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剣を筆に持ちかえて_15

 紫の果実を手に取ると、ルークスは背負った籠の中に入れた。この果実はぱっくりと実を割ると黒色の種がまばらに広がる青白い果肉が出てくる。最初はなんておぞましい、名状しがたい果実なんだ、とルークスは思っていたが、熟したときのとろりとした優しい甘みは彼の好みの味であった。今ではルークスの好物のひとつだ。


 森の中の木々はすっかりと深緑に染まっており、もうじき実りの季節を迎えるだろう。そうなれば今よりも様々な食材が採れ、より豪盛な料理を作ることができる。


 ルークスがウィリデに料理を振る舞って以来、ルークスはウィリデの薬草の採取に同行するようになった。よりたくさんの食材を集めるためだ。


 それによって、これまでウィリデだけで行っていた採取の負担が減り、ウィリデは薬草集めだけに集中できるようになった。薬草がたくさん集まれば薬もたくさん作ることができる。大口の薬の納品依頼が舞い込んできても最初ほど苦労することはなくなった。


 今では朝食と夕食は最低二品の料理が出るようになったし、行商との交易の後には祭日のような料理が出てくる。ウィリデの作っていた、良くいえばシンプルで素材の味を活かしたスープはついに役目を終えたのだ。


(もう少し、この紫の果実を集めておこう……この果実は果肉だけでなく、皮も炒めると美味しい……果実を干して、冬場に食べられるようにしてもいいな)


 しばらくルークスが紫の果実を採取していると、背中の方から声が聞こえてくる。


『ルークス、そちらの首尾はいかがですか?』

『ぼちぼちです。紫の果実と山菜をいくつか採りました』

『それは、すばらしい! 今日採る分は集まっているようですね。私はあちらでもう少し薬草を集めてきます。ルークスはここら辺で休憩していてください』

『わかりました。気をつけてください』


 一度合流したウィリデをまた見送るルークス。一人と一体の会話は人の言葉ではなく魔族の言葉が使われていた。


『わかりました』

『気をつけてください』

『ぼちぼちです』


 ルークスはウィリデとの会話で使った言葉を反復する。ウィリデたち魔族が使う言葉は人の言葉よりもやたら発音する語句が多く、普段使わない顔の筋肉を使う。ルークスは両手を頬に寄せると、むにむにと揉みほぐし始めた。


 ルークスが魔族の言葉を練習するのには理由があった。


 叔父への復讐を果たし、ウィリデとの生活が本格的に始まって以来、ルークスはずっと考えていた。どうして自分は復讐の道へ走り、多くの魔族を手にかけてしまったのかを。ルークスはその問に答えを見つけることで、二度と過ちを侵さないようにしていた。


 復讐の道へと走った理由は明らかだ。母親が目の前で殺されたときの怒りを忘れないため、両親を自分の記憶の中から風化させないため、繋がりを消さないために復讐の道へ進んだのだ。


 では、なぜルークスの復讐の矛先は魔族へと向かったのか。叔父のパトルスによる巧言に乗せられた影響が一番大きいが、何よりも根本的にルークスは魔族について何も知らなかったからだ。


 魔族が何を食べて生きて、どこで寝て、どんな言葉を使ってコミュニケーションを取っているのかルークスは何も知らなかった。流言や風評、噂話から勝手に頭の中で魔族のイメージを作り上げ、勝手に恐怖や怒りを感じていただけなのだ。


 もし仮に、多くの魔族がウィリデのように人とコミュニケーションが取れて、共に暮らすことができると知っていれば、誤った道に進むことはなかったかもしれない。


 だから、ルークスは魔族をちゃんと知るために、ウィリデに言葉を教えてくれと頼んだのだ。


 ウィリデもルークスが自分たちのことを知ろうとしてくれることが嬉しいのか、懇切丁寧に子どもが使う語句から教えている。自ずと、一人と一体の会話は人と魔族の言葉が歪に混在するものになっていた。


