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 すると、中ではすでに修羅場がはじまっていた。

「大介君、お願い、私の話を聞いて!」

「夏芽さん、ごめん。僕のお金が目当てだったなんて、そんな人からこれ以上、なにを聞けばいいの……。本職を打ち明けなかったことは本当に悪いと思ってる。けど、探偵まで使って調べさせるなんて、あんまりだよ。僕を信じてない証拠だよ、そんなの……」

「大介君……」

 周りに客も多いことから、声は静かだった。けれど確かな修羅場だ。初めて目の当たりにするかもしれない。彼らの席の周りだけ、空気が冷たく、ピリピリと張り詰めていた。

 そこに谷々越が歩み寄る。蓮実は身を小さくしながらその後ろに続いた。

「お、蓮実じゃん。遅かったな。――とまあ、これで役者が揃ったってことで、教えますね、三好さん。こいつ、見た目はぼさっとしてますけど、実は俺と同じ探偵なんですよ。大学のサークル仲間だったんですけどね。まさか探偵になっているとは思いもよりませんでした。で、蓮実は田丸さんから依頼を受けて、あなたの身の回りを調べていたんですよ」

 蓮実たちに気づいた菖吾がニタリと皮肉な笑みを浮かべて種明かしをする。

 ほんの一瞬見ただけで、あとは谷々越のことには目もくれない様子だが、谷々越のほうも菖吾にさしたる興味もないのだろう。顔は岡崎と、彼女の手の書類に注がれている。

「蓮実さん、谷々越さん、この人、でたらめな報告書を……」

 席を立った夏芽が顔面蒼白で泣きついてくる。

「大丈夫ですから。谷々越がなんとかしてくれます」

 蓮実の肩口に顔を押し付け、ううっ……、と嗚咽を漏らす彼女の背中を優しく撫でさすりながら、蓮実は自分にも言い聞かせるように、そう繰り返す。

 それに弱々しくもこくこくと頷き返してくれた夏芽は、けれどすっかり憔悴している。なにより一番は三好に拒絶されたことだろう。あれだけ仲睦まじく見つめ合っていたふたりは、今はもう目すら合わせることなく、お互いに背中を向け合ってしまっていた。

 それを再び向い合せるのが蓮実たちの仕事だ。

「岡崎さん、これは一体、どういうことですか?」

 ひとり、どこ吹く風でパラリ、と書類をめくる岡崎に尋ねる。蓮実の声は低かった。自分でもこんなにも低い声が出せたんだと驚くほどの、硬く低い声だ。

「どういうことって、私はただ、自分が担当した方を守っただけですよ」

 すると岡崎は、妙に落ち着き払った声でそう答えた。話を聞きに行ったときはあんなにも表情豊かだった顔からはすっかりと表情らしい表情が消え、今はただ、店内の少し暗めの照明を反射して光る怜悧なふたつの瞳だけが、恐ろしいほど綺麗に澄んでいる。

「え?」

「六月中旬のことだったでしょうか、田丸さんからご相談を受けたんです。三好さんのご職業のことで。いくら恋人が相手でも、三好さんはプロフィールの一切を非公開にしている方ですから、他人の私から口外できるわけもありません。七月に入って少しして、今度は田丸さんから『探偵を頼んだ』ってお電話をいただきました。――そのときに思ったんですよ、このままじゃまた三好さんが落ち込んでしまうって。田丸さんは、二年、二人三脚でやってきて、やっと巡り合った人です。もちろん最初はひどく躊躇いましたけど、また傷ついて終わるかもしれない三好さんのことを思えば、田丸さんがなにが目的で探偵を雇ったか調べようという気持ちには抗えませんでした。そこで私も探偵を使うことにしたんです。プロはプロに任せないと。仕事もありますし、素人の私じゃ、決定的に役不足でしたから」

 聞き返すと、ちらと菖吾を窺った岡崎がにっこり微笑む。同じく微笑み返した菖吾は、

「――ここからは俺が」

 そして、まるででたらめなことを言いはじめた。

 菖吾の話では、夏芽の依頼の本当の目的は、三好の持っているお金だという。以前、デートの通り道でマンション前を通ったときに三好が住んでいる場所はわかっていた。あとは部屋番号を特定するだけだ。探偵よろしく張り込んだのだろうと菖吾は言う。

 三好が郵便受けから荷物を取り出すところを見た夏芽は、周りに誰もいないことを十分に確認してからポストを探し当てる。そうしてついに『別冊アネモネ編集部』と書かれた封筒かなにかを見つけ、三好が白野よつばであることを突き止めた。素人にも簡単だったんじゃないかと菖吾は言った。プロフィールの一切を非公開にしている作家は白野よつばだけだし、そうするだけの理由が三好にはあるからだ。――だって男性なんだから。

