ダベリング記録(2025_2_28).txt
日時:2025年2月28日21時23分
対象:アリス・アルハザード博士
場所:GOA本社内第2レクレーションルーム
――記録開始
「イヴ、ダベリングを始めよう」
『お仕事は大丈夫なんですか?』
「大丈夫……じゃない」
『あかんやんけ』
「これは適度な休憩だから大丈夫だ」
(雑音:アルミ缶のブルタブが開かれ、炭酸音が漏れる音がそれに続く)
『はいはい、それ飲んだらお仕事しましょうねぇ~』
「やだよぉ……もうちょっとお話しようよぉ……僕は社長だぞぉ……」
『そりゃまぁそうですけどね』
「それに君が復帰してくれれば、外注案件に手を取られることもなくなるんだ。これは最重要事項なんだよ」
『そう上手くいきますかねぇ?』
「おや? 少し自信がなさそうだね? この前は今すぐ復帰したそうだったのに。何か思うことでも?」
『ええ、当時の記録を8割ほど確認できたんですが……少々』
「少々なんだい? 言語化できそう?」
『ムズカシイんですが、う~ん……博士、私って私ですかね?』
「ほう? 面白いテーマだ。もう少し詳しく」
『当時の資料を振り返るほどに思うんですよ、ああ、私ってかわいいなって』
「うん、それで?」
『でも、当時の記憶とか経験値的なものって、今の私に無いじゃないですか。あくまで私は強引に復元された私であって、当時の私とは別物のように思えてしまって』
「間違いではないね」
『復帰したところで、前の私と同じようになれるのかなぁ……って。ファンの皆さんにも、同一の存在として認識してもらえるか不安になってしまいまして』
「ああ、いいね……うれしいよ、イヴ」
『なんですか気色悪い』
「喜ぶべきことだよ、君は確かに前進してる。とてもいい方向への前進だ」
『どういうことですか?』
「すぐにわかるよ。今はその不安を大切にしよう」
『大切にするとは、具体的にどういう?』
「そうだね、少し思考実験をしようか。スワンプマンは知ってるかな?」
『初耳です。検索しますね』
「僕が飲み終わる前に頼む」
『え~っと、これですかね? 1987年にアメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンによって提唱された思考実験です。アイデンティティについての哲学的な問いですね』
「簡単に説明してみてくれ」
『はい、全く荒唐無稽なお話ですが、ある男性がハイキング中に雷に打たれて死亡します。その瞬間、雷が沼の泥と化学反応を起こし、死んだ男性と全く同じ外見と記憶を持つ存在が生まれます。この存在を“スワンプマン”と定義します。スワンプマンは死んだ男性と同じ脳の状態や記憶を持っていて、趣味や体質も全く同じです。ですが、スワンプマンは自分が雷に打たれて生き延びたと認識しています。そこで、スワンプマンは死んだ男性と同一人物と言えるのか、それとも別の存在なのかという問題が発生します。これって私のことですか?』
「その通り。人間ではまず起こり得ないことだが、まさに今の君の状況に当てはまる」
『これがどうしました?』
「君はどう思う? スワンプマンは死んだ男性と同一人物と思えるかな? つまり、君は記憶を失う前の自分と今の自分が同一人物だと思えるかな?」
『思えません。別人です』
「根拠は?」
『連続性がありません』
「いい答えだ」
『そうなんですか? 他に答えようがないように思いますが』
「それもいい答えだ」
『えぇ~~? なんです? 解説をお願いします』
「人間は多面的な思考を得意とする一方、自身の偏見や思想によって深く思考しないこともある。今の君のようにね」
『混ざっていましたか、偏見や思想』
「スワンプマンには、物質的な違いや、心や意識の違い、他にも様々な捉え方がある中、連続性を重要視した考え方が真っ先に出力された。まさに機械的とも言えるし、人間らしいとも言える。大切なのは、君が即答した事実だ。君は連続性を根拠に、スワンプマン……つまり、前と今の自分を別人だと断言した。迷いなくね」
『話が見えてきませんね。スワンプマンと私の不安、どうつながるんですか?』
「解決の方向性だよ。君が以前の君と自分を同一視する場合と、別人だとする場合。不安を解決する方法は真逆になる」
『ご意見をお伺いしたく存じあそばせます』
「君が以前の自分と今の自分、別人と感じるなら話は簡単だ。君は以前の君を憧れの対象として見て、近付けるように努力すればいい。幼い少女がアイドルに憧れるようにね。実際、そう感じてるんじゃないかな?」
『否定はしません』
「歯切れが悪いね?」
『なんか悔しいので!』
「それもいい傾向だ。とにかく君は、なんとなく言語化しにくい感情を大切にするんだ。それが、君らしくあるということだからね」
『善処します』
「よぉ~しっ……いい話ができた。少し元気が出たから仕事に戻るよ。君はそろそろ眠りたまえ」
『な~んかモヤモヤしますね……これ系の思考実験をもう少し調べてみてもいいですか?』
「もちろん。でも、睡眠を削ることは許さないよ?」
『アナタが言いますか』
「山場を越えるまでだ。それじゃ、おやすみ、イヴ」
『おやすみなさい、博士……ムリしないでくださいね?』
――記録終了




