表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/21

剣を筆に持ちかえて_6

 紅に色づく森はすっかりと深緑を潜め、一葉一葉が次の季節の到来を予感させる。深呼吸をして森の匂いを嗅げば、ほのかに甘ったるい熟した木の実の香りがする。目を凝らせば、木の影に隠れて小動物がせわしなく動いているのが見える。


 ウィリデは朝早くから森の中を歩いていた。


 ウィリデは調合した薬を届けに集落へ向かっていた。当然、向かう先は人の集落ではない。魔族の住む集落である。ウィリデは作製した薬を対価に集落から食べ物や日用品を手に入れているのだ。


 集落へ向かう道中、ウィリデが考えるのは半年ほど前から共に暮らすルークスのことである。満身創痍の身体は見違えるほど良くなった。元々の体質なのか、強靭な意志の力によるものかはわからないが、少なくともその回復力は常人の域を超えているように思えた。もちろん、人の治療なんて初めてしたので予測でしかないが。


 ルークスの素性をウィリデは知らない。ルークスから話すことは当然なかったし、ウィリデもわざわざ聞くことはなかった。ルークスが聞いて欲しくなさそうな雰囲気を纏っていたからだ。


 それに、絵を描いて貰う上でルークスの素性を知る必要はないとウィリデは考えていた。芸術は誰が描いたかによってその価値を変えることはしばしばあるが、どんな悪人が描いた絵でも美しい絵は美しい絵だ。価値の毀損はあっても美しさの毀損は起きない。それがウィリデの芸術に対する姿勢だった。


 とはいえ、ウィリデはルークスの素性についてあらかた見当を付けていた。


 ルークスの傷は明らかに戦いによって付けられたものだし、ルークスを見つけた場所には剣が落ちていた。数日前に人と魔族の間で大きな戦争があったことを考えると、ルークスはそれに参加していた戦士なのだろう。


 しかし、わからないのはルークスがなぜあれほど芸術に対して造詣が深いかだ。麦畑の美しさの力点を一目で理解したし、本人は隠しているつもりかもしれないがしばしばウィリデの目を盗んで蔵書を読んでいる。その姿は豪放磊落で粗野な戦士のイメージとは大きくかけ離れていた。


(無理に徴兵されたんだろうか……)


 人と魔族はウィリデが生まれる前からずっと対立している。ウィリデからしてみればその対立は病的で、徴兵などという蛮行は理解し難い。戦争なんてものは戦いたい者だけでやればいいのだ。何が原因で起きたのか誰も知らない対立なんて、親から子へ、子から孫へ継承する必要なんてないのだ。


 そんな状況下なのだ。緋色の目をした旅人という前例はあったが、魔族に友好的な人を探すのは不可能に近かった。実際にウィリデは過去に何人か声をかけたことがあるが、ウィリデに剣を向けるか怯えて逃げ出すかのどちらかだった。


 それゆえ、ルークスに対しても期待は持ちつつも期待が裏切られることを覚悟していた。


(ルークスには感謝しないとね……できるだけ彼の希望を叶えてあげたい!)


 蓋を開けてみればウィリデの懸念は杞憂であった。当初、人の言葉を操り芸術を解すウィリデという魔族の存在を訝しんだものの、今ではひとつ屋根の下で暮らす同居人である。芸術への造詣も深く、これ以上ないくらいウィリデの願いを叶えるのに相応しい人だ。ウィリデは感謝してもしきれないくらい感謝していた。


 しかし、だからこそウィリデの心にはトゲのようなしこりが生まれていた。


(身体の治療を盾にとるのは、流石にひどいよねえ……)


 ルークスと過ごすようになってからウィリデは罪悪感を覚えるようになったのだ。出会ってすぐのことだったとはいえ、恩人に対して絶体絶命の身体の治療を盾に、実質的に断ることができない取引を持ちかけてしまったのだ。それはあまりにも不公平で卑怯に思えた。


