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と。

「もしよかったら、僕たちのほうでも今回の一件を調べさせてもらえないでしょうか」

 同じようにお茶で唇を湿らせた谷々越が、テーブル越しにやや身を乗り出した。中村のほうから話の水を向けられたことで、さっそく本題に入るらしい。

 とはいえ、今日、中村宅を訪ねたのは、中村から家系や自身の生い立ちを詳しく聞くためだ。胸が詰まるような話のあとにと思うと、谷々越も言い出しにくかっただろうけれど、それでもやはり自分の純粋な興味や探求心には逆らえないらしい。どうしてと尋ねながらも、中村のほうも蓮実たちがただ様子を見に来ただけとは思っていないようだった。

「そうですよね。逃げた黒猫探しのはずが、庭から骨が出たんですから」

 それを裏付けるように、中村は笑みを添えて深く首肯した。

 やはり途中から気づいていたらしい。それに、そもそも雇ったのはペット探し専門の業者ではなく探偵だ。家の庭から骨が出たなんていう普通では考えらえないことが起こったのだから、調べたいと言ってくることもあると心のどこかで思っていたのかもしれない。

「ええ。失礼な言い方を承知で申し上げますと、僕はこの件にとても興味があるんです。警察は主に事件性の有無を調べます。事故だと断定されれば、この件はあっさり片付けられてしまう。でも僕は、それだけじゃ物足りないんです! たとえ事件性がなくても、僕は僕が納得するまで深く背景を掘り下げたい! ――中村さんも気になっているはずです。あの骨はなんなのか、なんのためにあそこに埋められていたのか。これ以上のお代はいただきません。その代わり、僕たちにも調べさせてもらえないでしょうか!」

 そこに畳みかける谷々越は、さらにテーブルに身を乗り出す。その拍子に谷々越の腕が湯飲みの縁をかすって綺麗な緑色をしたお茶の液面にさざ波が起こった。

「そ、そんなに興奮しないでください」

 中村は、谷々越のあまりの変わりぶりに思わずといったふうに身を引き、わかりました、わかりましたと両手の平を向けて苦笑を作る。調べさせてくれと言われることには、それほど意外性を感じていなくても、谷々越のこれは意外だったのだろう。

 これまでにも豹変した谷々越を見て慣れているつもりの蓮実も、やっぱりここまで食いつくと、そんなに⁉ と普通に驚く。外に出れば高確率でややこしいことに出くわすから極力外出を避けさせてきた反動がこんなところにも……。初見の中村ならなおさら驚いただろうと思いつつ、水を得た魚のような谷々越に蓮実の良心はまたチクリと痛んだ。

「すみません、中村さん。探偵の血が騒がしくって……」

 中村からちらと助けを求める視線を送られ、蓮実は肩を竦めて苦笑した。

 結局こうなるのだから、やっぱり極力、この人は外に出せそうにない。それに、谷々越がややこしいことに巻き込まれる諸々の事情は、中村には到底言えない。

 言ってわかってもらえるだろうかとも思うし、もはや体質なのだから理解してもらえたところで変わらないだろうとも思う。要は、上手く付き合っていくしかないのだ。谷々越も、蓮実も。……とはいえ、当の本人はそのことに気づいていないようだけれど。

「で、中村さんのお気持ちは……?」

「はい、ではそのようにお願いできますでしょうか」

 待ちきれないとばかりに急き込んで尋ねる谷々越に、苦笑混じりで中村が頷く。こんなにも熱意を向けられてしまっては、中村のほうが折れるしかない。

「本当ですか!」

「私も気になっているんですよ。谷々越さんのおっしゃる通り、警察は事件性がないと判断すれば、それ以降のことは調べないでしょう。日々事件は起こりますから。それではモヤモヤが残ってしまいます。探偵の目線からわかることがあることを、私も望んでいます」

「ありがとうございます!」

 どうやら交渉成立らしい。勢いよく頭を下げる谷々越の頭がまたもや湯飲みの縁をかすめ、蓮実と中村はゴトンと鈍い音を立てるそれに慌てて手を伸ばした。


 その後、中村はさらに詳細を語ってくれた。家系図や、遺品として残している祖父や父親の手帳も取り出してきて、戦争の前後――一九四五年当時の様子を蓮実たちに教えた。

 この家を建てた祖父の名は孝蔵(こうぞう)、父親は考次郎(こうじろう)。考次郎が『中村屋』を継ぎ、その考次郎の代で何代も続いた中村屋は店を畳むことになったという。

 方々で戦火が激しくなってくると、中村屋も時代の流れに逆えずに、呉服販売から軍需服販売へと販路を移していった。軍需工場に卸す布地は、今までの柄物ではなく単色で、中村は幼心に心が荒んでいくようだったと当時のことを振り返る。

 終戦を迎え、これでようやく元の生活に戻れると思ったが、戦後の混乱期ではそれも遠い夢だったと中村は言う。政府からは結局、大量に卸した布地の代金は支払われなかったのだそうだ。国を挙げた戦争のしわ寄せは、結局、こういうところに寄せられる。

