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それからもふきさんは、何度も言葉に詰まりながら、けれどけして口を閉ざしてしまうことなく、胸の中にある思いを吐き出すように言葉を重ねていく。
「そうして慟哭していた姉に声をかけてくださったのが、あなたの――中村さんのお父様の、考次郎さんでした。家の前で泣き崩れている姉を放っておけなかったんでしょう。話を聞くと考次郎さんは、息子の亡骸を手厚く弔ってくださったそうです。ふたりで泣きながら庭の木の根元に穴を掘る中、考次郎さんは自分にも四つになる息子がいること、この木は息子の健やかな成長を願って植えたものだということ、営んでいる呉服店の男性店員たちが次々と兵隊に取られていったことなどを、ぽつりぽつりと話してくださったそうです。
父の帰りを信じて待つ息子には到底言えなかったそうですが、その頃すでに姉のもとには、戦地に行って久しく帰ってこない夫の戦死を知らせる紙が届いていたそうで……。そのこともあって、考次郎さんと姉は言葉にできない悲しみを深くわかり合えたんでしょう。姉は、落ち着いたら必ず息子を迎えに来ると約束し、その場をあとにしました。そのとき考次郎さんが持たせてくれたのが、中村の家の住所だったそうです。なにかあったら遠慮なく私を頼ってほしい――そう言ってお金も持たせてくださったそうです」
その節は姉と甥が本当にお世話になりました。
中村の手を握り、ふきさんは深く深く、頭を下げた。
「見送ってくださる際、最後に考次郎さんは言ったそうです。自分の名前が『考〝次〟郎』で本当によかったと。姉にはその意味はよくわからなかったそうですが、あとから振り返ってみると、考次郎さんには兄がいたのかもしれないと思う、と言っていました。考次郎さんのお母様はもともと体が弱く、もう長いこと床に伏せっていたそうでした。空襲警報が鳴る中でも逃げるには体に大きな負担がかかってしまうからと、考次郎さんもそばについていたそうです。そういう話から、せっかく身籠った子供が流れてしまったことがあったのではないかと……晩年になった姉は、私にそう話してくれました。姉の息子の名前は、どういういたずらか、一考と言いましたから。他人事には思えなかったのかもしれませんね」
そして、庭から見つかった骨は一考で間違いないと、はらはらと涙をこぼした。
「けれど、一考を迎えに来る約束は、なかなか果たせませんでした。姉の夫の家は広島にあり、みなさんもご存知の通り、大変な被害を受けました。夫の家族の消息もわからず、また戦死を知らせる術もありません。戦後の混乱期は、片田舎のこことは比べ物にならないほど凄まじかったといいます。それでも姉は単身、夫の家族や親族を探して広島へ行きました。もちろん、一考のことを忘れたことなど一瞬たりともありません。どんなに遠縁でもいいから夫の親族を見つけ、戦死の報告をし、墓を作り、そして一考を迎えに行こうと……すべてが終わったら、その墓に自分も入ろうと――そう思っていたようです。
ですが結局、晩年になって実家に帰らざるを得なくなっても親族を見つけることはできなかったようです。おそらく誰も残らなかったんでしょう。血眼になって親族を探しているうちに何十年も時が経ち、姉にもとうとうお迎えの時期が近くなっていたんです。
半世紀以上ぶりに実家に戻ってきた姉は、とても疲れ果てていました。それ以上に、言葉では言い表せないほどの心残りも抱えていました。世話をさせるのは申し訳ない、施設に入りたいと言う姉をなんとか説き伏せ、介護のほとんどすべてを私が引き受けたのは、私の我儘です。どうしても、せめてものこととして、私の手で労わりたかったんです」
――姉の人生は、戦争に振り回された人生でした。
そう言ってふきさんは、またはらはらと涙をこぼした。
「ただ、年賀状のやり取りだけは毎年必ずしていました。姉の姓が旧姓なのと、茂木の家の住所で送っていたのは、考次郎さんに余計な心配をかけさせないためなのだと姉は言いました。名前を尋ねられた際に『吾妻かつら』と答えたそうなので。姓が変わったことから、新しい伴侶を見つけたか、実家に戻っているかしていれば、ひとまずは安心だろうと。そんなふうに考次郎さんに思わせたくて、ない知恵を絞ったことだったといいます。
年末になると姉から封筒に入った年賀状が届くんです。広島で出すと、消印でわかってしまいますから。私はそれを持ってポストに投函に行くんです。新しい年になって年賀状が届くと、私はそこから姉宛てのものを抜き取り、広島の住所へ送りました。
広島から茂木の家に戻ってきたとき、家財道具の一切を姉は処分しました。ですが、考次郎さんから毎年届く年賀状と、あのとき持たせていただいたお金の残りは肌身離さず持ってきました。字を書くのも一苦労するようになると、姉の字を真似て私が代筆しました。その私も、この通り、よぼよぼになってからは、施設の方に頼んでできるだけ姉の字を真似て書いてもらえるようお願いしました。娘には頼めません。せっかく戦争のない世の中に産まれてきたんですから。……姉も私も、戦争のことはあまり語りたくないほうでしたので。
いよいよ私も手が震えて満足に字が書けなくなってからは、よっぽど娘に頼もうかとも思いました。でも結局、施設の方にお願いすることにしたんです。後腐れもありませんし。施設の方は親切で、忙しい中、精いっぱい姉の字を真似て年賀状を書いてくれました。それが、中村さんが子供の頃から変わらず届く『茂木かつら』からの年賀状の真相です」
そうしてふきさんは、長く喋って少し疲れたのか、しばし目をつぶった。
それでなくとも、この場にいる誰もが口を開けなかった。ふきさんの口から語られた戦争、かつらさんの戦中、戦後の半生があまりに壮絶で、誰も言葉になどできないのだ。
深いしわが刻まれたその顔で、ふきさんは今なにを思っているのだろうと蓮実は思う。
家の庭から骨が出た――それは間違いなく大事件だ。けれどたった今、ふきさんの口から語ってもらった真相は、これ以上ないほどに蓮実たちの胸を抉る。
中村だって供養してやれるものならしてやりたいと思っていたと思う。そうじゃなかったら、ここまで来ないだろう。子供の骨なのだから、その思いは一塩だ。
ただ、あまりに知らないことが多すぎて。今の、欲すればたいていのものは手に入る便利な世の中とのギャップが大きすぎて。なにも言葉が出てこないのだ。
やがて目を開けると、ふきさんは真っ直ぐな目を中村に向けた。
「――中村さん、お悔やみも申し上げられず、本当にすみませんでした。どうかこのよぼよぼに免じて、姉を許してやってはもらえないでしょうか。一考のことも迎えに行けず、申し訳ない限りです。庭から骨が出てきてさぞ驚かれたことでしょう。重ね重ね、本当に申し訳ありませんでした。遺骨は私のほうで引き取らせてください。姉が眠る墓に一緒に眠らせます。それがふたりの……いえ、夫の吾妻さんや考次郎さんにも供養になると思います」
「はい。それが一番いいと私も思います」
そう答えた中村の泣き濡れた声は、四月の穏やかな陽だまりの中に涙の雫とともにぽたりと落ち、それから暖かな春風に運ばれて遠く山の向こうへ翔けていった。