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■第二話 人にはいくつも顔がある 1

 依頼主のОLから頼まれたのは、ただの彼氏の身辺調査のはずでした。

 ――のに、なぜか探偵が探偵される事態に陥りました。


     *


 谷々越探偵事務所においてペット探しや貴重品探しなどの依頼に続いて多いのが、実は浮気調査や素行調査といった、自分では知り得なかった相手の裏の顔――もちろんないに越したことはないけれど――を調査する仕事だったりする。

 最近、どうにも彼氏(夫)または彼女(妻)の様子がおかしいから浮気していないか調べてほしい。娘や息子が夜の街でいかがわしい仕事に就いていないか心配だから調べてみてくれないかなど、依頼主の性別や年齢によって調査内容もまた変わる。

「――で、田丸(たまる)さんは、婚活パーティーで意気投合し、付き合いはじめたものの、彼の三好大介(みよしだいすけ)さんの職業が本当に作家なのか確かめたいと。そういうことですね?」

 蓮実が今回の依頼主である田丸夏芽(なつめ)に改めて尋ねると、彼女は困った顔で小さく首肯した。七月に入って早々のことだった。外は蒸し暑く、事務所内もクーラーをかけてはいるものの、出した麦茶のコップの側面が早々と汗をかきはじめていた。

「辻堂さんはご存じないでしょうか。どこもだいたい同じでしょうけど、婚活パーティーって、自己紹介カードを書くものなんです。女性の席はそのまま、男性が五分おきくらいに席を入れ替わって一巡するんですけど、そのときに自己紹介カードをお互いに交換して話をするんですね。彼――大介君がわたしの目の前に来たとき、まず交換したカードの職業欄に『作家』と書いてあったのが目に留まったんです。だってどんな本を書いているのか気になるじゃないですか。ただ、私のほかにも気になった人は多いようで、聞くと『やっぱりみなさん気になるんですね』って苦笑されました。その顔があんまり疲れていたので、それきり私は話題を変えましたけど、そのあとでした。自由に席や相手を選んで行われるフリートークのとき、大介君が私のところへ来てくれたんです。カップリング――気に入った相手の名前を書くときは、自分はあなたの名前を書くから、って」

 と、そのときのことを思い出してか、ふんわりと頬を染めて言った。

 最初、困った顔で頷いたのは、きっと蓮実は婚活パーティーに行ったことがないと思ったからだろう。蓮実の隣には谷々越もいる。同性の蓮実ならまだしも、男性の谷々越に聞かせるには恥ずかしい話だと思っていての、その顔だったのかもしれない。

 薄っすら汗をかきはじめた麦茶を一口飲み、夏芽は続けた。

「正直すごく戸惑いましたし、場慣れした人なのかなとも思いました。けど、大介君があとから話してくれたんです、作家の話を聞かなかったのは後にも先にも私だけだったって。それで気に入ってくれたらしくて、お付き合いに発展しました。その中で大助君は、小説やシナリオ、ライトノベル作家などを養成する専門学校に通っていたときに知り合った友人と合同で作家活動をしているんだと話してくれました。恥ずかしいからと言って、作家名や作品名は教えてくれませんでしたけど、暮らしぶりは安定しているみたいです。よく目の下に隈も作っているので、売れっ子なんでしょう。デートのとき、ちょこちょこ電話で席を立つんですけど、いつも、編集さんから電話だった、ごめんって言っていますし」

「そうなんですね。男性の作家さんですし、男性向けのライトノベルを主に書いているのかもしれませんね。そういう本だと、表紙の女の子のイラストにインパクトのあるものも多いですから。田丸さんには、なかなか言い出しにくいのかもしれません」

 蓮実が相づちを打つと、彼女も「衣装に露出が多かったり胸が大きかったり」と、クスリと笑って同意した。女性なら、ちょっとエッチな……と言ったらいいだろうか、そういう小説やBLが好きだとは、彼氏にはなかなか打ち明けられないかもしれない。とすれば、彼のほうにも同じ心理が働くのは別段、不思議なことではないと思う。

