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■第三話 デジャヴはある日突然に 1

 依頼主の女子大生から頼まれたのは、教授からのセクハラの証明でした。

 ――ので、三年前の出来事と、どうも重なってしまいました。


     *


「うわー、なんなのこの人、屁理屈ばっかじゃん」

 谷々越が牛乳たっぷりのシリアルとフルーツで草食動物よろしく草を食むように朝食を摂っている中、見るともなしにワイドショー番組を見ている彼の近くでデスクの拭き掃除をしていた蓮実は、ある主張を耳にして思わずその手が止まってしまった。

「え、なになに。どうしたの」

 新参者のくせにのんびり出勤後のコーヒーを飲んでいた菖吾をひと睨みしつつ、

「この人、女性専用車両って書いてあるのに、わざわざそこに乗るんだって。『男性は乗ってはいけないって決まってるわけでもないのに乗れないのはおかしい』っていうのが、この人の主張らしいんだけど。でも、女性客と口論になって電車の発車が遅れたりもしてるんだって。それ以前に不快だよ。公共の乗り物に迷惑をかけたり、たくさんの人を不快にさせてまで自分の主張を正当化して押し通そうとする、この人の神経がわかんないわ」

 蓮実はフンと鼻息荒く、顔出しNGで取材を受けたテレビ画面の男を睨みつけた。

 男の主張は、こうだ。

 自分は痴漢なんて絶対にしない。鉄道会社に問い合わせても、女性専用車両に男性が乗ってはいけない決まりはないとの回答をもらった。なのに、男というだけで乗りたい車両に乗れないのは差別だ。だから自分は、同じ主張を持つ数人の仲間とともに、これからも自分が乗りたい車両に乗り続けると決めている。たとえそれが、女性専用車両でも。

 ――はあぁぁ⁉ である。

 菖吾の態度なんかより、こっちのほうが万倍腹が立つ。

 だいたい、誰のせいで女性専用車両ができたと思っているんだ。痴漢する男がいっぱいいるからだろう。社会問題にもなっているからだろう。蓮実は声高に叫びたい。

 女性専用車両は、痴漢の被害から女性客を守るため、安全に電車に乗ってもらうために鉄道会社が作った、いわば安全地帯だ。そこに痴漢目的ではないにせよ男が乗ってきたら、女性客は一気にその安全や安心を脅かされたと思うだろう。排除しようと思って当然だろう。だって女性専用車両だ。我が物顔で乗り込まれたら、こっちも黙ってはいられない。

 ただ、その男はこうも主張する。

 女性のほうにも痴女はいますよね、と。

 そう言われれば、ぐっと反論に困ってしまうところがあるが、いかんせん男の痴漢のほうが圧倒的多数であることは変わらない事実なのではないかと思う。

 世界的に見ても、ハリウッド女優が自身が受けたセクハラを告発したことから端を発した『#Me Too』は瞬く間に大きな反響と共感を呼び、拡散された。日本でもセクハラ問題が多く取り上げられるようになり、ワイドショー番組は連日、話題に事欠かない。

 そのことを受けて、男性側も女性側も、自分の不用意な発言や行動に、より一層気をつけたり注意を払うようになったのではないだろうか。セクハラの一番怖いところは、相手がセクハラだと思えばセクハラになるところだ。痴漢だってそうだ。ビジネスバッグの角や傘の柄が当たってしまっただけで、痴漢に間違われてしまうこともあるのだから。

 そうはならないために、乗客の大多数の男性たちは良心的なマナーとして女性専用車両には乗らないようにしている。なのに、そのうちのひとりないし数人が、自分たちの努力を水の泡にしているのだ。男性客たちからしてみても、甚だ迷惑な話だろう。

「でも、この人の主張もわからなくもないんだよなあ」

 すると菖吾が、ズズーッとコーヒーを啜りながら言った。

「なんで⁉」

「いや俺、大学は電車で通ってたんだけど、朝のラッシュでしばらくケツを触られてたことがあってさ。気持ち悪かったけど、俺、男じゃん。我慢できないわけでもなかったし、なにより恥ずかしいしで、駅員にも駅の警察にも相談できなかったんだわ。で、誰だと思って確かめてみたら、これがまためっちゃ品のいいご婦人でさ。マジかって思ったよね」

「へっ?」

「とまあ、男でも痴漢に遭うことはあるわけで、だからこの人は、女性だけ別に車両を用意するのは差別だって言いたいんだろうと思うんだよ。法律で決まってるわけじゃないし、絶対的な強制力はないわけでしょ。そこは乗客のマナーに任せてるわけだから、この人の主張としては、マナー違反でもなんでもない、ってことなんじゃない?」

