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この家はもともと、かつらさんの妹――ふき(英恵の母)さんが継いだそうで、入り婿だった旦那の武春さんもずいぶん前に他界しているという。かつらさんは十五歳の頃に東京に働きに出て、そのままそちらで結婚した。ふたり姉妹だったため、ふきさんまで嫁に行っては茂木の家を継ぐ人はいなくなってしまうことから、婿を取ったのだそうだ。
かつらさんが旧姓に戻り茂木の家に帰ってきたのは、だいぶ高齢になってからだという。姉の面倒を見るふきさんも、やはりそれなりに高齢になってはいたが、かつらさんの介護はすべて自分でやっていたというから、本当に姉のことを慕っているのだと、英恵は切ない思いを抱きながらも仲睦まじい姉妹の姿を微笑ましく思っていたそうだ。
「母から聞いた話ですが、今はこれだけの家が建っていますけど、母たちが幼かった当時の茂木家はけして裕福ではなく、出稼ぎに行かなければならなかったといいます」
かつらさんは、上京して間もなく料亭で配膳の仕事に就いたという。
「家計を助けるため、給料の大半を仕送りに充てていたようだと、母は言っていました」
言わなくても手を見ればわかる――それがふきさんの口癖だったそうだ。
蓮実は膝に置いていた自分の手を思わず見た。……表も裏もなんの苦労もしていないような、つるりとした手だった。そんな自分が恥ずかしくて、きゅっと下唇に力が入った。
「叔母の口から中村屋さんの話が出たのは、母が買い物に出ていたときでした。認知症も進行していたので、私を母と間違えたんでしょうね。『中村屋さんは元気かねえ』と、そう言ってすぐに眠ってしまったんです。母が帰ってきてから尋ねると、昔、すごくお世話になった人だったそうだという話をしてくれました。でも話はそれっきりで、間もなくして叔母は自宅で息を引き取り、叔母の七つ下の母も、今は介護施設に入っています。私は、母の手助けをするために旦那と一緒にこの家に戻った口で。なので、叔母の詳しいことは……」
そうして英恵は自分の湯飲みを手に取った。自分が知る限りのことはすべて話したということなのだろう。『中村屋』という言葉は耳にも記憶にも残っていたとはいえ、やはり英恵にもわからないことは多いらしい。でも、完全に閉ざされてしまったわけではない。
今もご存命だという英恵の母――ふきさんに話を聞くことができれば、あるいは……。
「――あの、なぜかつらさんは、ご結婚されていながら旧姓を使っていたのでしょう?」
すると、谷々越が疑問を口にした。
うっかり聞き流してしまったが、そういえば姓が変わっているはずのかつらさんが考次郎さん宛ての年賀状にずっと旧姓を使っているのは少し変だ。英恵の語り口では、高齢になって実家に帰ってくるときに旧姓の茂木に戻った、というような話だった。それなら、少なくともそれまでは夫の姓を名乗っていたはずだ。旧姓を使い続ける意味がわからない。
けれどそれにも英恵は申し訳なさそうに首を振るだけだった。
「わかりません。叔母の夫は戦争で兵隊に取られたきり帰ってこなかったという話は、母から聞いたことがありますけれど……。でも、言われてみれば、おかしな話ですよね。どうして叔母は中村屋さんに旧姓を名乗っていたんでしょうか。結婚していたはずなのに」
そして自分でも話に矛盾があったことに気づいたようで、不可思議そうに首を捻った。
「やっぱり、ふきさんに直接お話を伺うしかないようですね」
谷々越のその声に全員が神妙な面持ちで首肯した。やはり、まだまだ謎は残されている。あとは、ふきさんがしっかりした方であることを願うばかりだが……。
「幸いと言ってはあれですけど、母は頭はしっかりしています。施設のほうも面会時間内なら出入りは自由な、開放的なところです。明日には話が聞けるかと」
蓮実たちの気持ちを先回りした英恵が小さく頷く。
「! ありがとうございます。ぜひ、ふきさんにお話を伺わせてください」
「はい。私も気になります。さっそく施設に連絡しますね」
そうして蓮実たちは、翌日、ふきの元へ行くことになった。
英恵も同行するという。母や叔母にまつわることかもしれないなら知っておきたい、とのことだった。そしてやはり、見つかった男の子の骨をどうにかして供養してやりたいという。
「では明日、よろしくお願いいたします」
代表して頭を下げる谷々越に続いて、蓮実と中村も深々と頭を下げる。
「いえ、こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「それでは」
家の前で朝九時に。約束し、茂木家を辞する。施設までの車は英恵が出してくれるそうだ。
すると、ちょうど通りの向こうからひとりの初老の男性がこちらに歩いてくる姿が目に留まった。手にはビニール袋を下げていて、家の前に英恵と見知らぬ人たち――蓮実たちがいることに気づいた男性は、はっとして小走りに近寄ってくる。
英恵の説明によると、「うちの旦那です。退職してからは将棋が趣味で、朝から晩まで近所の将棋仲間のお宅で差すのが日課なんですよ」ということらしい。袋の中身は今晩の晩酌のつまみか、あるいは英恵へのお土産だろうか。なにはともあれ、夫の帰宅にぱっと顔をほころばせる英恵や、英恵を心配して走ってくる旦那さんを見ていると、心が和む。
