う音。崩れ落ちる影。鬼気は一瞬、すぐに鞘音へと変わった。


 「……大丈夫か」


 声はやわらかいのに、胸の震えは収まらない。

 「はい……ありがとうございます」

 言葉を絞り出すと、弥生は唇を噛んだ。

 「でも……どうして。いつもは出たところにおられるのに、こんな時に限っておられへんのですか」


 藤堂は気まずそうに頭をかいた。

 「すまんすまん。待ってるだけじゃ退屈でな、散歩がてら少し見て回ってたんだ」


 「……それでも、助かりました。ありがとうございます。仕事に戻ります」

 「もう戻るのか。お前はほんまに強いな」

 「長いこと席外してたら怪しまれますし、この浪士が消えたんも不審に思われますやろ。……それに、私おらんようになったら困る言うてはりましたやん? ……次は、ちゃんと見張っといてくださいね」

 弥生は、からかうように少し意地悪なことを言った。

 

 「あぁ、すまんかった」

 藤堂は苦笑して頭をかき、肩をすくめた。


  翌日、奉行所へ報せに上がると、役人の顔がきゅっと引き締まった。

 「――“帝がお戻りになる時、都に明かりが灯りますように”。……ふむ、どういう意味やろな。帝はずっと京におられる、戻るというのはおかしい話や」


 藤堂が口を開く。

 「もしかすると、巷で流れている噂で……帝が奈良へ行幸なさる、という話があるんです」


 役人は頷き、低く言った。

 「なるほど……京の五条やのうて、狙いは奈良の大和五條(やまとごじょう)、というわけか。折しも帝の行幸の噂。舞妓を通して流れた金は、挙兵の資金と見て間違いあるまい」


 弥生は息をのむ。

 「それと……舞妓と浪士が話していた座敷の名義が、藤本鉄石と記されていました」


 役人の目が細くなる。

 「藤本鉄石――土佐を脱藩した儒者や。南都の僧とも通じ、奈良に深い繋がりを持っとる。奴が関わっとるとすれば、“帝の行幸”を口実に浪士を集めておるに違いない」


 やがて役人は、弥生に向き直った。

 「瓦版屋の娘、ご苦労やった。礼金は帰りに受け取るがよい」

 「ありがとうございます」

 弥生は正座のまま、深々と頭を下げた。


 奉行所を出ると、藤堂が肩を竦めて笑う。

 「ま、俺の役目もここまでだな」


 「ほんまに……ありがとうございました。藤堂さまがおられたから、安心して捜索できました。毎晩遅くまで、よう付き合うてくださって」


 「見守るのも、まんざら悪くはなかったけどな」

 「はぁ?」

 弥生は思わず首を傾げる。

(不思議なことを言う人や。あんな大変な役目なのに……ほんま、仕事が好きな人なんやな)


 やがて文久三年八月十七日(1863年9月23日)、――「天誅組の変」。

吉村寅太郎(よしむら とらたろう)真木和泉(まき いずみ)松本奎堂(まつもと けいどう)藤本鉄石(ふじもと てっせき)――大和五條で挙兵。だがその動きは既に読まれており、京からの密報もその一端であった。


 幕府方の追討を受け、天誅組はあえなく散る。報せはすぐに京へ届き、弥生は瓦版に仕立てて街に配った。瓦版が配られるたび、町はざわつき、不安の声が交じる。

(“五條”の解釈ひとつで、誤報になりかけた。噂も瓦版も、聞きよう・書きようで真実から遠のくこともある。――筆を執るにも、言葉を選ばんとあかんな)


 戦の噂は、私の手を離れた途端、大きな渦に呑まれていった。その先に何があったのか、私には分からない。町で日を送る一人の娘にすぎないのだから。

 ただ、あの舞妓の震える言葉だけが胸に残った。

(……“灯り”は、誰のための、何のための灯やったんやろ)


 命を呑みこむ炎は、志を照らす灯火か、それともただの業火か。

 答えは出ぬまま、小さな棘のように胸に刺さり続けた。

 ――この出来事こそが、のちに京で語り継がれる「天誅組」の影である。

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