 恋人のはずなのに、岡崎からも三好の本職を教えてもらえなかったからだろうという。

 岡崎が自分の探偵社を頼ることにしたきっかけは、夏芽からの『探偵を頼むことにした』という一本の電話だ。岡崎がなにも教えてくれなかったことへの腹いせだろうと、菖吾は言う。そして岡崎は、夏芽の行動を調べさせると同時に、自分にも探偵がついて行動を逐一調べられていないかを監視してもらっていたのだという。まあ岡崎のほうには、いくら待っても探偵らしい人物の影はなかったけれど。そこまで言うと、菖吾はちらと蓮実に視線を送った。存分に嘲りが含まれている視線だ。蓮実はきゅっと下唇を噛みしめる。

 やがて現れたのが蓮実だ。蓮実は探偵と言うにはあまりに粗末で、勘も悪く使えないやつだったけれど、それでもようやく岡崎にたどり着いたことで、彼女は今夜、すべてを終わらせるつもりで個々に三人を呼び出したのだという。菖吾の差し金だ。

 津森まで呼んだのは、単に幼馴染の彼女がどんな女かを自分の目で見てもらい、今後の婚活に活かしてもらうためらしい。津森は、三好の紹介で岡崎を担当に付けて婚活をはじめたばかりだという。裏ではなにを考えているかわからない女もいる、そういう女にひっかからないように見る目を養ったほうがいい、そういう理由でここに呼んだのだそうだ。

「後学のためですよ」

「……あ、ああ、そ、そうだったんですね」

 甘い声でこっそり耳打ちする岡崎に、戸惑いながらも津森も納得する。どうやら津森は女性にあまり免疫がないらしい。体を寄せられただけで真っ赤になって固まっている。

 これではもうすでに手玉に取られているに違いない。津森からも夏芽はそういう女性じゃないと言ってほしかったが、これでは分が悪くなる一方だ。幼馴染の言うことなら三好の心も動くかもしれない――その淡い期待は、本当に淡かったらしい。

「そんな! 全部でたらめだよ! 三好さんや津森さんにでたらめを吹き込んでなにがしたいの⁉ 田丸さんはお金が欲しくて私たちに相談したんじゃない! 純粋に三好さんの体が心配だっただけよ! 田丸さんが三好さんの職業を突き止めたって話も、なかなか疑わしいよ。全部菖吾の想像でしょう! あたかも全部見てきたような言い方をして。岡崎さんから依頼を受ける前のことでしょ、今すぐ田丸さんに精魂込めて謝って!」

 たまらず蓮実は菖吾に向かって、くわっと吠えた。本当に全部がでたらめだ。

 けれど――。

「そうとも限りませんよ」

 甘ったるい声で岡崎が割って入る。

「この報告書によると、田丸さんは三好さんのマンションに行ってるんです。中に入って、集合ポストの前で躊躇するようにしばらく佇んだあと、ポストに手を伸ばしたことが書かれています。運よく私も探偵を雇った矢先でした。……ねえ、三好さん。田丸さんは実はあなたの素性を調べるような人だったんですよ。また一緒に素敵な人を探しませんか?」

 そして、俯き、ぎゅっと目をつぶり、耳を塞いでいる三好にそう言った。

「違います……! 確かに大介君のマンションには行きました。ポストもしばらく眺めました。でも、思い留まったんです。やっぱり蓮実さんたちの報告を待とうと思って。蓮実さんたちでもわからなかったら、大介君が打ち明けてくれるまで待とうって。どうしてそちらの報告書にはそこまで書かれていないんですか? こんなの、ひどすぎますよ……!」

 そこに夏芽の声が被さる。ひどく必死な声だ。蓮実たちに向けられているというよりは三好に向けられているそれからは、我慢できずにマンションに行ってしまった彼女の後悔と、どうして最後まで書かれていないのかという戸惑いが強く感じられた。

「それこそ、どうにでもでっち上げられると思いません?」

 しかし岡崎は、まったく意に介していない。菖吾も澄ました顔をしている。

 ……確かに。

 悔しいが、いくら夏芽がそう言ったところで、それを証明できる人物はいない。菖吾なら最終的に彼女がなにもせず帰っていくところを見ていただろうが、岡崎への報告書にはそれがないのだから、嵌められたということだ。加えて蓮実たちはその頃、三好の作品を探し当てることに集中していたし、まさか依頼主の彼女に探偵が――菖吾が貼り付いているなんて思いもしなかった。夏芽の行動を監視できるわけもないのだから、証拠はない。

「そんな……」

 夏芽の声が虚しく落とされる。

 ここまで来れば、黒幕は間違いなく岡崎だろう。夏芽と三好を別れさせてくれと菖吾の探偵社に依頼をしたのは。でも、そこまでわかっているのに手が出せない。蓮実はギリギリと歯噛みしながら、共謀者同士の岡崎と菖吾をただただ睨むことしかできなかった。

