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「……というわけでさ。今回の依頼は、立場の強さを使った卑劣なセクハラをなんとしてでも証明すること。依頼主の香純ちゃんは相当の覚悟を持って来たみたいだね。会えばわかると思うけど、内気そうな子でさ。でも、屈したくない、自分の力で大学院に行ってやるっていう芯の強い子でもあって、協力してあげたいと思ったの。だいたいさ、ただでさえ立場の弱い学生の、その上、自分から声を上げられなさそうな子を狙ってセクハラするなんて言語道断だと思わない? どれだけ嫌な思いをしてきたかを思うとたまんないよ」

 逃げたインコの捜索で出ていた菖吾が戻ってくると、蓮実は彼の前に氷たっぷりのスポーツドリンクのガラスコップを置くなり、新たに入った依頼の詳細を話した。

 並々注いだそれを一気に飲み干し、二杯目のコップに口をつけていた菖吾は、

「でも、証拠も録音できない、教授からの信頼も厚い、研究室を出れば何事もなかったように振る舞われる、の三拍子揃ってて、どうやって証明するわけ? まさか大学生のふりして潜入するわけじゃないだろ? 蓮実じゃバレるだろ、その見た目じゃさすがに」

「なにそれ、私が歳食ってるって言いたいの?」

「いや?」

 ニヤリ。意地悪く笑ってゴクゴクと喉仏を上下させた。

「――痛っ……!」

「一言も二言も多いからこうなるんでしょっ」

 スパンといい音が鳴った菖吾の後頭部を睨みつけつつ、蓮実は腰に手を当てフンと鼻を鳴らす。本当にウチの男どもは甘いものに目がないわ、余計なことを言うわである。

「で? インコのピーちゃんはどうなったのよ?」

 気を取り直すように小さくため息をこぼすと、菖吾に話の水を向ける。

 彼が炎天下の中、外に出ていたのは、昨日新たに入った依頼である逃げたインコ探しだ。

 依頼主は事務所の近くに住む八十代の老婦人で、鳥籠を掃除していた際に窓から逃げてしまったという。普段はピーちゃんを籠から出す際はしっかり窓を閉めているのだそうだが、昨日はついうっかり開けたまま掃除をはじめてしまったらしい。

 必死な様子で「見つけてほしいの!」と訴える婦人は、その場にいた蓮実、谷々越、菖吾の中から一番体力がありそうな菖吾を選ぶと、「この方にお願いするわ」と言い、去っていった。蓮実はそのとき、女は何歳になっても若いイケメンが好きなんだなと思った。

「いや、これがちっとも見当たらねーの。猫とか犬よりよっぽどタチが悪いな、鳥は。だって飛べるんだぞ。卑怯すぎんだろ、そんなんさー……。見つけらんねーし、よしんば見つけられたとしても飛ばれたらなんも意味ない。さすがに無理だよ、こんな依頼は」

 すると、すっかり婦人に見初められてしまった菖吾は、待ってましたと言わんばかりに愚痴を並べはじめた。……確かに。犬も猫も相当タチが悪いが、鳥は別格でタチが悪い。好き勝手に逃げられるのは同じだけれど、鳥は飛べるぶん空にも逃走範囲が広がるのだ。対して人間は空を飛べない。地面を逃げ回るペット探しのほうが断然マシというものだ。

 菖吾の愚痴は止まらない。

「だいたいさ、鳥に〝ピーちゃん〟って名前を付けるばあさんが都内にどれだけいると思ってんの? 見つけたピーちゃんがばあさんのピーちゃんじゃなかったらマジしんどいんだけど。また違うピーちゃん探さなきゃなんねーじゃん。ほんと、勘弁してほしい……」

「まあね。ご愁傷様だわ」

「だろー? もう、ほんと……あああー……」

 髪の毛を掻きむしりながら悲痛な声を上げる菖吾は、どうやら昨日今日のたった二日の捜索ですでに限界値に達しているらしい。都内のピーちゃんと、そう名前を付けたおばあさんたちに謝れと言いたいところだが、疲れきった菖吾の姿にさすがに不憫に思えた蓮実は黙って閉口しておくことにした。あと、ピーちゃんピーちゃんうるさいことも。

