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剣を筆に持ちかえて_5・上

 金細工のように輝くルークスの髪は日射によって一層きらきらと輝いていた。しかし、同時にその熱がじわじわと体力を奪っていき、身体中から汗を吹き出させる。


「あっついな……」


 ルークスは森の中でひとりごちた。


 ウィリデの献身的な介護もあってルークスは順調に万全の状態へ向かっていた。まだ剣術の鍛錬はできないが、独りで外を出歩けるくらいまでは回復していた。そこで、ルークスは少しでも体力を取り戻すため、毎日小屋の近くを散歩していた。


 ルークスは本日の散歩を終え、立て付けの悪い扉を開けて小屋の中へ入っていく。ウィリデの姿はない。恐らく、日課の山菜採りに出かけているのだろう。ルークスは台所へ行くと水が張られた釜に布切れを浸し、固く絞ると汗塗れの身体を拭いた。水の温度は決して心地良いものではなかったが、火照った身体を冷やすのには十分だった。


 そして、居室に戻ると、ベッドに腰掛けて思案を始めた。 


(もう歩けるほどまで回復できるとは……この調子ならば秋には剣の鍛錬に入れそうだ。計画は上手くいっている……だがしかし……それも今日までかもしれない)


 ウィリデを欺き身体を治療させ、完治したらそのまま殺すというルークスの計画は順調だった。しかし、懸念点がひとつあった。


(暑い! 暑すぎる! 少し前までは過ごしやすかったのに、一体世界はどうしてしまったんだ!?)


 あまりにも気温が高すぎるのである。ここ数日は特に酷い。平時ならともかく、病み上がりの身にとってはこの暑さは堪えた。無理をして体力を取り戻すことはできるかもしれないが、万が一この炎天下で倒れてしまえば死の危険さえある。それに、倒れているところをウィリデに見つかってしまえば、自由に外出なんてできなくなるだろう。


(しばらくは外に出るのを控えるか……だが、小屋でやることはない……簡単な鍛錬をしても良いが……)


 ルークスがそう考えたとき、居室に据えられた本棚が目に留まった。目に見える劣化が始まっており、フレームは四角形を保てていない。しかし、こまめに手入れがされているようで、蔵書も含めてホコリひとつ無かった。


 全ての時間を身体の治癒と鍛錬のために使うべきだとルークスはわかっていた。しかし、芸術を嗜んでいた者の性なのか、居室に保管されたウィリデのコレクションが気になってしょうがなかった。


 あくまで気分転換。きちんと保管されているかの確認。魔族に囚われた哀れな芸術を本来あるべき人の手に戻す。などなどルークスは頭の中で言い訳を連ねながら、結局は芸術の引力に負けて本棚の前に立ってしまった。


 そして、ルークスはそこから適当に一冊抜き取った。


 タイトルは『緋色のカーネリアン』。数十年前に流行したおとぎ話で、カーネリアンという名の聖女が各地で起こる大小様々な事件を解決していく物語である。各地に伝わる聖女の逸話を民俗学者でもある著者がおとぎ話として編纂した内容で、一説によると出版する際に教会と一悶着あったらしいが詳しいことはルークスは知らない。


 ただひとつ知っているのは大ベストセラーの書籍のひとつであり、初版が発売されてからかなり時間は経過しているものの、今でも多くの人々に親しまれているということだけだ。


 当然、ルークスも幼少期に読み、彼女の冒険譚に胸を躍らせた一人だった。


(羊皮紙のカーネリアンか……一体こんなものどこで)


 本棚にあったカーネリアンは羊皮紙に写本されたものだった。現代では活版印刷が十分普及しており、流通に乗っているカーネリアンのほとんどは原材料が植物の紙に印刷されている。羊皮紙で、しかも手書きで作られた本は一部の好事家向けのものか、あるいは活版印刷が普及する前のものだった。目の前にあるカーネリアンは恐らく後者だろう。保存状態が多少悪くてもかなりの値打ちになる。