 それになにより、戦後の混乱が少しずつ落ち着いてきた頃には、世間はすっかり呉服から洋服に移り変わっていたそうだ。父の考次郎は、それでも自分の代で店は終わりにできないと再建に奮起していたそうだけれど、結局、時代の波には逆らえなかった。

 そうしてすっかり世の中から取り残されてしまった中村屋は、間もなくして商売を畳むことになった。あとには大きなこの家だけが残り、父と母は家族を養うためと家を維持するため、割のいい仕事を探して職を転々としたのだと、中村は幼少期を締めくくった。

「なので、子供の頃の遊び相手といえば、この庭くらいだったのですが――」

 そうして孝蔵や考次郎の手帳をぱたりと閉じた中村は、いまだブルーシートが張られた前を行き交う数人の警官に目をやり、なんとも言えない顔をした。

「不審に思うようなことはなかったんですね」

 その続きを谷々越が引き継ぐ。

「そうです。空襲警報が鳴れば逃げもしましたが、そもそもこの辺り一帯は疎開するほどではなかったんです。それに、たとえ幼かったとしても、警報が解かれて家に戻ったとき、庭の土が不自然になっていたら気づかないはずはないでしょう。不自然とまではいかなくても、感覚の違いと言うんでしょうか……そういうものは、やはりどこかわかってしまうものじゃないですか。だからまったく身に覚えがなくて参っているんです」

「ええ、僕も気づかないはずはない思います。絵の間違い探しなどは、先入観がないぶん子供のほうが見つけやすいと言いますからね。以前と庭の様子がどこか違っていたら、大人より小さかった中村さんのほうがすぐにお気づきになられたと思います」

 中村は、谷々越の相づちにほっとしたように少し相好を崩した。けれどすぐにまた、先ほどのなんとも言えない顔をすると、ぼんやりと庭のブルーシートに目を移す。

「……出てきた骨は、一体なんなんでしょうかね」

 ぽつりと落とされた呟きは、か細く、とても小さい。心底途方に暮れているといったそれは、蓮実たちではなく、まだ判然としない骨の主に向けられていた。



 蓮実たちが中村宅を辞したのは、昼近くになってからだった。

 結局、中村から目ぼしい話は聞けなかった蓮実たちは、思い出したことがあったらご連絡ください、という警察の聞き込みのような言葉を残して探偵事務所へ戻ることになった。

 昼時の飲食店は、どこも近くで働いているサラリーマンやOLの姿でいっぱいだ。中には行列ができている店もあり、蓮実は、休みの日でもあるまいに一時間しか休憩がない中でそこまでして並んで料理が味わえるのだろうか、と少々疑問に思う。

 いや、平日のランチタイム限定のメニューがあるのかもしれない。例えば、リーズナブルだったりボリューミーだったり、時間が限られる中でも並ぶ価値があるような。

 そこまで考えて、蓮実は自分がひどく空腹なことに唐突に気づいた。今朝も起き抜けの胃に詰め込んだのは栄養補給食品と栄養ドリンク。しかも今日は、昨日のことがあって半分も口に入らなかった。今日も物々しい雰囲気だったらさすがに参ってしまっていただろうけれど、中村宅は昨日に比べればずいぶんと落ち着きを取り戻していたように思う。

 骨もすべて庭から運び出された今、それだけで少しは気も紛れるというものだ。

 それならば、と蓮実は隣を歩く谷々越に声をかけることにした。

「事務所に電話はかかってきていないようですし、今日はちょっと、どこかでランチタイムでもしていきませんか? 昨日からあんまり食欲がなかったんですけど、今日は中村さん宅も少し落ち着いてきたようですし、所長もせっかく外に出ているんですから」

 いきなり襲ってきた空腹に耐えられる気がしないのも本当だったが、満足に外を歩かせてやれない谷々越への罪滅ぼし的な意味合いも大いに兼ねていた。

 こうなったら、やけっぱちだとも思う。もう谷々越は外に解き放たれてしまったのだ。これから起こるかもしれない、ややこしいことに出くわす可能性や数を数えるより、いっそのこと満足するまで外出させて、それからしばらくはまたいつも通り事務所にこもって極力面倒ごとを避ける生活を送らせたほうがいい気がしないでもない。

「そそ、それもそうだね。実は僕、入ってみたいお店がああ、あって」

 すると谷々越も見事にどもりながらも快諾した。

 どうやら今はスイッチがオフらしい。普段は蓮実の懇願もあって、もとからコミュ障気味のうえ、その蓮実意外とはほとんど喋らないのだから、さすがに疲れたようだ。

 ちらと窺った谷々越の横顔には疲弊が色濃く反映されていて、まるで仙人のような生活を強い、さらにこれからも強いようとしている蓮実の胸はズキンと大きく痛む。

 でも仕方ないじゃない、結局今回だってややこしいことになったんだから……!

「さ、所長。その入ってみたいお店ってどこです? さっそく行きましょう!」

 さすがにひどく後ろめたい、でもやっぱり外には出したくない――どちらも蓮実の心からの本音だ。けれど、最終的には蓮実のほうも毎回〝今回は特例〟として片づけているのだから、なんだかんだ人が良い。雑念を振り払うように張り切った声を出して先を歩きはじめた蓮実のあとには、不思議そうに小首をかしげながらも嬉しそうに笑う谷々越が続いた。


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