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瓦版娘の事件帖  作者: 三毛猫
洛中炎上
10/11

二話 仕組まれた騒ぎ

 騒ぎが収まり、通りには荒い息と血の匂いだけが残った。縄を打たれた力士崩れが、悔しげに地べたへ座らされていく。

 弥生は人垣の端に立ち、身を乗り出すように耳を澄ました。

(ひょっとしたら、また話のたねが拾えるかもしれん)


 「……おい。誰に指図されて暴れた」

 土方が冷えた声で問いかける。


 力士のひとりが鼻で笑った。

 「知るかいな。わいらは好きに暴れただけや。おのれらかて同じやろ」


 土方の眉がぴくりと動く。

 「一緒にすんじゃねえ。俺たちはこの町を守るために刀を抜いてんだ。お前らは銭のために暴れてるだけだろうが」


 その隣で、別の力士が薄笑いを浮かべた。

 「ふん……狼ごときが、名前もろうてええ気になりよって。守れるもんやったら守ってみぃ、この京の町を」


 土方の眼が細まり、刀の柄に手がかかる。

 「なんだと……」


 「(とし)、やめとけ」

 近藤が低く制した。どっしりと腕を組み、浪士たちを睨み据える。

 「こいつらは屯所で吐かせりゃいい。……歩け」


 縄をかけられた力士たちは、唾を吐き捨てながら引き立てられていった。土方と近藤がその列を従え、通りの奥へ消えてゆく。


 残された静けさの中、弥生の耳にはまだ「守れるもんやったら守ってみぃ」という言葉が刺さっていた。

 弥生はしばしその背を見送り、顎に手を添える。

(……あの浪士の言い回し、胸に引っかかる。やっぱり、まだ裏で何かが動いてるんやろか)


 「――おい」

 背後から気安い声。振り返れば藤堂平助が腕を組んで立っていた。

 「また何か首突っ込もうとしてる顔してるな」


 「い、いや……別に。ただ、少し気になっただけや」

 弥生は慌てて手を振る。


 藤堂は半眼でじろりと見下ろし、深々とため息をついた。

 「まったく……お前は話のたねのためなら火の中でも飛び込む気だな。ほんと、呆れるな」


 弥生はごまかすように笑い、目線を逸らした。

 けれど胸のざわめきは、どうしても消えてはくれなかった。

(ただの銭欲しさに暴れただけやない……裏に、まだ何かある気がする)


  そのとき、弥生の視線の先で、闇に溶けるように歩いていた男がふと足を止めた。

 斎藤一――先ほど稲妻のような突きを放った三番隊長だ。薄暗がりに鋭い目が光り、こちらを射抜いた気がして、弥生の胸がきゅっと縮む。


 「……斎藤さん」

 藤堂がすかさず声を掛け、一歩前に出る。

 「今夜も鮮やかな手並みでした。お疲れさまです」


 斎藤は軽く顎を引いただけで返事とし、すぐに視線を弥生へと移した。

 (……この人……さっきの“突き”の)

 背筋にまた冷たいものが走り、弥生は思わず息を止めた。


 「……その娘は?」

 低いが通る声。土方のようにぶっきらぼうではないが、感情を表に出さぬ響きに圧があった。


 「ただの町娘です」

 藤堂は笑みを浮かべて肩をすくめる。

 「前にちょっと縁があって、うちの仕事を手伝ってもらったことがありまして」


 「……そうか」

 斎藤は短く返し、なおも弥生を射抜くように一瞥(いちべつ)した。その目はなにかを測っているような冷たさがあった。


  そして藤堂へと視線を戻す。

 「――今夜は、同じような騒ぎがもう何件か起こってる。お前も気をつけろ」


 藤堂はきりりと背を伸ばし、真剣にうなずいた。

 「承知しました」


 斎藤はそれ以上は何も言わず、踵を返して夕暮れの通りへ歩み去った。沈みかけた陽に背を染め、その姿は人波にまぎれていく。声をかける隙も与えないまま、あっという間に見えなくなった。


 「……さて、俺も巡回に戻らないとな」

 藤堂が弥生に笑みを向ける。

 「余計な首を突っ込みすぎるなよ。じゃあな」


 軽く手を上げて、彼もまた通りの向こうへ消えていった。


 残された弥生は、ふたたび顎に手を添え、思案に沈んだ。

(同じ日に何件もこんな騒ぎ……そんな偶然、あるやろか。……やっぱり、裏で誰かが仕組んどるんかもしれん。もう少し調べてみる必要があるな)


 弥生は落ち着きを取り戻し始めた市で聞き込みを始めた。


 「いやぁ、えらい目にあったわ」

 八百屋の主人は青菜を並べながら、声を潜める。

 「あれだけの力士が一斉に暴れだされたら、どうにもならん。けどな、妙なんや?まるで合図でもあったみたいに暴れだしたんや」


(合図?誰が出したんだ)