 噛みつかんばかりの勢いで尋ねると、菖吾は自身が遭った痴漢被害を事もなげに話し、

「こればっかりは、やっぱり良心の問題なんだと思うよ」

 微妙な笑みを浮かべて蓮実の怒り心頭をまったく別の方向へシフトチェンジさせた。

「ちょ、ちょっと待って。菖吾が痴漢に遭ってたなんて、私、知らなかったんだけど」

「だって言ってないもん。てか、今も言ったけど、それ以前に恥ずくて言えないだろ」

「いや、そうだけどさ……」

 思わず語尾に力を失う。

 でも、確かにそうかもしれない。一般的に痴漢の被害に遭うのは女性が多い。それは、女性が勇気を出して被害を訴えたからで、必ずしも女性だけが被害者なわけではなく、菖吾のように男性が被害に遭うこともきっとある。ただ、男性は恥ずかしかったり、男だし我慢すれば大丈夫だろうと思ったり、なかなか声を上げられない環境にあるのかもしれない。

 今でさえ、菖吾が昔、品のいいご婦人からしばらくお尻を触られていたことなんて知らなかった。こんな話題が出なかったら、菖吾はきっとなにも言わなかったに違いない。

 蓮実は、なんだか釈然としない気持ちで唇を尖らせる。

 友達なのに。あれだけ『虫むしキャッチャーズ』で笑い合った仲なのに、恥ずかしいからとはいえ、こんなときに痴漢に遭った過去があることを言わなくても……。

 当時も今も頼りないのかなと思うと、虚しい。

 すると、その気持ちを察してか、ニッと笑った菖吾が蓮実の髪の毛を掻き回した。

「なにむくれてんだよ。蓮実だって親や友達に心配をかけないために黙っておくことくらいあるだろ? 探偵をやってるなんて、なかなか大っぴらに言えることじゃないし。それと同じだって。しばらくしたら触られることもなくなったし、第一、蓮実がこんな話をするまで忘れてたくらいなんだ。本人がケロッとしてるんだから、大したことじゃない」

「うん」

「でも、蓮実がもし痴漢に遭ったら言えよ? 警察に動いてもらってもいいけど、こっちは探偵なんだ。谷々越さんも絶対協力してくれるし、俺だってもちろん、するし」

「うん」

 されるがままに頭を鳥の巣にしながら、蓮実は確かにそうだなと思った。

 親しい人に心配をかけないために、あえて黙っておく――蓮実にもそれは大いに身に覚えがあるし、本当は探偵業をやっていることも、なかなか言えない。

 幸い蓮実は自転車通学だったために痴漢とは縁がなく、社会人になってからよく電車に乗るようになったが、まだ被害に遭ったことはない。そもそも、ぎゅうぎゅうに込み合う時間帯に乗ったことがないからなのだが、ただ、痴漢や、わざと女性専用車両に乗り込むこともセクハラのひとつだとするなら、蓮実にも似たような経験がある。

 そのおかげで谷々越に出会ったわけだけれど――。

「ん? どうした?」

「ううん、なんでもない。ありがとね、菖吾。さ、仕事しよ」

「……おう」

 いまだ草を食むようにゆっくりシリアルを咀嚼している谷々越に一瞬だけ目を向けると、蓮実は菖吾の背中を促し、自分も手が止まってしまっていた掃除の続きに取りかかった。


 それから数日。

「すみません、飛び込みなんですけど、相談に乗ってもらうことってできますか?」

「あ、はい。大丈夫ですよ。どうぞこちらに」

 午後になって、この日初めての依頼者が現れた。

 時刻は十四時を少し過ぎたあたり。八月の盛夏の日差しの中を歩いてきたのだろう、赤い顔で現れた彼女にさっそくソファーを勧めた蓮実は、キンキンに冷えた玉露と水羊羹をお茶請けに出すと、彼女の向かいに腰を下ろした谷々越の隣に自分も座った。

 谷々越の〝僕のぶんは?〟という物欲しそうな視線は、隠したお盆の陰で太ももをつねって〝ありません、仕事をしてください〟と無言で一蹴する。それから蓮実は、

「――()っ……!」

「今日はどうされました?」

 小さく悲鳴を上げかけた谷々越の声をかき消すように、何食わぬ様子で笑顔を作った。

 隙あらばお客様用に用意したお菓子まで食べようとするんだから、この人は……。

 谷々越に付き合ってランチ外出をするようになってから気づいたのだが、彼はどうやら甘いものが好きらしい。蓮実も付き合わされたし、菖吾の話を聞くと、彼もだいたいそのようだ。そういえば夏芽と三好の件のときもファミレスに入って真っ先に頼んだのがパフェだった。もしかしたら、蓮実の預かり知らないところで通販で買った甘いものを大量に隠し持っているかもしれない。それで太らないんだから腹立たしい。逮捕してやりたい。