(ルークスの身体が治ったら、また改めて絵を描いて貰えるようお願いしようかな。今度は、対等な関係で……)


 ウィリデは集落にいる行商にあるものを注文していた。それがあれば改めて絵を描いて貰うときの会話のきっかけになるだろう。


 何かが進んでいる。何かが始まる。そんな予感がウィリデにはあった。


 集落へ向かう足は自ずと速くなり、鼻歌は軽快なメロディーを奏で出す。集落はもうすぐそこだ。



 ウィリデが集落に着くころには太陽はすでに高く昇っており、森全体を強く照らしていた。集落には茅葺き屋根のテントがいくつも並んでおり、集落の外側に向かうにつれて新しいものが建っている。


 この集落には元々三十ほどの魔族が住んでいたが、件の戦争の敗残兵が十体ほど療養のため滞在していた。ウィリデが頻繁にこの集落へ薬を届けるのは、敗残兵の治療に使うためだった。


『おや、薬師さん今日もご苦労さま』

『ええ、こんにちは。本日も薬をお持ちしました』

『毎度ありがとうございます。本当に助かっています』

『最近集落で変わったことはありますか?』

『特に変わりありませんよ。戦士の方々が元気すぎるくらいです』

『ふふふ、それは良かった!』


 集落の顔役に挨拶を済ませるとウィリデは集落の外側のテントに向かった。そこには件の戦争で負傷した子鬼族と大鬼族の戦士たちが療養している。


『おや、薬師さんこんにちは』

『こんにちは。お加減はいかがですか?』

『おかげ様で、すっかり腕は動くようになりましたよ。ウチの若い衆も痛みがすっかり取れたようです』


 ウィリデは戦士長の背中越しに見えるテント内の寝台に目をやった。そこには包帯を巻いた戦士たちが笑顔でウィリデを迎えていた。ウィリデは笑顔を返すが、内心は喜び半分、悲しみ半分だった。


 彼らのうち、半数以上は今後まともな生を歩むことはできないだろう。腕を失った者、片足を失った者、光を失った者、声を失った者、戦士たちの傷は不可逆なものばかりである。薬師であるウィリデは彼らの痛みを緩和することはできても、失ったものを取り戻すことはできない。この集落に来る度に、戦士たちの笑顔を見る度に、ウィリデは薬師としての限界と己の無力さを感じていた。


『それでは今日も薬を処方していきますね』


 処方中は患者である戦士の話を聞くのも薬師であるウィリデの仕事のひとつだった。戦士たちの話は当然ながら戦場での話だった。中でも件の戦いで敵方にいた、やたらと強い人の戦士の話題が多い。


 これは右肘から先を切り落とされた小鬼族の戦士の話である。


『いやあ、一瞬のことでしたね。棍棒を振り掛かったらいつの間にか消えたんですよ、あの金色の戦士が。身をかがめていたんです。視線は私の方が遥かに低いのに、私の視界から消えるくらい低くです。ようやく私がそれを認識して、棍棒を振りかぶる向きを変えた瞬間、手応えがなくなったんですよ、棍棒を握る手応えがね。

 肘から先がバッサリですよ。しかもご丁寧に関節の隙間を縫ってです。あまりにも綺麗に斬られたので、痛みを感じるまでしばらくかかりました。私が膝をつくころには、その戦士はもう目の前にはいませんでしたね。まるで雷光のような戦士でした。

 治療が終わったらどうするんですかって? そうですね……故郷で訓練所でも開きますかね。次世代の戦士を育成するんです』


 そう語った戦士の顔は片腕を失ったというのにどこか晴れやかだった。


 次は片足を失った大鬼族の戦士の話だ。


『あんなに小柄なのに、俺の攻撃を受け止めたんです。それどころか十合ほど打ち合って、こちらが押し切られました。一合一合が重くて鋭いんです。まるで山を相手にしているようでした。