 お茶屋さんでは女将が同じようなことを言った。

 「力士らの後ろに、身なりのきちんとした浪士がおったそうな。人目忍んで、あれこれ指図しとったんやて」


 どこも同じ噂。――ただの乱闘ではない、と胸の奥で確信に近いものが膨らむ。


 町の出入り口――木戸口に立つ番士に尋ねてみると、男は眉をひそめて深いため息をつい

 「嬢ちゃん、今の京は火薬玉みたいなもんやで」

 番士は声をひそめる。

 「色々物騒な噂が出てる。御所を焼き討ちにして帝を連れ出す算段までしとる、そないな噂もあるんや。奉行所も新選組も阻止しようと血眼になっとる」


(……やっぱり何か企んどる人物がいるんやな)


 番士はふと余計なことまで口にした。

 「そうそう――昨日の騒ぎの最中、門番の何人かも鎮圧に駆り出されとったんや。あの人数、新選組だけやと抑えきれん。おかげで木戸が一時手薄になったんや」


(木戸が手薄? ……つまり、その隙に誰かが出入りしていても不思議やない)


 帰り際、最近顔なじみになった荷車押しの清吉(きよきち)に出会った。市中で荷役をして稼ぐ男である。

 「弥生ちゃん、相変わらず忙しそうやなぁ」

 「清吉さん……今日もよう働いてはるね」


 日焼けした頬に人懐っこい笑み。けれど、荷車を止めるたびに、手拭いで手すりをさっと拭い、指先を無意識に動かす癖があり、それが妙に耳についた。


(……変な癖やな)


 「最近、荷車が消えたり……不思議な運び込み、なかった?」

 問いかけに、清吉は一瞬だけ目を細め、すぐに笑顔を作る。

 「……まぁ、そんな噂もちらほら聞くけんど」

 「けんど……?」と弥生が首をかしげると、彼は慌てて言い直した。

 「いやいや、荷なんて毎日ようけ動いとるさかい、珍しいことやあらしまへん」


(……今、言いかけたん……土佐の言葉? 気のせいかな)


 弥生はわずかに眉を寄せたが、清吉はいつもと変わらぬ調子で荷車を押し直していた。


(そうか……京の町なら取引も多いし、そういうもんかもしれん)


  荷車の噂を追って市中を歩き回ったものの、はっきりした証拠は得られなかった。

 (見た、とか、消えた、とか……どれも曖昧や。結局何か運ばれたかもくらいしか分からん)


 小板に走り書きをしていた弥生は、ふぅと溜め息をついた。

(さて……買い物も済ませとかなあかん。あ、せや、この間手伝ってくれたお礼に琴音へ差し入れしとこか)


 団子を包んでもらい、祇園へ足を向ける。


 松葉屋に着き、琴音の部屋の戸を叩いた。

 「弥生やない。どうしたん?」

 戸を開けた琴音に、団子を差し出す。

 「差し入れや」

 「まあ、ありがと。今お茶いれるから上がっていき」


 二人で団子をつまみながら話をしていると、ふと弥生は先日の騒ぎを口にした。


 「……門番が持ち場を離れた隙に、荷車が出入りしたんやないかと思うんよ」

 琴音の眉がぴくりと動く。

 「なるほどね」


 弥生は身を乗り出した。

 「これ、町の人に知らせたらどうやろ。大事になる前に注意を広めといた方がええと思うんし。瓦版に書いてもええやろうし」


 琴音は腕を組んで考え込む。

 「みんなで警戒できるなら悪くないかもしれんけど……」

 「でしょ?」

(“消えた荷車、その行方は――”……ええ見出しや。売れるわ)


 が、次の言葉でぴしゃりと水を差された。

 「でも、やめといたほうがいいと思うよ」


 弥生は目を瞬く。琴音は静かに続けた。

 「そんな憶測を記事にしたら、京の守りが甘いって触れ回るのと同じやろ。奉行所も新選組も怒るんとちゃう? ……下手したら、敵に回すことになるかもよ」


 弥生はぞくりとした。想像しただけで背筋が冷える。

(……琴音の言う通りやな。銭になりそうな話題やけど、命あってのことやもんな)


 「弥生がおらんと、うちの話し相手もおらんようになってまう。危ないことには気ぃつけてな」

 「……ありがとう。そう思ってくれてるんやったら、嬉しい」


 銭の匂いに心は揺れるが、やっぱり無理はできない。

(やめとこ。別の話題、また一から探せばええやん)


 気を取り直そうとしたとき、琴音がぱっと顔を上げた。

 「そうや。弥生、お願いあるんよ。うちと一緒に島原の出座敷に来てくれへん? 一緒に行くはずやった手伝いの子が体調崩してしもうてな。ひとりは心細いんよ」

 子どもみたいに頭を下げられては、断りにくい。


 弥生は団子を口に運びながら考える。

(……まあ、手伝い言うても裾直しとか荷物持ちやろ。瓦版は今ちょっと手詰まりやし。それに、島原なら――思いがけんネタが転がっとるかもしれん)


 「わかった。行くよ」


 父には「気をつけて行け」と釘を刺され、心配そうな目で送り出された。

(心配性やなぁ……まあ、間違ってへんけど)

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