手を出すな
俺は夜の庭園でひとりアリスを待っている。
「お待たせしました。」
「来てくれて良かった。」
「? 来ないと思っていたのですか?」
「ううん、とりあえず移動しよう。」
思っていたわけじゃない。
ただ、待っている間に少し不安にはなっていた。
アリスに『会って話がしたい。時間は何時でも』とメッセージを送り、『身支度を解いているから一時間後に』と返事をもらっていたのに、不安があったなんて俺は情けないな。
「 “手を繋いでもよろしいでしょうか? 僕のお姫様。”」
「ふふっ。“はい、よろしくてよ。”」
これは有名な小説の中のやり取りだ。
真似をしたらアリスは察して、返事そのままに返してくれた。
“僕のお姫様”
タイトルにもなっているこの部分は特に人気があるらしい。
作者は不明。
それでも、“ 君の憧れる王子様の身分にはなれないけど、君は僕だけの最愛のお姫様だ ”という内容がロマンチックだと女性人気に火がついた。
詩人たちが揃ってこの話を詠い、識字率の高くない地域でも話題になり、原作が読みたくて字を習う者まで現れたとか。
発売当時は『皇族に対して不敬では』という意見もあったらしいが、女性たちが揃って『我が国では皇女様であって、物語のお姫様とは無関係よ』と猛反発して即鎮火した。
それ以来、恋人や妻を第一に考え、心から大切にするという風習が芽生え始め、その後アイティヴェル先代辺境伯の求婚物語で一気に時代が変わった。
小説を読んだ貴族夫人が『私 “だけ” を愛してくれる人が良い』と言って側室たちによる離縁の申し出が相次ぎ、更には貴族令嬢たちが『側室にはならない』と縁談を断るようになったことが貴族社会の問題になった。
背景の一面としては、“革命の貴婦人” がこの頃には既に有名であり、貴族の女性たちが “子を産む以外にも家門に貢献できる自分” に憧れていたこともある。
そして極めつけは、アイティヴェル先代辺境伯が英雄としての褒賞に、一夫一妻の国を望んだことだ。
先代辺境伯は、幼い頃から想い続けている女性が居た。
しかし、格の高い貴族である先代辺境伯は複数の妻を娶るだろうから嫌、とプロポーズを断ったという。
その女性こそ、革命の貴婦人と呼ばれるアリスの祖母だ。
そんなことしないと説得しようとしても、『貴方にその気がなくても周りがそれを許さないわ』と返される始末で、辺境伯は失恋を重ねていたそうだ。
そして先代辺境伯は、英雄としての報酬として陛下に願い出て、国の法を変え、そして堂々と再プロポーズして婚姻に至った。
女性たちは改正を喜んだ。
これにより多くの縁談拒否が撤回され、新たな婚姻が増えた。
世継ぎを心配する家門も多かったが、法改正の後押しをしたのは皇帝陛下なので反対意見はすぐに霧散した。
現在では、想い人を “お姫様” や “王子様” と比喩することが増え、ビリーがアリスを主君の姫君と呼ぶのも同じだった。
小説の内容とプロポーズの実話は、舞台の演目になるほど有名で、当時を知らない俺でも詳しく内容が分かるほどだ。
舞台を見た母上が『この小説、実はアイティヴェル先代辺境伯夫人が書いたものなのかも、と私は思っているの』とこっそり教えてくれた。
アリスの祖母は、 経済で国を動かした御方であり、彼女と英雄を帝国に留めていたいという判断が、最終的な法改正の決め手だろうと言われている。
聖女と縁切りしたアイティヴェルが批難されなかった理由のひとつは、改正に感謝した有力貴族たちが抑え込んでいたからだ。
英雄アイティヴェルに手を出すな、これは先代の時代に言われていた話だが、本当にそう思う。
アリスとの会話が進まなかった……
でも必要な部分なのでご容赦ください。