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「それにしても、どうして中村さん宅からいきなり……」

 人のものかもしれない骨が、と口に出すのも恐ろしく、蓮実はあとの言葉を飲み込み口を噤んだ。もう帰ってけっこうですよと言われ、事情聴取を受けた警察署からの帰り、谷々越とともにすっかり留守にしていた事務所に戻る道すがらのことだった。

 警察署を出るときには、時刻はすでに午後三時を回っていた。事務所の電話は、一定時間鳴り続けると自動的にふたりのスマホに転送されることになっている。それが一度も鳴らなかったところを見ると、事務所にかけてきた人はいないらしい。

 時間もあることだし、このままなにか食べて戻ってもいいだろうと蓮実は思う。事務所の電話は、鳴らないときは本当に何日も鳴らないのだ。心配になるくらいに。それに昼食どころではなかったので、いい加減お腹も空いて空腹の感覚も麻痺している。

 けれどやっぱり、なにも食べられる気がしなかった。通りにはカフェや喫茶店がちらほらと見えるものの、蓮実も谷々越もさっきからそれをずっと素通りしている。

 詳しく調べないと断定できないそうだけれど、谷々越が人骨の可能性をほのめかした時点で、蓮実には動物の骨に見えていたそれはもう人骨にしか見えなくなっていた。さらに辺りが騒然となるほど警官が集まったことで、蓮実の中で骨は人骨に確定している。

 そんなものを見てしまって、今さら胃になにか入るだろうか。

 いいや、無理だ。思い出すだけで胃液が喉の奥にせり上がってきそうだ。

「ぼぼ、僕は法医学者じゃないからわからないけど」

 すると谷々越が蓮実の声に応えた。谷々越に向けたものではなく、単純に思っていたことが声に出てしまっただけだったのだけれど、予測だにしない事態に遭遇すると、どうやら人はそれを共有した相手からなにか反応があってほしいと無意識に思うものらしい。ちらと蓮実の顔を窺う谷々越の話の先を、蓮実はそっと目だけで促した。

 それを受けた谷々越は、下唇を右手の親指で弾きながら言う。

「あれは、なんて言ったらいいか……素人仕事に思うんだ」

「素人仕事、ですか」

「そう。だってそもそも、遺体を遺棄するなら猫にも掘り返せるほど浅いところになんか、最初から埋めないでしょう。発見場所は木の根元。成長する根に押し上げられたのかとも思ったけど、あの木の根元は平らだったから、その可能性はないと思うんだ」

「なるほど」

「中村さんの様子からも、まったく知らなかったのは僕らが証明してる。埋められた遺体が白骨化するまでは、やっぱりそれなりの時間がかかるはずだよね。中村さんの庭は、人が歩くところは地面がしっかりと踏み固められていた。木の根元の周りも同じだったよね。とすると、考えられることは、ずいぶん前からあそこに埋められていた可能性だと思う。例えば、中村さんがずっとあの家に住んでいるんだとしたら、彼が生まれるより以前、とか」

 そして、普段の谷々越からは想像もつかないほど流暢な推理を披露した。

 谷々越が下唇を右手の親指で弾くときは、スイッチが入っているときだ。本人はその癖に気づいていないようだけれど、蓮実はもう三年も前から折に触れるたびに目にしてきた。

 あえて教えることもないというのが、蓮実の見解だ。教えたところでどうこうなるわけでもないし、こうなってしまった谷々越がややこしいことも、蓮実はよく知っている。

「ペ――」

「ペ?」

「いえ」

 ペットのお墓の可能性は、と問いかけて、蓮実は慌ててあとに続く言葉を飲み込んだ。自分でも散々人骨だと思ったのにそれはないだろうと寸でのところで思いとどまったのだ。

 確かに木の根元は平らだった。それにあの木は枝葉を自由に伸ばしていた。あんなに健康そうな木のどこに、根を伸ばす邪魔をするものがあったというのだろう。

 加えて、周りの地面もしっかりと踏み固められていた。最近埋められたわけではないことは素人の蓮実にだってわかる。そして中村がなにも知らなかったことも、あのときの中村の驚きぶりや動揺から、蓮実も自信を持ってそうだと言える。

