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 直後、ニタリと気味悪く笑って深堀は言う。

「だから僕は、彼女のためならなんだってしようと思いました。教授は、女性は女性らしくというお考えの持ち主ですから、僕にできる最大限のアドバイスとして、院に進みたいと言う彼女を〝女性らしく〟してあげようと、あれこれ世話を焼くことにしたんです。本当は誰の前であっても肌を露出させたくはありませんよ。ただ、成績は優秀ですが、彼女は教授が考える〝女性らしさ〟からはかけ離れていたんです。それで院試に落とすとはなかなか思えませんでしたけど、万が一という場合もありますからね。念には念を入れてバックアップしていこうと思ったんです。その後は、ゆくゆくは一緒に研究職に就ければ――と。そうなるためのバックアップも、もちろんしていくつもりです。僕は彼女のためならなんだってしようと決めていますからね。愛しているなら当たり前のことでしょう?」

「……っ」

「だから、あるとき、彼女から徐々に距離を取られはじめたと感じたとき、まず思ったのは〝どうして〟という疑問でした。こんなにも僕が愛しているのに。こんなにも世話を焼いているのに。どうして僕から離れていこうとする? いつも怯える? 僕に任せておけばなにも心配はいらないのに、なんでいつも逃げる? 僕には、あのとき大事にできなかったぶん、これからもっともっと大事にしてあげられる環境がある。祖母ももういないし、母はずっと入院してる。僕たちの仲を邪魔する人間はひとりもいないんだ。なのに、おかしいでしょう、彼女のどこに僕を拒絶する原因がありますか? なにもないじゃないですか」

 ――もうこの人はダメだ、終わってる。

 一方的な愛を押し付ける深堀に、言いようのない悪寒が走る。

 深堀の言うことは、ストーカー犯と同じだ。『僕が見張っててあげる』『疲れているようだから、差し入れを持って来たよ』『今日はいつもより帰りが遅いね』『今日、話していた男はやめたほうがいい』など、犯人はあたかも相手を守っている意識が高いのだ。

 それを拒絶されれば逆上することも。自分はこんなにも愛しているのにどうしてわかってくれないんだという思いが、やがて取り返しのつかない事件に発展することもある。

 深堀の場合も、似たようなものだ。セクハラの裏にこんな心理状態が隠されていたとは思いもよらなかったが、この場ですべての記録を取り、然るべきところへ出さなければ、後々とんでもないことをしでかすような危うさが深堀からは確かに感じられる。

「……じゃあ、あなたのその目的のために、私をどうするつもりですか?」

 止まらない悪寒とともに額に滲む冷や汗を手の甲で拭い、蓮実は静かに質問した。

 誰にも言わないとは言ったが、深堀はそれをけして鵜呑みにはしないだろう。だって、ここまで赤裸々に暴露したのだ。いつバラされるかもわからないのだから、そんな恐怖とずっと隣り合わせでいるより、もっと簡単に楽になれる方法がある。

 聞くと深堀は、またもやニヤリと気味悪く笑った。近くの机に無言で近づくと、ペン立ての中からカッターを抜き取り、チチチ、ともったいぶるように指で刃を押し上げる。

「――今ですっ‼」

 蓮実が声の限りにそう叫ぶのと、蹴破る勢いでドアが開け放たれたのはほぼ同時だった。カッターを構え蓮実に向かって突進してくる深堀の背中に勢いをつけて飛びかかる菖吾の体が見えたと同時、ふたりの脇をすり抜けて谷々越が一目散に走ってくる。

「蓮実ちゃんっっ!」

「しょ、所長……」

「おい蓮実、俺の名前も呼べよコラ!」

 へなへなと床にへたり込む蓮実のそばに膝をついた谷々越が怪我の有無を確めるように蓮実の腕や肩に触れる中、ものの数秒で深堀の手首をひねりカッターを離させた菖吾も、カシャンと乾いた音を立てて床に落ちたそれを遠くへ蹴り飛ばしながら吠える。