「そこで依頼の話に戻るんですけど」

 もう一口、麦茶を飲むと、夏芽は対面のソファーから少し身を乗り出した。

「私、結婚するなら大介君しかいないと思ってるんです。お互い、いい歳ですし、結婚を考えるならラストチャンスだなって。なにより一緒にいて心地がいいんです。波長が合うって言うんでしょうか、無言の時間が続いても間が持つんです。きちんとした会社の婚活パーティーに出席するくらいですから、大介君だって職業を偽ったりはしていないと思うんですけど、そうなると一番気がかりなのは彼の仕事量です。収入面はいいんです、仕事を辞めるつもりはないので。ただ、体のほうが心配なんです。デートのときはいつも私のほうが申し訳なくなるくらい寝不足の顔で現れるから、ちゃんと休めているか気が気じゃなくて。だって、会社勤めの人とは違いますから、決まった時間を働くわけじゃないじゃないですか。だから、どれくらい休めているか知っておくべきだと思いました。大介君は『大丈夫だから』の一点張りですけど、全然そうは見えません。……このことが知れたら、大介君は間違いなく嫌な気持ちになります。でも、私たちの将来のためには把握しておくべきことだと思うんです。好きな人が体を壊してしまう寸前かもしれないのになにもしないなんて、私には耐えられませんから。そこで、偶然見つけたこちらの探偵事務所さんにお願いに上がったというわけなんです。どうか私の依頼を引き受けていただけないでしょうか」

 そして、膝の上で組んだ手をきゅっと握り、切実な面持ちで頭を下げたのだった。


「うーん。となると、今回は私だけでなんとかなりそうですかね」

 夏芽が帰ったあとの後片付けをしながら、蓮実は、まずは合同だという作家名や作品名を突き止めることと並行して、夏芽と三好大介のデート現場を自分の目で確かめることだろうか、と頭の中で仕事の順序を組み立てつつ谷々越に確認を取った。

 夏芽の話では、三好大介は住まいが仕事場だそうだ。合作相手と同居しているそうで、そのため部屋に上げてもらったことはまだないという。だからデートは決まって外。街中をブラブラするよりは動植物園や水族館といった静かな場所を好んで出かけるそうで、普段のふたりは年相応に落ち着いたカップルだ。付き合って半年。夏芽は三十歳で、三好大介は三十二歳。彼女が言った通り、結婚を考えるならそろそろだいぶいい年齢かもしれない。

 なぜデートに付いていくかというと、デートの様子を見れば、ターゲットが嘘をついているかどうか、わかることもあるからだ。巧妙に嘘をつき通す悪い人もいることにはいるが、そういう人は妙に口が上手かったりサプライズだなんだと言って投資を惜しまず羽振りがよかったりするから、やはり見る人が見れば――この場合は探偵である蓮実が見れば、夏芽では気づけなかった行動や態度から引っかかる部分が見つけられるかもしれない。

 それに夏芽は、三好大介の体をしきりに心配していた。彼は彼女に探偵を頼らざるを得ないくらい思い詰めさせているのだ。ふたりのためにできることはやりたい。

 なんと言ったらいいだろう……好き好きフィルターがかかっていて、相手の本質を見抜けないことも多々あるのだ。その点、赤の他人の蓮実なら、最初から尻尾を掴むつもりでターゲットの様子を観察するので自然と見る目は厳しくなる。もし万が一、三好大介が嘘をつくような人だったとしたら、まだ引き返せるうちに救ってやることはできる。

「は、蓮実ちゃん、僕も――」

「ダメです。所長には、ほかの探偵事務所とのツテを駆使して三好大介が誰とどんな小説を書いて発表しているか調べてもらわないと。もちろん私のほうでも調べますけど、私の名前じゃ、まだまだ軽んじられちゃうんですから。頑張ってもらわないと困ります」