 ただわからないのは、誰がどんな目的で埋めたのか、ということだ。

「素人仕事っていうことは、埋めたのはやっぱり一般人ですよ……ね?」

 気を取り直して蓮実は尋ねる。

「うん、そうだと思う。中村さんって、おいくつだったっけ?」

「あ。ええと、確か依頼書には七十七歳って」

「じゃあ、終戦の年は四歳頃か。十分、物心がついてる年頃だね。でも、その当時家の周りでなにか変わったことがあったかって聞いても、たぶん覚えていないだろうね。よっぽどインパクトのあることだったら別だろうけど、中村さんも特になにも言っていなかったし」

「ですね……」

 谷々越は口には出さなかったが、イコール殺人事件的な、という意味だろう。

 中村宅がいつの時代からあそこに住居を構えていたのかや、中村は一度もあの家を離れたことがなかったのかなど、現段階では憶測でものを言うしかない状況だが、素人仕事と言うからには、やはりその道に長けたプロの仕事ではないだろう。まあ、そんなプロなんていてたまるかと思うけれど、こればっかりは、一般人の蓮実にはわからない。

 そして蓮実も、埋めるものと、その深さに矛盾を感じている。遺体を隠すなら、やはり深い穴を掘ってそこに埋めるはずだ。――なぜ誰も人が踏み入らないような鬱蒼とした山の中ではなく、一般の民家の庭の、それも木の根元の浅い位置だったのだろう。

 そこまで考えて、蓮実ははっと正気に戻った。いけない、これ以上谷々越にややこしい推理をさせると必ずこっちまでとばっちりを食ってしまう、とふるふる頭を振る。

「谷々越さん、警察に全部任せ――」

「僕らのほうでも中村さんのことを調べてみようか」

「え」

「だって気になるでしょう。知りたいでしょう」

 けれどもう遅かった。蓮実の声に被せるようにそう言った谷々越の目は、普段よく見ている、どこか覇気のないものとは違い、純粋な興味と探求心に輝いている。

 こうなったら、谷々越はもう誰にも止められないのだ。

 普段の谷々越は、事務所に住み、日常生活に必要なもののすべてをネット通販に頼っている。それは引きこもりとかではなく、単に谷々越が外に出ると高確率でややこしいことに出くわすことに気づいた蓮実が、極力外に出ないでくれと頼み込んだからだ。その抑圧の反動をまざまざと見せつけられてしまっては、さすがに蓮実の良心もチクチク痛む。

 もともとコミュ障気味だった谷々越に拍車をかけさせた負い目もある蓮実にとって、まるで息を吹き返したように目を輝かせる谷々越は眩しすぎて見ていられない。

 よっぽど外に出たかったんだな、この人……。

「……じゃあ、まずなにから調べましょう?」

 痛む良心のもと、蓮実はぎこちない笑顔を谷々越に向けるしかなかったのだった。


 そうして調べることになったのは、まず中村家の家系図と彼自身の生い立ちだった。検死の結果を待たなければ事件とも事故とも言えない中、こちらはこちらで話を聞こうということになり、谷々越と蓮実は翌日、再び中村宅を訪れることにした。

 庭では、木の周りにブルーシートがかけられ、その前を警官が数人、行き交っていた。昨日の一件で一気に老け込んだように見える中村は、変わり果てた庭を縁側から呆然と眺めている。懐には三郎。まるで我関せずといった様子で気持ちよさそうに目を閉じていた。

「――あ、あの、中村さん」

「ああ、探偵事務所の」

 蓮実が遠慮がちに声をかけると、中村は弱々しい笑みを作った。言葉が出ずにぺこりと会釈だけをすると、それを察した中村もふたりに向けて小さく会釈を返す。

 その拍子に三郎はするりと中村の懐から抜け出る。鬼のような形相で追いかけ回したためか、蓮実を警戒しているらしい。目にも止まらぬ速さでサッといなくなってしまう。

「可愛げがなくてすみません。慣れない人だと、いつもこうなんですよ」

「いえ、気にしないでください。昨日、私が追いかけすぎてしまったんです」

 申し訳なさそうに苦笑をこぼす中村に蓮実は首を振る。

 帰ってこない二十日の間にすっかり野生を取り戻したわけではないようだったけれど、昨日の今日でまた蓮実が顔を出せば、逃げたくなる気持ちもわかる。三郎はどうして追われているかわからなかったのだから、なおさらだ。切ないが本能だから仕方がない。

