ユアランス侯爵家 ノアルト
「ノアルト様。こちらから挨拶に伺うべきだったのに」
兄の婚約者であるアリス嬢は、ふんわりと微笑んでくれた。
うん、さすが兄上の婚約者殿です。
ふたりが並ぶと本当に絵になるのです。
「いえ、姉上。私で申し訳ないのですが、兄が戻るまでエスコート役を任せて頂けないでしょうか?」
「ノアルト様が、わざわざ私を?」
コテンと首を傾げる姉上は、本当に分かってなさそうだ。
兄上ならこういう仕草に可愛いと大騒ぎしてそう。
僕が現れたことで、周りの男性たちが距離を取りました。
まぁ僕だってユアランスですし、兄上に見た目が似ているので、社交界にあまり出ていなくても顔は知られているはずです。
此処は皇都ですからね。
「もちろんです。姉上はお美しいですから、兄が諸用を済ませている間お護りすべく、馳せ参じました。」
そう、姉上は美しい。
「ノアルト様、アディと違って滑らかなお世辞を」
確かに、兄上は姉上以外に美しいなんて絶対言わないな。
それにしてもお世辞だなんて、本当にご自分の評判を知らないのだな。
一般的に美しいご令嬢って、ちょっとキツイ印象があって近寄り難い雰囲気だが、姉上はそういうことがない。
目元が釣り上がってるってこともないし、キリッとした態度というよりは、なんかふんわりしてる。
つまり、とても話しかけやすいご令嬢なので、大変心配です。
僕が遠くから見た時点で、話しかけたそうにしているご令息たちがいたけど、姉上は気付いてなさそうだった。
兄上の婚約者に軟派極まりなく声をかけようだなんて、本当に愚かだ。
彼女はアイティヴェルの姫君だが、ユアランスにとっては嫡男がずっと想い続けている愛しの婚約者である。
兄上と姉上を害するなら、僕は喜んで敵になろう。
「よろしくお願いします?」
「はい、よろしくお願いします。」
何故語尾が疑問形なのかは、一端置いとこう。
なんとなくだけど、婚約者が居る自分の体裁を守りに来たとか思ってそう。
「ノアルト、飛ばしすぎて周りが驚いてますよ。」
「ご挨拶が遅れました。お久しぶりです、エドワード様。それから、いつも姉上がお世話になっておりますエトール嬢。」
エドワード様にため息をつかれてしまった。
エトール嬢には「こちらこそ?」と精一杯な返事を頂きました。
「ところで姉上、本日は有名なお店のタルトが取り寄せられているそうですよ。」
「素敵!」
「では参りましょうか」
「はい!」
腕を差し出すと手を添えてくれたので、僕たちはふたりに挨拶して歩き出した。
「美味しいです! 果物が好きだと知っていたのですか?」
「兄上がデートに行かれた後にたくさん取り寄せてたので、もしかして姉上が果物を好きなのかと思ったのです。」
「えっ! アディ、そんなことを」
頬が色付いてしまった。
兄上に知られたら怒られそう。
「あの! ノアルト様ですよね?」
声をかけてきたのは、髪をグルングルンに巻いて、全体的に派手さを極めたような公爵令嬢。
今は縦ロールって絶滅の危機で、姉上のようなふわふわとした緩いウェーブが流行なんだけど知らないのかな?
「レルアライト公爵令嬢、ご挨拶させて頂きます。」
公爵令嬢とその取り巻きの口元が引きつった。
身分が上の者に対しての挨拶は、「お会いできて光栄です」が一般的なのに僕は避けたからな。
「あの、ノアルト様、そちらの方は? まさか婚約者ですか?」
「いえ、兄上の婚約者のアリス・アイティヴェルご令嬢です。兄上が諸用の間、私が護衛を仰せつかっております。」
「はじめまして。アリス・アイティヴェルでございます。」
「アイティヴェル!? っていうか護衛??」
これだから社交の場って面倒なんだよな。
婚約者が居ればご令嬢に絡まれないのかもしれないけど、僕としては兄上の花嫁と相性が良い人を選びたいと思っている。
ご令嬢たちはアイティヴェルの名前に驚いて、ご機嫌よう〜と謎の挨拶を残して軽やかに逃げていった。
「私、お話の邪魔でしたか?」
「話したいと思っていませんでしたから、助かりましたよ。」
彼女たちが僕を見た目や身分で好ましく思うのかもしれないが、こちらとしてちょっと迷惑である。
今日は顔つなぎに来たわけでもなく、挨拶に来たわけでもないのだから。
「あら、では私はノアルト様をご令嬢方から守ればいいかしら? でもそれだとノアルト様のご縁まで奪ってしまう…‥?」
「姉上を盾にするだなんてダメです。」
兄上に知られたら怒られるだけでは済まないかも。
僕の言い方が悪かったかな。
「私だって未来の義弟を守るくらいしますけど、そんな寂しいこと言うなら…… そうですね、呼び方変えてもらいますよ?」
義弟って初めて言われたかも。
そういうことを言えるくらい、婚約者としての自信を取り戻すことに成功しているのかもしれない。
「分かりました。これからは姉君とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「姉君???」
「姉君も僕のことは、ノアって呼んで下さいね。」
弟の中で唯一、兄が泣いて過ごしていた幼少期の記憶がハッキリある僕にとっては、帝国最強の魔導剣士の名誉を得る原動力になった兄の愛しい婚約者殿。
貴女には最上の感謝と敬意を。
どうか、許してほしい。
兄のために笑顔で接する、この僕を。
ユアランスの次男ノアルトでした!
使命とはアリスの護衛でした。