 なかなかに場の雰囲気にそぐわない台詞だが、こういうことを言える人間が味方にいることに、蓮実は心底ほっとした。やはり菖吾はどんなときでも菖吾だ。そのことを改めて実感した蓮実は、ようやく戦慄の恐怖から解放され、じんわりと目に涙が浮かぶ。

「菖吾君、蓮実ちゃんが研究室に入った直後から、もう突入しようってうるさくて」

 あっという間に深堀を床に這いつくばらせ、関節技を決めた菖吾の、どんなもんだ、という誇らしそうな顔を一瞥し、谷々越がほんの少しだけクスリと笑う。

 どうやら菖吾にも思っていた以上に心配をかけさせてしまっていたらしい。つい先日の居酒屋トークもあとを引いているのだろう。あのときも、ここに出向くときも菖吾の態度はいつもと少しも変わらないように見えていたけれど、刃物を持つ深堀に真っ先に飛びかかっていったということは、それだけ蓮実の身を案じてハラハラしていたということだ。

 もちろん、谷々越も同じだ。クスリと笑いはしたが、瞳はけして笑っていない。怪我の有無を確めるために触れた谷々越の手は指先まで冷えていたし、今も若干、震えている。

 役割はそれぞれ違っても、自分たちは三人でチームなんだということを、これでもかと実感させられる。それと同時に、終わった……という安堵感が、蓮実の中に広がる。

「な、なんだお前たちは! 教授に言うぞ!」

 そんな中、菖吾に馬乗りになられた深堀が、痛みに顔を歪めながら唾を撒き散らす。

 もはや、あれだけ物腰柔らかだった准教授の姿も、異常な執着愛を恍惚と語っていた影もない。そこにあるのは、床に這いつくばらされ、みっともなくもがく殺人未遂犯の姿だ。

 どうやら深堀は、簡単にねじ伏せられてしまうほど力は強くなかったらしい。もっとも、菖吾は運動神経も抜群で、わけあって探偵に転職しようと決めた際、護身術として柔道も少しかじったそうだから、最初から力の差は歴然だったというわけけれど。

「うあっ……」

 負け犬の遠吠えよろしく喚き散らした深堀の腕を菖吾が無言で締め上げる。

 それでも抵抗を続ける意思を見せる深堀は、ぐるりと首を蓮実たちのほうに向けると歯を剥き出しにする。口からは唾液が流れ、口の端には白い泡が浮かんでいた。

 それをしっかり動画で撮りながら、谷々越は「教授にですか?」と首をかしげた。

「教授に言ったところで、あなたの行いは立派な犯罪として然るべきところに提出されることに変わりありませんよ? お父様の古くからの友人である牧野教授は、あなたが矢崎香純さんにしていたセクハラをすべてご存知の上で、証拠が出ないように携帯端末の持ち込みを禁止にしていたそうです。お父様から秘密裏にあなたのことを見守るようにと頼まれていたみたいですね。自分のせいで息子には可哀そうなことをしてしまったと、お父様はよくお酒が入ると言っていたそうです。たまりかねて自分の研究室にあなたがいることを教えると、お父様は、ときどきでいいから近況を報告してほしいと頭を下げて頼んだそうです。その姿があんまり見ていられなくて、それからちょくちょく、近況報告をしていたそうですが……。それはともかく、友情はこんなことに使われるものではありませんよね」

「……は?」

 言うと、深堀が虚を突かれた顔をした。蓮実も同じだ。今の言い方だと、谷々越は牧野教授と直接話をしたように聞こえる。いつそんなことをしていたのだろうかと目を見開く。

 香純と大学に行っていたときだろうか、女子大生が着そうな服がなくて慌てて買いに走っていたときだろうか。それとも、もっと前から……。ともかく、牧野教授のことも調べようと蓮実が言ったその前後には、谷々越も牧野のことを調べようとしていたことになる。

 蓮実も探偵の端くれではあるが、やはり谷々越は、こういうことにかけては次元が違う強さを発揮する。菖吾が前の探偵社を辞めるときもそうだったけれど、もしかしたら、谷々越は探偵界にものすごく強力なコネかなにかを持っているのかもしれない。