 夏芽が思わぬ行動に出てしまったのは、確かにこちらの落ち度だ。動物や物ではなく人が関わっている案件では、依頼主には自分の行動に責任を持ってくれと念押しする。迂闊にターゲットの周りに現れないでくれとか、自分から問い質すようなことは避けてくれとか、怪しまれるかもしれない行動には細心の注意を払って気をつけてくれと。

 けれど蓮実は、夏芽ならわかっているだろうとそれを怠ってしまったのだ。まさかもうひとり探偵が出てくるとは思わずに。依頼発生時から、蓮実は慢心していたのだ。

 と。

「――岡崎さんって本当に可哀そうな方ですね。心から同情いたします」

 そこに谷々越の声が割って入った。劣勢を極めているにも関わらず、驚くほど穏やかな声だった。はっと谷々越のほうを向くと、胸に手を当て、深々と頭を下げている。

「……どういうことよ」

 どこか気取ったそれは、今までの甘ったるい声からは一変、低く唸るような声を出させるくらいには、岡崎の癇に障るものだったようだ。それでも、菖吾が自分の味方に付いていることで、迂闊なことは口にしないだけの冷静さは持っているだろう。ここまで用意周到に別れさせる準備をしてきたのだ、ちょっと横槍が入ったくらいで引くわけがない。あと一歩のところで獲物を取り逃がすなんて、時間とお金の無駄以外のなにものでもないのだから。

 けれど谷々越は、頭を上げるとその顔に笑みを作る。

「言ったまんまの意味ですよ。金に目がなく、強欲で意地汚い。平気で人の心に傷を付けて優越感を味わうような人には同情しか湧きません。この世にはお金よりもっと価値のあるものがたくさんあります。それがわからない人は、心底可哀そうです」

「なっ⁉」

 たまらず、といった様子で岡崎が席から腰を浮かしかける。今度は相当、癇に障ったらしい。顔を赤くして谷々越を睨みつけるその顔は、恐ろしいほど悔しさに歪んでいる。

「わざと泳がせてたんですよ、蓮実ちゃんも、あなたも、菖吾君も。まあ、蓮実ちゃんは目くらましですね。彼女が事務所にいない間くらいしか、僕は外に出られませんから」

 そんな中、ひとり冷静に谷々越が衝撃の事実を告げた。

「はっ⁉」

 蓮実、菖吾、岡崎の声が見事に被る。

 なんと。蓮実が事務所を留守にしている間に谷々越も留守にしていたとは……。

 もし無人の状態で事務所に電話がかかってきた場合、蓮実のスマホに転送されることになっているが、その間もスマホが鳴らなかったところを見ると、どうやら電話はなかったらしい。……大丈夫だろうか、この事務所。ちょっと心配になってきたかもしれない。

 とは言っても、蓮実には谷々越がこっそり外出しているかを確かめる術はない。第一、雇い主だ。当然外出しないだろうと思っていたところもあるし、まさか盗聴器やGPSを仕掛けて行動を監視するなんて、そこまで蓮実も鬼じゃない。きつく懇願してはいるが、そこは雇い主と雇用者の信頼関係がものをいう。たとえ、目くらましに利用されていても。

 蓮実たちが虚を突かれている中、谷々越は続ける。

「で、いつあなたがたが尻尾を出すかと思って待っていたんですが、これがなかなか出てこないのでちょっと困っていました。ようやく菖吾君と岡崎さんが接触している場面を見られたのが、蓮実ちゃんが菖吾君にいいようにされて地団太を踏んだあと――時間にすると、つい三時間ほど前ですね。実は僕もあの場にいたんですよ。額を突き合わせるようにして、なにやらこしょこしょ作戦を練っていましたね。十中八九、田丸さんたちをここに呼び出して別れさせる算段でしょう。証拠も押さえてありますよ。一見すると楽しそうに話し込んでいる恋人同士に見えますけど、この耳で確かに聞きましたから――これで印税は私のものね、って。……覚えていませんか? あなたがたが店に入ってすぐ、テーブルにぶつかった男がいたでしょう。あれ、僕なんです。そのとき、テーブルの下に盗聴器を仕掛けさせていただきました。当然、音声は録音済みです。写真も撮りました。依頼料は三好さんの印税で払うから、とも仰っていましたね。菖吾君の探偵事務所は、依頼主にはそこそこ良心的ですから、取り立てて大きな金額ではなくても、岡崎さんはおそらく自分で依頼料を払えない状況にあるのでしょう。お給料をなにに使っているのかは知りませんが、だからふたりが別れてくれないと困るんですよ。本当に金に目がなく強欲で意地汚い人です」

 そう言って、ひやりとした目を岡崎に向けた。


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