「さて、俺の方ももう少し集めるか……」


 ルークスがそう小さく呟いたとき、彼の首筋にぞわりと悪寒が走った。それは心臓が掴まれるような不快な感覚で、どこか懐かしかった。


 すぐさま前転しながら前に飛び退くルークス。立っていた地面がえぐれ、土煙が舞う。彼が背負っている籠から果実が飛び出し、地面に紫が広がる。


『ようやく見つけましたよ……金色の戦士……! あの胡散臭い行商が言っていたことは本当でしたか。この辺りに金色の髪をした人の戦士が出没する話は』


 砂煙の中から現れたのは小鬼族の戦士だった。右手に使い古した剣を持っており、その切っ先をルークスに向けていた。


『我が友の……いやこれまであなたが手にかけてきたすべての同胞の仇……討たせていただきます……!』


 小鬼族の戦士はルークスに飛びかかると袈裟斬りを放った。ルークスはそれを既の所で躱すと再び距離を取る。力任せではなく断つことを目的とした剣筋を見て、ルークスの額から一筋の汗が流れた。


 それは紛れもない剣技であった。ルークスがこれまで相対してきた魔族は、武器を使う者はいたとしてもその持ち前の膂力に任せた攻撃しかしてこなかった。しかし、目の前にいる小鬼族の戦士は由来や起源が不明ではあるが確かな剣技を操っている。


 歴戦の戦士であったルークスは理解した。この小鬼族の戦士がどれくらい血が滲む努力をしてきたのかを。その努力の大きさはそのままルークスへの怒りを表すことを。


(ついに……このときが来てしまったか……)


 急襲を受けたルークスであったが、相手の技量を見極め、冷静に後悔できるくらい落ち着いていた。


(父上と母上があいつらに殺されたと勘違いして、俺は多くの戦士を殺してきた。だが、それはあいつらにも言えることで、親しい者を殺されたあいつらが俺に復讐しにくるのは当然のこと。俺があいつらに復讐する権利はないが、あいつらにはある……)


 真一文字に斬りかかろうとする小鬼族の戦士。それを察知したルークスは先んじて剣を持つ右手を弾き、攻撃の発生そのものを止める。弾かれた衝撃で一瞬呆ける小鬼族の戦士だったが、すぐに体勢を立て直して再びルークスに斬りかかる。


(だが……今はまだ殺されてやるわけにはいかない……! 俺にはあいつとの約束がある!)


 彼我の実力差を鑑みれば殺さずに相手を無力化することは容易だろう。もし、ルークスが相手を殺す気でいたならば、無手であろうと戦いは一瞬で決していた。しかし、ルークスは戦いどころか相手を傷つけることすらしたくなかった。もう、暴力や武力を行使するのは嫌だった。


 小鬼族の戦士は腰だめに剣を構える。ルークスの胴体に狙いを定めて、全体重を乗せて突進する。捌ききれないと判断したルークスは真正面から攻撃を迎えた。


 剣先が自身の胴体を貫く瞬間、ルークスは刀身を両手で挟んだ。突進の勢いは完全に殺され、小鬼族の戦士は止まった。


 そして、ルークスが両手を回転させると、剣はいとも簡単に小鬼族の戦士の手から離れる。戦士の剣を握る手はひどく弱々しかった。


 膝をつく小鬼族の戦士。そのまま跪き、大地を握りしめた。


『……どうして……どうして……殺せないんだ……! あいつは、優しいやつだったんです……! 皆、いいやつだったんです……! そんな皆を殺したあなたを殺すのは正しいことなのに……! どうして殺せないんだ! こんなの間違っている! 何かの間違いだ! おお、神よ! 力をください! 復讐できる力を!』


 絞り出すような声でそういった小鬼族の戦士は祈るように頭を垂れた。しかし、祈りは届かず、風が吹き、周囲の木々を揺らすだけだった。戦士の瞳から大粒の涙が流れ、地面を濡らした。


『……ああ、殺せないのなら私を殺してください。言葉は通じていないかもしれませんが、お願いします。その力があれば容易なはずです……終わらせてください、私を……!』


 子鬼族の戦士はそう呟くと、祈るような姿はやがて首を差し出し処刑を待つ罪人のような姿に変化していった。元々、ルークスの肩くらいまであった身長が、徐々に小さくなっているように見えた。


 両手で挟んだ剣を開放するルークス。くたびれた剣は制御を失い、軽い音を立てて地面に落ちた。


 ルークスは小鬼族の戦士が何を言っているのか全て聞き取ることはできなかった。しかし、言葉の端々から推測して、何を言いたいのかはおおよそ理解できた。


 理解できたからこそ、ちゃんと向き合わなければいけなかった。


 ルークスは小鬼族の戦士に一歩近づくと、じっとその姿を見据えた。ルークスを見上げる戦士。一人と一体の目が交差した。


『申し訳ありません。あなたを殺すことも、傷つけることも、できません』


 ルークスの言葉を聞いて、小鬼族の戦士の口から小さく『なぜ』と小さく掠れた音が鳴る。それはルークスの言葉の内容ではなく、ルークスの言葉の発音に対して向けられた問だった。どうして同胞を殺し続けた者から、同胞の言葉が出てくるのか。小鬼族の戦士にはわからなかった。


