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三 鬼の棲む島

 鬼とは古来より人に近しい存在である。


 元よりの鬼も在れば、人のが転じてと成った鬼も在る。とすることもある。はたまたとしたり、人鬼、幽鬼、悪鬼、人々の口で語られる鬼の話は枚挙にいとまがない。異国の人間を鬼と言う例もあったりと、鬼の種類も千差万別──それだけ鬼は身近な存在なのだ。


 いっそ、全く異なれば良かった。


 人は天には手出しできぬ。大雨が降っても日照りになっても、人は天には攻め入る余地もなく、ただただ神に祈る他ない。天に狩られたのなら嘆くだけ、しかしそれが他の妖物たちであったのなら話は変わってくる。


 ()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()


 言葉や姿形など、下手に通じうるものがあるのがいけなかったのだろう。

 鬼や妖と人が小競り合いを始めて、幾星霜──やはり同じ場所にある以上それは避けられない。限られた同じ土地を巡るのだ、人同士でも鬼同士でも争うのがこの時代だった。鬼と人の諍いは当たり前のものになっていた。分かりそうで、分かり合えぬもの、それが一番厄介なのだ。

 近くなどなければ、何も起きないものを。



+++



 この年、島の作物は殊更に実りが悪かった。天の機嫌も悪く、吹き付ける潮風のせいもあるだろう。

 僅かには獲れる。しかし全員の腹をくちくするほどはなく、枯れた葉を指先で摘みながら桃子は嘆息した。


「これでは長く保たんな。島外にも拠点が欲しいところじゃが」


──いくつかの村に、既に目星はつけてある。あとはどこが一番御しやすく、どこが一番人間(ひと)の手が届きにくいかを見定めるのみだ。もっとも、この作業が一番重要で、難しい作業である。


「のう、秋葉(あきのは)よ」

「桃姫様の仰る通り。近頃は天の機嫌もよろしくないようで、どうにもなりませぬなあ」


しずしずと、控えていた三十路ばかりの──尤も実際はうんと年を重ねた──女が答えた。早くに父母を亡くした桃子と紗紗丸を育て上げた剛腕の乳母である。老いを見せない眼光は、遠くを見つめていた。


「この辺りの村から()()()()となると……近頃は楽しゅうない噂ばかり聞きますからなあ」

「ああ、聞いておるとも。柔こい人間の身で、荒れ狂うこの海を渡れるかは見ものじゃな」

「来よりましたなら、如何なさいます」

「決まっておろうが」


皆まで言わず、桃子は笑った。秋葉もくすくすと笑い声を上げた。


「……子らの飢えは凌げましょうな」


 飢えないこと、それが大切なのだ。

 更に言えば、馬や、島外からやってきた飯炊女や水夫たちの食糧もまた心許ないものだった。彼らは(じぶん)たちより更に弱く、儚い。弱ってしまったら食うのも手だが、彼らの働きもまた嘘にはできない。なれば食わせて守ってやるのが道理だが、食糧は降って湧いては来ないのだ。果たしてどうしたものかと常々頭痛の種であった。

──やはり島外にも拠点を作るかな。阿良丸か、それこそ紗紗丸に統治させればよいじゃろ。

また攻め込まれても厄介なので、立地も吟味して、籠城戦も容易い土地がよい。


「秋葉」

「はい、姫様」

「島外のめぼしい土地を他にも洗っておくれ。人がおろうが城があろうが構わぬ。我らは我らのやり方で略奪いきるのみじゃ」

「仰せのままに」


恭しく頭を下げる秋葉に、言葉を続けようとした時である。

 おや、と桃子は足を止めた。黒い影が弾丸のように来る──見紛うことなく、弟だ。


「姉上!」


 黒い旋風のような影は、今鍛錬と農作業を終えて来たらしい。大きく手を振りながら駆けてくる。動きに合わせて、鴉羽のような黒髪が楽しげに跳ねていた。


「姉上、狩りですか」

「今は行かぬよ。どうした、お主から来るとは珍しいのう、紗紗」

「姉上の御姿が見えたもので。……その、次の狩りにはご一緒させてくださいませぬか」


これまた珍しい言葉が飛び出して、桃子は思わず瞬きを繰り返した。狩りや殺生を厭う弟が自ら狩りに行こうと申し出るとは──。その大凡(おおよそ)の理由に思い至って、ニヤリと笑う。


「おや、阿良丸あたりが余計なことを言うたな」

「それは……」

「かかか! 素直よのう」


阿良丸に苦言を呈されたからと言って苦手な狩りに赴こうとするのも、それを見抜かれて大人しく頷くのも、鬼らしからぬ素直さだった。桃子はそれを好ましく思っていた。


「お前、狩れるのかえ。嵐のように蹂躙(じゅうりん)し、(ことごと)くを狩って、(あまね)く頂戴せねばならぬ。──何もせぬと、主が狩られる戦場じゃ。奪うことを躊躇うような、そのような者はおいそれと連れてはいけぬよ」