 ぱちぱちと目をしばたたかせる蓮実に軽く笑うと、谷々越は続ける。

「お父様も教授も、そうまでしてあなたのことを気にかけておきながら、あなたの異常性に見て見ぬふりをしました。親なら。見守ると決めたなら。セクハラの証拠を出さないように隠ぺい工作を働くのではなく、あなたの異常性に真正面から向き合うべきでした。まあ、こうなってしまった以上は、もうどうにもなりませんけど、牧野教授に連絡を取った際、こう言伝を預かりました。――『一緒に警察に行こう』と。教授は急遽ご旅行を取りやめ、急いでこちらに向かっている最中です。お父様も、こちらへ。最初は傷害の容疑で取り調べが行われると思いますが、じきに矢崎香純さんへのセクハラも明るみに出るでしょう」

「……っ。そんな……どうして鈴菜(すずな)が……」

「まだ目が覚めませんか? 矢崎香純さんは大白(おおしろ)鈴菜さんではないからですよ」

 初恋の彼女の名前をぽつりと零した深堀を、静かに、だが強く谷々越が否定する。

 深堀が初めて恋をしたのは、大白鈴菜さんという女性だった。今は結婚して子供もふたり授かり、一色(いっしき)鈴菜と姓が変わっている。一昨年から、夫の海外赴任を機に家族でシンガポールに移住しているそうだ。現地で仕事にまい進する夫を支え、子供を育てながら自らも日本語学校の教師として仕事をし、家族四人、幸せな家庭を築いているらしい。

 深堀は、中学二年のあのときから、ずっと大白鈴菜さんの幻影に囚われたままだったのだろうか。彼女は今、彼女自身の人生を歩み、日本にすらいないというのに。

 もちろん、鈴菜さんや彼女の家族になにかあってはならないため、深堀にはそのことを伝えたりはしないが、調べていくとあまりにも違う人生の歩み方に言葉が見つからない。

 それでも蓮実たちは、深堀にわからせなければならない。

「彼女が……鈴菜じゃない……?」

「そうです。僕たち三人は、谷々越探偵事務所の探偵です。僕たちにあなたのセクハラを証明してほしいと依頼したのは〝矢崎香純〟さん。大白鈴菜さんとは違う女性です」

 初めて聞いたような口調で疑問を口にする深堀に、谷々越が。

「そんな! 鈴菜はそんなことをするような子じゃない!」

「だから、あんたが好きな〝鈴菜〟はもういないんだよっ!」

 まるでイヤイヤをする子供のように首を振る深堀に被せるように、菖吾が。

「嘘を言うな! 鈴菜は……鈴菜は……!」

「もういい加減、香純ちゃんを鈴菜さんに重ねるのはやめてくださいっ!」

 最後は、渾身の大声で蓮実が。

 深堀の暗い生い立ちは同情に値する。でも、犯罪者には絶対になってはいけないのだ。

 絶対に。なにがあっても、それだけは絶対だ。

「――通報しましょう」

 谷々越のその声に蓮実と菖吾が神妙に頷く中、深堀が事切れたようにがっくりと床に額を押し付ける。観念したのか、ぱったりと抵抗をやめた深堀は、菖吾が上着のポケットからスマホを取り出そうとゴソゴソしても、もはやなにか反応する気力すらないようだった。

 菖吾が通報を終えると、やがて遠くからパトカーのサイレンが鳴り響いた。駆け込んできた警察官に両腕を抱えられて連行されていく深堀の背中は、生きていても死んでいるような、現実と非現実の区別もついていないような、まるで抜け殻のようだった。

「さあ。僕たちも事情を話しに向かいましょうか」

「……はい」

「はい」

 谷々越に促され、蓮実と菖吾は研究室をあとにする。無人の廊下は、けれど警察が踏み込んだ騒々しさが鮮烈に残っていた。蓮実たちの後ろでは、菖吾がしきりに電話をかけている。こちらに向かっているというふたり――深堀の父親と牧野教授へ、深堀がどこに連行されていったかを知らせる声が、壁や廊下に吸い込まれては静かに消えていった。

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