 まるで先が見えないだけに、これは相当手強い案件だ。思わず鉄拳を食らわせてしまったが、申し訳ないことをしたと蓮実は素直に反省した。無言で三杯目を注いでやる。

「でもさ、そうは言いつつ、きっちりやるのが菖吾だもんね。おじいさんが亡くなってからずっと一緒に暮らしてきたって仰ってたし、見つけてあげたいんだもんね」

「……当たり前だろ。執念であの女を探してるんだ、インコも見つけらんないんじゃ、この先が思いやられるわ。本気で勘弁してほしいとは思ってないよ。ちょっと愚痴っただけ」

 言うと菖吾がもごもごと口を動かす。

 あの女とは、デパート勤務時代、菖吾を嵌めた例の女だ。なにが目的で、どうしてターゲットが菖吾だったのかは、わからないままだけれど、菖吾はその女を見つけ出すために探偵になった。縁あって今は谷々越探偵事務所の一員となっている。

「じゃあ、どうしましょうか、所長。菖吾はピーちゃん探しにかかりっきりになっちゃってますし、大学に潜り込むにしても、動けるのは私くらいしかいませんけど」

 菖吾の愚痴がひと段落したところで、自分のデスクについている谷々越に尋ねる。

 菖吾にはあまりオススメされなかったが、セクハラの証拠を押さえるには、携帯端末の持ち込みを禁止されている香純に代わって、なにも知らないふうを装った蓮実が音声を録音するなり写真を撮るなりするのが一番手っ取り早いのではないだろうか。

 香純はただ、深堀に自分のやっていることはセクハラなんだとわかってもらいたいのだ。白日の下に晒すでもなく、社会的制裁を受けさせるでもなく、ただセクハラをしているんだという自覚をしてもらいたいと彼女は言う。彼女がそれ以上のことを望んでいないのだから、蓮実たちも証拠を押さえるのみだ。深堀は立場のある人間だ。十分すぎる譲歩だろう。

 もしそれでもやめない、あるいはエスカレートするようなことになれば、そこからは警察の出番だろう。もちろんこちらも彼女の身の安全のためにできる限りのことはするつもりだが、探偵はあくまで探偵でしかないので、それ以上のことはできないのが現状だ。

 警察に証拠を出されることと、セクハラをやめること、どちらを取るかなんて簡単だ。

 蓮実の個人的な気持ちとしては、岡崎藍の二の舞になってもらいたいと、どうしても思ってしまう部分も、無きにしも非ずといったところだろうか。けれど、これからの人生のことを思うと、あまり事を荒立てたくないという香純の気持ちも十分に察せるのだ。

「そそ、そうだね。じゃあ、前のときみたいにしてみようか」

 すると谷々越が顔を上げる。その言葉にピンときた蓮実は、

「了解です。香純ちゃんにお願いして、学生証の写真を撮らせてもらいますね」

「うん、お願いね。あとのことは僕のほうで作っておくよ。一日あれば準備できるから、明日にでも会えるように都合をつけてもらおう。明後日には調査が開始できるよ」

「はい」

 お願いします、と頭を下げた。

「え、前のときってなに? やっぱ大学生に戻るの?」

 そんな蓮実の隣では、菖吾がしきりに蓮実と谷々越を見て不思議そうな顔をする。

 菖吾が知らないのも当然だ。それこそ菖吾や親しい人たちに心配をかけたくなくて、当時も黙っていたのだ。戻るんじゃなくて潜入だから、と心の中でツッコミを入れつつ、

「この手のことには所長も私もちょっと覚えがあるのよ」

 そう言って蓮実は、さっそく香純に電話をかけ、会う約束を取り付けたのだった。


 その日、仕事帰りに菖吾に飲みに誘われた蓮実は、狭い居酒屋のカウンター席に並んで座り、ビールと焼き鳥、枝豆をつまみながら三年前のことを話すことにした。

 菖吾が例の〝前のとき〟をどうしても知りたいと言って聞かなかったのだ。蓮実自身も、もうそろそろ時効かなと思っていたし、同じ職場で働いているのだ、自分だけ隠しごとをされている菖吾の仲間外れ感を思うと、話してやったほうがいいんじゃないかと思った。


 *


 蓮実が谷々越に出会ったのは、今から三年前、大学四年の十月半ばだった。

その時期になってもまだ就活が終わっていなかった蓮実は、学生生活最後の時間を楽しむ同期生たちを横目に、袖を通しすぎたリクルートスーツと履きくたびれたパンプスをなんとか綺麗に保ちながら、その日も二次面接を受けに、ある会社に向かった。