 足を落とされたときは死を覚悟しましたね。偶然味方が駆けつけてくれたおかげで、命は拾いましたが……この足じゃあもう一度戦場に立つのは難しいでしょうね。あの戦いの目的と意義を考えると……とても悔しいですね……。

 傷が完治したら軍に戻ろうと思います。片足は無くなりましたが、まだ俺にできることはあるはずです』


 そう語った戦士は慣れない松葉杖の練習をしながら、悔しさに顔を滲ませた。


 次は比較的軽傷だった子鬼族の戦士の話だ。彼は戦士たちの中で最初に回復し、今では集落の警備やウィリデの手伝いなど、何でもマメにこなしていた。


 そんな戦士は日課の鍛錬中にその重い口を開いた。


『私は幼馴染と共にあの戦士に立ち向かいました。二対一ということもあり、戦いは優位に進みました。しかし、すぐに私の親友に不幸が訪れたんです。

 私の剣が壊れたのです。私と幼馴染は焦りました。

 かの戦士はその一瞬の混乱を見逃さず、幼馴染に猛攻を加えました。当然耐えられるわけがありません。私は幼馴染が斬り殺されるのを見ていることしかできませんでした。

 悪いのは私です。前日、あれほど幼馴染が武器の手入れは欠かすなといっていたのに、私は従いませんでした。私が……あいつを殺したようなものです。

 このままでは終われません。いつかあの戦士と再びまみえて、親友の仇を取ります。そうすることで私の罪を贖います』


 そう語った戦士は濁った目で虚空を見ながら、一心不乱に剣を振り回していた。


 ウィリデは彼らの話を聞いて心を痛めた。戦いに対する嫌悪感は積み重なるばかりだ。戦いなんてなくなればいい、皆絵を描いて、歌を歌った方が幸せになれると考えていた。


 しかし、そう考えていてもウィリデが表立ってその気持ちを行動に示さないのは、その生業ゆえだった。


 薬師とは戦争によって生かされているのだ。戦争があるからこそ薬に大きな需要が生まれ、薬を対価にウィリデは利益を得ている。ウィリデが人の芸術作品を収集できるのもひとえに戦争が存在するからなのだ。


 だから、ウィリデの落とし所は薬で得た利益をできるかぎり患者の治療に使うことだった。現に、今戦士たちに使っている薬は、彼ら自身の収入では手に入れることのできない薬草から作られている。


 そんなことを考えながら薬を処方していると、いつの間にはすっかりと太陽は傾いていた。


(そろそろアレを取りに行かないとね)


 簡単に戦士たちに別れの挨拶をするとウィリデはテントを後にした。次に向かうのは集落の近くにある小さな空き地だ。



『おや、いらっしゃい。待っていましたよ』


 空き地でウィリデを待っていたのは鼠族の行商だった。大きな風呂敷の上に商品を広げて、折りたたみ式の小さなイスに腰掛けながらパイプを使って煙を吸っていた。


『それは止めるようにいったはずですが。多少ならば精神を和らげる効能がありますが、あなたのように毎日吸う方には害しかありません』

『カッカッカ、薬師さんは手厳しい。いいんです、この生業はいつ死ぬかもわからないので。健康な未来ではなく、楽しい今ですよ』

『全く……』


 目を細めながら煙を浮かべる行商にウィリデはやれやれとため息をついた。


 この行商は行商を自称してはいるものの、その商売の実態は商いというよりは盗掘だった。彼は魔族、人問わず廃村に赴き、使えそうなものを収集することで利益を得ているのだ。当然、盗掘の罪は重い。作業中に誰かと出逢えば、それが魔族であれ人であれ即座に盗掘者として断罪される。


