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口だけのクソ野郎


「ぐっ、う……おえぇっ」


 込み上げてきた吐き気に、俺は部屋に備えてあるトイレの便器に顔を突っ込んでいた。

 どうにも気分が優れない。帰ってきてから食ったものを全て吐き出してしまった。それでも吐き気がおさまらない。

 さっきの男が余計な事を喋るからだ。


 必死に気分の悪さに抗っていると、俺の部屋にまた誰かが訪問してきた。


「おい、666番。お前の番だ、さっさと出てこい」


 顔を上げると部屋の前には、帰還時に会った例の指揮官が立っていた。

 彼は数時間前と同じく、調子が悪そうにこめかみを押さえながら俺に命令を下す。


 冷たい目で俺を見遣ると、顎を使ってさっさとしろと指図する。俺はそれに逆らう気力も無く、大人しく言われた通りに部屋から出た。


 彼に連れられて、俺が向かった場所は別区画の宿舎だった。

 区画の入り口に立つと、指揮官は俺の手枷を外す。


「部屋番号は13番だ。間違えるな」


 一言、そういって俺を区画内に入れると、彼はその入り口を塞ぐように立ち尽くす。

 用事が終わるまでここから出すことはない、ということだ。

 俺はそれに抵抗するのを諦めて素直に指示された部屋へと向かった。


 目の前にはこの基地には似つかわしくない、上等な部屋。

 気が乗らないながらも部屋の中に入ると、室内には簡素なベッドと、仕事の為に待機している女がいた。


 ――俺が知っている女がいる。


「……アリシア」

「あれ? 誰かと思ったらギルじゃない」


 死んだような低い声で唸りをあげた俺とは対照的に、アリシアは普段通りだった。

 いつもと同じように笑って、いつもと同じように話しかけてくれる。こんな状況なのに、彼女は何も変わらない。


「ということは、今日はあなたで最後ってことか……少しズルして、朝方までゆっくりしましょう」


 そう言って、アリシアはベッドに腰掛けるとその隣をぽんぽんと叩いた。突っ立ってないでこっちに来て座れということだ。

 俺はそれに、気分の悪さを感じながらも黙って従う。


 アリシアは服も着ずに、下着も着けていない。全裸の状態で薄布を纏っているだけ。隠れていない胸元には思い切り噛まれたのか、血の滲んだ歯形がついている。首には締められた痕。

 数時間前よりも更に傷が増えている。


 俺はそれを直視出来ずに、隣に座ったまま地面だけをじっと睨んでいた。


「……ごめん」

「? なんで謝るの?」

「だって、こんな。俺……っ」


 きっとアリシアは毎日、酷い目に遭っていたのだろう。彼女の仕事とは、そういうものだ。俺はそれがどういうものか、知っていたはずなのに。見たくなくて目を背けていた。口だけで心配だと言って、結局何も出来ていない。


「べつにギルが謝ることなんてないよ。これは仕事だから。街の娼婦と何も変わらない」

「でっ、でも……望んでやってるわけじゃないだろ!」

「あなただって、望んで人殺しをしてるわけじゃないでしょう?」


 それと同じ、とアリシアは言う。

 彼女の言い分はもっともだ。反論の余地もない。俺がこうして口を挟むのは、俺がこの状況を許せないから。誰でもない俺のエゴ。

 だから、何を言っても彼女の心には響かない。


「だからって、こんなこと……間違ってるだろ」

「……だったら、ギルがなんとかしてくれるの?」

「それは……」


 言い淀んだ俺の心境をアリシアは見透かしていた。


「あなたは私のことを心配してくれる。でも、何もしてくれない。何も言ってくれない。出来なくても、ここから逃げようって……そんなことも、一度だってなかった」

「……アリシア」

「わかってるよ。逃げても、どこにも行けない。帰る場所もない。ここから外に出たって何にもならない。だって、私たちは死んだ人間だから。この世界にはもう必要とされてすらいない。やっても無駄なことに、あなたは私を巻き込まない。だからいつも口だけ」


 俺は彼女の訴えに反論出来なかった。

 すべてその通りだからだ。すでに俺は諦めている。この状況を受け入れている。そしてそれは、アリシアも同じだ。


 無理矢理に慰み者にされたって、乱暴されたって。彼女は仕事だからと割り切る。そうしないと心が持たないからだ。


「でも、それでいいの。あなたが心配してくれるだけで。ひとりじゃないから頑張れる」


 そう言って、彼女は俺に微笑んだ。その笑顔が痛ましく見えて、膝の上に置いた手をギュッと握り込む。

 それを暖かな手のひらが包み込んだ。


「ねえ、ギル……私のこと、抱いてくれる?」

「おれに、そんな資格は……」

「あなたに心の底から愛されたいの。一度だけでいい。それが叶えられたら、私はきっとこの先も頑張れるから」


 聞こえた声は微かに震えていた。その声音に、俺はハッとして顔を上げる。

 刹那、伸ばされた両手が俺の頬を包んだ。口付けをされて……どれだけ夢中になっていたのかわからない。不意に聞こえた笑い声に、俺は恥ずかしさを誤魔化すように彼女の身体を押し倒した。


 真剣に見つめる熱い眼差し。それとは正反対に、彼女の身体に触れた俺の手は震えていた。それを見て、アリシアは可笑しそうに笑うんだ。


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