 デート現場に付いて行きたそうな様子の谷々越の発言を、蓮実はぴしゃりと斬り捨てる。

 蓮実に探偵の仕事を教えたのは谷々越だ。蓮実が今、頭の中でなにを考えているかわかっているだろうけれど、谷々越が外に出るとややこしいことになるのは、もはや十八番(おはこ)だ。

 この間は、定期的に外に出しても……と思ったが、それならあれから何度かフォロワーもいないのにインスタ映えする写真を撮ることに凝っている谷々越に付き合ってランチに出かけたのだから、いいだろう。いい加減、満足してもらわないと困るのが蓮実の本音だ。

 それに、探偵業三年目という蓮実の力量は、業界においてはまだまだ微々たるものに等しい。ほかの探偵事務所にコンタクトを取るなら、それはなおさらだ。悔しいが、蓮実の名前で調べても取り合ってくれるかどうか。こんなんでもきちんと営業許可を得た探偵事務所の所長なのだから、谷々越の名前を大いに使ってもらわなければ調査も前に進まない。

 でも。

「うん、そ、そうだよね……」

「……仕方ないですね。依頼が終わったら、またランチに付いてってあげますから」

 叱られた子犬のような目をして身を小さくする谷々越に、蓮実は腰に手を当て、苦笑混じりに言う。その瞬間、谷々越の顔がぱっと華やぐ。素直すぎる谷々越は嫌いじゃない。

 面倒くさい人だけど、基本的に本人が害になることはないのよね。

 蓮実は、前まではあまりに外に出さなさすぎたと反省したのだ。そして、もしかしたら極端に外出しないから高確率でややこしいことになるのかも、とも考えた。それを定期的に分散させれば、あるいはそれほど面倒なことにならないのではないか。渋々ながらも(本当は蓮実も興味があるが)谷々越と連れ立ってランチに出かけるのは、そんな算段もある。

 それに、中村一のことがあって蓮実の仕事に対する意識にもだいぶ革命が起きた。人生の道しるべになるような言葉に巡り合えたのは、谷々越がややこしい事態に巻き込まれたからこそのことでもある。……感謝しているのだ、口には出さないだけで。ただ、改まって言うのは胸がムズムズするようで恥ずかしいし、それまでにも何度もややこしいことになったせいで素直になりきれない部分が少なからずあるのも確かだ。

「――とりあえず」

 そう言って蓮実はやや強引に話の筋を元に戻す。

「田丸さんからは、次のデートが決まったら場所と時間を連絡してもらえるように頼んでありますから。それまでは、私たちで調べられることを調べましょう」

「そ、そうだね。恥ずかしいからかもしれないけど、作家名も作品名も明かしてもらえないとなると、むしろこっちのほうが骨が折れるかもしれない。出版社に問い合わせても、個人情報だからまず教えてもらえないだろうしね。地道にやっていくしかないよ」

「はい。せめてどんなジャンルかを教えてもらえれば絞り込みやすいんですけどね」

「そうだね。でもまあ、言いたくないならしょうがないよ。知り合いを当たってみる」

「よろしくお願いします」

 そうして、彼氏の身辺調査の依頼は正式に引き受けられた。

 付き合った人は何人かいた。でも、二十五歳の今年、彼氏もいないし、もちろん結婚を考えるような相手もいない蓮実とて、アラサー女子の結婚観は痛いほどわかる。

 三十歳になってもこのままひとりだったらどうしようと思うと、急に恐ろしくなって夜も眠れなくなるくらいなのだから、夏芽はそれ以上だろう。

 どちらに転ぶにしろ、同性として彼女の〝好きだからこそ、相手のことをきちんと知りたい〟気持ちを想像するに容易い蓮実は、谷々越探偵事務所を選んでくれたからにはちゃんと調べますからねと、来たるデートの日に向けて気合いを入れ直したのだった。


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