コンビニ店員の冬の朝
頭の上のベッドフレームに置いている、スマホのアラームで目を覚ます。
寒い。もぞもぞと毛布にくるまって寝返りを打つ。まだ寝れる、そんな思考で二度寝して、微睡んだところで2度目のアラームが容赦なく響いた。それも手を伸ばして音を止める。
薄目を開くが、部屋は真っ暗だ。カーテンの隙間から漏れる光は無い。
(まだ夜じゃん)
これで起きなければ遅刻、の最終通告アラームを止めるためにスマホを手にとる。時刻は4時15分。寝ぼけた瞳に刺さる、けたたましい明るさ。
「起きなきゃ」
柚音はゆっくりと覚悟を決めて、布団から起き上がった。
「さむ……」
窓際から入り込む冷気は、布団で温まった体を容赦なく冷ます。
しかしおかげで目も覚めた。
立ち上がって部屋の電気をつける。スマホの光とは比べ物にならない明るさに、瞳が一瞬の痛みを覚えるが、ギュッと目を瞑ってそれを乗り越えると、柚音は顔を洗って髪を梳かし、軽く化粧をして着替え、自転車に飛び乗った。
5時からのシフトのために、まだ暗いうちに自転車を漕ぐ。顔に刺さる冷気はどうしようもないが寒いものは寒い。
マフラーを鼻先まで引き上げて、星もまばらな空を見上げながら、ペダルを踏む。
冬の早起きは辛いが、キンと冷えた空気を吸い込むと体の中まで澄んだ空気が染み込んで、淀んだ空気と入れ替えられるようだ。生まれ変わった気分になる。
10分ほど自転車を漕いで、バイト先のコンビニに到着した。
「おはようございまーす」
「おはよう」
レジ裏では、店長が1台だけ備えてあるパソコンに向かって何かを打ち込んでいる。
この時間は客足も途絶えるため、表のレジにも店内にも誰もいない。
柚音はダウンジャケットを脱いで、無地のYシャツの上にコンビニの制服を被った。
「じゃあ私は一旦帰るからね。あとよろしく」
「はい。お疲れ様でした」
店長は5時を過ぎて柚音と交代すると、欠伸をしながら家に帰って行った。
(店長も大変だなあ…。今日また夕方からシフトだよね。帰って寝るのかなぁ)
柚音が手を洗っていると、来店を告げる音が鳴る。
「いらっしゃいませ〜」
常連のおじいさんだ。いつもおにぎりを2つとお茶を1本買っていく。
「415円です」
今日もいつもと同じ商品を買っていった。
それからまばらに訪れる客のレジをして、新聞と届いた商品の品出しをする。
そして店内の簡単な掃除と、ゴミ袋の取り替えだ。古いゴミ袋を両手に持って、店の外へ出る。
「はあ〜、寒っ」
外はいつの間にか太陽が登っていて、ビルとビルの間から覗く狭い空には朝焼けが広がっていた。
柚音はこの一日の始まる、騒がしくなる少し前の静寂が好きだ。今日は何が起こるのだろうと、わくわくして気分が高揚する。
もうすぐ忙しくなる時間、最後に灰皿の交換をしようと水を汲んで外に出ると、その灰皿の隣には煙草を咥えた人が佇んでいた。
金髪で耳にピアスを何個も付けて、革のジャケットを着ている若い男だ。
指に煙草を挟んで白い煙を吐く姿は、自分とはかけ離れていて、なんだか憧れてしまう。悪いものに惹かれる心情なのは理解しているが、絵になるなあ、と束の間見蕩れた。
(あ〜、これは、今掃除したら邪魔だよね。後にするかあ…)
柚音は踵を返して店内に戻ろうとした。
「これ替えるん?」
不意に声を掛けられて、柚音は驚いた。
「え、あ、はい。でも、後にします。ごゆっくりどうぞ」
すると男は最後に一口煙を吸い込むと、灰皿に煙草を押し付けて火を消し、灰皿の蓋をカポッと開けた。
「邪魔してごめんな。どうぞ」
意外な行動に柚音はまたしても驚いた。人は見かけに寄らない。今どき珍しい親切な人だ。
「あ、すみません。ありがとうございます!」
柚音はせめて早く掃除を終わらせようと、男から灰皿の蓋を受け取り、それを地面に置いて、中の水を溜めている部分を取り出した。
吸殻が溜まって黒く淀んだ水を排水溝に流して、バケツに汲んでいた新しい水でざっと洗う。そして綺麗な水を張って、灰皿の蓋の部分と胴体も軽く拭いて、もとに戻した。
「店員さんは、煙草吸うん?」
一連の柚音の行動を見ていた男が、口を開いた。
「いいえ。吸いません」
「そっか。煙草も吸わないのに灰皿の掃除なんかさせてごめんな」
「え…。ぜんぜん。仕事ですから大丈夫です」
男は申し訳なさそうに片眉を下げて柚音に謝る。本当に気にしなくていいのに、店員にこんな風に声を掛けてくれるなんて、なんだか優しい人だなあと、柚音は思った。
「あの、話しかけてくれてありがとうございました。お兄さんのおかげで、なんだか一日頑張れそうです」
柚音は感謝の気持ちが伝わるようにと精一杯の笑顔を浮かべた。
「そう?ほんなら良かった。朝早くから働いててすごいね」
にこり、と笑った男の予期せぬ表情は、朝の透明な空気も相まって、柚音にはとても綺麗に見えた。
「ありがとうございます。お兄さんも、朝早くからお疲れ様です」
そう言って、少しだけ頭を下げた。
男は笑って手を振ってくれたので、微笑み返して店内に戻る。
入店を知らせるチャイムが鳴って、数人の客が訪れた。
「おはよ〜ございまぁす」
眠そうな顔をしたシフトの相方が、裏から顔を出す。
「おはようございます」
段々と増える客足。忙しくなると時間の流れが早くなって、すぐにシフトが終わる感覚がある。
レジを打ちながら、柚音はそうっと灰皿の方を眺めてみた。空を見上げながら煙草をふかしている金髪が目に入る。
その姿にまた少しのやる気を貰って、これからくる通勤ラッシュに備えるのだった。