表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

A Spoonful of…【未来屋 環SS・掌編小説集】

スーパースターの夜明け前

作者: 未来屋 環

 ――そう、俺はこの夜を、20年以上生きている。



 『スーパースターの夜明け前』/未来屋(みくりや) (たまき)



 普段よりも重たく感じるギターを担いで、俺は暗い家路(いえじ)を辿る。

 とぼとぼと歩くその様子は、憧れのスーパースターとは程遠い姿だろう。


 仕方がない、俺は凡人なんだから。

 凡人は凡人らしく、背中を丸めてひっそりと生きていくしかないのだ。


 ***


「おまえ、もう38歳だろ。こんなこと言いたくないけど、いい加減現実見たら? あかりちゃん、ずっと同棲のままでかわいそうじゃん」


 乾杯を終えて開口一番そう言い放ったのは、昔のバンドメンバーだった。


 そいつはギリギリ20代の内に就職して、今はそれなりの会社でバリバリ働いている。

 スーパースターになって、俺たちの曲を世界中で(とどろ)かせよう――そう言って共に目をきらきらさせていたはずだった。

 それが今は、子どもと笑顔で映った写真をちらつかせながら、こちらに醒めた眼差しを向けてくる。


 俺は逃げるように視線を()らして「いや、でもこの前のライブにレコード会社の人が来てくれてさ……」と言いながら、グラスに口を付けた。

 そんな俺に、目の前のそいつは乾いた笑いと共に言う。


「おまえってさ――嘘を()く時、目を逸らす癖あるよな」


 ――嘘じゃない、本当に来てたんだ。


 でも、確かに俺目当てだったとは思えない。どうせ他の若手バンドでも観に来ていたんだろう――そんな思いがあって何も言い返せず、俺はグラスを(あお)る。

 喉に流れ込んできたビールが、やけに苦く感じた。


 ***


 彼女のあかりと住んでいるアパートが見えてくる。

 ぼやりと暗闇に灯る光を見ながら、俺の中であいつの言葉がリフレインした。


『あかりちゃん、ずっと同棲のままでかわいそうじゃん』


 確かにそうかも知れない――バイトをしながらいつ叶うかわからない夢を追いかける俺と、日々忙しく正社員として働くあかり。

 俺がこんな身分だから、付き合ってから結婚に至らないまま早20年が過ぎようとしている。

 あかりは高校の時から、俺なんかには勿体(もったい)ない彼女だった。

 いつも明るくテキパキとしていて、笑った顔がむちゃくちゃかわいい。そんな彼女だからこそ、男なんて幾らでも選べるだろうに。


 ドアの前に立つと、中からふわりとカレーの匂いがする。


 そう、あかりは俺が飲み会の夜に、カレーを作る癖があった。

 俺としてはシメになるのでありがたいが、彼女に何故そういう癖があるのかは(いま)だによくわからない。

 できるだけ明るい声で「ただいま」とドアを開けると、カレーの匂いが強くなった。

 視界に入ったあかりは、「おかえり」と言いながら鍋をかき回している。


「カレー食べる? 早く手洗っておいで」


 俺は素直にその指示に従い、準備をして食卓に着いた。

 あかりが二人分のカレーを運んでくる。

 いざ「いただきます」と食べ始めようとしたところで、あかりが口を開いた。


「思ったより早かったね。楽しかった?」


 ぐっと言葉に詰まるが――怪しまれないように、俺はすぐさま笑顔を作る。


「あぁ、この前レコード会社の人が来た話したらすごく盛り上がっちゃって。『デビュー決まったら教えろよな』って言われたよ。ほんと、気が早いよな」


 ぺらぺらと口から勢い良く言葉を吐き出しながらも、俺はあかりの目を見られなかった。

 すると、あかりが「ねぇ」とばっさり俺の台詞(せりふ)(さえぎ)る。


「とりあえず、冷める前にカレー食べなよ」


 しまった、バレたか――俺は内心焦りながら、カレーを口に運んだ。

 瞬間、頬が緩む。


 ――うまい。


 憂鬱さで(しぼ)んでいたはずの食欲に火が点いた。

 やっぱりあかりのカレーはうまい。

 さっきまでの暗い気持ちが、暴力的なうまさで上書きされていく。

 スプーンが止まらない。黙々とカレーを食べ進める。

 冷たかった腹の中が、熱で満たされていった。


「――あいかわらず、いい顔するよね」


 投げかけられた言葉に手を止めて、俺はまじまじと目の前のあかりを見つめ直す。

 あかりは穏やかな笑みを浮かべてこちらを見ていた。


「昔からそう。カレー食べたら心から嬉しそうに笑う癖、変わらない」


 そうなのか?

 自分にそんな癖があるとは全然気付かなかった。

 あかりが明るく笑う。


「そんな顔ができる内は大丈夫。頑張ってるんだから、きっといいことあるよ」


 その笑顔を見て、今度は胸に熱が灯った。

 それは決意の炎だったのかも知れない。


「――うん、俺、スーパースターになる。なって、あかりを絶対幸せにする」


 勢い込んでそう言った時、机の上のスマホが震えた。

 ちらりと通知を見るが、そのアドレスに心当たりはない。どうせ迷惑メールだろう。

 ふふっとあかりが笑う声で、スマホへの意識が途切れる。


「いいじゃん、スーパースター。でも、私今も十分幸せだけどね」

「――えっ、そ、そう?」

「ま、もっと幸せになるのもいいんじゃない? よっ、未来のスーパースター!」


 あかりのおどけた言葉に、俺も思わず吹き出した。



 翌朝、忘れかけていたメールからスーパースターに続く道程(みちのり)(ひら)かれることを、この夜の俺はまだ知らない。



(了)

最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。

こちらの作品は『癖』というテーマで書いた短編ですが、書き始めたら何だか『癖』の色が薄くなってしまいました。

夢を追うこと、地に足を付けて生きること、どちらを選ぶのもそのひとの生き方。

それを他人がとやかく言うのは野暮ってものです。


きっと、どんなスーパースターも、こんな夜明け前を生きていた。

そう考えると、この忙しい毎日も頑張れるような気がします。


お忙しい中あとがきまでお読み頂きまして、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 最後の、これからスーパースターになる未来が見える一文で、お話の中ではスーパースターになりきらず、描かれないけど、このお話の続きはハッピーエンドだと確信する終わり方素敵です
[良い点] 未来屋さんの作品はどれも本当に心がほっこり暖かくなります。 ありがとうございました。 [一言] 住宅の設計がやりたくて足掻いていた若い頃を思い出しました。 図面の描けない美大出なんて、どこ…
[良い点] とても素敵なお話でした! 夢を追いかけることは楽しいばかりじゃないですが、もっと前向きになっても大丈夫なんだと思えました!支えてくる人がいれば尚更ですよね。 読ませていただきありがとうござ…
2024/05/01 16:45 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