 カーネリアンを一ページめくるルークス。最初のページには本のタイトルと各章の見出しが書かれている。


 最初の章のタイトルは『山賊と聖女』。とある村に立ち寄った聖女カーネリアンが村人の依頼で近隣に出没する山賊を退治する話だ。清廉で物静かなカーネリアンが山賊相手に大立ち回りを見せるシーンは、彼女の魅力を読者に伝えるには十分なものになっており、特に若年層に人気のある章になっている。そして、次の章の『潮風と聖女』では……。


(おっと、いけないいけない、熱中しすぎてしまった……)


 幼少期、父親の書斎にあったカーネリアンを読んだときのことを思い出したルークス。ついついカーネリアンに熱中してしまい、寝るのを忘れていたことを父親に優しく咎められたのだ。後々思い出すと、恐らく父親もカーネリアンに熱中したことがあったのだろう。


(っぐ!)


 ふいにルークスの頭に締め付けるような鋭い痛みが走る。


(最近、多いな……)


 ウィリデの献身的な治療のおかげで先の戦争の傷はすっかりと癒えたが、それと代わるようにして時折ひどい頭痛や目眩が起きるようになった。


(あの戦いの前までこんな頭痛は起きなかった……傷の後遺症か?)


 頭部に傷を受けた戦士が治療後に謎の頭痛に悩まされるという話は聞いたことがあった。そういった傷が治るか治らないかは神のみぞ知ると言われている。


 しかし、我慢できないほどではない。しばらく休めば痛みは引くので、ルークスはさほど気に留めなかった。


 痛みを抱えながら本の中から意識を戻したルークスはカーネリアンを戻すと、本棚の他の背表紙に目を滑らせる。『タブラ・ラサ』『大法典』『若い老人の空』などなど、小説だけでなく政治哲学に関する本も並んでいた。


 そして、本棚の一番端にタイトルが書かれていない一冊の本があった。カーネリアンと同じ羊皮紙で作られた本だ。背も含めて表紙は粗雑な革張りで、無地。羊皮紙で作られた本は往々にして装丁が華美であることが多いが、目の前の謎の本はそういった類のものとは正反対に無骨であった。


 おもむろに謎の本を手に取り、適当なページを開くルークス。カサリと乾いた音とともに、一枚の折りたたまれた紙切れがゆらゆらと重力に抗いながら地面に落ちる。


「これは……何だ?」


 地面に落ちたそれに触れてみると、ザラザラとした羊皮紙の感触だった。恐らく謎の本の一ページを切り取ったものなのだろう。開くとそこには何かの模様が乱雑に書かれている。まるで、初めてペンを持った子供が描くような、無秩序で目的のない歪な線だった。


 ひとまず紙切れは置いておいて、ルークスは謎の本の内容を精査することにした。紙切れを適当なページに一旦挟むと、最初のページを開いた。そこには大きく『旅』と書かれていた。


「日記……か?」


 ルークスがそう判断した理由は旅と書かれた文字のフォントにある。一般的に写本で使われるのはユニカル体という簡素でクセがなく、可読性が高いフォントである。しかし、目の前にある文字は整ってはいるものの、ユニカル体ではない。


 粗雑な皮で装丁された、一ページ目に旅と書かれた、写本ではない本。そこからルークスはこの本が旅行記だと推察したのである。羊皮紙の白紙の本を手に入れられ、旅行できる立場ということは貴族か高位の聖職者、あるいは豪商が書いたものなのだろう。


 ページを進めて著者が誰なのか確かめようとするルークス。すると、玄関から物音がひとつ。ウィリデが帰ってきたのだ。


「ただいま~」

 

 ウィリデはいつものように朗らかに小屋へ入ってくると、野草がいっぱいに入った籠を台所に置いた。そして、これまたいつものようにルークスの様子を確認しに居室までやってきた。