「それにしても、純和風の立派なお宅ですね」

 そこに谷々越の声が割って入った。「いつくらいからここにお住まいに?」

 どうやら昨日からスイッチは入りっぱなしらしい。いつもは喋り出しはひどくどもるが、今日は初めからエンジン全開だ。こんなときに目をキラキラさせているのもどうかと思うものの、久しぶりの外出だから仕方ない部分もある。蓮実の良心はまたチクリと痛む。

 三郎がいなくなった懐にぽっかり空いた穴を見つめていた中村は、つと顔を上げ、昔を思い出すように視線を中空にさまよわせた。どうしてそんなことを、と警戒されるかと思ったが、まだ気が動転したままなのだろう、質問の意図を気にする素振りはなかった。

「そうですね、この家が建ったのは私が産まれる三年前だと聞いていますので、ちょうど八十年でしょうか。私は戦争がはじまった年に産まれて、四つになる年に終戦を迎えました。それ以前から中村の家はここにあったそうです。『中村屋』という呉服店を営んでいて、最盛期はたいそう羽振りがよかったとか。きな臭い匂いが漂っていたとは思いますが、当時の当主だった私の祖父が建て替えたんでしょうね。財産はあったので」

 首元の、いかにも高価そうなループタイを弄りながら、中村が言う。

 その最後のひと言に、ふと蓮実は、もしかしたら中村の祖父は日本が必ず戦争に勝つと信じていたのかもしれないと思った。戦争のことは多くを知らないが、そうじゃなかったら戦前のきな臭い中、わざわざこんなに大きな家を建てたりはしないだろう、と。

「では、昨日、三郎が根元を掘り返していた木は?」

「あれは……たぶん、私が産まれる前後に植えられたものだと思います。子供の頃の記憶には、家の庭にあれだけ大きな木があった記憶はないので。この辺りは空襲もそれほど多くはありませんでしたから、植物も生き延びられたんでしょうね。生の強い木です」

 例の庭木の話に移ると、中村は少し言葉に詰まってからそう話した。

 子供の成長を祈って庭に木を植える話は、今も昔も多い。ということは、この木も樹齢八十年近いということだろう。改めて見てみると、立派なイチョウの木だった。今は新芽が芽吹く季節。落葉の頃になると庭一面に黄色い絨毯が降り積もるだろう。

「それにしても、まったくどうなっているんでしょう……。昨日、警察でも散々聞かれましたが、私にはまったく覚えがないんですよ。私は生まれてから今まで、この家を出たこともありません。その話が本当なら骨は戦前か戦時中のものだろうという話でしたが……」

 そして、そう言って深いため息をつくと、呆然と庭のブルーシートに目をやった。

「――ああ、すみません。お茶も出さずに」

 それからすぐにはっと我に返った中村は、縁側からでもよかったらどうぞ、と谷々越と蓮実を家の中へ促し、さっそくお茶を淹れに台所へ向かった。ややして戻ってくると、こんなものしかありませんがと、個包装になった和菓子アソートを盛った器をふたりの前へ出す。

「あの、失礼ながら、ほかにご家族の方は?」

 こぽこぽと湯飲みにお茶が注がれるのを待って、再び谷々越が尋ねた。

 中村は蓮実たちの前に湯飲みを置く手を休めることなく、

「ひとりです。十七年前――ちょうど還暦の歳に妻を病気で亡くしたんです」

 ガンでした、病院に行ったときにはもう手遅れで……と、少し声を詰まらせた。

 それから二年後に、ほとんど産まれたてだった三郎を拾ったという。兄弟はいない。息子と娘がひとりずついるそうだけれど、それぞれに家庭を持っていて、またここから遠く離れた場所にいるために三人いる孫たちとも滅多に会えないのだと、そう付け加える。

「そうでしたか……。すみません……」

「いえ、昔のことですから。ひとり暮らしの年寄りなんて、そこら中にいますよ」

 頭を下げる谷々越にそう返す中村の表情には、ほとんど憂いは見られなかった。手遅れになるまで妻の病気に気づけなかったことも、子供たちが遠くに離れてしまったことも、もうずいぶん前から中村の中で受け入れていることなのだろう。

 逆に「ところで、どうしてまたこんな話をお聞きに?」と場の空気を取り直すように聞かれてしまい、蓮実はなんとも言えない胸の苦しさを覚えた。居たたまれなくなり助けを求めるように飲んだお茶は、ほろ甘く、中村の人柄を思わせるような優しい味がした。

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