六 落花(一)
燃える。
桃子の城が、畑が、島が、夢が、なにもかも燃えている。人間は容易く桃子の宝の島を蹂躙した。その足元に踏み躙られた亡骸は昨日までは当たり前のように笑っていた鬼たちだった。
「許せぬ、許せぬ、許してなるものかッ!」
桃子は薙刀を手に城に戻っていた。
手摺に脚をかけ、赤く染まった城下を見ていた。
あの悲鳴は誰のものか。
あとどれだけ残っている。
子らは逃げおおせたか。
紗紗丸は逃げおおせたか。
桃子はひらりと舞い上がり、目下にいた男の頭上から薙刀を振り抜いた。手に当たる感触は、肉を断つそれではない。歯噛みした。
男は太刀で薙刀を受けていた。僅かな鍔迫り合いの後、火花が飛び散り、桃子は身を捻って飛び退く。
桃子は常のような男の形ではなく、長い髪は下ろして下で結い、身には唐衣を纏っていた。どこからどう見ても高貴な姫君そのものだ。それが燃えるような髪を振り乱して、大きな得物を悠々と振り回す──異様な光景であった。
男が吼えた。
「貴様、鬼の姫かッ! 頭領は何処だ!」
「我こそがその頭領よ!」
どうやら、この男が人間側の頭領らしい。正義に燃えた瞳に、桃子は笑みを見せた。
「はん、来てみれば小童ひとり。主かよ、この巫山戯た宴の主人は」
「巫山戯ただと……」
「巫山戯ておる、巫山戯ておるよ。平和に暮らしおった我らを殺したろう。その両の掌にはどれだけの魂が潰されたのじゃ」
「先に我々に刃を向け、罪なき民草をその手にかけたのは貴様らだ!」
「後だ先だの、分からぬやつじゃな。殺し殺された、故の此度の騒ぎかよ」
「いつだって災厄は貴様らが撒いてきたのだろうが──ッ」
不毛も不毛、埒があかない言い争いだった。互いに同じことをして、その原因は相手にあると主張する──道理を分からぬ者にこんこんと説くほど、桃子は甘くは出来ていない。
「分かり合えぬ。なれば、去ね」
ぶん、と大きく薙刀を振るった。一閃──暴風が吹き荒れる。それを断ち斬る一打を男は繰り返す。お互いの額に脂汗が浮かぶ。
男も、桃子の腕を見誤っていた。その立ち居振る舞いは猛者だが、所詮は姫なのだとどこかで思っていた。油断をすると頬に烈風が走り、皮膚が裂けて血が散る。
「惜しい、鬼でなければよいものを」
そう呟けば、
「鬼だからこそよ」
更に鋭く突いてくる。
桃子の息も上がり始めていた。手も痺れ始めている。いくら効きが悪くても、退魔の香を嗅ぎ続けているのもある。目の前の男が予想以上に──それこそ鬼神と称された父を斬ったような武士が如く──強かったのもある。打ち合う度に骨が軋む。
「名を聞こう、強き鬼の姫よ」
「名とな。聞くならば先に名乗れ、痴れ者。覚えてやろう」
互いに強くぶつかり合って、一足跳びに距離をとった。構えは解かぬまま、二人は向き合った。
「我が名は桃太郎。しかと覚えよ、鬼の姫。貴様を討ち取る男の名だ」
「桃太郎とな? 桃と──あはははははッ!」
桃子は身を捩って笑った。名の偶然なる一致がおかしいのか、既に討ち取る気の男の気概がおかしいのか、桃子にもわからない。
しかし、気に入った。
「よかろう、よかろう! 無礼な小童めが」
「……」
「我が名は桃子──人間を喰らう鬼の名よ! 覚えて根の国に行くが良い!」
「鬼の桃姫か────」
男もまた、奇妙な一致に気がついたらしい。彼もまた不敵に笑って、駆け出した。
太刀を振り回す。
薙刀でいなす。
跳び上がり上段から斬りかかる。
太刀で受けて跳ね飛ばす。
ぶつかり合う、その度に火花が散る。
何度打ち合ったか分からない。斬り込んでも、互いにその刃は相手の首までは届かなかった。
それでも最初こそ拮抗していたはずの力は段々と桃太郎に有利に働いていく。桃子は岩を蹴りながら冷や汗をかき始めていた。
──この桃子が押されるなど……。
これまで一度たりともなかった。血筋だけではない、その圧倒的な力があったからこそ彼女は頭領だったのだ。
身を低くし、滑り込んで脚払いをかけた──それを寸でのところで躱される。頭上に影が落ちる。しまったと顔を歪めた。致命傷は避けねば──!
「姫様!」
振り下ろされた一撃を棍棒が受け止めた。
桃子の頭の上で振り回された棍棒の軌跡を辿ると、阿良丸がこちらへ来たところであった。既に手負の身で、片目からは血が流れている。
桃子は阿良丸の作った隙を逃さず、素早く身体を捻って桃太郎から離れる。阿良丸と桃子は並び立った。
「阿良丸、よう来た」
「いえ、遅くなりました。紗紗丸様が為されたことを確認して参ったゆえ──」
紗紗丸が為した、それを聞いて桃子は少しだけ口元を緩めた。
「ほれ、奴はやる時はやる子じゃろう」
「見誤っておりましたな。……しかしそう喜んでもおられますまい──外の人間共は幾らかは片付けましたが、残る鬼は我らのみ」
「まあ、な」
それもまた、わかっていた。
「なればこそ、退くわけにはいかぬ。共に来よ、阿良丸。ここで宝を守り抜くが我が道じゃ」
「……元より我が道は姫様に御座いますれば」
二人の目線の先には、人間が一人立っている。
火の手が近づき、めらめらと空気を揺らす。煤が頬を汚す。桃太郎は二人の会話を待っていたらしい。太刀を構え、小さく問うた。
「姫よ、死出の挨拶は終わったか」
「ふん、貴様も律儀な男よの」
そう言ったのと、再び桃子が跳んだのが同時だった。
桃子は赤い風となって桃太郎に斬りかかる。阿良丸の棍棒が轟轟と唸る。それを太刀で受け、桃子の薙刀もいなし、なるほど、この人間の青年は滅法腕が立つらしい。脂汗をその額にたっぷりとたたえながらも、二人の鬼を相手にしているのだ。
数太刀も受ければ、阿良丸は歴然とした力の差に気がついたらしい。力任せに桃太郎を弾き飛ばした。それでもなお、桃太郎は立ち上がる。何度打ち抜いても立ち上がる。柔らかい身体で、阿良丸の豪打を受け切るのだ──流石に阿良丸は焦りに呑まれていた。
「桃子様、ここは阿良丸が引き受けまする! どうかお逃げくだされ! 紗紗丸様には、我らにはまだ貴女様が必要なのです! どうか」
阿良丸が叫ぶ。
──ああ、戦場ではそのたった一瞬が命取りになるのに。
それだけ、逃げてほしかったのだろう。
それだけの願いだったのだ。
己の忠誠を捧げた主人を生きながらえさせたかった。
しかし、その隙を見逃すほど、その男は甘くはなかった。持ち替えた刀で一閃、真一文字に阿良丸の喉笛を切り裂いていた。
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