「おや、その本は……」


 ウィリデの関心を引いたのはルークスが手に持つ本だった。目を細めると何かを思い出すように微笑む。


「これまた懐かしい本だね。それはボクが麦畑を求めて旅をしていたときに、しばらく一緒にいた旅人から貰ったものなんだ。そうそう、ボクはその旅人からキミたちの言葉を教わったんだよ」

「……何?」


 この灰緑の魔族がどのようにして人の言葉を覚えたのか。その謎はルークスが計画を遂行する上で事前に調査しておかなければならない問題であった。


 もし仮に魔族に人の言葉を覚えられる環境があり、容易に人の言葉を習得できるならば、魔族との戦いは単純な武力衝突では済まなくなるだろう。魔族が人に化け、人々の住む都市に潜入する可能性だってあるのだ。この謎を解かないままウィリデを殺し、謎が闇に葬られれば、人にとって大きな損失であることは明白だった。


「お前は人に言葉を教えて貰ったのか?」

「そうだよ!」

「誰に教えてもらったんだ? どんなやつだった?」

「ふふふ、今日のルークスはやけに情熱的だね。嬉しいよ」

「……」

「誰かは知らないよ。言葉は教えてもらったけど、名前は教えてもらってない。でも、なんというか、ミステリアスだけど親しみがある、不思議な雰囲気だったかな」

「そうか……変わったやつがいたものだな。わざわざ言葉を教えるなんて」

「本当にそう! とってもいい人だったよ!」


 若干の話の噛み合わなさを感じたルークスだったが、ウィリデからさらに情報を引き出そうと話題を振る。


「それで……どういう方法でお前は人の言葉を覚えたんだ?」

「ふっふっふ、気になるかい? では、教えてあげよう! ボクが言葉を覚えた方法はコレさ!」


 ウィリデはそういうとルークスの持つ本に挟まった一枚の紙切れをそのするどい爪で差した。例のぐちゃぐちゃな図形が描かれた紙切れである。


「これが何だっていうんだ?」


 ルークスの言葉を聞いてウィリデはもったいぶった表情でニヤリと笑った。そして、語り始める。麦畑を探す旅の一ページを。



 草原の低い草をかき分けて進む足音が二つあった。その二つの距離は近いわけでも離れているわけでもなかく、ただ進む方向が同じだけだった。


(あの人はどこまでついてくるんでしょうか……)


 先頭を歩くウィリデはそう思った。数日前から現れたマント姿の旅人はウィリデからつかず離れずの距離を保ちながらついてきている。


 最初は自分を狙う狩人かと思ったが、どうやら違うらしい。全く敵意を感じないのだ。それどころか、まるで象が足元の蟻を気にしないように、ウィリデに興味を持っているそぶりすら見せない。


 とはいえ、最近は人との大きな争いが増えているとウィリデは風の噂で聞いていた。用心しておいて損はない。


(思い切って走って逃げますか?)


 そう思うウィリデだったが実行に移すことはなかった。結局、最低限警戒しながら気まずくて心地の悪い旅路が続いた。


 しばらく経ったある日、ウィリデは土砂降りに見舞われた。この嵐の中、行軍できなくはないが、万が一足を取られて怪我をすればことである。別に急ぐ旅でもないし、時間はたくさんある。ウィリデは手頃な洞穴を見つけると雨が止むまで休むことにした。


『!!』


 洞穴には先客がいた。件のウィリデに付かず離れずにいたマント姿の旅人である。焚き火をたいて特徴的な紋が刺繍されたマントを干していた。


 元マント姿の旅人はウィリデを一瞥することもなく、手に持った枝をへし折った。湿気った音と焚き火がパチパチと燃える音が洞穴に反響する。


 ウィリデは洞穴の入口近くに陣取ると、そのままうつぶせになった。元マント姿の旅人の動向は気になるものの敵意は感じない。むしろこれまでと同じく無関心だ。こちらから手を出さない限り沈黙は続くだろう。つまり、これまでと変わらない。


 しばらく、ウィリデは雨と焚き火の音を聞いた。

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