 二次に進めたのは、ここしばらくの間では大躍進と言ってよかった。どれだけエントリーシートを書いても書類選考で落とされてしまうし、一次面接には進めても、その次は俗に言う〝お祈りメール〟が届くばかりだった。ここ数年は学生優位の売り手市場だとは言うけれど、その少し前の蓮実の代では、まだまだ企業優位の買い手市場だったのだ。

 そんな中で届いた二次面接の知らせに、蓮実の心は大いに弾んだ。これでやっと就活が終わるかもしれない――そう思うと俄然、気合いも入るというものだった。

 けれど、世の中はそうそう上手く行かない。

「う、ううっ……」

「どど、どうしたんですかっ」

 面接後、その会社が入るオフィスビルから少し離れた街路樹の脇に身を寄せ、せり上がってくる吐き気をなんとか堪えていると、あわあわした様子で背後から声をかけてくる男性が現れた。その声に条件反射的に「だ、大丈夫です」と振り返ると、たくさんのビジネスマンやOLが足早に行き交う昼間のオフィス街において、彼の姿は見るからに異質だった。

 濃いベージュ色のロングコートに、ぼさぼさの頭。前髪は目の下まで伸びていて、猫背でどこか頼りない。誰もがカッチリしたビジネスルックをしているのに、彼は首元がよれた白のニットにジーンズ、足元はロングコートに見合わず履き古したスニーカーだったからだ。声をかけてもらって大概失礼だが、蓮実はいわゆる、お家のない人だと思った。

 けれど、前髪の奥からちらりと見えた瞳は本当に心配そうで、声をかけたはいいがどうしたらいいのだろうと当惑しているようでもあった。それに、相当勇気が要っただろうなと想像すると、とても有難かった。大丈夫だとは言ったものの、もう立っていられないくらいだったし、五分はこうしているが、その間に声をかけてくれたのは彼が初めてだった。

「……あ、あの。面接の帰りなんですけど、気持ち悪くなっちゃって……」

「い、今までのストレスが一気に出ちゃったのかな。とりあえずどこか休めるところ――」

「いえ。それもありますけど、違うんです」

 蓮実は辺りをきょろきょろしはじめた彼のコートを咄嗟に握りしめた。

 きっと心細すぎて気持ちが折れてしまっていたのだろう。心底驚いた表情で蓮実の顔を見る彼に、蓮実は「面接官の人が……」と、震える声を絞り出した。

 もういい加減、誰でもいいから話を聞いてもらいたかったのだ。

 同期生たちが次々と内定をもらっていく中、蓮実はどこの企業を受けても健闘を祈られてばかりで、すっかり自信を失くしていた。この時期になると、もうどこの会社も内定者が出揃っているので、募集はぐっと少なくなってもいる。そんな中では正直、なりふり構っていられる状況ではなかった。だから、どこかひとつだけでも引っかかってくれるところがあればという思いで面接に臨んだわけだったのだけれど――。

「いわゆるセクハラってやつですかね。『彼氏はいるの?』って聞かれたんです。今はいないって答えたら『だろうね』って。『じゃあ、ここから彼氏を選ぶなら誰がいい?』とも聞かれてめちゃくちゃ困っていたら『浮気性だね』って。そしたら今度は『そういう子はすぐに辞めていっちゃうから』とか『この時期にまだ就活してるってことは相当切羽詰まってるんでしょう、これくらいの冗談も上手に受け流せないから決まらないんだよ』とか、ネチネチ言われて……。表向きは女性も働きやすい職場をアピールしてる会社なんです。だから、そんな会社に就職しようとしてたんだって思ったら、急に気持ち悪くなってしまって」

 近場にあったカフェに連れて行ってもらった蓮実は、そうして今まで連敗続きだったこと、やっと二次面接まで進めたものの、面接官にセクハラを受けたことを一気に話した。

「それに、谷々越さんだけでした、あの場で声をかけてくださったのは。……みなさん、忙しいんですね。吐きそうやら泣きそうやらで途方に暮れていたところだったので、本当に助かりました。今も話を聞いてくださってありがとうございます。これまでもいろいろと心が折れそうになることの連続だったので、さっきの面接でとうとうポッキリいっちゃった感じです。今度こそはと思って気合い十分で臨みましたけど、ダメですね、もう」

 そして、目の前にあるホットココアのカップに小さく口をつけた。

 カフェに連れてきてもらうまでの間に、お互い軽い自己紹介は済ませていた。


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