 それはさておき。

「あ、あの、セクハラの証明って、できますか?」

「セクハラ?」

「はい。実は、懇意にしている研究室の准教授から、その……」

 今回の相談者――大学四年生の矢崎香純(やざきかすみ)の話によると、彼女はここ一年の間、院に進むための口添えをしてやるからと、何度も准教授の深堀旭(ふかほりあさひ)という男に迫られているという。

 口添えの話もセクハラも直接的な言葉や行動で示したりはしないものの、例えば『院に進みたいんだったら、勉強も大事だけど印象も良くないといけない』などと言ってスカートの長さに言及してきたり、うなじや首元の露出を促すようなことを匂わせたり、『彼氏いないの? え、そんなんじゃ子供も産めないよ』と、男女のそういうことを絵で描き記した絵巻が収録されている専門書を開いて見せてきたりなどなど、たとえ大学側に訴えたところでなんとでも言い逃れできるようなラインのセクハラを繰り返しているらしい。

 ちなみに彼女は、日本史研究室に所属している。

 香純の口から語られた数々のセクハラに蓮実が思わず眉をしかめると、彼女は言う。

「でも、証拠は私の耳だけなんです」

 彼女が所属する研究室は、携帯端末の類いは持って入れないことになっているのだそうだ。教授の牧野孝史郎(まきのこうしろう)氏がひどく音に敏感な人で、また、講義の最中に多くの学生が机の下でこっそりスマホを見ていることを前々から不快に思っていたらしく、せめて自分の研究室に所属している学生たちだけはやめてほしいとの思いで、一年前からスマホの持ち込みを禁止にしたのだという。……それは確かに不快だ。こちらが一生懸命に話しているのに目の前でスマホをいじられたら、蓮実だって気を悪くする。

「じゃあ、研究室の外でなら」

 セクハラ発言を録音できれば、動かぬ証拠になる。今は大学側に相談するよりSNSに上げたほうが拡散されやすいし、そうなれば大学だって動かざるを得なくなる。岡崎藍もそうだった。SNSは敵に回せば恐ろしいが、立場の弱い者が声を上げやすい場でもあるのだ。

 そう思い、蓮実がソファーから身を乗り出して尋ねると、けれど香純は力なく首を振る。

「研究室を出れば、深堀准教授は、まるで何事もなかったように……」

 深堀がそういうことを言ってくるのは、教授が席を外したときや、研究室のほかの学生がまだ来ていないとき、資料を探しに外に出払っていたりするときばかりなのだそうだ。

「だから、教授も研究室のみんなも私がセクハラまがいの発言を繰り返されていることは知りません。教授は准教授に信頼を置いていて、とても可愛がっていますから、きっと私の言うことより准教授の言ったことを信じるでしょう。親に言ったら心配をかけることにもなりますし、恥ずかしい話、研究室には、なんでも話せるような友達もいないんです。この見た目ですから、友達がいたとしても信じてもらえるかわかりませんし」

 そう言って自嘲気味の笑顔を作った香純は、言い方は悪いが見るからに内気そうな子だった。終始、俯き加減で、声もあまり大きくはない。ダサくはないが無難な服装で、化粧っ気もあまりない。髪も肩の下で切り揃えているくらいで、色を加えたりお洒落を意識したような髪型でもなかった。深堀から受けているセクハラの証明を相談に来たのだから明るくハキハキ喋れるわけもないのだが、それでもどこか、この子大丈夫なんだろうか、と他人の蓮実でも心配になるような、そんな雰囲気が彼女からは感じられる。

 でも、そんな彼女がここまで来たということは、相当な覚悟を持っているということだ。泣き寝入りだけは絶対にしたくない、その意志が自分の中でもう揺らぎようのないものになったからこそ、彼女は谷々越探偵事務所に自らの足を向かわせたのだろう。

 その証拠とばかりに、顔を上げると香純は言った。

「もうずっと、誰に助けを求めたらいいかもわからない状況でしたけど、だからといって屈したくはないんです。院に進むためにセクハラに耐え続けるなんて、おかしな話じゃないですか。口添えなんてしてもらわなくても、自分の力で院試に受かってみせます」

 だからどうか、深堀准教授にこれはセクハラなんだってわかってもらうための証拠集めに力を貸してもらえませんか――そうして香純は震える手を握りしめて深く頭を下げた。

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