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四 敵襲(一)

 この日、阿良丸が血相を変えて部屋に飛び込んで来たのは、夜を少し回った頃合いだった。既に桃子は着替えを済ませ、ゆるりと酒を飲んでいる。

 いつも冷静なこの男がこうも興奮するとは珍しいこともある──そう思っていると。


「なに、敵襲じゃと!」


桃子は持っていた杯を投げて、立ち上がった。

 夜闇に紛れて少数が船で乗り付けたらしい。不穏な噂はあったものの、明確な()()はなかった。絶えることなく常に気を張り詰めることなど出来ようもない──その隙を狙われたか。


「は、北の浜より上陸、見廻衆がやられましたッ!」

「我が民は!」

「先ほど兵を向かわせました!」


阿良丸が声を張り上げる。


 頭上で厭な鳥の鳴き声がした。不気味な声だ。

 外を見れば、確かに浜のほうが騒がしい。馬が(いなな)く。生ぬるい風がひどく臭い。

 桃子は部屋から半分身を乗り出して、深く息を吸うと、声を張り上げた。


「敵襲じゃ! 敵は北の浜におるぞ!」


不思議なことに、銅鑼のように島中に桃子の声が響いていた。空気を揺らし、風に乗り、誰も彼もが彼女の咆哮を耳にした。すぐにあちらこちらで篝火(かがりび)が灯され、鬼たちが動き始める。騒がしくなった島にさらに吼えた。


「皆のもの、武器を取れい!」


桃子は自らも身の丈ほどの薙刀を握った。


「子らはすぐに退避せよ! 動ける者は我に続け!」


女も男も手に武器を取る。秋葉をはじめとする乳母役が子供を連れて身を隠す。瞬く間に戦の準備が進んでいく。


 人間たちは、やはり少数で攻めてきたようであった。大軍を予測したが、辺りの海は静かである。それだけに、誰も彼もが油断していた。

 桃子は赤い髪をたなびかせて島を駆け抜けた。

 行く手に立つ人間に薙刀をぶんと振るえば容易く吹き飛ぶ。とどめは背後を追う阿良丸に任せ、逃げ遅れた子らを城に匿う。


「紗紗丸ッ!」

「姉上ッ!」


呼べば、弟はすぐに跳んできた。既に矢筒の中身は減っていた。


「お主の腕なら問題なかろう。子らを守れ」

「はい」

「万に一つも、この城が落ちるようなことがあったら、子らを連れて島を出よ。我が一族の血、絶やすことは許されぬぞ」

「あ、姉上は……」

「時はないぞ、行け!」

「……はッ」


半ば蹴るようにして紗紗丸を送り出すと、再度桃子は走り出した。

 彼方此方で火薬が爆裂する。この時代、爆弾などというものはない。


「妖術か⁈」


爆音にそんな叫びが聞こえる。教えてやるまでもなかった。驚いたその首に刃を走らせる。

 他の鬼も奮闘していた。棍棒で、太刀で、その腕で、奇襲を仕掛けてきた人間たちに応戦していた。桃子や阿良丸も走り回った。


 ──それなのに、戦況は膠着(こうちゃく)している。


 何かがおかしい。体格で勝る鬼の力は人間の比ではないし、地の利、数の利もこちらにある。ならば何故、こうも苦戦するのか。次々に鬼たちが骸となって積み重なるのは何故なのか。

 くん、と鼻先に漂う甘酸っぱい香りに桃子は気がついた。風にのって島中を取り巻くその香りは、間違いなく桃の香である。


──ああ、皮肉よな。母様の名前のおかげかよ。


 名前に桃の一字を持つからか、魔封じへの耐性がついていたのか。はたまたたまたまなのかは分からない。焚かれた()()に、桃子の動きを止めるほどの効能はなかった。それでも着実に思考を鈍らせているこの香り。桃子は顔を顰めた。


 焚かれていたのは、鬼封じの香である。


 退魔の力、天の力までもが人間に味方をしていた。風が吹く。唸りをあげる。


「おのれ、おのれ、おのれ、小賢しや、人間どもめが!」


桃子は吼えた。無謀な争いにいたのは、鬼たちであったのだ。無力に奪われていたのは鬼たちであったのだ。

 薙刀を乱暴に振り回して、人間を吹き飛ばす。構えていた弓ごとその腕を断つ。まさに鬼神の如き奮闘を見せる──だが、分が悪い。野犬や野猿、野鳥の類をも持ち込んだ人間たちによって、瞬く間に島は荒らされていた。

 生活の跡は容易く崩されていく。もう二度と、鬼がこの地に住めないように、入念に壊されていく。

 桃子は赤い髪を振り乱して戦った。総力戦で抑えつけようにも、これだけ分の悪い試合だ。


「誇りで飯が食えるかよ」


食えぬ者もいる。ならば、誇りよりも生きることを取るべきだと、桃子達(かれら)は考えた。生きて繋ぐべきだ。そうしないと、それこそ()()()()()()


「ここは任せて下がれや!」


桃子は駆け抜けながら、鬼たちを退がらせる。


「姫様!」

「子らを護れ!」

「はッ!」


逃げ始めた鬼の背に人間は


「敵前にして逃げるとは卑怯なり!」


斬りつけた、矢を射った──これが戦の常。


 ならば、その報いを戦で受けるのもまた、当たり前のことだろう。

 桃子は一足跳びに駆け抜けて一振りでその首を落とした。降り注ぐ矢を(かわ)し、太刀をいなし、盾を砕き、回し蹴りを頸筋(くびすじ)にぶつけてへし折る。それだけなのにこんなにも疲れるとは──香をたっぷりと吸わされた他の鬼たちは既に這う這うの体だった。

 火の手が既に上がって城へとじわりじわりと近づいている。桃子一人では狩り切れない敵兵たちが城へと攻め入る。


「クソ……ッ」


舌打ちをしながら、手近な人間の背後に回り込む。一人倒して、その次の男に斬りかかる。

 その男の方は中々に目敏かった。男は素早く身を捻り、桃子の薙刀を掻い潜るように太刀を振り回した。


「父の仇! その首討ち取ったり!」


桃子が身を捩って避けた。チリリと火花が如く髪が散る。

 

 そのすぐ側を、びゅん、唸り声を上げて矢が疾るのが横目に見えた。

 見遣れば、対峙していた人間の喉笛に矢が突き立っていた。狙いは完璧──桃子に傷ひとつつけることなく、ぶしゅりと血飛沫があがり、男が倒れる。


「……紗紗」


姉は溜息混じりに名を呟いた。



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