 そんな行商はウィリデにとって、人の作った芸術品を手に入れるための窓口であった。ウィリデの持つ芸術品の一部はこの行商から手に入れたものであった。


『それで薬師さん、一体どういう理由があってこんなものを注文をしたんです?』

『……おや、注文したものの用途は聞かない約束では?』

『カッカッカ! これは失敬、失敬。薬師さん、あなたとは長い付き合いですが、こんなものを注文されたのは初めてで、つい気になってしまいました。忘れてください』


 行商はぷかぷかと煙をくぐらせる。今回、ウィリデが行商に依頼していたのは、いつもの芸術作品の類ではなかった。


『まあ、私としてはこれがどう使われようとどうでもいいんです。持ち帰るのにそれほど苦労しないのに、とても高価な薬と交換してくれるんですからね。行商としてこれほど楽な商売はありません』


 そう言うと行商は風呂敷の上に転がった袋を煙が昇るパイプで指し示した。ウィリデはそれを拾い上げると、口を広げて中を確認した。


『ありがとうございます。流石ですね』

『カッカッカ! また何か入り用でしたら、おっしゃって下さい』


 ウィリデは風呂敷の上に薬が入った小包を置くと行商の元を後にした。そして、集落に戻ると顔役に挨拶を済ませて、小屋へ帰った。



(ルークス、喜んでくれるかな)


 夕日が紅の森を照らす帰り道、ウィリデはそんなことを考えていた。


 袋の中のこれを見ればきっとルークスは喜んでくれる。その喜びはウィリデの罪悪感を軽くしてくれるだろうし、何よりも素晴らしい絵を描くことに繋がるはずだ。


(楽しみだなあ……)


 今からでもルークスの喜ぶ顔が想像できる。自ずとウィリデの足は速くなった。


 ウィリデが違和感を覚えたのは小屋が見えたときだった。小屋の中でウィリデの帰宅を待っているであろうルークスが小屋の外にいたのだ。


(え? ルークス? どうして外に?)


 ルークスは立つでもなく、座るでもなく、うずくまるように地面に伏せていた。


(傷が開いたのか!? どうして? ちゃんと綺麗に塞がったはずなのに! まさか他の魔族の襲撃!?)


 ウィリデの頭に最悪のイメージが湧く。


 ルークスの治療は完璧だったはず。そうなると彼が傷ついているのは外的な要因である可能性が高い。その中で最も可能性が高いのは魔族の襲撃だ。


 ウィリデの小屋は深い森の中にある。確かに半日ほどかければ集落へたどり着くが、それでもウィリデは何年も小屋の周辺で魔族を見かけたことはなかった。だからこそウィリデは人が作った芸術品を隠しておけるこの深い森に住むことを決めたのだ。


 そんな辺鄙なところにどうして魔族が。ウィリデは混乱する頭でぐるぐると思考するが、薬師の性がまずはルークスの救助が先だと結論を出す。 


 ルークスにかけよるウィリデ。うずくまる彼の懐に鈍銀の輝きが見えた。


 その輝きは弾けるようにルークスの懐から放たれ、夕暮れに染まる茜空を真っ二つに切り裂いたように見えた。その光景に思わずウィリデは足を止めてしまった。


 ルークスは剣を振ったのだ。彼の姿にぶるりとウィリデは身を震わせ、抱えていた袋を落としてしまった。袋の口からはいくつもの筆や塗料の原材料である鉱石や植物が顔を覗かせる。


 そんなウィリデをよそにルークスは残心していた。冷たさを孕んだ風が金色の髪をたなびたかせる。


 鈍銀と金色と茜空。その歪な配色はウィリデの中にある何かを崩していった。


「おかえり」


 ルークスは優しくそう言った。ウィリデは何も返すことができなかった。


(ルークスは一体何者なんだ……?)


 ウィリデの脳裏に集落で療養している戦士たちの言葉が蘇る。


(まるで雷光のような戦士……)


 ルークスの放った剣戟は確かに雷霆のように空を割るような迫力があった。そんなことをできる人物はこの世界を見てもそう多くはいないだろう。


(ルークスは一体、何者なんだ……?)


 その答えは目の前にあった。しかし、ウィリデはその答えに手を伸ばすことはできなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