「誠吾さん、こちらは、あの中村屋さんの。明日、この方たちと母のお見舞いに行くことにしたわ。縁あってお会いできた方たちだから、私もできる限りのことはしたいのよ」
その場に加わった旦那――誠吾さんに蓮実たちを紹介すると、彼も覚えがあるようで「そうだったんですね」と相好を崩した。穏やかで、人の好さそうな笑顔だ。英恵の笑顔と少し似ているかもしれない。長年連れ添った夫婦は顔が似てくるという。ふたりの間に漂う、日々の小さな幸せを一緒に積み重ねてきたような空気感は、そういう人とまだ巡り合ったことのない蓮実にとって、人生で最大級の幸せを体現しているように思えた。
翌日。
近くの宿に部屋を取った蓮実たちは、英恵の運転で介護施設へ向かった。家からニ十分程度の、のんびりとした自然み溢れる郊外に建つそこは、なるほど昨日の英恵の話にもあったように開放的な明るさがあった。さっそくふきさんに面会させてもらうと、彼女は介護士に車椅子を押してもらいながら現れ、英恵の顔を見ると嬉しそうに表情をほころばせた。
やっぱり英恵に似ていると蓮実は思った。いや、英恵が似ているのだ、親子なのだから。
「あのね、お母さん、この方たちは『中村屋』さんの関係者さんなの。お母さんにちょっと聞きたいことがあって来てくださったんだって。叔母さんのこと、話してくれる?」
介護士から車椅子を引き受けた英恵は、蓮実たちを連れて外の庭に出てから、ふきさんの耳元に顔を寄せた。耳もずいぶん遠くなっているらしい。御年、九十五歳になるという。
それでも昨日の話の通り頭はしっかりしていて、谷々越が英恵にしたのと同じ話をすると、車椅子の前に膝をつき、見上げる蓮実たちの顔をひと通り眺めたふきさんは、
「もう長いこと迎えに行けなくて本当にごめんなさい……」
そう涙声で呟いたのをきっかけに、事の詳細を語ってくれた。
「――十五で出稼ぎに出た姉は、同じく地方から出てきていた板前見習いの男性と所帯を持ち、子供もひとり、授かりました。姉が二十歳のとき、夫の吾妻さんは二十二歳のときのことでした。当時としては晩婚のほうでしたけど、お互いに仕送りをしていたので、ある程度お金の蓄えができてから子供を作ったんでしょうね。姉は翌年に息子を産みました」
戦争がはじまる四年前だったという。
「姉から送られてくる手紙は、いつも幸せそうな文面で溢れていました。それを読む私たち家族もまた、とても幸せでした。だって家計のために姉をひとりで働きに出したんです。仕方のないことだったとはいえ、姉ひとりに〝茂木の家〟という大きなものを背負わせてしまった申し訳なさがありましたから、そんな中にあっても東京で幸せになってくれた姉のことを、家族の誰もが自分のことのように喜んでいたんですよ」
――姉は、確かに幸せと言えるものを掴んでいたんです。
そう言うと、ふきさんは自分とかつらさんを重ねるように、じっと自分の手のひらに目を落とした。言わなくても手を見ればわかる――ふきさんの手も本当によく働いた手だ。かつらさんの手も、ふきさんのように、あるいはそれ以上によく働いた手だったのだろう。
「けれど……」
そこまで言って、しかしふきさんは言葉に詰まった。中村から当時のことを聞いて、蓮実も大方の予想はついていた。――いよいよ戦火が激しさを増していったのだ。
「私は戦争がはじまった年に産まれて、終戦の頃、四つでした」
するとじっと話を聞いていた中村がふきさんの手を取り言った。中村とて物心がつくかつかないかの頃だっただろうけれど、確かに戦争を経験した人なのだ。
「そんなに小さい頃に……さぞかしお辛い経験を」
「いえ、ふきさんのほうこそ。あの時代の大人たちのほうこそ、お辛かったでしょう」
ふたりには、その言葉だけでわかり合えることも多いようだった。お互いを労わるように手をさすり合う中村とふきさんは、それからしばらく言葉も出ない様子でだった。
やがて顔を上げたふきさんは、すん、と小さく鼻をすすって続ける。
「――それで、姉が二十八~九歳の頃のことでした。戦争の末期の頃ですです。あと二ヵ月半ほど耐え忍べば……玉音放送が流れるという、五月末のことでした。
その日も空襲から命からがら逃げ延びた姉は、戦火の届かないところへという思いだけで……八つになる息子の手を引き、あてもなく歩いたそうです。けれど、食べるものも限られる中では体力もすぐに底をついてしまったようで……しきりに母におんぶをねだったそうです。それまで、どんなに腹を空かせていても泣き言ひとつ言わない子でした。『お父さんは僕よりもっと辛い目に遭っているかもしれないから』『お母さんは僕が守るからね』と、母である姉を小さいながらも気遣い、励ましてくれる、とても優しい子だったといいます。
ですから、そんな息子が、と姉も不思議に思ったそうです。でも、家もとうに空襲で焼け落ち、所持金もなく、明日どころか今食べるものにも困っている状況でしたから、気丈な息子もさすがに参ってしまったんだろうと、姉は息子を背中に乗せて歩くことにしました。
……どれくらい、そうしていたでしょうか。背中に揺られ、いつの間にか寝てしまったんだとばかり姉は思っていたそうですが、歩き疲れて少し休もうと思い、背中から息子を下ろすと、そこで初めて、寝ているだけにしてはやけにぐったりしていることに気づいたそうです。……いつの間にか、息子の息が……息がなかったんです……」