「……それをする為に、それを出来る様になる為に行きたいのです。鬼として生きるため、この紗紗丸をお連れください」


真っ直ぐな紗紗丸の視線に迷いはなかった。

 なにも、これが初めての狩りでもない。十分に腕前もある。紗紗丸とて鬼として生まれ、鬼として生きる次の頭領たる者だ。慣れておくのも確かに必要であるな──。

 桃子が深く頷くのを見て、紗紗丸は安心したように笑った。


 紗紗丸は狩りの約束を取り付ける、そのためだけに来たわけではなかったらしい。弓と短刀を徐ろに取り出すと、


「姉上、手合わせをしていただきたいのです」


桃子の進行方向に立ち塞がるようにして、止まった。当然、桃子も止まる。


「これ、紗紗丸様。桃姫様の御前を塞ぎなさるな。御身は忙しいのじゃ、勝手な振舞いは慎みなされ」


秋葉はたちまちムッと眉根を寄せた。秋葉は少しお堅いのだ。


「よい、よい。秋葉よ、紗紗もまた(ぬし)あるじじゃぞ。紗紗はもう一寸(ちぃと)落ち着けや。順序というものがあろう」


桃子は呆れながらも二人を制した。

 秋葉は紗紗丸を次期当主として認めていない──というよりも、ただ単に頭が堅いだけである。当主は当主、例え血縁でも後継でも当主でなければそれはそれ。桃子の父の代には、狩りに行こうと騒いでいた桃子もよく叱られていた。しかし、言えば、わかってくれる。


「──失礼仕りました、紗紗丸様」


秋葉は大人しく頭を下げた。落ち着きがなかった弟も慌てて頭を振った。


「いえ、秋葉。私も悪い噂を聞いて気ばかり急いていた……姉上にはまずは落ち着いてお話を申し上げるべきでした」

「出過ぎた言葉でございましたから」

「いえ、私は未熟者ですから。むしろ有難い」


二人に桃子は苦笑した。

──阿良丸たちが紗紗丸を当主と仰げぬのも、まあ分からんでもないか……。



 上に立つには、性質が優しいというべきか、気が弱いと言うべきか。生まれ持った性根は少しずつ見つめ直してもらうとして、出来ることとしたらあとは力を得るのみである。

 圧倒的な力があれば、取り敢えずのところは纏めることが出来る。一族を守ることができる。それを紗紗丸の方から言い出して来たのは幸いだった。彼もまた、不安な噂に思うものがあったのだろう。再度紗紗丸は桃子に向き合った。


「姉上。稽古をつけていただきたく参りました。私とて(おに)の子です。皆を守れる力を早うつけたいのです」

「よかろう」


どのみち、今日やることは全てやった。紗紗丸を鍛えたい(とうこ)としては都合の良い申し出だった。


「丁度良い、相手をしてやろ」


桃子は近くに立てかけてあった棍棒を手にとる。

 秋葉は溜息を吐きながらも、二人を演練場へと案内した。この姉弟に庭で暴れられたら、どんなに荒れることか。片付けるのは秋葉たちなのだ。



+++



 姉弟の試合は、まるで風同士が喧嘩をしているかのようであった。

 紗紗丸は体格、腕力は姉に劣るものの、器用ではあった。跳んだ先、避けた先、あらゆる物を武器とした。草、木、石、岩、水──刀を打ち据えて、矢を叩いて、追い詰めたと思ったら横面(よこつら)に自然の(つぶて)が飛んでくる。

 弟は常に努力し、思案し、成長していた。真っ向勝負では勝てない部分をどうにか補って挑む姿勢はとても好ましいものだった。


()いぞ、良いぞ!」


桃子は楽しそうに、そして律儀に、飛んでくる全てを棍棒で叩き落とした。


「姉上には及びません」

「及ばずとも遠からず──足りぬものを工夫して補い、邁進できる、それがお主の強さよ」


桃子が振り下ろした棍棒を避けて、紗紗丸は少し誇らしそうに笑った。この鬼、姉に褒められるとすぐに笑顔になる。

 紗紗丸がつがえたのは二本の矢。

 弦が鳴き、射出されたそれは唸りを上げて桃子の腕めがけて飛来する。一つは上から、一つは少し高度を下げて──


「狙いはよい」


それを桃子は打ち据え、持ち替えた薙刀で空を薙いだ。そのまま地面を蹴って一足跳びに紗紗丸のいる木に飛び移る。


「うわっ」


情けない声こそあがったものの、紗紗丸は短刀に持ち替えて桃子の喉元を──


「しかし、ちと遅い」


狙った姿勢のまま、木上から蹴落とされた。痛そうに顔を歪めるも、すぐに武器を構え直す。


「まだやるかえ」

「まだやります」


 姉弟はこのひと時を楽しんでいた。


 楽しげな笑い声が演練場から島に響く。

 土だらけで駆け回る、そんな姉弟を見て秋葉は懐かしい気持ちに襲われていた。

 遠い昔に見た景色が重なる。

 かつて、二人の父母が生きていた頃の景色だ。あの頃からいつまでも二人無邪気に遊べていたらと願っていた。鬼の当主の子などでなければ、こうした光景は当たり前のものとして続いていたのかもしれない。


「……平和とは容易く崩れまするなあ……」


 先代が亡くなったのはある日突然のことだった。せめてこの二人は引き裂かれないようにと秋葉は願うのだが、果たしてどうなるか。

 夕方が過ぎ、夜になり──空には、暗雲が立ち込め始めていた。

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