 しかし、小鬼族の戦士はすぐにその理由を知ることになる。


「ルークス! 一体何の騒ぎだい!?」


 ルークスと小鬼族の戦士の戦いの音を聞きつけたウィリデがやってきたのである。明らかに金色の戦士を心配する同胞の姿を見て、小鬼族の戦士は顔をくしゃくしゃに歪めながら思考したのち、ひとつの結論にたどり着く。


『グギギギギギギギ……』


 ありえない。ありえない。ありえない。そんな言葉が小鬼族の戦士の頭の中に反響する。その苛立ちをぶつけるように、戦士は地面に拳を打ち付けるが、何も返ってはこない。ただ拳を痛めるだけだった。


「ちょっと……状況を説明してくれるかな? ルークス」

「そいつに襲われただけだ。気にするな」

「え、ええ~!? こんな状況で気にするなっていわれても納得できないよ! 怪我はしてない? 大丈夫!?」

「ああ、俺もあいつも傷一つついていない」


 ルークスはまるで何も起きなかったかのように地面に落ちた紫の果実を拾うと、籠に入れ始めた。


 襲撃されたというのにひどく冷静なルークスと、わななきながら地面にうずくまる小鬼族の戦士を交互に見やるウィリデ。ルークスを手伝えばいいのか、それとも小鬼族の戦士を気にかければいいのかわからなかった。


 結局、ウィリデはおろおろと右往左往するだけで、紫の果実はルークスが一人で全部拾うことになった。


「ほら、帰るぞ。日が暮れると面倒だ」

「う、うん。帰ったらちゃんと説明してよね」


 歩き出したルークスに遅れないよう着いていくウィリデ。尻目に小鬼族の戦士を見ると、まだうずくまっているようだった。だんだんとその姿は小さくなり、消えてなくなる直前、『置いていかないでくれ』と聞こえた気がした。



 その夜、ルークスは居室で一人思案していた。考えるのは日中出会った小鬼族の戦士についてである。


(いつか……誰かが復讐に来ることはわかっていた。かつての俺のように復讐の炎を燃やして……)


 そのとき自分がどう相対すればいいのか、ルークスはずっと考えていた。


(大人しく殺されるのも悪くはないと思っていた……)


 意味のない復讐に多くの魔族を巻き込んだのだ。それは殺されたとしてもしょうがないほど大きな罪だ。ルークスが一人孤独ならば、復讐者が現れたら受け入れることもやぶさかではなかった。


 しかし、今のルークスにはウィリデがいる。ルークスが殺された後、仇討ちをするとは考えられないが、少なくとも大きな遺恨は残るだろう。その遺恨はいつの日か復讐の炎の火種になるかもしれないし、少なくともウィリデが生きる上で足を引っ張る出来事になるだろう。


 復讐の連鎖は止めなければならない。復讐は結局のところ何にもならない。復讐を果たしたとしても元の生活に戻ることはできないのだ。それがルークスが復讐から唯一学んだことだった。


 そして、問は最初へ戻る。ルークスは復讐に対してどう向き合うのか、どう生きるのか。それが問題だ。


(あいつに絵を描くという約束は何が何でも達成してみせる。だが絵を描いた後、俺はどうすればいいんだ? 何を目標に……何をして生きていけばいいんだ?)


 魔族へ贖罪。それがルークスが最初に思い浮かんだ案だった。多くの魔族を手に掛けたから、それよりも多くの魔族を助ける。至極単純。それならば罪を贖うことができるかもしれない。


 だが、そこでルークスは自身が叔父の復讐で両親を失ったことを思い出す。


(いや……違う……いくら悪行を善行で覆い隠そうが、失われたものは戻らないんだ。数字のように足し引きできるものじゃないんだ。善き行いをすることで自分が救われたと、罪を償ったと思いたいだけなんだ……)


 だから、ルークスは罪を贖うことはできない。一生罪を背負って生きていくことしかできないのだ。


 結局、ルークスは睡魔に襲われて意識を失うまでずっと考えていたが、答えが出ることはなかった。その後、ベッドの上で膝を抱えて眠るルークスに、ウィリデがそっと毛布をかけた。

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